30冊目 捨て悪役令嬢は今日もお伽噺を語る
春めいた街は色とりどりの花が咲き乱れ柔らかな日が降り注いでいます。王城敷地内も例外でなく、仄かな花の香りが漂っています。麗らかな春の日の中、城の裏門にはひっそりと一台の馬車が付けられていました。側面にあるはずの王家の紋は隠され、装飾は少なく一色に統一されています。
この場の人は少なく、わたくし、陛下、レオナルドさんをはじめとしたラクスボルンへ行き制圧してきた兵の方々の一部だけです。ほとんど知られることのなかった罪人は、この城に来るときも去るときも静かなものでした。本来であればただの平民であるわたくしが護送の場に立ち会うことはないのですが、それも陛下の計らいでした。
裏口が開き、数名の兵に付き添われたカンナさんが姿を見せました。数年ぶりに日の下で見る彼女はやはりわたくしの記憶にあったかつての姿とはかけ離れていました。彼女はこんな顔をしていただろうかと思えるほどに。天真爛漫な彼女はおらず、粛々としかし足取り確かに歩いていきます。血色の悪い横顔は如実に一年という時間を現していましたがその眼はむしろ以前よりもずっと生気があるように見えました。
言葉を掛けることなく、ただ馬車へと歩いていく彼女を、わたくしたちは見ていました。
わたくしの何もかもを奪いながら、同時に様々なものを教え、結果的にこの上なく大切と言えるものを与えてくれたカンナさん。彼女の姿を見るのはきっと、これが最後でしょう。良くも悪くも、わたくしを大いに振り回した方でした。
粛然と前を見ていた彼女が、唐突にその足を止めました。咎めるように声を掛ける兵士など知らぬように、彼女はわたくしを真っ直ぐ見据えました。
「シルフ・ビーベル」
呼ばれた名前のままに一歩踏み出そうとしたところで陛下が庇うように遮ろうとしますが、それを止め正面から彼女の姿を見ました。思えば、もうわたくしのことを『シルフ・ビーベル』と呼ぶ方はこの方しかいないのです。捨てられ捨てたファミリーネームは、記号を現すように無機質なものでした。
「カンナさん」
「私が貴女にしたこと。今も後悔してない。それは正しさだった」
「ええ、理解しています」
事情を知っている者しかいないせいでしょうか、彼女の言葉に色めき立ちます。彼女は今までしてきた悪行としかいえない行為について一欠けらの反省の色も見せません。ですが、彼女のしっかりとした口調が、この場の人達が咎める言葉を奪っていました。
「時間がないけど、最後に一つだけ教えてあげる。……いえ、どうか知っていて。知ってもどうしようもないけど、」
少しだけ迷うように、躊躇うように唇を震わせました。
「貴女が『悪役令嬢』だと知ったのは学園に来てからよ」
「……え?」
「今更言ってもどうしようもない、あったかもしれない話だったわ」
あったかもしれない、話。一瞬で頭が真っ白になりました。
彼女は、最初からわたくしのことを『悪役令嬢』だと思い、嵌めるつもりだったのだと思っていました。図書館で本を読むわたくしに話しかけたのも、何度もそこで話をしたことも、すべて。
「ねえ、それおもしろい?」
「はい、とても」
楽しい楽しい、時間でした。唐突に始まり、そして唐突に終わった時間でした。
あの穏やかで暖かな時間は、本当にあったかもしれないことだったのです。
もしもわたくしたちが『悪役令嬢』でなければ、あったはずのささやかで慎ましい、幸せでした。
「忘れても良いわ。でもどうか知っていて、『シェルシエル』」
「カンナさん……!」
それはラクスボルンでわたくしが使っていた偽名でした。こっそり図書館に通うために使っていた、図書館にいる人しか知らない名前。もう、名乗ることも呼ばれることも二度とない名前。
「悪役を助けてくれてありがとう。私はもう、自由に足掻けるわ」
泣きそうになりながら笑うカンナさんは、きっと鏡に映るわたくし自身でしょう。馬鹿馬鹿しくて陳腐な終わり方です。
彼女の言葉を借りるなら、きっとこの物語は台無しです。勧善懲悪で悪役が殺されるわけでなく、最後の最後でささやかで月並みで他の人からすればどうでも良いような事実が明かされる。なんてぐだぐだで、爽快さのないラストでしょう。あったかもしれない、ありもしないもしもに縋りつく様に笑うわたくしたちの事情を知る人は、誰もいません。何について話しているのかわからないでしょう。第三者なんて物語の読者なんてどうでも良いのです。
理解されたがりでもない、わたくしたち二人だけが知っていればいいのです。
「もう二度と、お会いすることはないでしょう。しかしどうか、」
深く下げた頭は、知りすぎてしまったがゆえに罪を負い、何もかもを諦めながらも誰も知らない『正しさ』に殉じ『悪役令嬢』を演じきった彼女に対しての、敬意、労い。
「主人公も悪役もいない自由な場所で、『物語』の与り知れぬところで、幸せに暮らしてください」
悪役たちも、どうか誰にも知られない静かな場所で、自分なりに幸せに暮らしていてほしい。現実において、悪役とか主人公とかと例えるのは不適切でしょう。しかし彼女に関しては、それが正解だと思うのです。
カンナさんは、穏やかに、晴れやかに微笑み、そして馬車へと向かいました。振り向くことなく、彼女は馬車に乗り込み、護送の馬車は北へ北へと、走って行きました。
遠い遠い、遠いところ。きっともう二度とわたくしと道の交わらない所へ。
「……シルフ、これでよかったのか」
陛下のそれは、きっと事情を知る人すべての心を代弁したものでしょう。わたくし自身、何度も考えたことでした。
「はい、これで……いえ、これが良かったのです。これこそが、最善だと思っています」
カンナという一人の少女により、一人の少女が追放されました。彼女という歯車が一つ食い違ったように、回り回って数十という人の命を奪い、そして一つの国を緩やかな滅亡へと導いたことになるでしょう。
世紀の悪女、傾国が生き延び、巻き込まれた人々は殺された。死んだ方々が報われないと、僻地への追放など甘すぎると、そう思う方が大半でしょう。しかしわたくしに、物語の結末を決める権利があって、そして選んだのであれば、もう他の方の意見はただの感想にすぎません。
「悪役が救われる物語は、お気に召しませんでしたか?」
「……いや、存外悪くない」
ニヤ、とあくどく笑う陛下に口元を緩めました。
集まっていた方々も散り散りになり、裏口はまるで何事もなかったように閑散としていました。今日という日、ここで何があったか知る人はその場にいた人以外にはいないでしょう。
上出来だとでもいうようにわたくしの頭を少し撫でるとぽつりと呟きました。
「ところで、カンナの言っていた『シェルシエル』とはなんのことだ?」
大した考えがあるわけでもございませんでした。それでも、知りすぎた者と欠片を知った者のあったかもしれない話を示すように落とされたそれは、まるで埃臭い書庫に隠された小さい小さい宝物のように思えたのです。
「内緒、です」
くふ、と笑ってみせるわたくしを陛下は咎めることはしませんでした。ただ何か分かったようにニヤ、と笑うだけで。
悪戯心など、独占欲など、かつてはなかったものでした。そのどれもが楽しいことと、素敵なことと知ったのはいつからでしょうか。
「今から、時間はあるか?」
「残念ですが、午後からは図書館での業務がありますので。何か御用ですか?」
「……いや、大した用ではない」
「よろしければ今晩でも?」
「ああ、」
ここ数年はハリケーンにでも巻き込まれた怒涛の生活でした。何もかもが覆り、ゼロから再び作り直す。それは決して悪いものではありませんでした。問われるがままに自分の望みを答えたあの日、本と共にありたいという願いが叶いました。水を与えられる種のように、惜しげもなく様々なものが与えられわたくしは様々なものを覚え、そして原点に立ち返ったのです。人はこれを復讐と呼ぶのでしょうか、定かではありません。それがなんと呼ばれたとしても、わたくしにとって大切なものであり、さながら忘れたものを取りに帰ったようでした。最大のけじめともいえる、かつての友人はわたくしに語ってくれました。
「では、今夜に相応しい物語を用意してお待ちしています」
わたくしたちは、この世界は、物語と共にあるのです。
盛大な間違いもうしわけございません
・29日投稿予定をフライングしたため中途半端な投稿時間
・主人公の名前ミス
毎回誤字脱字の報告いただいておりますが、あまりにも盛大でしたのでここで謝罪申し上げます。




