霊などどこにもいない
千尋さんは僕をリビングに案内すると、ソファに座った僕の前にコーヒーとケーキを出してくれた。
「どうぞ、召し上がれ」
なんか嫌な予感。
いや、ケーキは好きだけど、この前のショタコンおばさんも、霊の話をする前にいきなりケーキを出してきたし、あの時のケーキは美味しかったけど、食べている間も霊の話などしないで、ケーキを食べている僕の写真を撮っていた。
あの時は、なんか怖くて『写真はやめて下さい』とは言い出せなかったし……
「あの、千尋さん」
「なあに? コーヒーより紅茶の方が良かったかしら?」
いや、そんな某提督のような事は言いませんが……
「この部屋で自殺者が出たとお聞きしたのですが、千尋さんは実際に幽霊を目撃されたのですか?」
とにかく、ケーキに手をつける前に仕事の話を進めないと……
「それがね。まったく見ていないのよ」
だろうね。さっきから霊の気配なんてさっぱりしないし、それどころかつい最近除霊されてから結界でも張ったみたいに地縛霊も浮遊霊もいないし……
「それでは、金縛りとかの体験は……?」
まあ、金縛りなんて、たいていの場合心霊現象とは関係ない事の方が多いのだけどね。
「それもないのよ」
「では、何か他に不都合な事は?」
「霊が出なくて、困って……いえいえ! そうじゃなくて……」
ん? 今、彼女、何を言い掛けたんだ?
「私、何も知らないでここに入居したのだけど、隣の人に挨拶に行った時、ここで自殺者が出たと初めて聞かされて怖くなって……」
まあ、普通怖いだろうな。
「しかし、不動産業者には事故物件を告知する義務があるはずですが……」
「実はね。私が入居する前に、ここに入居した人がいたのよ。でも、すぐに幽霊が出たと言って出て行ったというのよ」
「だから、それを告知する義務が……」
「無いのよ」
「え?」
「事故物件に一度でも人が入居してしまうと、不動産業者は告知義務がなくなるのよ。つまり、自殺事件があった直後に入居した人には事故物件だと告知されていたのだと思うけど、その人の後から入居した私には告知されなかったの」
そうだったのか? 後で、法律を調べておこう。
うわ!
千尋さん、いきなり僕の横に座って手を握りしめてきた。
なんのつもり!?
「社さん。私、怖いのよ」
「はあ?」
怖いのか? 怖くて僕にすり寄って来ているのか?
てか、あんまり密着しないで下さい!
ドキドキするので……
「怖くてたまらないの。私には、見えていないけど、実はこの部屋に自殺者の霊がいるのじゃないかと思うと……」
「そうですか……うわ!」
いきなり彼女は僕に抱きついてきた。
そのままソファに押し倒される。
「いつ、こんなふうに霊が襲ってくるのかと思うと、怖くて……」
僕を襲わないで下さい!
「と……とにかく、僕から離れて下さい! 今から霊視しますので……」
「分かったわ」
彼女が僕の上から退くと、さっそく霊視を始めたが……
部屋中見て回ったが霊などどこにもいない。
「霊なんていませんよ」
「そんなはずないわ。よく探して」
「そう言われても、いないものはいないのです」
「それじゃあ、困るのよ!」
なんで困るのだ?
「そうだ! 君! 霊を呼び出せるわよね!」
「え? まあ、呼び出せますが……」
一応、僕も霊界に逝った霊を呼び出せる能力はある。
ただ、呼び出せるのは、以前に僕が関わったことのある霊だけで、まだ転生していない霊に限られていた。
「呼び出して。今すぐ」
「ちょっと待って下さい。あなた霊を払いたいのでしょ? 呼び出してどうするんです?」
「いいから、呼び出して! お願い」
そう言って彼女は、僕の手を握りしめてくる。
「呼び出してくれたら、お姉さんが良いことをしてあげるから」
え? え? え? 僕の手を引っ張ってどうするの?
ふに!
うわ! 掌が千尋さんの胸に……
「やめて下さい! こういうの困ります!」
手を引っ込めようにも千尋さんの力は強くて……ごめんなさい。僕が弱いのです。
「固いこと言わないで、お姉さんと良いことしましょう」
千尋さんはそのまま、僕をソファに押し倒してのしかかってきた。
「やめて下さい!」
チャイムが鳴ったのはその時……
「ごめんくださーい。霊能者協会から来た神森でーす」
樒! うわわ! こんなところ見られたら大変なことに……
樒の声が聞こえた途端に、千尋さんはパッと僕から離れた。
樒がリビングの扉を開いたのは、僕が服の乱れを直している時……
「遅れてごめん。ん? 優樹どうしたの?」
「何もなかったから! 何もなかったから?」
「なにが? ところで、この部屋って、この前除霊したばかりだけど、まだ霊が残っていたの?」
なぬ?




