024話 千里眼
元亀二年(1571年)三月 【越後国 春日山城】にて
「驚きましたな景虎殿には。またしても武田の動きを言い当てましたぞ」
旗本衆であり奉行でもある神余親綱は、同輩の蔵田五郎左衛門と酒を酌み交わしながら最も気になる事を口にした。
神余親綱は、上杉家で外交と越後の商業に関わる職務を担当をしており、蔵田五郎左衛門もやはり商業や城普請を担当し謙信公出陣の際は春日山城の留守居を任されるなどしている。
つまり二人は上杉家の後方担当と言える二人だ。
地味な仕事ではあるが重要でもある。
「某も驚きました。本当に当たりましたな」
蔵田五郎左衛門も正直に胸中を明かす。
景虎が正月の席で言った事が本当になった。
武田は一月中旬に駿河に兵を出した。
この時期に兵を出した事など、これまでの武田にはなかった事だ。
それを景虎が見事にいい当てた。
しかも三月に入り謙信が軍勢を率いて越中に入ると、これもまた景虎の言う通り信玄は遠江で徳川を攻め始めた。
立て続けに武田の動きを言い当てた景虎について「景虎殿は千里眼の持ち主か」と上杉家中で話題になり、城内が騒めいている。
「一度や二度ならば、まぁ偶々当たっただけ、偶然のなせる技と言えたかもしれませぬが……」
神余親綱は、そこまで言って盃を口にした。
「三度連続ですからな。これはもう偶然ではありますまい。武田の周りは敵だらけ。どこを攻めてもおかしくはない。それをこうも見事にいい当てるのですからな」
蔵田五郎左衛門も本当に感心したと言う感じで言葉を口にする。
「それと景虎殿が持ち込んで来た、あの紙ですが、城内、城外を問わず評判が良いのですよ。あれは、これから大きな商いになりますぞ」
神余親綱の言う紙とは、昨年から景虎が作らせていた和紙だ。
試行錯誤の上にようやく完成し「小沢和紙」と名前が付けられている。
史実における後世、越後の重要な産業となった和紙製造を先取りする形で景虎は和紙を完成させた。
その元となった「小国和紙」と「伊沢和紙」から一字ずつとって名付けたものだ。
「和紙までも作るとは……ですが、それだけに」
蔵田五郎左衛門は驚く様子を見せるが、それだけではない様子も見せる。
「そうですな。これは厄介な事になってきましたな……」
二人とも深刻な表情で頷き合う。
今、上杉家家中で密かに話題になっているのは、やはり殿(謙信)の後継者問題だ。
殿(謙信)は、まだまだお元気とは言え、実子を作らない以上、養子がその後を継ぐのは必定。
これまでは長尾顕景(景勝)殿が本命視されて来た。
しかし、景虎殿登場以後はかなり上杉家家中が揺れている。
武田の動きを次々と言い当て、更には蜂蜜造り、蒲公英薬造り、和紙造りと多彩な知恵を持って、お家に貢献している。
それも1年と経たぬ間にだ。
景虎殿が凡庸な人物だったならば状況は違ったかもしれない。
しかし……
「しかも清姫様がご懐妊なされたとか……」
「何と、誠でござるか! それは目出度いが……」
蔵田五郎左衛門は驚く様子を見せたが、やはり最後は奥歯に物が挟まるような物言いをする。
「これは大きな声では言えませぬが、長尾顕景(景勝)殿には難がありすぎる。まだ子供もおられない。家の存続と繁栄には優れた統領が必要です。でなければこの戦国の世、直ぐに滅ぼされてしまいますからな。それを思えば、将来、下手をる上杉家が割れる時が来るかもしれませぬ」
神余親綱は、声を潜めてそう言った。
長尾顕景(景勝)殿は無口で人柄には難がある。
今のところは、取り立てて人より秀でた所を見せているわけでもない。
子供もまだいない。
だが、その血筋故に顕景(景勝)派とも言うべき派閥は大きい。
今、そこに景虎という一石が投じられ大きな波紋を起こし始めていた。
「どうなる事やら……」
蔵田五郎左衛門の漏らした呟きは、上杉家家中の者全員が抱いている思いかもしれなかった……
【つづく】




