3-7『嫌な男』
その男。
誰よりも真っ直ぐに生き。
その生き様に胸を張り、自信を掲げ。
誰より笑顔で扇動する。
いつだって多くの味方たる、その有様。
一言で示すならばーー正義の味方、だろうか。
あるいは、他人はそれを【狂気】と呼ぶのかもしれない。
その男は、一言でいうと『気味が悪かった』。
誰もが憧れるような完璧な笑顔。
誰しも心許してしまうような優しい雰囲気。
誰も裏があると考えもしない人格者。
故に、薄気味悪かった。
少なくとも、倉敷の目にはそう映った。
「あれっ、みんな揃ってどうしたの、C組の!」
放課後。
星奈蕾と、雨森悠人と、四季いろはと。
あの三人を中心として勃発した『事件』を受け、倉敷は朝比奈らを先導し――扇動し、B組のクラスへとやってきていた。
もとより、朝比奈や倉敷も、B組の『嫌な影』には気がついていた。
直接見聞きはしないものの、どことなく漂っている嫌な雰囲気。誰かが誰かを見下して、それが肯定されてしまった腐った違和感。
空気を読み、扇動することに長けた倉敷蛍。
そして、正義の味方である朝比奈霞にとっては、その雰囲気はクラスの前を通っただけで感じ取れるというもの。
(雨森の野郎は……まぁ、底が知れねぇが、私も私で、十分に自分が化け物、人外の域にいることは自覚してんだよ。……だけどまぁ、自信なくすぜ、ここ最近はよ)
倉敷は、B組のクラス内を見て、戦慄した。
B組の中には、まだ多くの生徒が残っていた。
彼ら彼女らは、とても楽しそうに世間話に花を咲かせており、そこには高校一年生の時期にあるべき青春が拡がっていた。
そして、血溜まりも広がっていた。
「……ッ!? こ、これは、これは何かしら、新崎康仁!」
「えっ? 何って――瀕死のクラスメイト?」
新崎康仁は、笑顔を浮かべていた。
談笑の真ん中で。
青春真っ盛りの少年のように。
血溜まりに佇み。
眼前に倒れる少年を足蹴にして、笑っていた。
その光景に、正義の味方は激昂した。
朝比奈は新崎へと大股で歩き出し……直後に、その腕を黒月が掴んだ。
彼女は驚いたように黒月を振り返り、さらにその目を見開いた。
なにせ黒月は、彼女より鋭い視線を向けていたから。
「……お前が、やったのか」
「うん、そうだよ? それがどうかしたの?」
新崎は、悪びれた素振りなど見せなかった。
黒月の瞳に憤怒が宿る。
それは、朝比奈霞にも匹敵……いや、勝るほどの炎だった。
それを見て、倉敷は、やはり、と思う。
黒月奏は天才であり、人間なのだ。
熱原のような、人の枠を超えた『何か』ではない。
常軌を逸した才を持ち、人を嫉妬で壊した過去も持ち、その上で、人を慈しめるだけの優しい心を持った人間だ。
間違っても、雨森悠人や倉敷蛍の同類ではない。
だからこそ……なのだろう。雨森が、黒月を選んだのは。
(私は、絶対に悟られない自信がある。けれど元来、朝比奈霞が、正義の味方が信頼を寄せるのは、同じく正義の味方だけ。自分と同じように怒り、立ち上がり、隣に立ってくれる者)
それでいて表に立たず、朝比奈をサポートするだけの才能もある。
くわえて、雨森悠人に従順だ。
(……ったく、嫌になるほど良い人材だぜ)
黒月は、憤っていた。
彼にしては珍しい激情に、朝比奈も冷静さを取り戻す。
彼女は大きく息を吐くと、遊び半分でついてきていたクラスメイトへと視線を向ける。
「……申し訳ないけれど、井篠君を連れてきてくれるかしら。おそらく、雨森くんならば居場所も知っているはずよ。雨森くんはこの時間帯……まだクラスに居ると思うから」
さすがは雨森も嫌気が差す程のストーカー。
彼の動きを非常に良く理解している。それこそ、雨森悠人の協力者である倉敷、黒月以上に。
クラスメイトは焦ったようにC組へと駆けてゆき、それを見送った朝比奈は、新崎康仁へと視線を戻す。
「新崎くん、初めまして。そして先に言っておくわ。人を足蹴にするような人物とは、私は決して相容れない」
「へぇー! じゃあ、雨森悠人は君の敵ってことでいいんだよねっ?」
すぐさま返された新崎の言葉。
それを前に、朝比奈だけでなく、倉敷と黒月も固まった。
三人は、忘れてはいなかった。
雨森悠人の過剰とも見れる反撃を。
確かに、最初に手を出そうとしたのは四季だった。
だが、結果論を言ってしまえば、未遂なのだ。
四季は星奈を殴っていない。
にも関わらず、男の雨森が、女の四季へと手を上げた。
どころか、他の女子生徒まで昏倒させた。
……あの件について、何も思わない三人では、決してなかった。
だが。
「肝心なことに触れてねぇな。アレは訓練だったろうが」
ふと、廊下の方からこえがした。
振り返れば、部活へ向かう最中らしき、佐久間や烏丸らの姿があった。
彼らの登場に朝比奈は少し驚きを見せたが、すぐに冷静さを取り戻す。
「それに、俺はアイツを擁護させてもらうぜ、朝比奈。怖くて言い返せねぇ、誰かに助けを求める勇気も出ねぇ。そんな女子供を救うのに、他の目気にせず真っ先に動いた。それをお前は『悪』とするのか、正義の味方」
「そう……だったわね。彼は褒められこそすれど、責められることは一切していない。今までも、あの時も、ずっと」
返事を聞いた佐久間が、鼻を鳴らして去っていく。
朝比奈の表情は、迷いなど吹っ切れたように晴れている。
その笑顔を見て……倉敷は頬を引き攣らせた。
おそらく、雨森悠人はこの状況まで読んでいたのだろう。
熱原との一件で、佐久間との繋がりを得た。
佐久間が仲間思いであることを理解した。
そして、あの行動が『佐久間にとって擁護されるべき行動』であると、理解した上で行った。
(あの一瞬で、ここまで考えてるかよ)
殴ることに一切の迷いはなかったはず。
つまり、雨森悠人はあの一瞬で――四季いろはが殴る素振りを見せてからの数瞬で、ここまでの未来を予見していたことになる。
イカれてやがる。
倉敷は率直にそう思った。
「ほぇー。すごいなすごいな、久しぶりに感心しちゃった。心が動いちゃったよ。ありがとうC組。感謝の印に、お望み通り、この子を足蹴にすることはやめにしよう」
それは、C組に対しての賛辞であったか。
あるいは、雨森悠人への賞賛であったか。
彼は嬉しそうに笑って、倒れた少年から足を退け、その場にしゃがみこむ。
その瞳は申し訳なく細められ――。
「だから、蹴る代わりに殴ろうと思うんだー」
少年の髪を掴みあげ。
その顔面を、容赦なく殴りつけた。
「な……くっ!?」
咄嗟に朝比奈が、能力を使用して少年を受け止める。
その男子生徒は、力なく朝比奈に体を預けている。
いや、もう、立っていられるだけの力も残っていないのだ。
「こ、こんなこと……許されると思っているの!?」
「許されるよ? 熱原……だっけ? アイツが実装してたでしょ? クラスメイトを殴っても、クラスメイトが訴えない限りは罪に問われない。なら、僕は安心だ。僕は悪くない。だって、このクラスに僕を悪く言う人間は一人もいないのだからっ!」
クラスを、改めて見渡した。
最初に見た時点でも、かなりの異質に映っていた。
けれど、これだけのことがあって、誰一人として表情を歪めたものが居ない……というのはどういうことだ? 何故、人がひとり瀕死になって、それほどまでに無関心で居られるんだ。
「でも、熱原くんも、甘かったよねぇ。自分がやられたら、ほかの人たち、ぜーんいん棄権しちゃうんだもんっ。僕ならそんなことはさせないね。間違いなく、断固として、絶対に、死ぬ時はここにいる全員へ道連れ強要して死に逝くもん」
そういって、新崎は血だらけの男子生徒と目を合わす。
「ねー? 僕は君たちの友達だ。怒ってなんか居ないよね?」
「……は、い。私、たちは……新崎さんの、味方、です」
男子生徒は、即答した。
そこに、迷いなど存在しなかった。
「な、何を馬鹿な――! 君は今、この男に――」
「悪いねぇ、朝比奈さん、だっけ? 僕達ってば親友なんだよ、切っても切れない腐れ縁なのさ! というか、クラスのほぼ全員がそう! ……まぁ、星奈さんだけは違うんだけど、それは今は置いておこうかっ!」
新崎は実に楽しげだった。
その笑顔に同調し、周囲も笑った。
誰がどう見ても、狂った空間だった。
「……霞ちゃん、これは……」
「分かっているわ、蛍さん。……彼は、熱原くんとは別格よ」
「やっだなー! あんなゴミと一緒にされたら、思わず拳が出ちゃいそうになるよー。恥ずかしいっ!」
とっても綺麗な笑顔で。
とっても汚い手段を使い、クラスを完全に掌握している。
誰かを殴ったとしても、誰からも不満不平が飛び出してこない。
まるで狂ったように整理整頓された教室。
それが、そこには存在していた。
熱原とは……まるで格が違う。悪意の格が違う。
学園側が理解しているC組の大きな戦力は朝比奈霞と、倉敷蛍、黒月奏の三名だ。その他にも多くの王の力や、何故か学園側から認識されていない雨森悠人というイレギュラーも存在しているが……あくまでも中心に立っているのはこの三人。
それに対して――B組は、たった一人でその場に君臨していた。
奢りもなく、油断もなく、慢心もなく。
絶対的な事実と圧倒的な自信を持って、そこに立っていた。
目の前にしているだけで、気持ちが悪い。
目が回りそうになってくる。
それほどまでに、目の前の男は狂い果てていた。
「で、最初の話に戻ろっか。話し合いに来たんでしょ? ごめん無理!」
かくして、新崎康仁は、盛大な寄り道の果てに、本題をあっさり切り捨てた。
「だって、君たちって間違ってるよ。僕は正しい、僕が正しい。正義とは誰もが心休まる平穏な日々のことを言う。なら、そこに格差はあって然るべきなんだ。悪は必要で、奴隷は必須なものになる。これは、みんなの心が休まるための、健全で公平で推奨すべき――差別なんだから」
その面、彼女はいいよね、と新崎は続ける。
「星奈さん。彼女は素晴らしいよ。普通、いじめの対象となる宣言を受ければ、暴れるでしょ? それがなかった、簡単に、すんなりと受け入れてくれた。こんなにも差別が楽な人間もいな――」
「黙りなさい、新崎康仁」
しかし、その途中を朝比奈霞がぶんどった。
されど、新崎もまた止まらない。
「やっだねー、そっちが勝手に入ってきたんでしょう? それが、なんでったってクラスの在り方にケチつけられて、あまつさえ黙れー、だなんて言われないといけないんだろうねぇ〜」
正論だった。
正論の皮を被った悪意だった。
朝比奈は歯を食いしばり、倉敷は考える。
「でも、新崎くん。雨森くんも……私達も、やっぱり星奈さんに傷ついて欲しくないんだよ。星奈さんのためなら、私たちは決して折れるつもりは無い。だから……お願い、こんなことはやめてもらえないかな?」
「えぇー、何様ー? なーんで上から目線で言われてるのか分からないけど、とりあえずごめんね? なんか嫌だ」
倉敷は内心で舌打ちをする。
あくまでも【良き委員長】として動く以上、取れる選択肢としては多くない。
それになにより、この男はまるで暖簾だ。押しても揺らしても全く堪えた様子がない。
(頑固というのか、なんというか……厄介な野郎だ)
「……答えには責任を持つことだ。新崎康仁。貴様が嫌だと答えれば……C組が完全に敵に回るぞ。星奈のことを気にかけていた雨森はもちろん、俺や、朝比奈とて情け容赦なくお前へ敵対する」
「うーん、それはちょっぴり困るかも……」
黒月の言葉に、新崎は初めて困惑を見せた。
その表情に隙を見た黒月はさっそく切りこもうと口を開くが。
「なーんて、そんなこと言うと思った?」
あっという間の、手のひら返し。
黒月は言おうとしていた言葉を飲み込み、息を吐く。
それは朝比奈らも例外ではなく、彼女は呆れ混じりに呟いた。
「貴方は……人の神経を逆撫でするのがお得意なようね」
「褒めてくれてありがとう! そうなんだー、昔っから、人をいらいらさせることに関していえば並ぶものなし、ってね!」
変わらぬ笑顔で、新崎康仁はそう言った。
「それに、君たちってば、勘違いしてるよね? 僕は、ふつーに戦ってもここにいる全員より強いんだ。つまり、朝比奈さんや倉敷さん、黒月くん。君たち【1年C組】の代表格の総合戦闘力と僕の戦闘力が釣り合ってるわけ。……その意味わかってる?」
「……お前一人で、俺たち全員に勝てるとでも?」
「当たり前じゃん。嘘かもしれないけどね!」
かくして新崎は、話は終わったとばかりに手を叩く。
「と、いうわけで。そろそろ帰ってくれないかな? 僕達も忙しいんだ。君たちに付き合っていられる時間はないんだよ」
そう言われてしまえば、最早それまで。
朝比奈は歯を食いしばりつつも、血まみれの生徒を連れて退散する。
倉敷らもその後に続いて歩き出す。
ふと、背後を振り返れば、新崎は既にこちらを見向きもしていない。
完全に興味を失っている。
あちらに興味を持ったかと思えば、次はこちらに興味を持つ。
まるで小さな子供だ。幼子がそのまま悪意を身につけたような存在だ。
故に読めないし、どんな奇抜な手を使ってくるかも想像つかない。
つまり、熱原よりも、更に厄介な相手であるということ。
「……二人とも。作戦会議をしよう。今回は……かなりの難敵らしいからな」
黒月の言葉に、朝比奈と倉敷は頷いた。
B組の覇王、新崎康仁。
彼は、間違っても油断できる相手ではないらしい。
《学園側が把握する上位異能》
○A組 橘月姫、熱原永志
○B組 新崎康仁、四季いろは、星奈蕾
○C組 朝比奈霞、倉敷蛍、黒月奏、烏丸冬至など
※四季と星奈さんはどちらも非戦闘型の異能を持っていますので、実質、新崎康仁は一人でA組、B組と渡り合える総合能力を持っている、と判断されています。
※A組、B組、C組にはれっきとした選別基準がありますので、多少は戦力の偏りが生まれています。




