5-1『噂』
B組から、闘争要請があって、一週間。
絶海の孤島の、小さな浜辺で。
新崎康仁は、楽しくて堪らない様子で笑っていた。
「あぁ、楽しいねぇ、朝比奈霞! お前はまた僕に負ける! 現に、お前のクラスメイト、一体どれだけ殴り飛ばしたか! あぁ、殺したやつも居たっけか!」
それを前に、朝比奈霞は歯を食いしばる。
「黙り、なさい」
「黙らないね! 僕はとっても楽しいんだよ! ありがとう、僕らからの闘争要請を受け取ってくれて! お前のおかげで僕は人を殺せた!」
正義の味方への、最悪の挑発だった。
朝比奈霞の顔へと、憎悪が灯る。
それを前に、新崎康仁は愉悦で語る。
「そうだねぇ、ただの言葉じゃ、きっと理解が出来ないよねぇ。だから、実感を込めて、心から語ろうか。うん、そうしよう」
朝比奈の威圧を前に、新崎は動じない。
どころか挑発を更に強めて、彼は語り出す。
「さて、誰の話から聞きたい? あぁ、やっぱりアイツの話から聞きたいかな? 朝比奈霞、お前が心の底から執着してた、あの男のお話さ!」
朝比奈は、拳から血が吹き出すほど握りしめる。
されど、それは新崎を増長させるだけのスパイスに過ぎなかった。
「いやぁー、強かったよ、アイツは。まさかあれだけ力を隠してるとは思ってもみなかった。多分、後にも先にも、僕をあそこまで追い詰める人間はいないだろうさ。でも、僕が勝った。万策尽くして卑怯も奇策も費やして……残ったのは潰れた肉塊、それだけさ」
朝比奈は雷鳴を纏い、一気に新崎へと襲いかかる。
対し、新崎はその拳を真正面から受け止める。
浜辺へと凄まじい衝撃が響き、木々が揺れ、小鳥が逃げ惑う。
朝比奈は、憎悪を隠すことなく迸らせて。
新崎は、なおも変わらぬ笑顔で言った。
「くっだらねぇ死に方だったよ、雨森悠人は」
声にならない悲鳴と共に、更なる雷が響き渡る。
それは、悲しみと怒りと絶望と。
様々な感情に染まった、哀しい雷。
――雨森悠人を、守ることが出来なかった。
朝比奈霞の、贖罪の雷だった。
☆☆☆
体育祭明け。
定期テストの結果が個々人への返却された頃。
1年C組では、とある噂が立っていた。
「おー! 雨森! 今日もモテモテだなー!」
「……烏丸か。やめてくれ、そういうのは」
今日も今日とて星奈さんとお話していると、登校してきた烏丸がニヤニヤしながら肩を組んでくる。
ちなみに噂というのは、僕がモテモテという話ではない。
そんな噂なら喜び勇んで跳ねていただろうに。現実というのは残酷だ。
「なんだよー。朝っぱらから男女二人で仲良く話してるんだから、そういうことなんじゃないのかー?」
「か、烏丸、くん。それは雨森くんに、失礼です。雨森くんは、すごい人なので、私なんかじゃダメダメです」
顔を真っ赤にした星奈さんがそんな見当外れなことを言っている。
何を言っているんだろう、この子は。
えっ、僕はいつでもオールオッケーなんですが。
むしろ、僕が女神に相応しくない気がしてならないのですが。
……よし、今日から男を磨こう、星奈さんに相応しい男になるために。
そんな決意を決めていると、ふと、倉敷たちの声が聞こえてきた。
「ねぇねぇ、聞いたー? 例の噂〜」
1年C組に蔓延する噂というのは、僕と星奈さんのスキャンダル……などでは決してなく、もう一つ、とある組織についての噂話だった。
「あ、知ってるー!【夜宴】っていうヤツだよねー!」
倉敷の言葉に、少しだけクラスがざわついた。
夜宴、それは体育祭以降、急速に名を挙げてきた組織の名前だ。
表立って動いている自警団ほどではなくとも、じわじわと、確実に『噂』として蔓延しつつある。まるで毒のようにね。
また、夜宴については多くの噂が流れている。
曰く『最近になって設立された組織』
曰く『全員が加護の異能力保持者』
曰く『対学園の過激派組織』
曰く『全員が動物のコードネームを持っている』
曰く『その規模は数十人に及ぶ』
曰く『あらゆる場所に構成員が潜んでいる』
等など。
うん、大半が嘘ですね!
ごめんなさい!
なんでったってこんな噂が流れているのか……清々しいほど身に覚えがないわね。まったく、どうしてかしら?
「夜宴……ねぇ、雨森も話聞いたか?」
少し真面目な表情に戻った烏丸が、問いかけてくる。
「……まぁな。正直、信じていいものなのか……」
「俺は信じてねぇけどな」
「おっ、佐久間! おはよー!」
背後から声がして振り返れば、登校してきた佐久間が鞄を片手に立っている。
「聞いたぜ? その……なんつったか、夜宴? のリーダーは、最強の異能力者だって言うじゃねぇか。んなもん、どっかの馬鹿が考えた妄想だと思ってるぜ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしねぇ」
「まぁ、確かに佐久間の言い分も納得出来る」
佐久間の言う通り、噂を疑うものは多い。
だが夜宴の実在を疑う者はほとんど居ない。
それは何故か。答えは簡単だ。
夜宴の噂には、二つの根拠があるからだ。
一つ、自警団の堂島忠が、夜宴の長と戦い、敗北したということ。
堂島忠本人は頑なに喋ろうとしないらしいが、あの日の晩、堂島忠が誰かと戦い、負けたのを誰かが見ていたらしい。
おっかしいなー。あの時、近くに誰もいないのは確認していたはずなのに。戦ってた本人が広めたとしか思えねーや。困った野郎だぜ。夜宴の長とか言う奴はよ。
そしてもうひとつが、新崎康仁が夜宴の存在を確信しているということだ。
保健室での一件の後、新崎は、必死になって僕の正体について探ったんだろう。
そして夜宴という組織にたどり着いた、らしい。
そんでもって、あの男は夜宴の存在についていろいろと触れ回っているらしい。なるほど、こうも噂が広まるわけだ。
ちなみに風の噂によると、四季いろはとかいう少女が夜宴の尻尾を掴んだらしい。さすが四季、頼りになるー。
とまぁ、そんなこんなで、夜宴の名前は広まりつつあった。
その中でも、やっぱり新崎は夜宴の長について思うところがあるらしい。
完全に八つ当たりだとしても、僕が夜宴の長として朝比奈に協力したという事実がある。
僕さえ居なければ黒月を殺せてた――と、思い込んでいる新崎は、きっと夜宴の長のことも恨んでいるだろう。
まぁ、望むところなんですけどね。
「つーか、そろそろホームルームだぞ。席戻れよ、テメェら」
「おー、そーいやそーだ。雨森ー、名残惜しいかもしれないけど席戻るぞー」
「あぁ、それじゃあ星奈さん。また後で」
名残惜しさ、ここに極まれり!
何たる不覚、星奈さんと離れ離れになってしまうとは……! あ、でも次の時間体育だし、今は亡き霧道の代わりに僕のペアは星奈さんだし。一緒に準備体操とか天国だし。まぁ、良いとしよう。
僕は意気揚々と席へと戻る。
いつも通りの日常。
普段通りの生活。
決して変わらぬ堅固な校則。
既に、クラス全員が席に着いている。
始業、十分前。
通常の学校においてはありえぬ光景も、一ヶ月も経てば既に日常だ。
こんな日常、多分誰も望んじゃいないんだろうけど。
そう、窓の外を眺めていると、やがて榊先生が入室してくる。
彼女はプリントの束を片手に持っており。
その姿に、否応なく嫌な予感が突き抜けた。
――いつもと違う。
それはきっと、不幸や不吉の前兆だ。
彼女は教壇に経つと、僕らを見て、こう告げた。
「諸君、B組より、正式に【闘争要請】があった」
それは、日常に終わりを告げる一言だった。
第5章は最初からアクセル全開です。
一切の無駄なく、数話でクライマックスまで持っていく予定ですので、お楽しみに。




