幽体離脱能力の悪用
どうしてダーク山本の名前を見た時点で、すぐに思い出せなかったのだろう?
いや……ひょっとすると僕は、思い出すことを心の奥底で拒絶していたのかもしれない。
あいつに捕まったとき、万力で締め付けられているんじゃないかってぐらい強い力で抱きしめられたり、百四十キロの体重でのしかかられたりしたときの恐怖が、その記憶を思い出すのを拒んでいたんだ。
どうしよう? またあいつと関わるのは、やだなあ。
いや、大丈夫だ。
僕は布団の中で、退魔銃を握り締めた。
確かに闇子は元プロレスラーだけあって怪力だけど、ここにいるのは霊体。
相手が霊体なら、死神のお守りと退魔銃があれば怖くはない。
心を落ち着けて……平常心、平常心。
「かわいい坊や。出ておいで」
心が落ち着いてきたところで、僕はなるべくクールな口調で言った。
「そこで、何をしているのですか?」
しばらくリアクションが無かった。
怯えて声も出せないでいると思っていた僕が、意外と冷静な口調で問いかけてきた事に戸惑ったのだろうか?
「坊や、無理していないかい? 本当は私が怖いのだろう」
まあ、怖いけど……こいつが霊体なら怖くない。
「もう一度聞きます。そこで何をしているのですか? 闇子さん」
霊は押し黙った。動揺しているようだ。
まだ姿を見たわけではないから、闇子と決まったわけではなかったが……この様子だと闇子で間違いないようだな。
「坊や、今何と言った? よく聞こえなかったのだが……」
「そこで何をしているのかと聞いたのですよ」
「それは聞こえた。その後、私の事をなんて言った?」
「闇子さんと言いましたが。それとも、ダーク山本さんと呼んだ方がよいですか?」
「お……おまえ、誰だ!?」
「僕が誰なのか、事前に確認もしないでやって来たのですか?」
僕の被っていた布団が、ゆっくりとずれ動き出した。
どうやら物理的干渉もできるらしい。
布団は僕の顔が露わになったところで止まる。
布団から顔が出た事でクリアになった僕の視界では、関取のように太った女が宙に浮いていた。
この顔、忘れもしない闇子だ。
「お……おまえは……」
ここで『誰だっけ?』とか言われたらちょっと悲しいのだけど……
「おまえは、社優樹!」
覚えていてくれたか。
僕はおもむろに半身を起こした。
ただし、退魔銃を握っている右手は布団から出ないように気をつけて。
「久しぶりですね、闇子さん。さて、もう一度聞きましょう。ここで何をやっているのですか?」
「何って……見れば分かるだろう」
「分からないから聞いているのですが」
「彷徨っているのだよ。幽霊だから」
「彷徨っている? まるで死霊みたいな事を言いますね」
「だから……私は死霊なのだよ」
「以前にお会いした時は元気でしたよね」
「あ……あの後で、私はヒョーに呪いをかけられたんだよ」
「呪いをかけられた? なんで? 邪殺師ヒョーはあなたの雇い主でしょ? 何か失態をやらかしたのですか?」
「いや……ちょっと悪ふざけをしたら、あいつが激怒して」
「それで呪いをかけられて、お亡くなりに?」
「そうそう。それ以来、私はこうして彷徨っているんだよ」
「ふうん。彷徨っているのですか? でも、あなたの頭には魂の緒がありますよ」
闇子の頭からは細長いヒモのようなものが伸びていた。
「死んでいたら、魂の緒は切れているはずですけど」
闇子は舌打ちをしてから、顔をしかめた。
まあ、これではっきりした。
あなべる荘に現れる幽霊の正体は、闇子の生き霊。
心霊現象には違いないが、このアパートが取り憑かれているわけじゃない。
これは幽体離脱能力を悪用した嫌がらせだ。




