9-6『今の新崎康仁』
物理戦、最強。
その名に相応しく、少女は凛と其処に在る。
天守弥人と同等の才能。
久しく見ないようにしてきた少女の『今』に、僕は目を細める。
眩しくて、輝かしくて。
誰よりも正当に、一切の汚点なく今を生きる彼女は、今の僕には少し眩すぎる。
「ねー雨も……じゃなかった。悠子ちゃん。あの子とお前、どっちが強いわけ?」
ふと、新崎から声が掛かった。
隣を見れば、新崎は表情を読ませぬ笑顔を浮かべている。
「あの子の方が強いんじゃないか? 近接戦において勝てる気がしない」
「なるほどね。異能ナシの近接戦ならあの子、それ以外も含めたらお前ってわけね」
新崎康仁は確信をもって歩き出す。
誰もそんなことは明言していないのだが……まあ、僕が『最大の敵は橘月姫』としている時点で、ある程度は察してもらえるかと思う。ただ、雨森恋が近接戦闘において僕以上の力量を持つ、というのもまた事実。異能ナシで殴り合って勝てるとは思えない。
「新崎、先に言っとくぞ。やめておけ」
「安心してよ悠子ちゃん。僕さ、お前がやられて嫌なことを考え付いたから」
彼は、僕を無視して教室中央へと躍り出る。
恋は新崎の登場に少し驚いた……ようにも見えたが、すぐさま彼を見る目が変質する。
「――むむ。貴殿は……」
「実はね。僕も雨森のやつが大っ嫌いでさ。あいつが言う『自分以上』を、目の前でぶっ倒されたらあいつはどういう顔をするのか。とっても気になるのさ」
性格悪いなァ。
素直にそう思ったし、恋の目の前でそういうセリフを吐くのも意地が悪い。
「――貴殿は、兄上を知っておいでか?」
「当然。僕に勝てたら、あいつが今どこに居るのか教えてあげるよ」
とってもいい笑顔で、新崎は吐き捨てる。
その笑顔を前に、恋の全身から闘気のようなものが吹き上がる。
きっと、一般人の目には見えないような。
ある程度の実力を持って初めて、知覚できるオーラ。
それは、当然僕の目にも見えていたし。
新崎康仁もまた、それを知覚するに足る力量を持っている。
「――では、勝たせていただく。私は兄に聞かねばならないことがあるので」
「あ、そう? ぜひともお手柔らかにお願いしたいねぇー」
やがて、二人は机を挟んで腕を構える。
これだけ大層な言葉と雰囲気を発しておきながら、やること自体は腕相撲。
個人的には、異能も使う雨森恋に、今の新崎がどこまで対応できるかも見てみたかったのだが――まあいい。この展開も、新崎の今を測るには十分だろうから。
「『神帝の加護』……それが変質したとしたなら」
天能変質は、原則として変質後の異能の方が強くなる。
まあ、概念使いが変質した場合は『強くなる』というより『力が変わる』ため、原則としてとは題打っているが、それより下位の力……それこそ加護や王の異能が変質した場合は、まず確実にその上位互換へと変質を遂げる。
誰よりも僕に近しく。
ある意味、誰よりも正義の下を歩く。
弱き者たちの絶対的な王様。
新崎康仁。
僕は、彼の『今』が知りたい。
力だけが不足していた過去を捨て。
新たな力を得た彼が――はたして、どれだけの成長を遂げているのか。
二人は机を前に、互いに手を掴む。
既に腕相撲をする準備は万全に整っている。
先ほど、上級生の腕を片手間にへし折った雨森恋と。
一年生の誰もが知る絶対的な強者、新崎康仁。
審判を務めるB組の生徒は思わず喉を鳴らすが、始まろうとする戦いは、もう誰にも留めることはできない。
「じゅ、準備は宜しいですか?」
「当然」
「もちろん」
確認に、即答が飛ぶ。
審判の女生徒は頬に冷や汗を流しながら、二人が繋ぐ手の上に手を添える。
恋の鋭い瞳が新崎を貫き。
新崎は変わらぬ笑顔で微笑み返す。
無表情と笑顔、どちらもどちらでポーカーフェイス。
感情を一切読ませない両名の戦いの幕は、あっけなく切って落とされる。
「――それでは、勝負開始……ッ!」
☆☆☆
雨森恋は、加減を知らない。
たとえ殴り合いだろうと、ただの腕相撲であろうと。
戦うとなれば全力だし、一切の手は抜かない。
そういう少女だと知っている。
――だからこそ、僕も彼女も驚いた。
「――ッ!?」
恋の無表情が、僅かに、ほんの少しだけほころびを見せる。
一瞬だったため分かりづらいが……それは焦りだったように思えた。
最初から全力全霊、腕をねじ伏せる勢いで始動した彼女の腕は。
――……されど、新崎康仁の腕を動かすには至らなかった。
「ぬっ、ぐぐぐ……ぃっ! な、なんつー馬鹿力だよ!」
新崎は額に青筋を浮かべ、真っ赤な顔で腕に力を込めている。
余裕とは程遠い彼の様子だったが……それでも驚愕には変わりない。
だって、今のは雨森恋の全力だぞ。
新崎はそれに対して真正面から拮抗したってことは……あの瞬間、瞬発的な威力で言えば、彼は雨森恋の腕力と同じ出力を引っ張り出したということになる。
「……加護では、まず無理な出力だな」
間違いない、新崎康仁は【概念使い】に変質している。
しかも、身体性能において雨森恋と同格まで強化されている。
加えて、この男は支配下にある生徒の異能を好き放題使えるはずだ。
異能封印という、僕以外には防ぎようもないチート能力も持っていたはずだし……考え始めたら背筋が凍り付くほどの強化っぷりだ。
だが、しかし。
彼の変質した後の異能。
その『名』についての考察はある程度絞れたとしても。
雨森恋と同等の出力。
はたして、これはどこから引き出しているモノなのか。
彼の力の内容については、まだ現段階では計り知れない。
「なかなかやりますな……! まさか腕力で私に迫ろうとは!」
「はっ! これでもお前の兄貴に復讐するのが今の目的だからね……!」
本人を前に、それ、言う?
そんなことは思ったものの、すぐに思考も掻き消える。
みしり、と机から音が鳴る。
見れば木目の机には小さなヒビが入っており、二人の拳は変わらす中間付近で拮抗している。
傍目に見れば、互いに拳を動かしていない……ようにも見えるが、その見えない部分で尋常ではない勝負が繰り広げられているのは想像に難くない。
新崎の額には大きな青筋が浮かんでいるし。
恋の頬にも、うっすらと汗が滲んでいる。
――腕力勝負では、まったくの互角。
想像を超える現状に、僕は少し考える。
恋が勝てば、新崎は僕の正体をバラすと宣言した。
となると、僕は新崎が勝つ方を応援するべき、だとは思う。
だが、新崎が勝つのもなんだか癪だしなぁ。
妹を応援するという名目で、新崎が負けるのも見てみたい。
ま、手を出すつもりは今のところないけれど。
「うーん……」
顎に手を当てて考えてる中。
ふと、二人の様子を再確認して。
みしりと。
再び音が鳴ったのを見て、少し体が硬直する。
机には変わらずヒビが入っている。
が、今の音は机からじゃない。
僕は視線をつーっと下の方へと移動して。
床にひびが入っているのを見て、背筋が凍った。
「…………」
思えば、そりゃそうだという感想しか出てこないが。
今目の前で腕相撲しているのは、僕と同じくらい腕力のある二人だ。
橘と僕が戦った時でさえ、尖塔が何度壊れたか覚えてないっていうのに。
腕相撲とはいえ……ここは学校。
戦闘用に作られた塔じゃない。
たかが腕相撲なれど、ただの校舎が耐えられるような『圧』じゃない。
二人の踏みしめたタイルにひびが入る。
周囲の野次馬もやがて教室内の異常に気付き始めた。
多くの生徒が不安な表情を見せる中、僕はため息一つ、歩き出す。
「二人とも、そろそろやめておけ。校舎に実害が出始めてる」
それこそB組の担任、点在の異能使うしか治せないぞこれ。
そう二人へと告げるが……完全に無視。
というより、集中しすぎて他のことに目が行っていないように見える。
全力で、ただ目の前の敵を倒すことに専念する。
一切の邪念を廃し、他のことへ割く神経すら総動員する。
凄まじい集中力だ。相手にすればこれほど嫌な精神性もそうそうないが……ぶっちゃけ今は僕関係ないし、ちゃんと話聞けってのが正直なところ。
僕はせいぜい応援するだけで、勝負の邪魔をしようというつもりはなかったが……これ以上実害が出るのなら、僕も物理的に干渉しないといけなくなる。
「最後の忠告だ、やめろ二人とも」
二人の目の前までやってきて、声をかける。
だが反応するそぶりはやはり無く、僕は致し方なく手を出した。
二人の拮抗する拳へと、上から手をかぶせる。
それらを思い切り握り締めると、全力で上から押さえつける。
触れただけで分かる、凄まじい熱量。
この拳にどれだけの力が込められて、拮抗しているのか。
まあ、少しは気になったが別にどうだっていいこと。
僕は伸ばした右腕へと力を込めると。
――バチリと、僕の腕に小さな雷が走った。
「「へっ?」」
机の板が悲鳴を上げ、一気に粉砕する。
衝撃と、二人が正気を取り戻したのは同時のこと。
僕の右手は机をたたき割り、二人の拳を床へと叩きつけていた。
僕はスカートにかかった埃を払い、立ち上がって二人を見下ろした。
「少し、熱中しすぎだ二人とも。これ以上続けたいなら場所を変えるべきだ」
周囲へと視線を向けると、教室全面へとかなりのヒビが走っている。
二人は周囲へと視線を向けて、目を見開き、再び僕へと視線を戻す。
「いや、熱中してたのは分かったけどよ……」
「ず、随分簡単に、止めるのですな……」
二人は随分と驚いたように僕を見上げている。
随分と簡単に……とは言うけどな。
二人は互いに一点に、一方向の力にしか加えていなかった。
なら、全然別方向からの力には弱くて当たり前。
今の僕でも、二人に横槍を入れるくらいは出来るさ。
右手に込めていた力を緩める。
雷による身体強化はほんの一瞬、余人には絶対に見えない程度で加減した。
……雷の身体強化は朝比奈嬢が実践した通り、身体への悪影響が酷いからなぁ。
橘との戦闘でも使わない程度には、使いたくないというのが正直なところ。
逆に言うと、今の弱体化した僕では、その雷を使わなければ止められない程度には2人も成長しているわけだけど。
「……ねぇ、お前さ」
ふと、新崎が何か言いたげな様子を見せた。
その目には疑念が映っていたが、彼は少し考えて、やがて首を横に振る。
「いいや、なんでもない。今のお前に聞いたって答えないことだろうし」
「賢明だな。僕が僕のことを答えるわけが無い」
今までも、これからも。
僕はただ、騙るだけ。
真実なんて聞かれても答えないよ。
「新崎、点在先生でも呼んで教室を直してもらったらいい」
「え? ……ああ、点在の時間巻き戻しのこと?」
B組担任教師、点在。
詳しいことは知らないが、彼女の能力は時間の巻き戻し。
彼女なら、壊れた教室だろうと校舎だろうと直せるだろう。
そう思っての発言に、新崎は立ち上がり笑顔を見せる。
「それくらい、僕が代わりに直すよ」
「…………は?」
意味が分からず硬直するも。
意味がわかってしまった直後。
僕は、嫌な予感に苛まれた。
「……まさか」
僕の目の前で――時間が遡行する。
それはかつても見た点在ほのかの異能そのもの。彼女ほどの速度、性能ではなかったかもしれないが……間違いなく【同種】の能力。
「王……いや、加護の等級ですな」
ふと、恋が声を漏らす。
全くの同感だった。
かつて『神帝の加護』を保有し、支配下にあった全生徒の異能を有していた新崎。彼にとって担任教師は間違っても『支配下にある』とは呼べぬ状態。
にも関わらず、彼は点在の異能を使った。
「……新崎、お前の異能は」
嫌な予感が、頭の中で像を成す。
それは最悪の考え。
されど現状を鑑みるに、1番『有り得そう』な異能でもあった。
僕の声に新崎は振り返り。
いつかの誰かのように、当然のように自らの異能を公開する。
「僕の異能は【王】、一定範囲内の全ての人員の力を統べる能力さ」
……一定範囲内。
それがどれだけ広いのかは知らないが。
少なくとも彼は、今。
僕や恋、場合によっては橘も含めて。
その範囲内に居る全ての人物の力を、多少弱体化はするにせよ【使える】ということになる。
僕の異能も、恋の異能も。
完全にでは無いが使えるってことだし。
「……使えるってことは、お前の異能も分かるってことだ」
彼の言葉に、眉尻が少し吊り上がる。
雨森悠人が隠す、本当の異能。
その正体を知ったと彼は断言した。
「……で?」
「……一言で表すなら『反則』。まぁ、こんなもん勝てねえよな、ってのが正直なところだし。僕とお前の異能に類似点があるってのも理解出来た」
同種、では無いけどな。
僕の異能の【唯一性】は、お前の異能にも類似するものがある。それだけの話だろ。
「まぁ、だから燃えるって話だけどさ!」
ふと、新崎が僕を見る。
その目には滾る炎が映っていて、彼の笑顔にはいつにない自信が溢れている。
「先に言っとくよ。今の僕は、出し惜しみして勝てるような相手じゃないぜ」
……出し惜しみ、ね。
能力を知るのが副次効果とか、反則にも程があるだろお前の力。ふつうに嫌なんですけど。
「そうか? 僕に惜しむような才能なんて無いと思うが」
「はっ、それならそれで負ければいいよ。僕はお前に勝てればそれでいいんだから」
彼はそう言うと、再び教室内へと視線を戻す。
彼の視線の先では壊れた教室の部品がひとつずつ元の形へと戻っていく。
僕はその背中を一瞥して、すぐに視線を逸らした。
さて、新崎康仁。
成長した彼に対する今の評価だが。
【橘月姫と同格として扱うべき】
少なくとも僕は、そう決定付けた。




