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うっかり悪役令嬢を落としてしまいました  作者: 九重七六八
第6章 終戦条約締結 編
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うっかり、追加要求をしてしまった

「そうなると交渉は我が国に有利になる」

 

 セオドアからこのニュースを聞いたクローディアは、次席大使のヒュッテと戦略の練り直しに部屋にこもっている。あと1時間で恒例の晩餐会に行かねばならない。 

 全権大使のエルトリンゲン皇太子は、ナターシャ嬢を伴ってもう晩餐会の会場に出向いているから、この場にいない。

 伝えたところで仕事をしない皇太子が、クローディアたちと明日の交渉の相談に時間を割くとは思えなかった。


「このことはフランドル国では箝口令を出していますから、このリビングストンで知っていたとしてもフランドル外交官の一部だけでしょう。ハリス大使はこちらにはまだ漏れていないと思っているはずです」


 セオドアはこのニュースをエリカヴィータから得ている。さすがに大規模反乱だからいずれは知れ渡るが、時間差で交渉団に伝わっていなければハリス大使は強気のままで交渉に臨むであろう。


「となると交渉を急がせたいはず。これを逆手に取る」


 ヒュッテもクローディアも交渉を決裂させずに、相手の急ぎたい心理を利用し、最も利益のある条約を結びたいと考えていた。


「こちらが知っていることは隠して交渉すべきだな。こちらのカードを見せる必要はない」

「さすがクロア様。賢い選択です」


 セオドアはそうやってクローディアのことを褒めた。出会った頃のクローディアなら有利な立場を利用し、相手をとことん追い詰めただろう。


「テディ、我を相手の弱みを利用してとことんむしるような人間だと思ったか?」


(昔ならそうでしたよ)とは口には出せないセオドアは、思いもしませんよと心の中とは正反対の言葉を発した。


「では、晩餐会に行くぞ。テディ、我のエスコートをせよ」

「はいはい」

「はいは、1回でいい。光栄に思うがいい。次期皇太子妃クローディア・バーデンのエスコートをさせてやるのだから」

「光栄にございます」


 そう言ってセオドアは差し出されたクローディアの手を取った。本来は王太子のエルトリンゲンがその役を務めなければいけない。しかし、彼はナターシャを伴って既に晩餐会の会場へ行ってしまっている。そうなるとクローディアは別のパートナーと一緒に行くしかないのだ。

 男性は一人でも参加できるが、女性は異性のパートナーを伴うのがしきたりなのだ。女性が一人で夜のパーティーに参加するのは、はしたない行為なのだ。


 2人を乗せた馬車は、晩餐会会場へと向かう。しかし、その道筋には武器を持ったテロリストが待ち構えていたのだ。あのフランドル共和国軍人民革命軍のジェスト・コーエンが仕掛けた暗殺部隊である。


「皇太子は相変わらず愛人とお出ましか……。宰相の娘はまだ到着していないようだな」


 フランドル全権大使のハリスは、食前酒の入ったグラスを片手に参加者の様子を伺っている。ハリスはジェストがパーティー会場にいないことに不安を覚えていた。クローディアの暗殺は止めたのに従う素振りがなかったからだ。


(まさかとは思うが、ジェストの奴。暗殺を実行に移したのではないだろうな)


 クローディアがまだ来ていないことが余計に不安を覚えさせた。もし、仮に実行したのなら、絶対にフランドルの犯行を疑われないことが必要だ。証拠でも残したら、それこそ和平交渉自体がなくなってしまう。

 それはフランドル共和国の望むところではない。これ以上の自国を戦場にした戦いは避けたいのだ。


「エルトラン王国筆頭秘書官クローディア・バーデン公爵令嬢様」


 受付の係が到着した客の名前を告げる。緑を基調とした美しいドレスに身を包み、背の高い青年にエスコートさせたクローディアが現れた。

 ハリスはその姿を見て先ほどの自分の心配は杞憂だと思い、安堵のため息をもらした。しかし、それはほんの一時のことであった。

 クローディアは青年を伴って、ハリスのところにまっすぐ進んできたのだ。明らかに何か目的があってのことだ。


「ハリス大使、こんばんは。晩餐会を楽しんでおられますか?」

「こ、これはクローディア嬢。随分と遅れましたな」


 意地の悪い目で自分を見ているクローディアにハリスは冷や汗が流れてくるのを感じた。


「はい、途中で悪い野犬の群れに遭遇したものですから」


 屈託のない笑顔でクローディアはそう言った。ハリスの脳裏にジェストの顔が浮かぶ。


「や、野犬ですと。このリビングストンの町には珍しい……」

「はい。どうやらその野犬はフランドル犬らしいです」

「フ、フランドル犬ですと?」


 ハリスの顔に汗が浮き出てくる。慌ててハンカチで顔を押さえる。フランドル犬というのは、黒い毛並みの大型犬。狩猟用として貴族の間では有名な犬種である。そんな犬が野犬になっているわけがない。


「はい。黒いフランドル犬でした。首輪には御国の革命防衛隊の印がありましたわよ。うふふ……」

「か、革命防衛隊の首輪……。ご冗談を」

「我が国の監視下の元、リビングストン警察当局に引き渡しています。今頃、厳しい取り調べを受けていることでしょうね」

「い。犬を……ですか?」

「はい。大きなワンちゃんたちです。中には強情なワンちゃんもいるでしょうが、きっと何か分かるでしょうね。まさかとは思いますけど、貴国が関わっているとかはないでしょうね」

「あ、あるわけがございません」


 ハリスはそう答えるしかない。間違いないとハリスは思った。


(ジェスト奴め。勝手に暗殺を実行して失敗したのだ。そして無様にこの小娘に捕らえられた。馬鹿なことをしてくれたものだ)


 事態は相手国秘書官を暗殺しようとしたという件では済まない。もしばれれば、エルトラン王国は交渉打ち切りのカードを明確にもつことになる。そのカードは正当で大義名分あるものである。周辺国が便乗してフランドルに宣戦布告をするという最悪の事態も考えられた。


「明日の交渉、楽しみにしていますわ。あ、そうそう。我が国は追加でマウス列島の割譲も要求するつもりですから」


 マウス列島というのは、フランドルがある大陸と島国であるエルトラン王国の海峡に存在する10以上ある島々のことである。

 セオドアが所有する領地ラット島とは船で1時間ほど離れた島である。ここを所有することは、ラット島を介した交易が盛んになる可能性があった。


「わ、分かりました。それでは明日の会議で話し合いましょう」


 ハリスはそう言うしかない。クローディアは青年を伴うと他の客への挨拶に向かった。婚約者であるエルトリンゲン王太子とは目も合わせない。これは王太子も同じであえて互いに避けているようだ。

 ハリス大使の元へ大使館付きの武官が慌てて近寄ってきた。


「大変でございます。ジェスト大尉と革命防衛隊兵士10名が捕らえられました。今、リビングストン警察が身柄を確保しています」

「……リビングストン市長に会って、極秘に釈放させて我が国で引き取る。金はいくら積んでもいい」


 ハリスはそう指示した。中立のリビングストン市ならば交渉に応じる可能性がある。


「大使、だめです。ジェストたちは暗殺に失敗した後、全員、裸にされて杭に縛り付けられたのです。多くの市民が目撃しています」

「な、なんだと~」

「ジェストに至っては、看板が立てられて『天誅:フランドル共和国革命防衛隊所属 ジェスト・コーエン大尉』と記されていたそうです。明日の新聞に大々的に公開されるでしょう。ジェストの顔は売れていますから、言い逃れはできません」


 ハリスは崩れ落ちた。クローディアの暗殺未遂に対しての賠償でマウス列島割譲は必然となった。賠償金もだ。

 そしてハリスの元にさらに悪いニュースが入ってくる。本国での内乱の報である。

これで首都に迫っていたエルトラン軍を止める術がなくなった。もはや、和平を急がないと国を失う危機である。

 ハリスはナターシャ子爵令嬢とのんきにダンスを踊っているエルトリンゲン王太子の姿を見る。何の苦労もなくこの王子は、和平条約締結という結果だけを持ち帰っていくのだ。全部、婚約者の令嬢のおかげだと言うのに。

 ハリスは明日の交渉が人生で最も屈辱的なものになると確信していた。



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