27. 貴族学園の異端者(完)
祝いを終える間際、学級のみんなで集まった。
集った七名の生徒を見渡し、アイゼンバッハ先生がうなずく。
「今日で煌羽は解散となる。お前たちは三年間、よく励み、よく成長した。入学した当初とはまるで別人に見えるな」
いつも固い表情なのに、先生は珍しく笑っていた。
心の底からの喜びを湛えて。
「……もう、お前たちは俺の『生徒』ではない。これからは公国を支える立派な一員だ」
先生は……先生じゃなくなる。
そう思うとすごく変な気分だ。
あの姿を見たら『先生』としか呼べないのに。
「……本当にそうだろうか?」
アルトン閣下が異を唱える。
彼は笑いながら先生の肩を叩いた。
「アイゼンバッハ先生は、先生だろう?」
確認するようにみんなを見渡したアルトン閣下。
僕たちは彼の問いかけに一様にうなずいた。
「たしかに学校の先生ではなくなるな。だが、俺たちにとっての人生の、生き方の『先生』は……ひとりだけなんだ。問題児だらけの煌羽をまとめあげ、ここまで導いてくれた偉大な人。俺は貴方を『先生』と呼び続けるよ。もちろん、俺以外のみんなもな」
「あぁ……そうか。俺はよき生徒に恵まれたのだな」
感慨深い様子で先生は――瞳から煌めく涙を流した。
初めて見た、先生のあんな表情。
生徒だけじゃない、先生も友だ。
「……これにてウラクス騎士学園の課程を修了する。卒業しても、予習と復習を怠るなよ」
学び続けよう。
誇り高きアイゼンバッハ先生の生徒として。
***
祝宴が終わる。
すでに陽が沈み始めていた。
ああ、一日が……終わってしまう。
僕が『生徒』として過ごせる時間も残り少ない。
「……ねぇ、レグウィフ。わたしはここを去るのが悲しい。たった三年間の歳月なのに、とても長く過ごしていた気がして」
夕陽を眺めながらイシリアが呟いた。
たった三年、されど三年。
「僕も同じだ。きっとウラクスで学んだ経験は、三年の時間以上の宝物を与えてくれた。時間は平等だけど、内包する体験の濃さは違うからね」
「そうですね……だから、これからあなたと歩む時間を。わたしはできるだけ幸福なものにしたい」
短い日々を彩ること。
それが人生を幸せに生きるコツなのかもしれない。
僕の隣に立つ彼女だって――残された時間は少ないけれど。
「約束するよ。どれだけ君の生が短くても……僕が君の未来を、誰よりも幸せにすると」
どんな病も。
たとえ治すことのできない病があっても。
僕は、僕たちは不幸じゃない。
短い時の中に刻まれる"愛"は誰よりも深いから。
僕たちはこの結末をずっと待っていたんだ。
「……ありがとう、レグウィフ」
ふとイシリアが僕に抱きついた。
彼女を抱き返す。
感じる鼓動、あたたかさ。
「わたしを愛してくれて、ありがとう……!」
***
黄昏、最後に教室を訪れた。
三年間過ごした煌羽の教室。
まだ会わなくてはならない人がいるはずだ。
「……いた」
窓辺にて佇む赤髪の少女。
なにを思っているのか、ずっと虚空を眺めていた。
彼女が持つ鋼鉄の杖の先に、ひらひらと不思議な蝶が舞っている。
「――リア先生」
「……ああ、きみか。とうにウラクスを出たものかと思っていたが」
リア・アリフォメン先生。
煌羽の副担任。
先生とは言っても僕とほとんど年齢が変わらない、侯爵令嬢の方だ。
「卒業式にもいなかったので。最後にどうしてもお会いしたくて」
本当に不思議な先生だった。
必要最低限の導きだけを授け、生徒との関わりを断つ先生。
どんな会食の場にも茶会にも応じず、淡々と日々を送っていた。
「変わっているな、レグウィフは。狷介孤高たる私など、気にも留めず去ればよかったものを」
「どうしても確認したいことがあったので。あと、三年間のお礼も言いたかったですし」
「特に礼を言われるような真似はしていない。師として教鞭を執り、義務を果たしたまでだ」
最後の最後まで、リア先生は壁を作ろうとした。
心の壁――とでも言えばいいのだろうか。
だからこそ確かめないと、僕は生徒としてウラクスを卒業できない。
「聞きたいことがあるんです」
「質問か。答えよう」
「――リア先生は、煌羽が好きでしたか?」
沈黙が流れた。
先生は答えなかった。
でも知らなければならない気がしたのだ。
絆を隔てた先生は、僕たちをどう思っていたのか。
互いの息づかいが聞こえそうなほどの静寂。
卒業生はみな学校を出ていった。
もう騒がしくなる要因はない。
「……肯定しよう。私は煌羽のみなが好きだったとも。たとえ何回、何十回も人生を繰り返したとしても、好きだと言える程度には。有終完美、幸せな卒業を迎えられて喜ばしいと思う」
……安心した。
もしも嫌いだ、なんて言われたら後味が悪すぎる。
リア先生も僕たちの大切な友であり、仲間なのだから。
「どうして生徒と関わりを持とうとしなかったのですか?」
「関わる必要がない。私は教師であり、卒業へ導くことだけが役目だ」
「でも……僕はリア先生がどんな人か、もっと知りたかったです」
「私は誰よりもつまらない人間だ。個人的な感性については、何も語るところを持たない。求知心を向けられても困るな」
「……僕は」
不意に眼前の像がぶれた。
リア先生は赤髪を翻して、こちらに鉄杖の先を突きつけている。
彼女の力強い碧眼が僕を捉えていた。
夕陽を背後にしていて、先生の顔はよく見えない。
杖の先に舞う蝶の光だけが、彼女の表情をちらつかせていた。
「もういいだろう、レグウィフ。きみは立派に成長し、巣立ちのときを迎えた。学園に未練を残してはならない。己が足で立ち、幸福な未来を迎えよ。何ひとつ切り捨てることなく、望んだ結末へ至れ」
行け――と。
そう言われている気がした。
いつもこうやって先生は人を強引に遠ざける。
僕は一歩下がって、深々と頭を下げた。
「リア先生。ありがとうございました。先生の導きがなければ、煌羽はここまで善い結末は迎えられなかったと……漠然と思うんです。僕はずっと先生への感謝を忘れません」
最初から最後まで、よくわからない先生だったけど。
ひとつ言えることがあるとすれば……彼女は誰よりも学級のみんなを想ってくれていた。
言葉ではなく行動で察せられたのだ。
「……そうか。謝意は受け取っておこう。私もきみたちのために奔走した甲斐があったというものだ」
「はい。どうか先生もお元気で。また会いましょう」
誰ひとりとして欠けることは許されなかった。
誰もが道を踏み外す可能性があった。
まっすぐに歩めた三年間。
結末までの道を誰が引いてくれたのか。
答えは明白だった。
「……さようなら、みんな」
教室に響いた小さな声。
どこか寂しげな、ひとつの声。
僕は扉を閉めた。
もう教室に戻ることはないだろう。




