24冊目 見極め
「誰がお前の罪を否定したとしても、罪は罪だと、お前は自身を苛むか。」
「ええ、恐れながら。わたくしはいまだ無知と言わざるを得ません。そんなわたくしにできる唯一の贖罪だと思うのです。」
贖罪、というにも烏滸がましいかもしれません。死んだ方々は、わたくしを許さないでしょう。私が自分たちに復讐したのだと、地の底から思うのでしょう。
わたくしがわたくしを責めたとて、誰も救われません。
わたくしの、ただの自己満足です。
「自己満足です。けれど責任を負わせてはくれない優しい方々しかいらっしゃらないので、わたくしは自ら責任を定めるのです。」
これは、自由を、幸せを享受するわたくしの責任であり、覚悟です。
「……お前は、後悔しているのか。結果的に、奴らを殺してしまったことを。」
「陛下、そのようなことは決して。後悔などはありません。ただ彼らを切り捨てたことへの覚悟があるだけです。先ほど陛下の仰ったとおり、ダーゲンヘルム王国にはわたくしのこと抜きで、ラクスボルン王国に侵攻する理由があるのでしょう。わたくしは事実への呵責ではなく、自らの決断への呵責を負っているだけです。」
そしてわたくしはきっと何度でも同じようにするでしょう。
もし再び何者かの手によりわたくしの幸福が、日常が奪われるとき、わたくしは持てる力の限り、抵抗しましょう。暴虐に抗いましょう。諦念など抱いていても、大切なものは守れません。
抗うことで、大切なものが守れるなら、どれほどの罪であろうとも、背負うことを選びましょう。
深く深く、陛下はため息をつきました。
「……わからん。」
「ええ、」
「まるでわからん。なぜ、そこまで自らを苛むか。潔白が、大義名分があるというのに自ら汚名を被りに行くか。理解ができん。」
「ええ、ですがそれが、」
「お前のけじめという奴か。」
言葉を継ぐように呟いた彼は、わたくしの言いたいことが既に分かっているでしょう。理解はできるけれど、不可解、共感できない、納得できない、そう感じているのです。
一年かけて彼の為人を理解しました。
上に立つものとして、強者であり、支配者であり、合理主義者な彼は、決してわたくしの考えに納得してくれることはないでしょう。
「わからん。が、お前にとってそれが必要だということはわかった。」
理解できないといって切り捨てるような冷酷さは持たず、理解できないのならそれを知りたいと考える、そんな方です。
「死体が一つ増えたところで大した差はないと思ったが、そういうわけでもないか。」
「はい、何よりカンナさんとラクスボルンの件はもはや別の問題です。」
もし、カンナさんがいなければ、わたくしは今もラクスボルン王国にいたでしょう。何不自由ない生活を送り、大きな喜びもなければ大きな悲しみもないまま生き、王子と結婚していたかもしれません。
それはきっと、今の幸せに勝らないでも、幸せな未来だったでしょう。
彼女はわたくしから何もかも奪い去りました。けれどそこに怒りも憎しみも、もはや悲しみすらありません。
諸悪の根源、裏切り者、そのような誹りはあるべきものでしょう。それだけのことを、彼女はしました。
けれどもう、彼女に対する感情は空気の抜けた風船のように、すっかりしぼんでしまっていました。
もはや過ぎた過去、もう二度と会うことはないと思っていた相手。ある感情といえば戸惑いだけ。罰する理由も、復讐を遂げる興味もありませんでした。
「ラクスボルン王国はわたくしを国へ呼び戻そうとしていました。呼び戻すことで、わたくしから幸福を奪い去ろうとしました。……けれど今のカンナさんは、なんの力も持っていません。」
今の彼女は、味方も、地位も、何も持っていません。
外に放り出されてしまえば、そのまま死んでしまうのではないかというほどに、彼女は無力です。
「彼女はもう、わたくしから大切なものも、何も、一つとして奪うことはできません。」
ラクスボルン王国にいたころ、彼女は周囲の人間をすべて味方につけました。わたくしの気づかない間に、王子や周囲の権力者の貴族たちを味方につけ、演出や情報、印象の操作によりわたくしを孤立無援にまで追い込みました。
彼女自身には、最初から力はありませんでした。彼女の武器は、人を操作するだけの演技力だったのでしょう。
しかし今の彼女の現状で、誰かを味方につけることは不可能です。王城の牢に幽閉されている彼女がかかわる相手はわたくし、陛下、そして兵士の方々のみ。そしてその全員が、彼女がラクスボルン王国でしたことをすべて知っています。そんな彼女が誰かを味方につける、何かを謀ることは決してできないでしょう。
「わたくしは、大切なものを守るために、ラクスボルン王国の方々を殺しました。しかし何も奪うことのできないカンナさんを、どうして殺せましょう。」
「……それが、あれを罰しない理由か。」
「陛下はカンナさんがまだわたくしをどうこうできるとお考えですか?」
ない、という答えが返ってくるかと思いましたが、想定は外れ、彼は難しそうな顔をしていて思わず怪訝に思いました。
牢に入れられ、唯一の武器ともいえた人脈形成能力を活かされない国で、彼女にできることが何かあるのでしょうか。
「……わからん。いやお前にも話してしまおう、シルフ。ラクスボルンでのこと、お前は奇妙に感じなかったか。」
「奇妙に……?」
「なぜあの国の奴らは揃いも揃ってあんな小娘の虚言を鵜呑みにしたか、だ。嘘を吹き込み周囲をだました程度ならわかる。だがお前は王子の婚約者で将来国母になるかもしれなかった、重要な人間だ。そんな奴のスキャンダルを国の権力者は大して調べもしなかったのか。調べれば小娘の虚言の粗など一日もあれば見つけることができる。なのになぜ、誰一人として一年近くもの間あの娘の嘘に気が付かなったのか。」
すべてが終わったあとでそんなことを考えたことはありませんでした。しかし思い返してみれば本当に妙なことでした。
わたくしは彼の方の婚約者になるため、努力をしていました。家のため、親の期待を裏切らないため。政治や経済、執務などの座学だけでなく、円滑な人間関係のために、将来要職に就くだろう子息たちとの関係づくり、ほかの貴族の令嬢たちとの繋がりの維持、ときに家のパイプから要職についている方と直接交流する機会すらありました。
心からでないにしても、将来役に立つだろう関係づくりには努力をしてきました。実際彼らには信用していていたし、お互いに利用しあう関係として友好的な関係を何年もかけて築き上げました。
にも関わらず、あの時、王城でのパーティにおいてわたくしを信じる者は、誰一人としていませんでした。
それは本当に、奇妙なほどに。
全員が、貴族社会に出て幾ばくも無いカンナ・コピエーネ嬢を信じたのです。関わりのあった子息たちだけでなく、王国の中枢に至るまで。
「原因はわからん。だがあの娘が関係していることはまず間違いないだろう。あの国で起きたことはすべて、『カンナ・コピエーネ』にとって都合の良いことだ。非現実的なほどにな。」
彼女にとって都合の良い。
それは言い得て妙でした。あまりにも都合がよすぎるそれは、まるで彼女のために世界が作られているようで。
いつかに、彼女が言っていたことを思い出しました。
『ヒロインのカンナ・コピエーネは王子、ミハイル・ラクスボルンと結婚するの。暴虐で高飛車な悪役令嬢シルフ・ビーベルは、隣の国の怪物に食べられるのよ。』
あの世界では、主人公がカンナ・コピエーネ、悪役がシルフ・ビーベル、ということでしょう。だからカンナさんの都合の良いように世界は動き、悪役の都合は無視されたとでも言うのでしょうか。
「不確定要素が多すぎる。一番安心できるのは殺してしまうことだが、それはお前が良しとはせんだろう。……条件付きで、あれを生き永らえさせること、認めよう。」
その言葉にハッとしました。
やはり陛下はわたくしの提案に納得などしてはいませんでした。365日間、物語を語ることができるなら生きて牢を出ることができる、そのはずでしたが、おそらくそのつもりは彼になかったのでしょう。
「陛下……、」
「想像はついていただろう。なんにせよ、365日の期限は悪くない。一年間、あれの様子を観察しようではないか。牢の中で何ができるか。それはわからん。だが一年の間でラクスボルンで何をしていたか吐く可能性はある。もしくは牢越しに私たちに何かする可能性もゼロではない。」
きっと、陛下は彼女が物語を語れようとなかろうと、殺すつもりだったのでしょう。語れなければルールの通りに、語ることができたなら、わたくしの目の届かないところで。
無礼を承知のことでしたが、わたくしの心情を改めて彼に話すことができたことに安堵いたしました。もし彼女が語りきることができたなら、そのような結末は、知らないとはいえあまりに不義理でした。
「一年かけて、あれを見極める。」
そういった陛下は愉しむように口角が上がっていました。
不敵な笑みですが、安心します。こういう顔をしている陛下は何よりも興味を優先します。今までなあなあであったカンナさんの立ち位置ははっきりしました。彼女もまた陛下に観察されるモルモットなのです。
「それにしても、あれを持ってきた当初はもうちょっとお前の違った様子が見られると思ったんだが……、」
すっかり機嫌のよくなった陛下に紅茶を入れているとそう声を掛けられ首をかしげます。わたくしとしては先ほどの取り乱して懺悔する姿はこれまでにないほど恥ずかしい様だったと感じていますが、彼の期待するものとは違ったようです。
「さきほどの様子などはいつもと違う様子だったと思いますよ。」
「いや、会ってすぐの話だ。カンナを見て怒るとか、恨めし気な目をするとか、小馬鹿にするとか……それこそ嬉々として復讐のために殺す、とかな。」
「復讐、といってももうどうでも良いと言えばどうでも良いですし、ダーゲンヘルムで楽しく暮らせているので復讐する気にもなれませんよ。」
また複雑そうな顔をする陛下に疑問符を浮かべました。今の生活に何の不満もないどころか以前よりもはるかに恵まれた生活を送ることができています。今更怒りや悲しみはありません。
「だよなあ……それを聞くとつまらんような嬉しいようなっていう気分になるぞ。」
「わたくしはできれば喜んでほしいのですが。貴方に拾っていただき感謝していますし、とても幸せに暮らせているのですから。」
「だよなあ……、」
複雑な思いを飲み下すようにティーカップに入っていた残りの紅茶を一息に飲み干されました。
「もう夜も遅い、そろそろ失礼するぞ。」
「すみません、長々とわかりにくいたとえをしてしまい。」
「それについては構わん。面白い命題ではあるし、またよく考えてみることにする。」
改めて時計を見ればもう短い針は天辺あたりまで来ていました。見送るために玄関まで出て行くとポツリポツリと明かりのついた城が見えます。
「まあ何にせよ、正直カンナを生かしておいて良かったとは思っている。」
「そう思っていただけて、嬉しいです。」
「お前があれと毎日話すようになったせいか、強かになったし、以前よりも発言に可愛げが出てきた。」
「かわいげ、ですか?」
可愛げと言われてもピンとくるものがありません。強かになったのは確かですが、むしろそれは可愛げとは真逆を行きそうなものですが。
「ああ、前のシルフなら私に喜んでほしいなどとは言わなかっただろう。『してほしいこと』を軽々しく口にできるのはいい傾向だ。我が儘を言うくらいが、可愛い。」
「かわっ……!」
アイリーンさんはよく可愛いとおっしゃいますが、陛下がそんなことをも恥ずかしげもなく堂々と言われるので、わたくしの方がものすごく恥ずかしくなってまいりました。きっと今のわたくしは茹でられたように赤くなっているでしょう。それに気づいてしまったのでしょう、目を丸くしてから陛下はニヤニヤと愉快そうに顔を歪めます。
「顔が真っ赤なようだが、どうした?」
「……な、んでもありません、から。」
「ほう、なんでもないと言う顔には見えんが。……まあいい。」
分かっているでしょうに、意地悪くわたくしに聞く陛下にどうか早くお帰り願いたいと思っていますと、突然、額に柔らかい感触と小さな音。状況を認識する間もなく呆けたまま見上げるとクツクツと笑いながら陛下が手を振って城の方へと向かっていきました。
茫然とし思考が真っ白になったまま扉を閉め、紅茶や本、ノートを片付けます。しかししばらくし落ち着いて椅子に座った瞬間遥か彼方へと飛び去っていた思考が帰ってきました。何をされたかを改めて認識して、悶えたまま机に突っ伏しました。
はしたないとか、不義だとか、どんな反応をするのが良かったとか、グルグルと頭の中を駆け巡って揚句答えも出ません。
冷たい机に突っ伏しながら、奥歯をかみしめました。このままではきっと明日カンナさんのとこへ行ったときにまた「機嫌がいいのね」なんて言われてしまいます。とりあえず忘れて、だらしなくなりそうな顔を引き締めることに集中しました。
大幅改稿の結果、トロッコ問題をまるまる差し替えました。分量が増えたため、二話に分けました。
わかりづらくて申し訳ございません。
読了ありがとうございました。




