表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/26

16.徳川立つも、足腰弱し

本日は13話から20話まで更新しています

読み飛ばしにご注意頂けましたら幸いです

 湖畔には、九一色衆が従える領民が隊伍を組んでいくつもの群れを為している。

 出征する陣容ではなく、家族や財産を守り抜くため、出し惜しみ無しの全力動員である。

 幸い、今日は戦の本番ではなかった。


「何を考えておるのだ、八郎兵衛どの、おぬしが城代だというに」


 呼び出されたオレは、すでに見慣れた男に説教を受けている最中だった。

 説教する男は、先日まで奥田監物直次を名乗っていたが、今は名を『堀監物直政』へと改めている。その理由は母方の従兄弟の堀秀政が本能寺にて斃れ、秀政の弟が明智方に付いて改易されたことにより、窮地に陥った堀家へ養子入りしたためだ。堀直政という名前は前世の記憶からも何かしら聞き覚えがある気もしたが、従兄弟の堀秀政に比べれば印象が薄く、


『たぶん、マイナーな武将だったんだろう』


 と判断していた。ただし、オレの前世では菅屋九右衛門の名前も知らなかったし、堀直政も凄い人なのかも知れない。だから前世のオレがただの物知らずであった、という可能性もある。

 その堀監物は甲州征伐以来の甲冑姿となって、あちらこちらへと声を掛けながら、オレを不審げな目で見ていた。

 オレは言い訳がましいと自覚しながらも、


「それがしが城代などとんでもない。それがしは兵を率いたことがありませぬ。

 堀監物さまが采配を振るわれるのがよろしいと思いまして」


「そう言いながらおぬしは小なりと言えども隊を率いておるではないか。

 それも槍や投石ではなく鉄砲を扱っているのだぞ。

 皆と合わせて調練をせねば無駄になろうが」


「我が隊は地元でも特に野山に慣れた者だけを選んでおりまする。

 勝手知ったる土地にて伏兵となり、忍びのように敵方を撹乱するつもりでござる。

 駆り出したる10人と鉄砲5丁、それを超える働きとなることはお約束致しまする」


「まあ、おぬしにも考えがあるのだろうが、この場はこちらの流儀でやらせてもらうぞ」


 湖畔に集まった男たち、なかでも槍を持つ者には九一色衆で管理する胴丸が貸し与えられた。百姓が自前の胴丸など持ち合わせるはずがない。これで富裕な土地ならば領主が陣笠だの手甲脚絆だのと貸し与えられるのだが、男たちは自前の笠や麻布の頬かむり。手足もボロ布を紐で縛って防具としていた。

 国人として出征する九一色衆の近親でもなければ、戦装束の用意などなかった。もとより九一色衆は小勢であり、戦になる前に長いものに巻かれて生き延びてきたのである。かつて武田と北条が争った折にも主要な戦場は甲斐国のそとだった。本栖が日本有数の大勢力同士が争う最前線になるなど初めてのことだった。


 堀監物は九一色衆の面々に声を掛け、率いてきた頭数を確認の上、配置を命じて戦の手順を徹底させた。

 本来ならば、これらはオレの兄貴、渡辺囚獄佑(ひとやのすけ)の役目である。しかし、兄貴はこの場にいなかった。徳川家から呼び出しを食らったのだ。


 清洲会議から遅れること半月後、織田は徳川に対して、


『不逞な国人どもが荒らし、北条や上杉が狙う甲斐と信濃を守れ』


 という命令を下したのである。

 元来これらは滝川一益らの役目だったはずが、北条との戦で大敗を喫し、織田家で失脚したために手勢がない。また信濃に所領を得たはずの美濃勢も撤退することで精一杯。帰還を果たせずに命を失ったものもあり、信濃国人との不和もあって再びの領有が危ぶまれた。そして甲斐は河尻秀隆の乱心によって穴山梅雪が接収を進めている。

 徳川の版図は甲斐と信濃に接し、穴山梅雪とは縁続きであり、寄親寄子の関係でもある。織田の上層部には巨大すぎる徳川を警戒する声もあったが、現実的に甲斐信濃を守れるものがほかになかったのだ。


 すると、徳川は素早く陣触れを発して酒井忠次率いる別働隊が信濃へ進出し、家康率いる本隊が駿河から甲斐へと北上した。

 甲斐はすでに穴山梅雪によって国人がまとめられ、家康が府中に入って睨みを利かせるだけで、北条は相模国や武蔵国の防衛を意識せねばならず、行動の自由が奪われるはずであった。だが、ここでオレの想像していなかった事態に陥った。


 伊賀越えで矢傷を受けた家康が、傷を悪化させて行軍の足を鈍らせてしまったのだ。

 駿河から富士川沿いに北上すること50kmほど、穴山氏本拠地の下山館まで駿州往還をどうにか進んできたが、家康がどうにも体調を崩し、これ以上無理をしては大事になると案じられた。

 そこで本隊の副将として同行していた大久保忠世が兵のほぼすべてを委ねられて甲斐府中へと北上を続けることになった。甲斐源氏の穴山梅雪に加えて徳川の援軍と聞いて威勢の良かった甲斐国人らにとって、大看板である家康の脱落は気勢のそがれる報せである。下手をすれば甲斐国人は徳川へ疑心を抱きかねない。そこで甲斐国人(かれら)へ少しでも良い印象を与えるべくオレの兄貴、渡辺囚獄佑が呼び出されたのだった。

 兄貴の嫁のお嘉祢さんが家康の側室と姉妹であることは甲斐国人の間で知れ渡っている。先日の河尻秀隆による乱心騒動もオレが同席したことで本栖渡辺氏の名は売れているとか。


 織田から甲斐信濃の防衛を託された徳川と、実質的に甲斐を平定した穴山の双方に縁を持つ本栖の渡辺囚獄佑が手を取り合って関東の大軍に対抗する、という塩梅である。


 よって、現在の本栖に兄貴は不在で、本栖湖の北に建つ本栖城の城代に、オレが選ばれてしまった。これまでは九一色衆の中から代理が選ばれていたのだが、オレが織田の侍となったことで田舎ながらに序列が上がったらしい。この背景には松姫の滞在や織田の侍が現在も本栖に留まっていたことから、留守を守る九一色衆が城代になることを嫌った面もあるだろう。これで兄貴とお嘉祢さんの子らが元服していたなら良かったが、子供が出来たのが遅れたことで、兄貴の上の息子もまだ十歳を迎えて間がなかった。

 こうして、ほんの少し前まで百姓だったオレがお飾りとは言え城代とされ、戦も近づいていることから自然と九一色衆の采配は経験豊富な織田の将に預ける運びとなる。

 実質的な指揮官として本栖を預かることになったのが、堀監物だった。


「八郎兵衛どの、戦とはまつりごと(・・・・・)なのだ」


「なるほど」


 2ヶ月ほどの付き合いでわかっていたことだが、堀監物は真面目な性格をしていた。彼が実質的な指揮官であるのは明白にも関わらず、城代(かわり)代理(かわり)という役目をまっとうすべく、名目上の指揮官であるオレに戦について語っている。


「まつりごととは、賦役であれ、大勢の人、民草を右に左にと使う。

 そなたも百姓として賦役に加わったことはあろう。

 賦役の出来不出来は、人の使い方次第、働き次第のはずじゃ。

 大事なのは、大勢の人がしっかりと働けるように目配りをすること。

 何をして良いかわからず右往左往するものが出ないように指示を出す。

 現場で指示を出せる者を選んで、過不足なく配置をする。

 民草は命じられて働きたくなどないし、戦など逃げてしまいたいものだ。

 それを踏ん張らせるには、奮い立たせて士気を保ち、武士の統制下に置く。

 大軍といえども統制が失われれば烏合の衆となり、すぐに逃散して影も形もなくなってしまうぞ

 戦の勝ち負けとは、敵の統制を失わせ、味方は一塊で動くこと、これに尽きる」


 堀監物が言葉を切った時、湖畔で轟音と白煙が同時に上がった。

 カモやツブリといった水鳥が驚いて飛び立っていく。

 鉄砲を扱うことが少なかった九一色衆──本栖には硝煙蔵もあり、地元でもわずかに運用されていた──に多くの鉄砲がもたらされ、手慣れた織田の兵から扱いを学んでいるところだった。北条が攻め寄せたなら織田勢も戦う予定ではあるが、彼らの多くは松姫の警護であって、いざとなれば松姫と共に逃げ出さねばならなかった。

 事故もなく、鉄砲の習熟が進んでいくことを確認しながら、堀監物は続けた。


「使いよう次第といえば、鉄砲でも同じことが言える。

 視界の良い高台に陣取って、敵を遠間から狙う。

 狙われた敵は身を隠し、鉄砲の届かぬ場所を縫うように動くであろう。

 次弾が放たれるまえに走って距離を止めてくるやも知れぬ。

 だが、いずれにしてもこちらが鉄砲を放つことで、敵方は対応に迫られよう。

 逃げるにせよ、攻め寄せるにせよ、敵方の動きを予想の上、あらかじめ槍隊を伏せ、投石を降らせたらどうか。

 鉄砲から逃げた先で石礫が降り、槍を向けられれば統制は失われる」


 後藤屋によって本栖に持ち込まれた鉄砲100丁のうち、半数を兄貴が持ち出して甲斐府中へと向かった。残る50丁のうち、5丁がオレの率いる分家隊で用い、九一色衆を率いる堀監物指揮下には45丁が残っている計算だ。

 今の九一色衆は百姓の若い男衆を全力で動員したなら200ほどになる。200のうち、胴丸を身に着けているのは槍隊の50人ほどだが、残る150人で50丁近い鉄砲を運用するなど、装備の面ではかなり恵まれている。

 堀監物はそのように説明してから、続けて断言をする。


「やりよう次第だが、1000や2000が攻め寄せようとも跳ね除けられよう」


 堀監物は楽観しているようだが、オレは落ち着かなかった。

 史実で甲斐に攻め寄せる北条方の配置は、若神子城に北条氏直親子率いる本隊4万。信濃の後詰に大道寺政繁が1万余。秩父往還を占拠した武蔵勢が千以上。旧小山田領の郡内地方や甲斐路へ侵入した別働隊が1万。


 オレたちが相対する規模は、千や2千では済まない可能性が高い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ