11-42『雨森悠人の名を捨てて』
ラスト3話!
彼の物語は終局へ。
そして嘘は、剝がされる――。
「いやー、負けた負けた。こりゃ完敗だねぇ!」
天守弥人は、あっけらかんと笑っていた。
体面に座る僕からは、その表情は見えない。
天井を見上げ、足を投げ出して座る兄を前に。
……まあ、こいつの表情なんぞどうだってもいいか。
そう考えなおし、僕は気にすることをやめた。
「随分とあっさりしてるな。負けたんだぞ、弟に」
「そりゃ、いつか抜かされるとは覚悟してたさ。嫌だったけどね!」
……そういえば、そんなことも言ってたか。
いつか、自分は超されると思う、って。
僕の道は果てしない、とも言っていた。
当時を思えば、今の僕よりもはるか年下のガキが垂れた戯言だ。
別に気にしたこともなかったし。
なんだったら、こうして話すまで忘れていたんだが。
「マジで言ってたのか、アレ。慰められてるだけだと思ってたぞ」
「えっ、冗談だと思われてたの? あんな場面で嘘なんてつかないよ!」
嘘。
嘘か。随分と耳が痛い言葉だな。
あの日から十年近く、張り続けてきたもの。
お前の口から飛び出たその言葉を前に。
今更、なんだか悪いことを指摘されたみたいで肩が揺れる。
……まあ、こいつのことだ。
僕の感じてることなんざ全部把握していることだろうが。
それでも、何も言わない兄を見て。
僕は、取り繕うように話を変えた。
「悪いが、正義の味方が垂れる妄言は、聞き流す主義なんでな」
「……相っ変わらず、きついこと言うよねぇ。久々のお兄ちゃんだぞ?」
「知るか」
なにが久々のお兄ちゃんだ。
出てきたと思ったら腐り果ててる動く死体なんぞに興味はない。
くわえて、なんだよあの趣味の悪い触手。
あんた、一度死んで美的センスまで腐ったんじゃないの?
間違っても恋には見せられないぞ、今の恰好。
控えめに言って変態。
ありていに言って、普通にキモイ。
仮に生きてたとしても、それはない。
千年の恋も一瞬で覚めるほどのキッショイ外見だぞお前。
そんな万感の思いを込めた『知るか』の一言。
それを前に噴き出す兄へ、僕は言葉を重ねる。
「ただ、お前には興味関心一切欠片も存在しないが、朝比奈には興味がわいた」
「ああ、彼女ね! いやー、君には抜かされるとは覚悟してたけど、あの気弱だった彼女にまで抜かされるとは思ってもいなかったよー!」
弥人は、天井から僕へと視線を戻してそう笑う。
……確かにな。
朝比奈には、最初から思うところはあった。
最初は、ただの失望だったそれは。
いつしか期待へと変わり。
最後に彼女は、その期待をも上回って見せた。
「実力も、精神性も。もう彼女は僕を超えてる。なら、認めざるを得ないよね。ずっと長年僕と生きてきた善。その片割れといえど……かつての所有者を堂々と胸張って超えられたのなら、天能側も認めるしかない」
……ん?
ふと、弥人の言い回しが気になって思考が止まる。
こいつ、何言ってんだ?
気になったので、素直に問いかけてみる。
「……認める? お前、何を言っている?」
そう問うと、彼は一瞬驚いた様子で。
けれどすぐに、悪戯をする少年のような顔になって、真実を告げた。
「気づかなかったのかい? 彼女に渡った偽善、変質して【善】に戻ったんだよ?」
「なっ!?」
あまりの驚きに、一瞬、思考がすべて吹っ飛んだ。
えっ、マジ?
なにそれ奇跡?
いや、奇跡というには出来すぎている。
どうなってんだよそれ。なんつーご都合主義だ。
そう混乱するさなか、弥人は微笑ましそうに僕を見ていた。
「そう難しい話ではないさ。偽善として君の中で一緒に育って、彼女の手に渡って、花開いただけ。見事な継承だったし、覚醒だった。僕も大満足な継承先さ。彼女なら信じられる。僕が認める」
「お前が認めたからって…………いや、もう、なんでもいいや」
考えれば考えるほど頭が痛くなりそうだ。
なので、思考を放棄して。
僕はそのことについて考えるのをやめた。
「……とにかくだ。朝比奈は、もうお前を超えている。だから、望むことができるのなら、僕は『その先』を見てみたくなった。あいつがどこまで羽ばたけるのか。今度は【観客】としてみてみたくなったんだ」
それが、今の僕の『目標』だ。
それに、もう主役を張れるほど元気でもないんでな。
僕の胸に渦巻いていた熱は、もう冷めている。
これ以上、僕の物語に先はない。
これからは観客として生きるくらいが丁度いいだろう。
そう告げると、彼は少し懐かしそうに目を細める。
「……そうだったね。君の『目標』は、もう叶っちゃったんだもんね」
「僕の目標? ……ああ、【打倒弥人】だったか?」
よくもまあ、そんな昔のことを覚えてるな。
もう忘れてたぞ、そんなこと。
それに、もう倒したしな、お前。
というより、当時、子供だった頃のお前ならずっと昔に超えている。
……と、そんな感情を整理して、僕は兄へと嘲笑を向けた。
「すまない。随分と低い目標だったんでな。完全に忘れていた」
「うっわぁ! しばらく見ないうちに随分と性格歪んでるぅ!」
彼は楽しそうにそんなことを言っていたが。
一転、どこかさみそうな顔をして言葉を重ねる。
「ただ、正解だとは思うよ。過去に生きた人間に縛られるのは、今を生きる人間にとって間違っている。目標は未来に定めるべきだ。君は、何も判断を間違っちゃいない」
「……何を偉そうに」
ずいぶんと殊勝なことを言う兄を見て、言葉が詰まる。
それでも何とか、絞り出した言葉を前に。
「そ・れ・に! 君の彼女候補第一号だろう!? 兄としては文句無――」
「なるほど、遺言だな?」
前のめりになって興奮しだした兄の顔面を、がしりとつかむ。
さて、砕くか。
そう一思いに力を籠めると、彼はバタバタと暴れ始めた。
「じょ、冗談! ジョーク! あは、ははは……って、やっ、やめろぉおおお!? いたっ、マジに痛いんだけど!? あ、頭からなんか嫌な音聞こえてくるんだけどぉ!?」
「黙って死に直せ死体風情が。お前と話すことはもう無い」
朝比奈がメインヒロインだぁ?
一度頭を砕いてその脳漿に刻み込んでやるよ。
僕は星奈さん一筋だとなァ!!
なにが朝比奈じゃぁ!
一度死んで星奈さんに転生してから出直してこいやァ!!
「というわけで、死ね。いや殺す。今度は物理的に」
「ちょ、ちょっとタンマ!! や、やめてよ冗談だって言ってるでしょ!!」
「冗談でも、言っていい冗談と悪い冗談がある」
「それは朝比奈ちゃんに失礼だと思うけれど……」
僕はため息交じりに、彼の頭から手を放す。
すると弥人は安心したように息を吐き、頭の周りを揉んでいた。
「あれっ、なんか凹んでない? 握力でちょっとつぶされてない?」
なんて声が聞こえた気もしたが、まあ、気のせいだろう。
「とにかく、だ。僕はもう死ねなくなった。なら、次は未来を考えるだけさ」
「いや、死なれちゃ困るよ。地獄で家族一同困りまくってたよ。せっかく助けるために与えた『善』の半分だったのに……なんでそれを使って無茶するのかしら、馬鹿なのあの子、って母上言ってたからね?」
「母さんには、馬鹿なんだよと伝えてくれ」
でなきゃ、こんな無茶は通さなかったさ。
復讐、復讐と言っておきながら。
家族を殺された怒りよりも。
やっぱり、家族を利用されている恨みが強かった。
最後の最後まで。
僕はあの男を殺すため、というよりも。
死んでまで利用され続けている弥人を開放するため、戦っていた。
「……ほんと馬鹿だよ。僕なんて放っておいてよかったのに」
「残念ながら、そこまで兄を嫌えてもいなかった。なら、助けるさ」
僕の言葉に、彼は目を見開いて驚いていた。
「あの日、正義の味方として生きようと決めた。正義の味方として誰かを助けようと、足掻いて……まあ、結果的には失敗してしまったけれど。その思いは、今も褪せはしない」
八雲は最後まで【雨森悠人の目的は自分の殺害】だと考えていたし。
そう勘違いさせるために振る舞い、欺き、嘘を塗り重ねてきた。
けれど、その根底で。
僕はただ、あの日の続きを走り続けた。
たとえ、自分の手が血に染まっていたとしても。
罪に呪われ、もう誰からも愛されないとしても。
誰かを助ける。
その行為は美しいはずだし。
誰が何と言おうと、正しいはずだ。
……もう、まっとうな正義とは呼べないけれど。
正義の味方なんて、大っ嫌いだけれど。
兄に打ち明けるのは、とても恥ずかしいことだけれど。
僕は――雨森悠人は、最後まで。
正義の味方として、駆けてきたつもりだ。
☆☆☆
「どうだ。お前のこと……少しくらいは救えたか?」
もう、返事はない。
言葉が返ってくることなんて、あるはずもない。
会話なんて、絶対に成立しない。
はず、なのに。
幻覚か、妄想か。
あるいは、泡沫の奇跡か。
それでも語り合えた、わずか一時を胸に。
僕は今度こそ、堂々と兄の死を見送る。
「さようなら、兄さん。僕も、頑張って生きるよ」
兄の死体は、塵となって消えていく。
その姿から、一人の弟として、最後まで目を離すことはしなかった。
兄はもう、語ることはないけれど。
何かを伝えてくれることはないけれど。
遺言もなにも、あの日にすべて済ませてしまったけれど。
それでも彼は、最後の最後まで。
満足げに笑って、風に溶けていった。
僕の手には、塵も残らない。
何も残りはしない。
僕には何も遺されない。
……けれど、不思議と悲しくはなかった。
やっと、彼を送れたのだと。
そう思うと、すこし肩の荷が下りた気がして。
答えはついぞ聞けなかったけれど。
少しでも兄さんが救われたのなら、それで僕は満足だ。
けれど。
悲しくはない……それでも、さ。
僕は、天を仰ぐ。
空は、気持ちいくらいの快晴だというのに。
ふと、頬を雨粒が伝った。
それを裾で拭って、大きく息を吐く。
「……困ったな。寂しいよ、兄さん」
「あ、雨森く……」
ふと、朝比奈の声が聞こえた。
僕は彼女のほうを振り返り。
そのボロボロな姿に、苦笑する。
――より早く、唯一の『心残り』を思い出す。
「あ、はは、ははははは!? 負け……っ、負けたのか、この俺が!?」
朝比奈の声をかき消して、老人は喚く。
自身の敗北を受け入れられず。
かといって現状を否定できるだけの材料もなく。
これから挽回できるだけの策もなく。
それを考えられるだけの能もない。
八雲選人は、もう詰んでいる。
僕は老人へと向き直り、そちらのほうへと歩き出す。
「ひ、いっ!? く、来るな化け物が!!」
「もう今更、お前を見逃すという選択肢はない」
ただ、そう言っていて少し気になったことがあって。
僕は朝比奈のほうを一瞥する。
――あるいは、正義の味方であるのなら。
ふと考え至った、その可能性。
それは、八雲とて同じだったのだろう。
死の際で、それでも生きることを諦められない老人は。
挙句の果てに、自分の敗因となった少女へと縋りつく。
「そ、そうだ! おい朝比奈! お、お前、正義の味方だろうが! この野郎、俺を殺そうとしてやがるぞ! とめっ、止めなくていいのかよ!! 殺人だぜ、こいつは罪を犯そうとしてんだぜ!?」
……つくづく、無様だな。
敗因に縋りついてまで、生き汚く足掻くとは。
彼の眼には、生への執着がありありと浮かんでいる。
否が応でも生きてやる――と。
生き延びさえすれば未来は残されているのだ、と。
そう願い、確信し、足掻く悪党。
しかし、返ってきた言葉は彼にとっては残酷なものだった。
「……ごめんなさいね、学園長。私は止めはしないわ」
「……っ、こ、この……ッ!」
正義の味方なら、殺人を止めるのでは?
その考えは、朝比奈の口から否定される。
愕然、怒り、それらの中間といった表情の八雲に対し、僕は彼女の考えに、『まあ、そうだろうな』という感想しか抱かなかった。
正義の側だったからといって、すべての死に否定的なわけではない。
過去の弥人がそうでもあった。
彼は正義の味方ではあったけれど。
決して悪は許さなかった。
その上躊躇も油断も許さなかった。
当然、逃げ道など万が一にも許しはしない。
「悪人は等しく法で裁かれるべき。そういった思いはあるけれど……八雲学園長。あなたの物語をこれ以上続けさせてはいけないと、同時に思うの」
「て、てめぇは……正義の味方だろうが! 殺人を許容していいのかァ、えェ!? こいつは俺を殺そうとしてやがるんだぞ! なら、止めるのが――」
「……ほら、そうやって時間を稼ごうとしている。捕らえられて、警察に連行されて、法廷に立って、裁きを下されるまで。……それほどの時間的余裕があるのなら、自分は何とか活路を見いだせる。運は自分に味方する。――そう確信しているから、あなたはこの局面で私に頼ろうとしている」
朝比奈の言葉に、八雲は一切、反論できなかった。
何一つとして違うことなく、図星だったから、だろう。
彼の額に汗が滲む。
嚙み締めた唇から、血が滴る。
けれど、関係ない。
もう、運はお前に味方しない。
僕は蹲る老人の前に立ち。
怒りと恐怖と絶望と。
様々な感情の入り混じった目で僕を見上げる彼に対し。
「諦めろ。ここがお前の終点だ」
あの日は、ついぞ訪れなかったが。
今日は違うぞ、八雲選人。
僕が、お前にとっての死神だ。
「……っ、は、ははははは! 俺を、殺す!? 殺すか、志善悠人ォ!」
僕をその名で呼び、彼は発狂する。
慣れない呼び方に、僕は眉がピクリと跳ねたし、朝比奈は居心地悪そうにするが。
それ以外、警戒は緩めないし、最後まで油断も容赦もかけるつもりはない。
「あの日もそうだったよなぁ!? お前は俺を一度殺してる! けどなぁ、最後の最後で恵まれてるのはいっつも俺だ! 俺様なんだよ志善悠人! いくら殺されようと、どれだけ悲惨な末路をたどろうと! 最後に笑ってんのは俺だ、俺に決まってるんだ! 俺は絶対に死なねぇ! 死ぬはずがねぇんだよ!!」
……この男の言葉には、確かに説得力がある。
理由も根拠も存在しないが、実績がある。
この男は、かつて二度の死を経ておきながら、今なお生きている。
どれだけ逆境に立とうとも。
まるで、神にそうあるべしと恵まれているかのように。
当たり前の顔をして、最後の最後で笑い続けてきた。
「お前に、俺を終わらせられるかァ!? 塵一つほどに押し潰しても終わらせられず、終いには、死体に『トドメ』を預けて失敗してる! そんなてめぇが! 最後まで抜けなく抜かりなく、俺を殺しきれるとでも思ってんのかよォ!? なぁ、そうだろうよ! 兄貴殺しの人でなし!」
肩で息をしながら。
それでも、八雲の自信は崩れず、揺らがず。
その先の、確たる生存の道を見据えて。
どこかに転がっているはずの、勝機を見据えて。
堂々と胸を張って、死地で僕を煽り散らかす。
だけど。
「ああ、殺せるよ。僕ならお前を、終わらせられる」
満足げに笑っていた八雲から、次の句が消える。
先ほどまで自信に満ちていたその瞳は。
大きく見開かれ、ただ、僕の姿を見据えていた。
瞳が揺れる。
それは、恐怖によるもの。
僕の貌、僕の表情、僕の目を見て。
彼は、その終わりを予感した。
根拠のない、実績頼りの自信なんか意味はない。
僕が送るのは、至極単純。
ただ、殺す、と。
濃厚な殺意に裏打ちされた、近い未来の処分宣言だ。
そこに一切の容赦はなく、一切のゆるぎはなく。
据えた覚悟は、どうあろうと砕けない。
「兄はお前を評価していなかったがな。僕は別だ。お前は二度も死から生還し、そのたびに悪意の限りを撒いてきた。お前は驚嘆に値する。と同時に、全力で始末すべき害虫としても認識した」
これでも、お前のことはすごい奴だと思ってるんだ。
あんな状況から、たった一人ですべてを壊し、覆し。
死の運命からも逃れ続けて――ここまで至った。
その執念、その行動力、運の良さ。
何か一つでも欠けていれば、お前はここまで至れなかったはずだ。
少なくとも、ソレは僕ではできなかった芸当。
……ああ、尊敬するさ。
だから敬意をもって、全力でお前を終わらせる。
「天守周旋を汚し、天守ともえを侮辱し、天守弥人を愚弄し、多くの人生、多くの命、多くの魂を歪め狂わせ……その上で、今の今まで逃げおおせたことは褒めてやる。だが、いつだって大人は責任を果たすモノだ」
眼前で、老害を見下す。
僕を見上げる目に、怒りは既に存在しない。
ただ、溢れんばかりの恐怖が涙に代わって、頬を伝う。
「一つ問う。お前はガキか、それとも大人か?」
「……っ」
いいよ、自分がガキだと認めるのなら。
何にもわからず、分別もできず。
悪意なく悪意を散らすクソガキだと、自分でそう認めるのならそうしろ。
現状を見て、今の姿格好を理解したうえで。
その上で、『子供なので見逃してください』とでも吠えろ。
だが、そうじゃないだろ。
お前はもう大人だろ。
僕よりもずっと年上のはずだろう。
なら、責任は果たせ。
お前が今まで好き勝手やってきたように。
今度はお前が――僕の好き勝手に終わる番だ。
「一応言っておくが、回答は不要だ。今更どんな言葉を交わそうと、お前が生きるのを絶対に諦められないように――僕がお前を殺す。その決定も絶対に変わらない」
だって、元より決めていた。
お前が母の死体を壊した、あの瞬間から。
生死を疑う余地もなく、確実に『これ』で破壊する、って。
「【天能臨界】」
「ひ、ひい……っ!?」
たった一言。
それだけの、死刑宣告。
それを前に、八雲は目に見えて怯えを見せる。
……我ながら、無駄な労力だとは思うさ。
もう、僕は力なんか使わなくても強い。
天能なんざ使わなくたって、生きていける。
だけど。
この『けじめ』には全力で向かうと、最初から決めていた。
手札のすべてを失い。
もう、何もできない老人に対し。
拳を振り下ろせば終わる話を。
それでも僕は一切の手を抜かず、全力で仕留めに掛かる。
ふと、僕は空を見上げる。
夕焼けに、赤く染まり始めた空には。
遠く遠く、宇宙のかなたに星が煌めく。
おそらくは、最後の人殺しを前にして。
覚悟を決めるまでの、わずか数秒。
天を仰いで息を吐いた――僕の隙を逃さず、八雲は逃げた。
「い、いやだ! いやだいやだ、いやだぁあああああ!!」
僕に背を向け、獲物が逃げる。
何度も転びながら、幾度も足を滑らせながら。
逃げ場など無いというのに。
それでも生を求めて、脱兎のごとく駆けてゆく。
「死にたくない、死んでたまるか! 俺は、俺はぁ! まだ生きるんだ!! 俺は死なない、死んでいいはずがない! 俺が強いんだ! 俺が一番偉いんだ! 俺が一番――っ」
空より、視線を戻して。
怯え、恐怖し、絶望し。
それでも生にしがみつこうという背中を見て。
憎悪も失望も、逆に安堵といった感情も湧かなかった。
ただ、もう声も届いていないであろう、宿敵に。
最後の最後だし、と。
ついぞ今まで背負い続けてきた荷物。
その【嘘】を、ここに明かすことにした。
「最後に一つだけ、お前の【勘違い】を正しておく」
朝比奈は誤魔化せなかったし。
星奈さんも、何を言うでもなく僕の『正体』を察してた。
だが、お前は違った。
お前は、あの日の悪魔に怯え続けた。
彼のありもしない影に恐怖し、多くの策を練り。
彼を殺すために、と悪意を弄した。
ああ、確かに。
お前の策は脅威的だったし。
嵌れば殺されていたのは僕だったかもしれない。
けどさ、八雲選人。
……そりゃ、勝てるわけがないよ。
だって最初から、戦ってる相手を間違えてるんだから。
「お前を殺し損ねるような、あんな甘ちゃんと一緒にするなよ」
遥か天空へと、指を向ける。
指し示すは、星の彼方。
撃ち降ろすは、わずか一筋の流星。
「【セット】……は、もう済んでいたよな」
その言葉に、逃げていたはずの八雲が、僕を振り向く。
その目に映るのは、尋常ではない驚き。
この局面で思い出すのは、開戦前に彼と交わした会話。
僕が過去に残してきた――確殺の一撃。
『最後は病院か。……お前の墓場にしては随分と上等な舞台セットじゃないか?』
『そう急くなよ親友。時間は私たちの味方だぜ?』
『……残念ながら、時間はいつも僕の敵でね』
おそらく、八雲もまたソレを思い出したのだろう。
愕然と目を見開く彼の姿に、苦笑を漏らす。
天能臨界、と吠えたところで悪いのだが。
僕の『ソレ』は、ずっと前からすでに展開を終えている。
一時は、弥人に使ってしまおうかと悩んだこともあったが。
そこは素直に、朝比奈に助けられたと言っておこう。
それに……やっぱりさ。
奥の手は最後の最後まで残しておくもの。
もう、手も足も出なくなった、策切れの獲物を前にこそ。
僕は、確実な初見殺しをぶつけてやりたい。
それに、過去とは違う。
もう、暴走したりはしないよ。
お前ごと星を撃ち抜くような失敗はしない。
狙いは外さない。
撃てば必中。
当たれば確殺。
回避など赦さない。
防御など間に合わせない。
自覚も懺悔も、もう不要だ。
お前はただ、気づく間もなく死んでゆけ。
視線の先で、八雲が僕のほうを向き、何かを叫ぶ。
「お、お前ッ! まさか――っ」
されど、言葉は最後まで続かない。
たった一つの銃声に、すべて搔き消され。
後に残ったのは、たった一言。僕の言葉だけ。
「――【星穿つ銃声】」
それは、一筋の流星。
茜の空を切り裂く、白銀が一閃。
宙の彼方より、寸分の誤差なく飛来する。
もう、それより先を語る必要はない。
終わりの銃声は、狙った獲物を違えない。
放ったが最後。
一切の抵抗は叶わず。
ただ確実な勝利を決する、一撃必殺の流星が瞬く。
「もう聞こえちゃいないだろうが……」
八雲選人の頭蓋が、その場で弾ける。
悲鳴はない。
抵抗はない。
自覚もなかったろう。
ただ、終わる。
一撃のもとに撃ち抜かれ。
八雲選人の物語は、ついに終わりを迎える。
彼の体が、力なく大地に倒れ伏し
その姿を見送って、僕は地獄へ向かう彼へと言う。
「――僕は、天守優人だ」
お前の読み違い。
言っちゃ悪いが、見ていて随分恥ずかしかったぞ。
【嘘なし豆知識】
〇雨森悠人
本名は、天守優人。
天守家の次男坊として生まれ。
天能を扱う、その一点において他の追随を許さぬ天才。
当然ながら、その才覚においては天守弥人を優に超える。
偽善にて獲得した能力での、天能臨界。
天守弥人が死後にて成した技の極点。
それを天守優人は平然と、当たり前のように行使していた。
彼の用いた【星の恩恵】こそ、まさにその一例。
されど、奥義の真似事は彼の本質にあらず。
彼の本意気こそ――天の彼方より訪れる確殺の流星。
【星穿つ銃声】
過去とは異なり、威力・時間の調整が変幻自在となった彼の奥義。
圧倒的肉体性能による無類の戦闘能力と。
一切の回避、防御を許さぬ白き流星。
今の天守優人に、一切の隙はなく。
おそらく、ではあるが。
今の橘一成をもってしても、雨森悠人を殺すことは叶わないだろう。
☆☆☆
【質問が来そうなので先にお答え! のコーナー】
①瀕死の雨森悠人が、それでも強化版死体弥人と戦えていた理由。
それは、戦闘開始前から少しずつ【銃】そのものを宇宙空間での【星穿つ銃声】の構築に回し、異能の複数所持によるスリップダメージを減らしていたから。当然、今の雨森であればすべてを一気に移行することも可能だが、そうすれば一気に調子が上がり、八雲に違和感を覚えられ、下手をすれば逃げられてしまう。なので、雨森は烏丸に偽善を奪われるその時まで、異能を複数所持している、という状況からは逃げなかった。
②今の雨森は、三分を待たずして天能臨界使えるの?
使えます。
ただし、最大火力にまでもっていくなら、三分は必須です。
といっても、その最大火力は星を砕いてもなお余りある威力なので、三分を待たずして放つ『急ごしらえ』なテキトーな臨界であっても、確殺の威力は有しています。
③雨森の使えなかった『偽神』を弥人が使えていた理由。
雨森悠人は、天能を扱う才能において弥人を超えています。
ただし、それは雨森悠人が多少……いや、かなりぶっ飛んでいるだけであって、弥人本人もぶっ飛んでいるのは皆さん知っての通り。雨森は『霧』をある程度使える便利な能力としてとらえ、訓練もさほど行っていなかったのに対し、弥人は生前よりその力に向き合い、多くの時間を費やしてきた。
その時間を、雨森は才能だけでは覆せなかった。それだけの話です。
④八雲選人は死んだの?
『さあ、どうでしょう?』
☆☆☆
一部始終を見守って。
ついぞ手を貸すことはなく。
彼は今も、そして未来も。
きっと、彼の前に姿を現すことはない。
「……だって、君に合わせる顔がないからね」
黒い外套を翻し。
亡霊は、暗がりの中へと消えてゆく。
次回【黒翼は雷と笑う】
「でもね。君に甘いとは言われたくないよ、優人」
いつだって、あの男に引導を渡すのは――【星】の役目だ。




