7-7『興味』
「雨森悠人、お前に闘争要請を申し込む」
C組の教室で。
朝比奈嬢たちが出ていって、しばらく。
夜宴教室に行っても暇だし、文芸部に行こうかな……なんて思っていた頃。
僕らの前に、彼女らは現れた。
紅秋葉。
邁進花蓮。
ロバート・ベッキオ。
米田半兵衛。
そして、熱原永志。
そのメンツには少し驚いた。
まぁ、その四人は……それこそ、朝比奈嬢が想定しているよりも早く襲ってくるだろうとは思っていたが、まさかそこに熱原永志が加わってくるとは思わなかった。
「…………」
「あら、返事もなく驚いてる様子ね」
紅が、嘲笑うようにそう言った。
それに、僕は少し訂正しようとしたが、それよりも早く黒月が僕の前に出た。
体が後ろから引っ張られる。
見れば、文芸部の面々が僕を後ろに引っ張っていて、たまたまクラスに残っていた烏丸や錦町が僕の前に割り込んでくる。
「悪いが、貴様らの意見は何も通らない。雨森悠人をお前たちに差し出す選択肢は無い。それが、1年C組の総意見と取ってもらおうか」
「黒月……。また、面倒なのが教室に残ってたわね」
その様子を眺めていると……ふと、意識の内側で見知った嫌な気配がした。
窓の外を見ると……何してんだあいつら。橘と朝比奈嬢、あと倉敷が仲良く歩いてる。
お前らいつから友達になったんだ?
のんびりと考えていると、紅から声が飛ぶ。
「よそ見してんじゃないわよ、雨森悠人!」
「……ん、悪い。つい興味が無くてな」
僕がそう言うと、紅の額に青筋が浮かぶ。
逆に、C組の面々が苦笑いを浮かべる中、僕は目の前に立ってる錦町の肩を掴んだ。
「それに、総意って訳でもない。僕は僕のことを嫌ってるクラスメイトを知ってるし。僕は、別段僕を守ることに賛成でもない」
おそらく多数決をすれば。
雨森悠人なんか守らなくても良くね? って意見の人が最低でも三人はいるだろう。
っていっても、僕と倉敷、あと小森さんだがな。
その他にも数名いると考えても……まぁ、総意ってのは言い過ぎだ。
「ちょ! 雨森! いま出てったらまずいって!!」
火芥子が必死になって制服を引っ張ってくる。
無理に前に進もうとすれば制服が破けそうな気がしてなりません。
なので、仕方なく前に進むのは諦めて、ここから会話に臨もうと思う
「まず最初に。闘争要請だったか。お断りするよ。僕にそれを受けるメリットがない」
「あら、逃げるのかしら?」
「あぁ、逃げるよ」
挑発に端的に返せば、彼女の顔が歪んだ。
しかし直ぐに苛立ちを吐き捨て、冷静さを取り戻した様子だ。
「理由がない、メリットもない、闘争方法が不明瞭、大勢で押しかけ威圧してくる非常識さ。少しは単騎乗り込んできた新崎を見習ったらどうだ?」
「いや、その例えはどうかと思うぜ雨森……」
烏丸が呆れたように言ってくる。
対し、僕の挑発に対し、紅は想定以上に冷静だった。
逆に冷静じゃなかったのは……その背後に控えていた邁進花蓮の方。
どこまでも涼し気な雰囲気を醸し出す、まるで侍従のような静かな少女。
ソレの始動に気付けた人間が、この場にどれだけ居たことか。
「ならば、単騎で試してみましょうか」
言葉が響いたのは。
既に、彼女が攻撃を終えてから。
あの黒月ですら、反応が一息遅れる。
空間把握の力を持った火芥子さんさえ、まだ反応するには一歩足りず。
邁進花蓮が投擲した暗器。
小型のナイフは、寸分たがわず……僕の前にいた錦町へと向かっていた。
「へっ?」
間抜けた声と。
僕は、錦町の膝裏を蹴り抜いた。
まぁ、膝カックンの要領だな。
彼は膝から崩れ落ち――それと同時に、彼の頭上を数本のナイフが掠り抜けてゆく。
後方から、窓ガラスの割れた音がする。
おおかた、暗器がそのままぶち抜いて行ったんだろう。
前を見れば、邁進の胸ポケットから振動音がする。
校則違反だろうな。ざまぁみろ。
「な、なんだ!? なにがおこったんだぁ!?」
「に、錦町! お、お前……いま、雨森居なかったらやばかったんじゃないのか!?」
辛うじて暗器を捉えていたらしい。
烏丸が焦ったように錦町へと駆け寄る中、僕は今度こそ前に出た。
さて、と。
まぁ、校則違反云々に関しては『ざまぁ』と嘲笑うだけで済ますが。
なぁ、そこの女。
「今、殺す気だったろう」
僕の問いに、C組全体が静まり返った。
視線は割れた窓ガラスを経由し、邁進花蓮へと向かってゆく。
それらの視線を一身に浴びて、それでも少女は崩れない。
「その証拠がどこにあります? 私はあくまで、殺さぬよう調節して放ちましたが」
その言い訳に、僕よりも先に黒月が反応する。
「……その言葉、殺しはしないが片目くらいは潰してやるつもりだった……とも聞こえるが? 邁進花蓮」
「それはそちらの悪意というもの。そこの雨森悠人といい、C組は本当に礼節が悪い」
まるで堂々巡り。
いつまでも決着のつかない悪口合戦。
多分泥沼。話すだけ時間の無駄ってやつだ。
黒月も同じ意見だったのか、疲れたようにため息を漏らし、目を閉ざす。
その様子を見て、邁進花蓮及び、A組の一行は僕の方へと目を向けた。
「改めて聞きます。私たちの闘争要請、受けますか、雨森悠人」
受けない。
そう言うのは簡単だ。
だが、理解してしまった。
コイツらやっぱり、ただの馬鹿だ。
「……受けねば、続ける気か」
「あら。もしかして……私たちA組は頭がいい、だなんて思っていたのかしら?」
黒月の呆れたように言葉に。
紅たちは、自身らの不出来さに胸を張った。
……僕も少し勘違いしていた。
彼女らは決して、成績優秀な生徒ではない。
歴々、A組に優れた生徒が集められる。
それは事実だ。
橘がA組に据えられたように。
生徒会長や堂島先輩がA組に居るように。
優れた生徒は不自然な程にA組へと定められる。
……だが、それはなにも『頭脳面』における優秀さのみを考え、定められたものでは無い。
この生徒たちの優秀さは、武の面にて初めて輝く。
腕っ節や喧嘩の強さ、技の巧さ。
その卓逸さだけが取り柄の……言えば脳筋。
……むしろ頭脳面でいえば、目の前の生徒たちはさほど優秀でもないのかもしれない。赤点候補生だって可能性もある。
しかし、だからこそ警戒すべきなのだろう。
だってこの生徒たちは、腕っ節一つでA組の座を勝ち取ったのだから。
「難しいことを考えるのは苦手よ。多分、あんたらが裏でコソコソやってる事、分かれって言われても誰もわからない」
それでも、と紅は続けた。
「殴り合いなら絶対負けない。それだけの自信は胸にある」
揺らぐ気配もない、絶対的な自信。
それを前に、C組全体がたじろぐ。
黒月でさえ、思わず一歩後退り。
そして僕だけが、一歩、前に出る。
彼女らの視線が僕に向かった。
鋭い殺意が、まるで万針のように突き刺さる。
驚いた黒月が動き出そうとするのを、僕は片手で制して彼女らを見た。
僕を潰したい。
そんな思いに、僕は小細工で相対した。
それが……まぁ、武に重きを置く彼女たちには気に食わなかったのかもしれない。
だから、受けねば無理やり引きずり込むぞと。
そういう覚悟で、そこに立ってるんだろう。
罰金、退学すらも視野に入れた上で。
……馬鹿だなぁ。
本当に、ここまでぶっ飛んだバカは久しぶりに見た。
そこまで嫌われたことも驚きだが。
僕は……久方ぶりに『他人』に対して感情が動いた。
「少し、興味が湧いた」
僕は、少し笑った。
僕の目を見て、彼女らは後方へ飛び退く。
それはきっと、咄嗟の反応。
理解よりも本能で察知した、危機回避能力。
その姿から精一杯の警戒が感じられて……油断なく僕の姿を睨んでいる。
「あ、雨森……」
「済まない黒月。この五人……僕に任せてくれるか。話し合いであれ、お望みの殴り合いであれ。僕なら終わらせられる」
本来なら、朝比奈に任せる案件だがな。
その馬鹿さ加減は、僕が持たないものだ。
人間、自分が持ち得ないものを持つ他人には興味が湧くものだ。
だから僕は星奈さんに惹かれたし。
コイツらにも、興味を抱いた。
「……へぇ。随分と上から語るわね」
「勘違いするな。上は僕だ。純粋な殴り合いの場において、この場の全員相手にしても負ける気がしない」
それは、端的過ぎる事実だった。
「ちょ! あ、雨森!?」
僕の言葉を聞いて、烏丸が咄嗟になにか言おうとしたが……珍しいことに、錦町がそれを制止した。
「おれ、頭悪いけど、全員でかかって行っても、異能がなかったら雨森には勝てないと思うぞぉ! だっておれらのクラスに、丸太で叩き潰されて平気な奴いるか?」
「……まぁ、うん。考えれば考えるほど正論だな」
堂島先輩とバトっといてよかったな。
今更ながらそんなことを思いつつ、前方へと意識を戻す。
すると、紅たちは臨戦態勢を崩すことなく、鋭い殺意を向けていた。
「改めて謝罪しよう。僕はお前たちへの対処を間違えた。そして改めて。雨森悠人はお前たちの闘争要請を受諾してもいい。よほど、酷い条件では無いのなら、だがな」
「あ、雨森! お前――っ!」
黒月が焦ったように僕の肩を掴む。
きっと、それは演技ではあるまい。
僕の実力の垣間を見知って。
それでも相手が悪いと判断したか。
或いは、生徒たちの目の前で、雨森悠人は本気を出せないと理解しているのか。
「……よく言ったわ。その度胸だけは認めてあげる。だけどそれ、蛮勇と呼ばれる類の物ね。環境の悪さと、彼我戦力差が度外視されてるもの」
そして、それは相手も同じ。
小森さんが通じているなら、僕の唯一とも呼べるその弱点は把握されているはず。
だからこその、強気。
いいや、それだけじゃないと思うけど。
少なくとも。
弱点を弱点のままにしておく僕ではないよ。
「黒月、安心しろ。今回ばかりは本気でやる」
その言葉に、C組が少しどよめく。
それは困惑に近いものだったろう。
……まぁ、当然のことだ。
僕はクラスでもさほど強くない程度。
まぁ、中の中から、中の上程度。
その程度にしか捉えられてない。
それが僕の弱点だと言うのなら。
そろそろ、その弱点も克服しよう。
「熱原戦は、さほどやる気もなかった」
相手側の熱原が、少し反応する。
教室が静まり返り、廊下の外から走る音がする。
「新崎戦は時間稼ぎに徹した。堂島先輩との戦いにしたって似たようなもの。本気を出すに足るだけの理由はない」
教室の入口に、朝比奈嬢と倉敷の姿が見えた。
二人は現状に大きく目を見開いて。
そんな姿を一瞥し、僕は言う。
「しかし今回は、本気を出すに足る理由がある」
まぁ、本当はないのだけれど。
クラス内での内申点稼ぎのために、みんなを危険から守るため……とか、そんなふうに言っておこう。
「あ、雨森……し、しかしな。それは……」
「無論、信頼してくれとは言わない。だから見てろ。これが嘘なら、僕が殴られて終わる話だ」
僕は右の拳を握り締める。
A組の面々に緊張感が走り抜け。
それは伝播し、C組の教室が静まり返る。
その中で。
全く現状を把握できない女が二人。
「おい、昼比奈」
「……も、もしかして私のことを呼んだのかしら?」
そうだよ、お前のことを呼んだんだ。
僕は彼女に一瞥くれると、端的に問う。
「前に言ったな。力を隠してるなら今のうちにみせてくれ……と。別に隠してるつもりもなかったが、本気が見たいならいい機会だ」
僕が表舞台に上がることは無い。
そこは朝比奈霞に全て任せた。
だけど、……それでも。
もしも彼女が負けた時。
他の誰も敵わない敵が現れた時。
八咫烏が蚊帳の外に在った時。
雨森悠人の立場が弱いのは、少し危険だ。
だから、そろそろ僕も本気を出そう。
まぁ、あくまでも『それなり』の本気だけれど。
それでも……そうだな。加護クラスの異能程度には力を出そうか。
前を見据え、僕は彼女らに提案する。
「時と場所を変えよう。ここじゃ少し……狭すぎる」
皆さん、お待たせしました。
第7章は、雨森悠人が『表』で動く章になります。




