4-12『最後の種目』
何が起こったかわからない。
それが、その場にいた大勢の考えだっただろう。
黒月奏が技を出し。
新崎康仁は真正面からそれに対して。
気が付いた時、黒月奏の顔面を、新崎の拳が捉えていた。
「く、黒月くん……!」
朝比奈霞の声が響いて。
そして、新崎康仁は笑顔を深めた。
その顔はまるで、大好物を前にした子供のようで。
純粋無垢という狂気を貼り付け、新崎は死に体の黒月を見下ろしていた。
「だーからいったじゃん。黒月、お前は僕には勝てないんだよ。格が違う」
返事はない。
既に黒月の意識はなく、今すぐにでも治療しなければ命に関わるほどの重傷だ。
朝比奈霞は、迷うことなく地面を踏み切った。
信じられないことだが、黒月奏は敗北した。
ならば、失格だなんだと言っている状況ではない。
彼女は全力全開で走り出し――
されど、新崎の拳が始動するのが早かった。
「信頼。いい言葉だよね、それだけで人が一人殺せるんだから!」
新崎の拳が、黒月の頭蓋へと叩き込まれる。
地面が砕け、土煙が舞い上がる。
全校生徒から悲鳴と唖然があふれ出す中。
――新崎康仁は、限界まで目を見開いていた。
「悪いけれど、それは私が許さない」
その声に、多くの生徒が驚いた。
新崎が拳を振り下ろすより後に動き始めて。
新崎の拳が直撃するより先に、その間へと割入った。
見れば、新崎の拳は雷鳴が纏う手に受け止められており、それを見て、新崎の笑顔が陰った。
「まさか――まだ本気じゃなかったとでもいうのかな」
あまりにも速過ぎる。
そして何より、強すぎる。
新崎の拳は本気のソレだった。
しかも、彼女が受け止めたのは黒月の頭蓋直前でのこと。勢いが乗り切った拳を、まったく押されることなく完全に受け止めた。たったの片腕で、だ。
「雷神の加護……といったっけ? なんだよその力、チートが過ぎ――」
「黙ることを勧めるわ。私は今、あまりいい気分ではないの」
新崎康仁の拳を真正面から受け止め、彼の計画を破綻させた。
それだけで、今回は朝比奈霞の勝利といえる。
ただ、彼女はそれで納得しないというだけで。
「目の前で、誰一人として傷つけさせない。その目標を思えば――敗北甚だしい現状ね。さすがよ新崎くん。私はまたも敗北した」
「……っ」
心からの言葉に、新崎は笑顔の中に苛立ちを浮かべた。
朝比奈霞の言葉は嫌味ではない、純粋な心からの本音だった。
新崎の上辺だけの純真無垢ではなく、正真正銘の純真無垢。
一片の濁りすら感じさせない、正義の味方。
「……ああ、腹が立つ」
新崎は、ポツリと言葉を漏らす。
それは朝比奈にさえ届かないほど、小さなつぶやきだった。
雷が瞬く。
気が付いた時、目の前から朝比奈と黒月は消えていて。
1年C組の自陣内から、朝比奈の声がした。
「井篠くん、黒月くんの治療をお願い」
「えっ? あ、う、うん! 任せておいて!」
唐突に目の前まで現れた朝比奈に、井篠は驚きつつも返事を返す。
その声に振り返った新崎へと、朝比奈は背を向けつつ話しかける。
それは間違っても、勝者に対する――敬意を持つべき相手に対する態度ではなかった。
「新崎くん。そういえば宣言していなかったわね。私は、【自警団】は、貴方を危険人物として徹底的にマークしている。端的に言えば――そうね。あなたを敵と考えている」
「はっ、何をいまさら――」
「言ってる意味、分からない?」
重ねて放たれた言葉に、新崎は固まる。
そして、思い出す。
彼女の組織がどんな面々で構成されているのかを。
「貴方がこれ以上悪さをしようというなら……いいえ、もうそんな忠告をすべきときは過ぎていたわね。あなたは私たちの更生対象に含まれた。ゆえに、私は全身全霊をかけて貴方を叩き潰し、貴方が今まで傷つけたすべての者へと謝罪させる」
正義の味方に相応しい正しさと。
炎のように燃え盛る情熱と。
狂おしいほどの善性をたたきつけられた新崎は、不快そうだった。
「あぁ、あぁ、ほんっとうに嫌になるね。更生? いやいや【排除対象】と言い直せよ。あまりにも甘ちゃんすぎて反吐も出ないよー」
「私は何も間違っていない。あなたは必ず更生させる。どのような悪であっても、この世に排除されるべき存在はないのよ、新崎くん」
今はなきクラスメイトを思い出し。
朝比奈は後悔とともに言葉を重ねる。
だから、悪を成すことをあきらめなさい、と。
告げられた言葉に、素直にうなずき返すような新崎ではない。だが。
「それに、貴方はあまりにも……あまりにも弱すぎる」
「あ?」
重ねて告げられた言葉は、新崎の沸点を飛び越えた。
彼の口から怒気が溢れる。
瞳は瞳孔が開いたように薄気味悪く。
ただ、見つめられているだけで死んでしまいそうな不快感があった。
「なにそれ、負け犬の遠吠え?」
「ええ、そうよ。あなたに負けた立場で言わせてもらうわ。貴方がC組のクラスメイトを襲うのは、私に勝てる自信がないから。――自分の強さに対する絶対的な自信が無いから。違う?」
違う。
誰に問うてもそう答えるだろう。
新崎も、朝比奈自身でさえそう考えている。
ゆえに、これは正義の化身が初めて使った【小手先】だった。
「C組を潰したいなら、ルールの中で私を潰してみなさい。そんなこともできないのなら……新崎康仁、貴方は永遠【弱い】ままよ」
言外に、自分ならばルールの中で圧倒できると言っているようなもの。
負けていても、勝ったことがなくとも。
それでも勝てると確信している。
それは、圧倒的な【力】への自信だった。
新崎は珍しく奥歯を噛み締めるが、その表情は一瞬。
すぐに笑顔へと戻ると、新崎は大きなため息と共に吐き捨てた。
「はぁーーー、きっしょ! 気持ち悪いねお前!」
「あら、犬の遠吠えにしか聞こえないわね」
既に、正しいだけの朝比奈霞はいなかった。
敗北し、心も折れかけて。
それでもめげずに立上り、挑み続けた。
その果てに今の彼女が存在する。
――万策尽くして、万悪を滅する。
今の彼女にとって、正義の味方とはそういうものだ。
「――いいよ、まんまと挑発に乗ってあげるよ。朝比奈霞。首洗って待っててよね。今に、さいっこうに悪意に満ちたルールひっさげて、闘争要請しに行くからさ」
「あら、余裕ね。何ならこちらから申し込んでもよいのだけれど」
朝比奈の言葉に、新崎は何も返さず自陣へ引き下がる。
既に、この競技を進めるような気分ではなかった。
新崎の腹の底に溜まった、闇より黒い泥のような不定形。
それは憎悪という感情だった。
ただひたすらに、
1年C組を叩き潰したい。
そのためになら、どんな手段もいとわない。
彼は、C組が黒月の救命に動き出したのを横目に。
狂気の笑みを浮かべて、呟いた。
「うーん。そうだなぁ……」
新崎康仁の脳内には、悪意だけが渦巻いている。
☆☆☆
黒月奏の怪我は、1年B組の担任、点在ほのかが癒した。
「はーい、時よ戻れー!」
軽い言葉と共に、奇跡が起こる。
黒月の身体中に刻まれた怪我、真っ二つに割れた校舎。その全てが瞬く間に修復されてゆき、残ったのは新品同然の校舎と、無傷のまま意識だけを失った黒月奏。
場所は保健室。
黒月奏はベッドに横たわっており、その横のベッドには、もう一人の怪我人、雨森悠人が眠りについている。
倉敷は『黒月がこんな時に、何呑気に寝てんだよクソが』と考えていたが、もちろん誰も知る由はない。
ベッドに横たわる黒月を見て、点在教諭は話し出す。
「今回はー、新崎くんがすいませんでしたー。お詫びに、傷と身体中の良くないところ、ぜーんぶ直しておきましたのでー。……一応、痛みやショックは残ってるため、まだしばらく目は覚めないと思いますがー」
「はい、ありがとうございます、点在教諭」
朝比奈霞は、間髪入れずに感謝を告げた。
その感謝は心から告げられたもので、そうと気づいた点在は、嬉しそうに頷き返す。
「はいー。私、朝比奈さんのそういうところー、尊敬しますー。新崎くんの担任教師を、彼と別と考えてー、心から感謝できているー。そんなことはなかなかできる事じゃないですよー」
「そうだね……。私も、ちょっと恨んでるもん、点在先生」
倉敷が、落ち込んだトーンで呟いた。
それを前に、保健室の前へと集まっていたクラスメイトたちが顔をくもらせる。あの倉敷でさえそうなのだ。いかな人格者とて、点在ほのかに対して何も思わないというのはありえない。
そう、それこそ朝比奈霞であっても。
「……恨まない訳では無いです。新崎康仁へ、教育を怠った貴方の責任も少なからず存在する。ですが、黒月くんを治してくれた。……それに関しては、感謝の他ありません」
「そうですかー……」
朝比奈の言葉に、点在は残念そうに声を上げる。
しかし、朝比奈に対し、点在の言葉は空っぽだ。
上辺だけの言葉にしか聞こえない。
きっと彼女は、新崎康仁とよく似ている。
だからこそ、朝比奈霞もまともに聞くことは無かった。
彼女は黒月の顔を見つめる。
傷はないが、その顔には痛みがありありと浮かんでいた。
「黒月くん。約束は果たすわ。安心してちょうだい」
「……霞、ちゃん?」
朝比奈の言葉に、倉敷が首を傾げた。
それを前に、朝比奈霞は決意と共に立ち上がる。
「黒月くんと、約束したの。次の競技は私が勝つから、頑張って、って。……彼は、約束を守ってくれた。頑張ってくれた。なら、私がすべきは後悔するでも同情するでも泣き喚くでもない。私がすべきは、約束を守ること」
かくして、朝比奈は倉敷へと視線を向ける。
「蛍さん、自警団の長として、仕事を任せます」
☆☆☆
『さて! それでは十種目目――最終競技に移ります!』
司会の方から声が響いた。
場所はグラウンドの中心。
蛍さんたちに言伝をした私は、単騎でこの場所へとやってきていた。
この競技ばかりは……私以外に適任は居ないだろうから。
だって、次の競技は――。
『【異能力リレー!】! 異能の限りを尽くして行われる、各クラスによる千メートル走です!』
遠距離走で走るべき距離を、リレーとして走る。
その事実からも、どれだけ異能力が強烈かが分かるだろう。
現に、私の能力はとても強い。だからこそ分かるのだ。千だろうが五千だろうが、私たちの能力を前にすればその違いは些事のようなもの。
『ルールは簡単、千メートルを誰より早く走り抜けること! そのため、地面に足をつけない飛行や、空間転移などのチート技は意味ないですよー! いるなら今のうちに選手交代しておいて下さい!』
無論、そのルールまで把握している。
だからこそ、回数制限付きとはいえ、瞬間移動を使える烏丸くんより、私が適任だと判断した。
そして同時に確信していた。
きっと私は、純粋なスピード勝負じゃ誰にも負けない。
「おや、性懲りも無く出てきたねぇー、朝比奈霞」
ふと、声が聞こえた。
とても、嫌な声だった。
悪意が善意の皮を被ったような。
魔王が正義の味方を装っているような。
刺激的な程の違和感を伴う、嫌な感覚。
「新崎、くん」
彼の登場に、少しだけ私は驚いた。
彼ならば、この勝負で私に勝てないのは分かっているはずなのに。
なのに、こうして最後の競技に出張ってきた。
他に生徒たちが居ないのを見るに……私と同じく、単騎で千メートルを走りきるつもりなのだろう。
「その言葉、そのままお返しするわ」
「いえいえ、遠慮しとくよ。僕ってば、誰かにあげたものを返してもらうような人間じゃなくてねー」
そう返した新崎くんに、先程までの雰囲気はない。
いつも通り、なんの憂いもない満面の笑顔を浮かべている。
これは……既に、私たちを潰す作戦を考えついたと見るべきかしら。
私は一段階警戒を引き上げると、彼から視線を外してゴールを見た。
「そう。なら、話す事はなさそうね」
「あぁ、その通りだよ。どーせ、この戦いはお前の一人勝ちだろ? なら、僕は正々堂々、本来のルールに則って、二位争いでもするとするさ。これでもお金は欲しいからね」
その言葉から、敵意は感じない。
そもそも、この競技において他の出場者への妨害は禁じられている。純粋な速度の勝負なのだから、新崎くんが私に優ることなんて万がひとつにも有り得ない。
だからこそ、私は――。
「だから、安心して勝ってくれよ、朝比奈霞」
彼の笑顔に、警戒せずにはいられなかった。
次回【詰み】




