木の実のタルト
その日、朝起きると雪が積もっていた。11月に入るとちらほら雪が降ってくるこの国だが、11月後半でここまでがっつり雪が積もるのは珍しい。例年だと、12月に入ってから積雪量が増えるのだが……。
雪は積もっているが、天候は晴れだ。と言っても、冬場は6時間ほどしか日が登らないので、朝起きた時点ではまだ暗かった。
昼食後、まだ太陽の出ている時間にエルヴィーンは宮殿を出てフィアラ大公邸へ向かった。何度か訪れているので、フィアラ大公邸の門番もエルヴィーンをそのまま通した。
「こんにちは。大公はいらっしゃるか?」
「これはエルヴィーン様。今日はどのようなご用件で?」
出迎えた執事が尋ねた。エルヴィーンはもっていたバスケットを持ち上げた。
「女王陛下から差し入れだ」
「差し入れ? なんでございましょう?」
「果物だな。梨と桃と、あと何故かナッツ類」
「ナッツはウルシュラ様の好物ですね。ちょうど、厨房で菓子作りをされておりますので、どうぞお持ちください」
何故菓子作り。とりあえずツッコまないことにしてエルヴィーンは一度厨房まで行くことにした。
「あら。いらっしゃーい」
「……」
ウルシュラは妙に明るい声で出迎えてくれた。手にはオーブン用トレーを持っており、その上には型に入ったタルトらしきものが乗っている。
しかし、エルヴィーンが固まったのはそのせいではない。彼女は、この屋敷の女性使用人のお仕着せを着ていた。たぶん、ドレス姿だと裾が邪魔だからだ。黒髪も三つ編みにして背中にたらしており、使用人たちになじんでいるようで……なじんでいなかった。
なんといえばいいのだろうか。ウルシュラは醸し出す雰囲気に気品があるのである。例えば、どんな変装をしても「あ、あの人だ」とわかる人がいるが、ウルシュラはそんなタイプだ。明らかに使用人たちの中で浮いている。
「どうかした?」
「……いや。使用人の恰好、似合ってないな」
「わかってるわよ。お世話様」
どうやら、似合っていないことは自覚済みだったらしい。彼女にも用を聞かれ、エルヴィーンはもっていたバスケットをウルシュラに渡した。
「陛下から差し入れ」
「エリシュカから? 私、別に病気とかじゃないんだけど……」
「輸入品の果物だそうだ」
「要するに貢物ね。あら、ナッツも入ってるじゃない。今、ナッツタルトを焼いてるけど」
「そうなのか?」
「そうなのよ」
いつの間にか、ウルシュラが持っていたオーブン用トレーはオーブンに入れられたようだ。
「じゃあ、後はよろしく」
「はーい。できたら持って行きますね」
女性の使用人が愛想よく手を振った。持ってきたエリシュカへの貢物のおこぼれはそのまま厨房において行く。ウルシュラは厨房を出たところで控えていた女官長に指示を出す。
「ロマナ。彼を応接室に案内して。私は着替えてくるから」
「わかりました。お客様をそんな格好でお迎えするなんて全く」
「いいじゃない、別に。似合ってないけど」
そう自分で言ってしまうくらいには壊滅的にウルシュラはお仕着せが似合っていなかった。
エルヴィーンが応接間に通されてしばらくして、ウルシュラがやってきた。ちゃんと濃い青のドレスを着ている。相変わらず濃い色を好むようだ。三つ編みもほどかれ、ハーフアップに結い直されている。
「お待たせしたわ」
ウルシュラがそう言ってすとん、と向かいのソファに座った。「そんなに待ってないけどな」とエルヴィーン。
「それで、用はあれだけ?」
「あれだけだ」
あれとは、差し入れと称された果物の事である。ウルシュラは苦笑気味に「そう」と言った。
「エリシュカに振り回されているわね、あなた」
「面白がられている気はする」
「エリシュカは女王だものね。歴代女王のほとんどは未婚だったわ。たぶん、エリシュカもそうなるでしょう。だから、人をからかうことで疑似行為としているのよ」
つまり、ウルシュラとエルヴィーンのつかず離れずの様子を見ながら楽しんでいるということだ。ウルシュラによると、元からの性格でもあるので放っておけ、とのことだった。
不意に、にゃーん、と言う鳴き声が聞こえた。下を見ると、足元に白い猫がいた。抱き上げる。
「あら、ガブリエル」
「あなたは猫にすごい名前を付けるんだな」
「そぉ? これくらいは普通でしょう」
どうやらガブリエルと言うらしい白い雄猫は、ウルシュラの飼い猫であるらしい。膝に乗せて顎の下を掻いてやると、猫は満足げにゴロゴロと鳴いた。
「あ、ウルシュラ様」
「おう、イルジー。ガブリエルならここに来てるわよ」
「ホントか? あ、すみません!」
ガブリエルを追ってきたらしい下働きの恰好をした少年はエルヴィーンを見て居住まいを正した。どうやら、教育が行き届いていないわけではないらしい。彼がウルシュラに対して少々不遜なのは、彼女を信頼している証拠なのだろう。
「あの子は、孤児院から引き取ったって言ってたな」
イルジーが猫を連れて行った後、エルヴィーンがウルシュラに尋ねた。入れ替わるように入ってきたロマナが、2人の前に紅茶と、先ほど焼いていたナッツタルトを置いた。
「そうよ。まだ私が女王候補の時代ね。だから、もう4年くらい前かしら」
イルジー少年は12歳くらいに見えた。言葉遣いはあまりよくないようだが、気が利くらしい。勉学の呑み込みも早いそうだ。
「私に対してはあんな感じだけど、お客様にはちゃんとしてるわよ」
心を読んだかのようなウルシュラの言葉に、エルヴィーンはギクッとした。エリシュカもそうなのだが、この女たちはときどき妙に鋭いから怖い。
思わずギクッとした表情でウルシュラの顔を見たエルヴィーンに彼女は微笑みかけると、自分の前におかれたタルトの皿を手に取った。
「タルトをどうぞ。焼き立てが一番おいしいわよ」
そう言いながら自分が先にタルトにフォークを入れた。この遠慮のなさがウルシュラがウルシュラたる所以であるのだが、イルジーがウルシュラに敬うような振る舞いをしないのは、彼女自身に問題があるのではないかと思ってしまった。
勧められたので、エルヴィーンもタルトの皿を手に取った。フォークを入れると、さく、といい音がした。
ウルシュラが上目づかいにこちらをうかがっていることには気づいていたが、エルヴィーンは気づかないふりをしてタルトをほおばった。それを嚥下してから言う。
「うまいな」
ウルシュラがほっとしたように息を吐いた。普段はあまり表情を崩さない彼女なのだが、時折こうしてわかりやすい反応をする。
しかし、ほっとした様子を一瞬で消し去り、ウルシュラはいつもの表情で微笑んだ。
「口に合ったのならよかったわ」
世辞ではなく、本当においしい。ウルシュラ本人によると、焼く以外はすべてウルシュラ自身がやったらしいが、言われなければ、店で買ったか屋敷の料理人が作ったと思うレベルである。
なんでもストレス解消にお菓子作りはいいらしいが、月に2・3回は菓子作りをするウルシュラは、相当ストレスがたまっているらしい。エリシュカもストレスがたまっているようだし、女王と女大公はストレスがたまるのかもしれない。
「ふぅん。おいしいわね」
翌日、エリシュカがウルシュラ作ナッツタルトをほおばりながら言った。何となく、エルヴィーンがあのタイミングでお使いに出されたのは、ウルシュラ作のお菓子を持ってこいと要求されているような気がしたので、頼んで分けてもらったのだ。
ちなみに、提供者であるウルシュラは、今日明日と王都内の学校視察で登城してこない。
「でもこれ、ナッツが乗りすぎじゃない?」
「……そこは大公が作った菓子なので」
好きなものが大量に乗せられるのは仕方がない。それで味が損なわれていないのだから、いいのだろう。
「何つーか、意外な才能……」
ラディムがしみじみといった口調で言った。確かに、ウルシュラでなくとも貴族の女性に菓子作りの才能がるのは意外だ。
「昔からお菓子作りはしていたみたいだけど、わたくしが食べるのは初めてだわ。リクエストしたら作ってくれると思う?」
「……言ってみればいいんじゃないですかね」
たぶん、ウルシュラは断らないと思う。なんだかんだ言って、エリシュカがウルシュラに甘いように、ウルシュラはエリシュカに甘いのだ。文句を言いながらでも彼女は作るだろう。
「じゃあ、今度、リクエストしてみるわ」
エリシュカは楽しげに言った。エルヴィーンはエリシュカとウルシュラに振り回されているが、ウルシュラはエリシュカに振り回されているのかもしれない、とちょっと思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もう少し番外編が続きます。




