028話 月夜に一献
元亀二年(1571年)四月 【武蔵 小机城】にて
「三郎兄上は今頃、何をしておいでだろうか……この月を越後で見ておいでだうか……」
小机城主、北条氏光は、月明りと庭の桜の木が満開に咲かせる花を肴に、一人静かに酒を飲みながら、そんな事を思っていた。
三郎兄上の事をよく考える。
いや、常に頭の片隅にある。
あの時は自分が越後行きを言い渡されてもおかしくはなかった。
自分は、父、氏康の九男。
人質の価値としては八男の三郎兄上に劣るものではないし妻子もいなかった。
祝言を挙げたばかりの三郎兄上よりは、よほど人質に相応しかっただろう。
あの時は、漏れ伝え聞く人質話しから自分が越後に行くかもしれないと殆ど覚悟を決めていた。
だが、しかし……
蓋を開けて見れば、越後に行く事になったのは三郎兄上。
その話しを聞いた時は驚いた。
祝言を挙げたばかりなのに離縁して越後に行くと言う。
幾ら何でもそれは酷すぎるのではなかろうかと思った。
更には、自分が三郎兄上と入れ替わる形で、小机城に入り三郎兄上の前妻も娶った。
まるで自分が三郎兄上から無理やり居場所を奪ったような気にさせられる。
父上と氏政兄上が決めた事だが、それでも後味が悪い。
父上と氏政兄上は何をお考えなのか……
やはり三郎兄上が側室の子故に冷遇されているという噂は本当だったのか。
それが真ならば、思いたくはないが、あまりに父上と兄上の器量は小さい。
恨んでいような三郎兄上は……
幼少より寺に入れられ、武田の人質となり、無事に帰って城と嫁を持てたと思えば、また越後の人質だ。
三郎兄上は越後行きについて一言も恨み事も不満も言わず、表情さえ変えなかったと言うが、それは腹の内におさめただけで、腸は煮えくり返っていたのではなかろうか。
自分が三郎兄上の立場なら父上と氏政兄上に盛大に罵詈雑言を浴びせただろう。
我慢できなかっただろう。
それを押さえられる三郎兄上というのは……
氏光は最後まで考える事無く盃の酒を飲み干し、また酒を盃に注ぐ。
今は北条と上杉は盟約を結んでいるとはいえ、それがあまりうまくいっていない事が漏れ聞こえて来る。
もし、これで上杉と手切れになった場合、三郎兄上のお立場はどうなるのか……
三郎兄上はどう立ち回るのか……
もしかしたら、もしかしたら……いつの日か戦場で三郎兄上と相まみえる時が来るかもしれない。
その時、自分は怯むことなく三郎兄上の前に立つ事ができるだろうか……
刃を交える事ができるだろうか……
盃に桜の花びらが一片舞い落ちた。
やめよう。まだそうだと決まったわけではないのだ。
考え過ぎだ。
三郎兄上、せめて越後ではご多幸で……
氏光は月を見上げながらそう呟くと、盃を月に、いや、三郎兄上に捧げて飲み干したのだった。
【つづく】




