5-8『朝比奈VS新崎』
プロローグは終わり。
そして、その先の物語が幕を開ける。
「なーんて、嘘ぴょーん!」
新崎は、満面の笑顔でそう言った。
その言葉に、朝比奈はどこか安堵した。
嘘だった、雨森悠人は死んでない。
彼女はほっと息を吐き出して――。
「実はなーんにも反省してないんだよね!」
続けられた彼の言葉に、理解が追いつかなかった。
「な、にを……」
「いやー、抵抗されまくったから、うっかり殺っちゃってね。こまったよー。死体はそのまま強制転移で送られちゃうし、ゲームオーバー扱いになってないから、まだ雨森は【生存してる】って数えられてるみたいだし……。参ったね。B組は全員戻しちゃったし、どう頑張っても今回は引き分けがいい所かなー。だって、死んだ雨森の器具はどうやったって押せないんだから。あ、今頃火葬でもされてる頃かな? まいったなー!」
朝比奈霞は、察してしまった。
その言葉は、嘘じゃない。
この男は本当のことを言っている。
正義の味方であるからこそ、朝比奈霞は理解してしまった。
その瞬間、朝比奈の中で、何かが壊れた。
それは、正義の味方として、けして壊れてはならないものだった。
彼女が絶対に歪めてはならないと考えていた、1番大切なものだった。
「いやー、でも、引き分け以上にはならないとわかっていても……僕は何だか楽しいんだよ! 勝った気がしてならないんだよ! だって、だってだよ! 正々堂々と戦うー、なーんて、馬鹿みたいな言葉に踊らされて、また仲間も守れなくって……しかも、まだ六人も残していてくれるだなんてぇ! ありがとう朝比奈! 楽しいねぇ、楽しいねぇ! まだ六人もぶっ殺せる!」
「……り、なさい」
朝比奈の蚊が鳴くような声は、届かない。
新崎は、とっても嬉しそうに、満面の笑顔を浮かべていた。
「あぁ、楽しいねぇ、朝比奈霞! お前はまた僕に負ける! 現に、お前のクラスメイト、一体どれだけ殴り飛ばしたか! あぁ、殺したやつもいたっけか!」
「黙り、なさい」
「黙らないね! 僕はとっても楽しいんだよ! ありがとう、僕らからの闘争要請を受け取ってくれて! お前のおかげで僕は人を殺せた!」
それは、正義の味方への最悪の挑発だった。
朝比奈霞の顔へと、憎悪が灯る。
それを前に、新崎康仁は愉悦で語る。
「そうだねぇ、ただの言葉じゃ、きっと理解が出来ないよねぇ。だから、実感を込めて、心から語ろうか。うん、そうしよう」
朝比奈の威圧を前に、新崎は動じない。
思い浮かべるのは、自分が殴った数々の生徒たち。
全力を賭して刃向い、最期には血溜りに沈んだ少年を。
開始間もなく、朝比奈が離れた隙になぶられた少年少女を。
そして、これから殴り、殺すであろう生徒たちのことを。
「さて、誰の話から聞きたい? あぁ、やっぱりアイツの話から聞きたいかな? 朝比奈霞、お前が心の底から執着してた、あの男のお話さ!」
朝比奈は、拳から血が吹き出すほど握りしめる。
されど、それは新崎を増長させるだけのスパイスに過ぎなかった。
「いやぁー、強かったよ、アイツは。まさかあれだけ力を隠してるとは思ってもみなかった。多分、後にも先にも、僕をあそこまで追い詰める人間はいないだろうさ。でも、僕が勝った。万策尽くして卑怯も奇策も費やして……残ったのは潰れた肉塊、それだけさ」
朝比奈は雷鳴を纏い、一気に新崎へと襲いかかる。
対し、新崎はその拳を真正面から受け止める。
浜辺へと凄まじい衝撃が響き、木々が揺れ、小鳥が逃げ惑う。
朝比奈は、憎悪を隠すことなく迸らせて。
新崎は、なおも変わらぬ笑顔で言った。
「くっだらねぇ死に方だったよ、雨森悠人は」
浜辺へと、朝比奈霞の絶叫が響き渡った。
☆☆☆
「殺す! 殺してやる……!」
「ひゃは! 正義の味方のセリフじゃねぇな!」
朝比奈の浮かべた殺意に、新崎は笑った。
次の瞬間、目の前から朝比奈の姿は消失し、周囲から連続して砂を蹴る音が響き渡る。
稲妻の速度は、最低でも秒速200kmとされている。
音速のおよそ600倍。
しかしそれも、最低速度とされていた。
最低速度、秒速200km。
最高速度、秒速【10万km】。
音速の、優に30万倍。
無論、今の朝比奈が最高速を出せるとは思わない。
出せても最低速度と言った程度だろう。
――だが、その最低速度でさえ、人の目には速すぎる。
「はァっ!」
情け容赦なく、朝比奈は新崎の後頭部へと回し蹴りを叩き込む。
頭を叩き割るつもりで放った一撃。
それは、真っ直ぐに彼の頭蓋へと吸い込まれた。
されど、常人には知覚も出来ぬような一撃は。
――しっかりと、男の目には映っていた。
「遅っ、なにそれ蝿が止まりそう」
その蹴りにカウンターを合わせるように、新崎の蹴りが放たれる。
それは正確無比な一撃だった。
ありえない光景に朝比奈はとっさに回避をするが、制服の一部が今の蹴りによって【裂かれ】てしまう。
「……ッ」
「おっしいなー。当たってたら、スパッと切れてたはずなのに」
驚きに見れば、新崎の右脚からは刃が伸びている。
そうだ、この男はB組全員の能力を保有している。
ならば、この現状にも納得できる。
おそらく、B組の中に【視力強化】の異能力があるのだろう。
でなければ、稲妻の速度を見切るなど不可能が過ぎる。
「くっ、貴方は……本当に!」
「殺したって言ってるじゃーん。しつこいよ?」
そう言いながら、新崎は砂を蹴る。
砂浜という足場の上でさえ、その速度は今まで見てきた中でも最高だった。手を抜いていたのか、と朝比奈は回避に移るが、その間違いは新崎の口から否定された。
「いやー、雨森には感謝してんだ……ぜっ!」
拳が朝比奈のいた地面を穿つ。
凄まじい衝撃と共に砂が周囲へと撒き散らされる。
朝比奈はそれを前に思わず速度を緩めると、その一瞬をつかれ、新崎の手によって砂浜へと押し倒される。
マウントポジション。
最悪の体勢だった。
「ぐ……!」
「訓練より、強いヤツとの実践が何倍も実力が伸びる。これ、異能でも同じことが言えるみたいだねぇ。僕もけっこーマジになってやり返したんだけどさ、雨森のおかげで随分と強くなれちゃったよー。人を殺してレベルアップ、みたいな?」
「こ、この……ッ!」
朝比奈は憎悪を燃やして雷を放つ。
その直前に、新崎の拳が彼女の顔面へと突き刺さった。
「うるせぇよ、パチモンが」
真っ赤な鮮血が吹き上がる。
朝比奈霞は生まれて初めて感じた激痛に、思わず呻き。
その瞬間を見計らって、平手打ちが彼女を襲った。
「なぁ、なぁ? なんなんだよお前。もしかして、お前の方が僕より強いと思ってた? ただの雷使いごときが? ジョーダンでしょ? 弱点の塊みたいなヤツじゃん、お前」
そう言われて、朝比奈も自分の弱点には思い至った。
先程の【砂】もそうだ。
稲妻に等しい速度で動けるということは、即ち、その速度で衝突した時のダメージも大きいということでもある。
まして、空中に無数に舞散った砂の中で高速移動しようものなら、彼女の体へと無数の砂が稲妻の速度で突き刺さるに等しいダメージが入る。
だからこそ、動けなかった。
その瞬間を狙われた。
再び朝比奈の頬へと平手打ちが入る。
「お前、弱すぎんだよ。正義の味方……だっけ? ジョーダンキツいよねー。弱っちい奴が、自分の力は凄いんだぞーって、慢心して? 自慢して? そんでもって何、これ、この現状? 誰も守れてないじゃないの」
「……ッ、……!」
何も言い返せない、その通りだったから。
その反応に新崎は目を細めると、再び拳を振り上げる。
「――ッ!?」
その瞬間を、朝比奈は狙った。
一気に雷を放出。
新崎が一瞬硬直した隙を見計らって彼の下から抜け出すと、そのまま大きく距離を取った。……取らずには居られなかった。
たったの三発。
それだけでも、生身の彼女にはダメージが大きすぎたから。
「……はぁ、はあっ、はぁ……」
「あーあ。やめてよねー? まーた捕まえるの、手間でしょ? 僕はさっさと残りの連中を狩りに行きたいんだよねー。星奈も、そろそろぶっ殺していいでしょ。だって、僕を裏切ったんだから」
「……お、お前!」
再び、朝比奈は砂を蹴って走り出す。
先程よりも大きな電圧、大きな雷を体に纏う。
それにより、速度はさらに向上したが――
「だから何さ、遅いって言わなかった?」
新崎の腕から盾が生まれる。
放出した雷は全て盾によって防がれる。
朝比奈霞の最も特出した力は【速度】でもある。
圧倒的な速度による遠距離攻撃と、移動速度、物理攻撃。
それらにより相手を一撃で屠る。
それが本来の朝比奈の力。
だが、それも【速度に着いてこられる相手】には意味もない。
(くっ……間違いないわ、見られてる!)
これだけの速度で動いていながら、新崎は朝比奈の姿を捉え続けていた。
並の能力ではここまでの視力は手に入らないはず。
間違いなく、王か、加護か、高位の【視力強化】能力のはずだ。
朝比奈霞の胸の内は、憎悪に染まっている。
それを彼女は自覚していて、それを収めることを心のどこかで嫌がっている。
この男は、相応の罰を受けるべきだと。
そう叫ぶ『意地汚い人間の部分』が、彼女の中にも確かにあった。
だけどそれ以上に、正義の味方としての自分が大きかった。
朝比奈は歯を食いしばると、大きく息を吐く。
(落ち着きなさい……朝比奈霞。もともと、一筋縄で勝てる相手ではないと分かっていたでしょう。……1度、雨森くんについては忘れる。抱えた状態で、怒りに身を任せて勝てる相手じゃないでしょう!)
彼女は、ふと立ち止まる。
怒りに身を任せれば任せるほど、相手の思う壷。
彼女は空を仰いで深呼吸をする。
その姿を見て、新崎は首を傾げた。
「んん? なに、もしかして諦めた?」
その言葉も、挑発だ。
朝比奈霞は言い聞かせる。
今すべきは、この男を倒すこと。
雨森悠人は、生きているのだと信じる。
それしかない。今は、それしか出来ない。
自分の無力さに吐きそうになるけれど。
自分で自分をぶん殴りたくなるけれど。
後悔も怨嗟も憎悪も全て、後で嫌ってほどにするとして。
今は、この瞬間だけに注力する。
「すぅ………………ふぅ」
「あー、なんか、嫌な感じ」
新崎が、ここに来て初めて拳を構える。
それを見すえた朝比奈は、鼻から滴る血を拭う。
溢れ出す憎悪も、息に乗せて吐き出した。
血が登った頭も、流血により冷めてきた。
「ええ、新崎康仁。貴方は嘘つきよ。だから、雨森くんが死んだだなんて、それも嘘。私は決して信じない」
「あっそ。好きにしたらいいよ、事実は変わらない」
心の底からの、本音に聞こえる。
だけど今は、そんな疑念は置いていく。
今はただ、この男を倒す。その為だけに。
「――宣言するわね、新崎君」
正義の味方は宣言する。
相反する正義の味方へ。
敵意の限りと、覚悟の限りを込めて言う。
「貴方に勝つわ。徹底的に」
少女は駆ける。
それは、正義の味方を志す少女が。
己の覚悟を示すための、第一歩だった。
次回【新崎康仁②】
そして第5章も、ついに佳境へ。




