一芝居
「こちらです」
冬青さんに先導されて、僕はあなべる荘の階段を登っていた。
まあ、先導してもらわなくても、昨日来たから知っているけどね。
あくまでも僕は、今日初めて来た入居者という事になっているので。
それはそうと、さっきから霊の気配が僕の周囲を回っている。
この霊は魔入さんと樒を避けた。
魔入さんはテレビに出ているから分かるが、樒も霊能者だと分かったという事は、霊能者協会に登録されている霊能者の顔を把握している可能性もある。
もし、そうなら僕の顔も知られているかもしれない。
なので軽めの変装をしておいた。
樒は『それならいっそ女装しようよ』と言っていたが、それは断固拒否。
そもそも、僕が女装した姿はテレビに出ているので逆にばれる可能性がある。
なので今回はベレー帽を被りメイクでホクロを消して、大きな眼鏡をかけておいた。
服装も冬青さんの家で、息子さんが小学生の頃に着ていたジャケットを借りて蝶ネクタイを付けておいた。
あとは、霊の気配に気づかないふりを続けるだけ。
霊の気配は、僕のすぐ背後まで来た。
この距離なら僕の声もよく聞こえるな。
「それにしても良かったですよ。急いでいたから下見もしないでこのアパートに決めちゃったけど、どんなアパートか心配していたんです。でも、こんな綺麗で新しいアパートの家賃をこんなに安くしてもらって良いのですか?」
今のは冬青さんに向かって話しかけたのだが、これは背後にいる霊に聞かせるのが目的。
「ですから、最初にお話しましたが、この部屋には幽霊が出るのですよ」
「またまたあ。幽霊なんているわけないじゃないですか」
「本当です。私も見ているのですから」
「ははは。幽霊なんているなら、見てみたいものですね」
実際には、しょっちゅう見ているのだけどね。
「一応仮契約という事になっていますので、幽霊が無理だと思われるなら、いつでも解約されてけっこうですから」
「解約なんかしませんよ。こんな綺麗なアパート、幽霊ごときで手放しませんから」
冬青さんは一号室の前で立ち止まった。
「こちらのお部屋です」
部屋の中に入ると、ダンボール箱が五つあるだけ。
「わあ! 良い部屋ですね」
「お気に召しましたか?」
「ええとっても」
「では、鍵をどうぞ」
僕が鍵を受け取ると、冬青さんはアパートのルールを話してから帰って行った。
僕が一人になった後も、霊の気配は扉の付近にいる。
まだ様子を窺っているようだ。
もう一芝居打ち続ける必要があるな。
僕はスマホを取り出して電話をかけるふりをした。
「ママ、僕だよ。今部屋に着いた。とても良い部屋だよ。荷物ありがとう。届いているよ。疲れたから明日整理するね。もう寝たいから、マットと毛布の箱だけ教えて」
ダンボール箱は空という事になっているが、一つだけマットと毛布の入っている箱があるのだ。
マジックペンで『寝具』と書いてある箱を開封している時に、霊の気配が遠ざかっていくのが分かった。
僕が一般人だと納得したのだろうか?
それとも『やはりこいつ霊能者だ。今夜は仕掛けるのはよそう』とでも考えているのか?
まあ、深夜になれば分かる事さ。




