25. また入学式で
原因のわからない戦争。
誰も望んでいないと思われた戦争。
多くの血が流れた戦争。
怨恨と悲憤を織り交ぜた最悪の歴史。
戦を望んだ『犯人』――イシリア・セフィマが持つ信念。
それは"愛"である。
「……すまない、リア。俺にはまるでお前の言うことが理解できん」
先生は眉をひそめた。
これまで理路整然とレグウィフに問い詰めてきた。
だからこそ急に"愛"を叫び出した私に、先生は困惑を隠せないのだろう。
「戦争は馬鹿げた理由で起こされている。神はそう語ったそうですね?」
「ああ。その馬鹿げた理由が……愛だと?」
「ええ、神からすれば馬鹿げた理由なのでしょうが。私はそうは思いません」
否定はさせない。
たとえ森羅万象を見通す神だとしても。
「……前世のことです。イシリアは私に語ってくれました。『幸せに未来を生きたい』……と。その幸せを築くために、戦争は必要な条件だったのです」
私が疑うことを覚えたあの日。
心の最奥に横たわる渇望……そこに寄り添うことが本当の友なのだと、イシリアが教えてくれた。
悩まし気にうなる先生に、私はさらに語りを続ける。
「愛し合っていたイシリアとレグウィフ。しかし、その二人の婚約が認められることは平時ではあり得ませんでした」
「……ん。そうか……! そういう、ことなのか……?」
どうやら先生も気がついたらしい。
やはり生徒の気持ちをよく理解している人だ。
「はい。平民のレグウィフは、普通なら伯爵令嬢のイシリアと婚約を認められることはありません。しかし戦争で武勲を立てる褒賞として、アルトン閣下が爵位の授与を約束されたのです。かくしてセフィマ伯爵は公国の勝利を願い、娘とレグウィフの婚約を認めました」
「……だが平時ではレグウィフに爵位が授けられることはない。二人の婚約は戦時でなければ実現しなかったと、そういうことだな?」
私はこくりとうなずく。
これのどこが『馬鹿らしい』理由なのか。
私は窓辺で佇む神に詰問したかった。
「なるほど。だが自身の幸福のために、多くの無辜の命を犠牲にする……それは正しい選択と言えるのか? 少なくとも俺は教師として、その動機を認めるわけにはいかない……かもしれない」
いつ死ぬかわからない。
持病のせいで常に死に追われ、愛する人との婚約も認められず。
たった一片の幸福も手にできないイシリアを私は責めることができない。
そして、愛する人を守ろうとしたレグウィフを……
そのとき。
鈍い音がした。
気がつけばレグウィフは椅子からずり落ち、床に首を垂れていた。
額を床につけ、私たちに嘆願する姿勢を取っていた。
「…………頼む。イシリアを殺さないでくれ」
蚊の鳴くような弱々しい声で彼は言った。
今にも消え入りそうな声だった。
「そうだ……『犯人』はイシリアだよ。"約束の月輪"に彼女が現れたとき、ううん……それよりも前から。先生とリアの話を聞いたときから、彼女が『犯人』だってわかってた。でも、無理だったんだ。正直に話すことなんてできなかった……」
レグウィフは肩を震わせて告解する。
こんなに情けない彼の姿……見たことない。
ずっと前を向いて戦ってきた姿しか見たことなかったのに。
「イシリアが戦争を起こそうとしている理由なんて、すぐにわかった。僕だって前世では心のどこかで戦争に感謝していたから。イシリアとの婚約が認められたのは……戦争のおかげだって」
きっとレグウィフが前を向く理由にもなっていたのだろう。
戦争であれだけの無茶をしていたのも、すべて愛する婚約者のために。
レグウィフは戦い続けていた。
「僕も……同罪だ。殺すのなら僕にしてくれ。僕が死ねばイシリアが戦争を起こす理由はなくなる」
縋るように彼は介錯を申し出た。
そんなことをして、イシリアが幸福になると思っているのか?
彼を殺すことなど死んでも御免だ。
レグウィフが差し出した剣。
それは騎士剣でもなんでもない、ただの鉄剣だった。
先生は眼前の鉄剣を叩き落とす。
「……できない相談だな。レグウィフ、俺は教師だ。過ちに進む生徒を正すこと、それが俺の役目。罪人は糾弾しなければならない」
教師としての責任。
愛すべき生徒たちを、公国の未来を守るために。
先生は……ただひとりの令嬢の未来を潰すつもりか。
己の剣を携えて先生は出口へ進む。
項垂れるレグウィフを置き去りにして。
彼はイシリアを殺しに行くのだ。
私は……どうするべきか?
わからない。
いま、私が動かなければならないというのに。
誰もが幸福を掴める未来を――
「……ごめんなさい、先生」
刹那。
レグウィフが呟いた。
床に落ちた剣を携え、起き上がって……。
まっすぐに先生のもとへ走っていく。
駄目だ、それは……!
それだけは!
「え……? リア?」
「……何のつもりだ、リア」
――ああ、やってしまった。
咄嗟に動いてしまったんだ。
レグウィフが刃を先生に向けようとした瞬間、私は思った。
彼に罪過を被せるわけにはいかないと。
だから、こうしよう。
私が……『犯人』になればいい。
断頭台に立つのはひとりで十分だろう?
「動かないでくださいね、先生。レグウィフも」
先生の背に刃を突きつける。
レグウィフがやる前に……私がやった。
あと少しでも押し込めば、先生の心臓を突ける。
「リア……お前は罪を肯定するのか?」
「いいえ、悪意による罪は肯定できません。けれど善悪の入り混じった罪に対峙したとき、私はもう……わからなくなりました。だから、私が誰よりも罪深き『犯人』になろうと思うのです」
結局、犠牲になる者は必要なのだ。
貧乏くじは引かれなくてはならないもので。
それが私であればいい。
レグウィフもイシリアも、苦しむ必要はない。
困ったときには助けてあげよう――それが友というものだろう?
「ねえ、神様。お願いがあるの」
『……申してみよ』
やや不服そうに神は言った。
ああ、その声色のなんと愉快なことか。
悪辣な神の意にそぐわないこと、神の悪意を上回る悪意を持つこと。
「私の時間、戻してくれない? 今から三週目を始めようと思うの。その際、先生とレグウィフ、イシリアの記憶は戻さないで」
『断ると言ったら?』
「この刃を突き立てて先生を殺すよ。ううん、先生だけじゃない……このウラクスの何もかもを壊して、戦争なんてどうでもよくなるくらい滅茶苦茶にしてあげる」
「……リア! 何を言っているんだ、そんなの僕は……」
レグウィフが動こうとした瞬間、刃を前に突き出す。
先生の背に突き刺さった。
刃から血がしたたり、床にぽたりと染み込んでいく。
先生は声を出さずに耐え忍んでいた。
……ごめんなさい、ごめんなさい。
「次、動いたら本当に先生を殺すよ。私が待ってるのは神様の言葉だけ」
確信犯である。
己の理念を信じて疑わない。
悪意のない悪意こそが、あの神を出し抜く唯一の手段なのだ。
『……不服だな。癪だが、同時に興味深くもある』
神はようやく動いた。
窓辺を飛び立ち、ひらりと私の肩に乗る。
『これまで幾度も異なる組み合わせで、前世からの条件を提示したり、しなかったり……輪廻を繰り返して見物してきた。あらゆるウラクスの人物の時間を巻き戻し、結果を観測してきた。だが、お主のような奇人は初めてよ。今まで結論に至る人物はあれど、一片の誤りもなく正しい推理を経て『犯人』に至った者はいなかった』
「そう。それなら私は誰よりも『犯人』に近い性格をしているんだね」
『そうか、動機も過程も完全に正しい道筋をたどった場合……こうなるのか。ああ、本当に興味深い。よいじゃろう、リア・アリフォメン。完全解答に至った褒賞じゃ』
神が嗤った。
表情などなくとも、声色は変わらなくとも。
私は信じて疑わない。
『――お主の要求を呑んでやろう』
「待て、神……! それなら俺を!」
「リア、それは駄目だ!」
この期に及んで私を引き留めようというのか。
本当に呆れたお人好したちだ。
ここまで歪んだ思想を私が披露したというのに。
そんな人たちだから、私は守りたいと思ったんだよ。
幸せになってほしいと願うんだよ。
「さようなら、みんな」
世界が白む。
死んだわけでもないのに、この時間は前世となる。
次に会うときは入学式だね。




