一般人を装う
夕闇迫る浅川の光景が、車窓の外を流れていた。
「言われた通り、二階の一号室に空のダンボール箱を運び込みました」
そう言ったのは、運転席でハンドルを握っている冬青さん。
僕はそれを後部座席で聞いていた。
ちなみに僕のバイクは冬青さんの自宅で預かってもらい、僕は冬青さんの車であなべる荘へ送ってもらう途中だ。
「すみませんね。急にこんな事を頼んで」
「いえ、たいした事ではありません。うちにある軽トラを使って、息子に作業服を着させてやらせましたので」
「え? 息子さんも、学校があるのでは?」
「ですから、学校が終わってからやらせました」
「では、まだ作業中では?」
「ええ。ですから、少し遅れて行きます。あなべる荘に着くのは、暗くなってからのほうがいいでしょう」
「そうですね。息子さん、軽トラ運転できるという事は免許は?」
「四月に十八になりましたので、免許を取らせました」
「そうでしたか」
「あなたは霊能者ではなく、あくまでも今日からあなべる荘に入居する一般人を装うという事ですよね?」
「そうです」
「だとすると、現地に着いたら口裏も合わせなきゃなりませんね?」
「ええ、そうしてもらうと助かります」
「そうなると、息子が帰ってからの方がいい。あいつは軽口で困るので」
「なるほど」
「しかし、なぜこんな事が必要なのですか?」
「昨夜、樒があなべる荘に泊まり込みましたが、霊は現れませんでした」
「そのようですね」
「しかし、霊の気配があったのです」
「気配?」
「ええ。霊は部屋には入って来ないで、部屋の周囲をぐるぐる回っていたと」
「なぜ?」
「これは樒だから分かったのですが、魔入さんの能力では気配まで感知できないと思います」
「じゃあ、魔入さんがいた時も、近くにいたかもしれないのですか?」
「そうです。そこでなぜ霊は部屋に入って来なかったのか? 考えたのですが、霊は意図的に樒や魔入さんを避けたのではないかと」
「という事は、霊を払う事ができる人間がいる時は、現れないようにしていると?」
「そういう事です。ある意味、地縛霊よりやっかいですね」
「でも、あなたが来たら、やはり霊は来ないのでは?」
「だから、霊能者とはばれないように行くのです」
「なるほど。そういう事でしたか」
助手席に置いてあるスマホから着信音が鳴ったのはその時。
冬青さんは、ハザードを付けて車を左端に止め、スマホを確認した。
「息子の作業が終わりました。あなべる荘へ向かいます」
車は再び走り出す。
「そうそう。もう一つ、思い出した事が」
「なんですか?」
「幽霊女のことですよ。どこかで見たような気がしていたのですが、女子プロレスラーに似ていました」
「女子プロレスラー? 名前は?」
「名前は思い出せないのですが、二年ぐらい前にバラエティ番組に出ていたのを見たのです。確かその番組に、魔入さんも出ていました」
「魔入さんも?」
あなべる荘が見えてきたのはその時。
車は堤防を離れ、あなべる荘へ続く道に入る。
反対側から軽トラが来た。
すれ違うときに運転手がこっちに手を振っていた。
冬青さんの息子さんだな。
車はあなべる荘の敷地に入って止まった。
さて、行くか。
僕は車を降りて、あなべる荘を眺めた。
「うわあ、綺麗なアパートですねえ」
呑気な入居者を装いながらも、僕の感覚は捕らえていた。
昨日は確かにいなかった霊の気配を……




