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捨て悪役令嬢は怪物にお伽噺を語る  作者: 秋澤 えで
本編

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23/51

23冊目 罪が罪であるならば

「今、何話目だ?」

「今晩のお話し、『小人の靴屋』で93話目です。」

「ほう、粘っているようだな。」

「ええ、まだ余裕がありそうです。」



ゲームが始まってから三か月と少し、記録帳にはびっしりと物語のタイトルたちが並んでいます。本当は内容もすべて書き記しておきたいのですが、あいにくそこまでする時間がないので諦めています。ただどの物語もインパクトが強いのでタイトルから大抵の話を思い出すことができました。



「あの牢屋にいるというのに、話す物語の質は変わらないな。もう少し荒んだ内容に変わってもおかしくないだろう。」

「ええ、相変わらず彼女の語る物語は素敵です。環境に左右されない、というのは単純にあの場所で物語を作っているのではなく、知っている物語を思い出しながら話しているからではありませんか?」



カンナさんは物語を自分で作っているわけではございません。今はまだ、知っている物語をわたくしに話して聞かせているのです。どれだけ彼女が物語のストックを持っているか定かではありませんが、もし話を考えるとしたらきっともう少し後になるでしょう。



「……さて、あとどれだけ持つことか。」

「この調子なら365日達成できそうな気もしますけど。」



紅茶を入れながらそう返しますとふと陛下が黙り込みます。彼の方を見れば何とも言えない複雑そうな顔をしていました。



「陛下?」

「わからん。」

「何がですか?」

「なぜあのカンナという女をそんなにも生かしたがる。」



今更過ぎる質問でしたが、思えば一度も陛下に聞かれたことがありませんでした。陛下はあくまでも面白そうだからゲームに乗っただけで、彼女の生死などはどうでも良いのでしょう。いえ、むしろ陛下の天秤は殺したがる方に傾いています。



「お前がラクスボルンから追い出されたことを怒っても恨んでもいないことは知っている。よって殺す理由にはならないかもしれん。だが見捨てる理由には成り得るだろう。」



責めているわけでもなく、追及して愉しむでもなく、困惑しているようでした。

矛盾していることも、自分勝手であることも知っています。ラクスボルンの人々を間接的に殺したのはわたくしです。今更死体の数が一つ増えたところで、あまりかわらないでしょう。わたくしの決定が数十人殺したことは紛れもない事実であり、罪です。自らの安寧のために、殺すことを決めました。実際に手を汚していないだけで、陛下に賛同しました。


 臆病で卑怯なわたくしは、じっと耳をふさいで、目を背けていました。開き直ったような口を叩きながら、自分は悪くないとでも言い聞かせるように。気が付けば手元に残っていたのは彼らは死んでしまったという結果だけ。


 掌の上に残った、死んでしまった彼の国の方々を思い、わたくしは再び向き合わなければならないと思うのです。



 「陛下、少々迂遠になるかもしれません。わたくし自身、今の考えをまとめられてはいないので、散文となりますが、お聞きいただけますか?」

 「良い。お前の感じているままに話せ。」



 頭の中で絡み合っている事実、感情、そしてこれからの想定を、一つずつ並べていきます。今の陛下は正解も、望む答えも持ってはいません。ただわたくしの考えを話せというだけで。ならばわたくしが語るのはわたくし自身のことでしょう。



 「まず前提として、わたくしは誰も恨んではいません。怒っても憎んでもいません。ラクスボルン王国の方々も、すべての原因であったカンナさんも。」


 誰も、恨んではいません。恨めるほどの感情のエネルギーのコントロールは、わたくしにはまだ荷が重いものです。

 ラクスボルン王国は、わたくしにこれまで恵まれた暮らしを、平和をくれていました。カンナさんは偽りといえどわたくしに、友人と語らう喜びを、陽だまりのような日常をくれました。



 「皆様、わたくしが平和に生きられる、何不自由なく生きられる環境をくれました。偽りでも、友人との喜びをいただきました。」

 「その何もかもを奪い去ったのは同時に、奴らだというのにか。」

 「ええ、彼らがくれたものは事実です。たとえ彼らの手によって壊されたとしても、それまで生きてきた十数年は、国によって、友人によってできていました。純粋にそれは、感謝しています。……そして裏切られ奪われたことは、ただ悲しく思えます。どのような理由がそこにあったとしても、変わらない事実です。」



 何もかも手から零れ落ちたとき、諦めを、虚しさを感じていました。けれどあの時、わたくしは悲しみも感じていたでしょう。当たり前でも、大事に抱えていたものが壊されることに、悲しみを覚えていました。



 「悲しかったです。けれどその悲しみは、この国で味わったたくさんの喜びで、とうに癒えています。」



 持っていた平和を、日常を、友人を失いました。けれどダーゲンヘルムに来てからはたくさんの人の厚意から惜しみなく、わたくしはそれを受け取っています。



 「……もはや、怒りも憎しみも、悲しみもない、と?」

 「ええ、ラクスボルンでの生活はすべて過去のもの、わたくしにとって終わったものです。強いて言うなら細やかな郷愁程度でしょうか。」



 何もかもを与え、奪い去った彼の国の乱心も、美しく柔らかなものを与え、裏切った彼の令嬢も、わたくしにとっては終わったことです。

 そしてどうか、わたくしの知らないどこかで、勝手に生きて、幸せになっていれば、それだけでよかったのです。



「恨みも怒りも悲しみもなく、ラクスボルンを捨てたお前は、」

「実害があったからです、陛下。勝手に生きていればよかったのです。わたくしの知らないところで、幸せになっていてくれればそれで、よかったのです。」



 そうすれば、わたくしはただ捨てられた公爵令嬢にしかならなかったでしょう。わたくしが捨てる側に回ることはなかったでしょう。



 「けれど彼らは、わたくしを放っておいてはくれませんでした。」



 もはや知らない世界に生きているはずのわたくしを、再びそちらの世界に呼び戻そうとしました。

 わたくしが彼らの幸せを、知らないところから祈るのと同じように、彼らも知らないどこかでいきるわたくしを祈っていればよかったのに。



 「今のわたくしの持っている平和は、日常は、幸せは、すべてダーゲンヘルム王国がくれたものです。陛下がわたくしにくれたものです。この国の優しい方々がくれたものです。」



 ラクスボルン王国にいたころのわたくしであれば、きっと捨てられたときと同じように、奪われる様をただただ見ていたことでしょう。自らの無力さを嘆きながら、なんの努力もせずに、人の手にこの身を委ねていたことでしょう。仕方がないことなのだと、諦念に悲しみを隠して。



 「このわたくしの何よりも大切なものを、宝物を、彼らに奪われるわけにはいかないのです。」



 奪われたくなかったのです。わたくしは、この輝かしく暖かい愛しいものを奪われるわけにはいかなかったのです。


 わたくしは、ダーゲンヘルム王国に来て、自由に振舞うことを学びました。言いたいことがあれば言葉にし、意思があるならそれに従い、願いがあるなら口にしました。

 それまで叶わなかったこと、できなかったことが、この国ではできました。

 わたくしは、自分の意思を持っていいことを知りました。意思に従っていいことを知りました。


 諦念とは、怠惰であったのだと、わたくしは知りました。



「恐れながら、わたくしは自分勝手に振舞ったのです。この腕に抱えた大切なものを、自分のために、奪い去ろうとする者から守りたかったのです。」



 ラクスボルン王国を捨て去る決意をしたことは、わたくしにとっての初めての“抵抗”でした。


 守りたかったのです。

 守るためにわたくしは、身勝手な暴虐に抵抗したのです。


 静かにわたくしの話を聞く陛下をじっと見つめました。今この場、わたくしは決して彼の方から目を背けてはいけないのです。



 「陛下、どうか、どうかお聞きください。見苦しくあるでしょう、情けなくあるでしょう。しかしこの口で述べなくてはならないことがあるのです。」



一瞬、迷うような色を見せた後、いつも通り鷹揚に言います。



 「言ってみろ、シルフ。それがお前に必要なことならば。」

 「……わたくしは、シルフ・ビーベルはラクスボルン王国を捨てました。そして自らの幸福を守るため、この国で得た美しいものたちを奪われたくがないために、母国の多くの人間を殺しました。この手を汚すことなく、一滴の血も、ただ一つの非難も、悲痛な叫びも浴びることなく、略奪者たちを、殺しました。」



 一つ一つ、事実を並べ、生まれた感情を詳らかにしていくと、わたくしが目を背け続けてきたものたちが明らかにされました。

 わたくしはどこかで、陛下に罪を押し付けていたのでしょう。わたくしが止めようと止めざるを、どちらにしても彼は彼の国の方々を殺しに行くだろう、と。わたくしの意思など、あってないようなものなのだと、きっとわたくしは思っていたのです。

 違います。違ったのです。

 わたくしは、大切なものを守るために、陛下の手を借りて、彼の国の方々を殺したのです。

 これこそが、まぎれもない事実でした。

 惨めにも震える声は、自らの罪を確かに自覚していました。



「見苦しき告解だと、恥じます。しかしどうか聞いてください。わたくしにはきっと、抵抗する権利があるでしょう。自由を望む権利があるでしょう。奪う者は加害者です。罰せられる者です。けれどわたくしに、彼らを殺す権利があったようには思えないのです。被害者であったから、正しいからなどと理由を付け加えたとて、到底、わたくしのしたことを正当化できることでも、憂いなく生きることも、ゆめ赦されることはないでしょう。」



 夕焼けを映すような目は感情なく、揺れることなくわたくしの告解を聞いていました。

 彼に話すことではないでしょう。懺悔であるなら神父にでもするべきでしょう。

 しかし、誰よりもわたくしを罰する権利を有するのはほかでもない、この“ダーゲンヘルムの怪物”だと思うのです。



 「……シルフ、お前は悪くない。奴らを殺したのは、私たちだ。今回は国益のためともいえる。そうでなくともただ私の気まぐれで奴らを殺していたかもしれん。なんにせよ奴らの自業自得。受けるべき報いを受けただけなのだ。」

 「だとしても、わたくしのしたことはまごうことなき罪です。わたくしは手を下していません。わたくしは誰かから糾弾されることはありません。だからこそ、誰が許したとしても、わたくしはわたくしを許してはいけないのです。自身だけは、その呵責を胸に抱え続けなければならないのです。」



 罪が罪であるならば、誰も罰を与えないのなら、わたくし自身がその罪を自覚し、自らを苛まなければならないのです。

 陛下がわたくしを許したとしても、彼にこの考えを伝えることで決してわたくしはわたくしを許してはいけないという誓いを立てたかったのです。



 「身勝手は承知です。陛下からの赦しを拒むなど身の程知らずと思われることでしょう。しかしこれがわたくしの答えなのです。」



 『安全を保障された母国に帰るか、このままこのダーゲンヘルムにただの娘として残るか。君はどちらが望む?』


 その問いに対する答えが、これでした。



 「たとえラクスボルン王国の方々を殺したとしても、わたくしはこの国で得た幸せを決して手放しません。自らの幸福のために抵抗しましょう。しかしその代わり、わたくしはこの幸せを守るために殺した人間たちがいたことをゆめ忘れません。何があろうと殺人という罪を犯した自身を赦しません。」



 問われたあの日、本当の覚悟をきっとわたくしはできていませんでした。

 だからこそ本物のけじめを告解として彼に伝えたかったのです。

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