8-16『雨森悠人の全力』
目の前が真っ赤に染まった。
それが自分の血であると、橘月姫は少し遅れて理解した。
「――ッ!?」
焼けるような熱さと痛み。
彼を掴んでいたはずの手は握り潰され。
大雑把に振るわれた手刀は、橘の全身を深々と横断していた。
「ぐ……」
すぐさま距離を取り、傷口を幻へと変える。
視線を前方へと向ける。
そこには先程と何ら変わらず、傷だらけの青年が立っている。
普通なら倒れていても不思議じゃない重傷だ。ただの人間がここまで耐えられていること自体有り得ない。
彼は橘を『化け物』と言ったが……それはこちらのセリフだと橘は笑う。
「……意識、残ってます?」
ふと、問いかける。
ぴくりと、彼の肩が少し動いて。
――次の瞬間、橘の眼前に拳が迫った。
「!?」
咄嗟に首を捻って拳を躱す。
頬を拳が深々と切り裂く。
(疾い、そして鋭い……ッ)
先程までとはまるで違う。
雨森悠人の身体能力は自らを超えていると考えていた橘だったが……その評価をさらに上方修正する。
それどころでは無い、と。
なんだこれは。
橘月姫をして、今のは見えなかった。
しかもこの威力、まともに直撃すれば頭蓋は跡形も残らないだろう。
「ですが、それでこそです……!」
危険度が一気に跳ね上がる。
理性は『逃げろ』を騒いでいる。
この雨森悠人は本気でヤバい。
相手をすれば殺される。
身体中の細胞がそう叫ぶ。
と同時に興奮していた。
生まれて初めて見る、自分以上。
なんの偶然も介入しない、格上。
ただの凡人が努力の末に至った極地。
天才が凡人に下される。
なんという屈辱、素晴らしい!
「私はあなたにこそ、否定されたい!」
橘は駆ける。
――その横面を、雨森の回し蹴りがぶち抜いた。
一撃で首の骨が粉砕する。
反応することも出来ずに倒れた橘だったが、すぐに治癒、再び立ち上がって体を回す。
「蹴り技は、私も得意でして……ッ」
彼女の回し蹴りが雨森を襲う。
が、当たらない。
距離もタイミングも完璧だったのに。
まるで蹴りの方が雨森を躱すように、ふっと間合いが遠ざかったように、蹴りは雨森を避けていく。
「な――」
目を見開く橘へと、拳一閃。
腹へと、深々と拳が突き刺さる。
「が、……ッ、ま、まさか、今のは――」
「……最悪の気分だ。ついカッとなって『三つ目』を使ってしまうなんてな」
叩きつけるように拳が振り抜かれる。
橘の体は床を何度かバウンドしながら転がってゆく。
「げほっ、がほっ……意識、あるじゃないですか。……もしかして怒らせ足りませんでした?」
「安心しろ、だいぶキレてる」
彼女は傷を治しつつ、問いかける。
彼は先程と何も変わっていないように見える。
けれど違った。
確かに違うものもあった。
彼の隣に浮遊する黒い球体。
あんなもの、橘月姫は見たことも無い。
☆☆☆
やってしまった。
ついカッとなった、十数秒後。
少しだけ頭の冷えてきた僕は、自分が何をやったのか思い出して頭を抱えた。
「……この力も、ついにバレたか」
僕の隣には、黒い球体が浮かんでいる。
サイズ的には握り拳と同じくらい。
その球体には一切の重さはなく、覗き込めばどこまでも深い闇だけが広がっている。
「……仮定しか立てられませんが、雨森様。その能力……当ててみてもよろしいですか?」
「…………」
僕は彼女へ無言を返す。
……僕はお前を評価してる。
これくらい、僕が使った時点で仮定(という名の確信)を持っているはずだ。
彼女は立ち上がると、僕の異能を見据えた。
「引力……いえ、【重力操作】ですね」
あっさりと。
橘月姫は事実を言い当てた。
「……はぁ、分かってはいたんだ」
橘月姫。
お前を倒すのに異能を隠す余裕はない。
勝つなら三つとも全部使う。
それくらいの覚悟じゃないと勝てない。
分かっていて……それでも異能抜きで挑戦してみたくなった。
ようは、お前はそれが気に入らなかったんだろう。
「……そう、だな。この学園にお前以上の敵はいない。……なら、色々と隠すのもここが最後でいいのかもしれないな」
「あら、随分な評価ですね」
橘はどこか嬉しそうにそう言って。
次の瞬間、強烈な速度で駆けだした。
「そして同感です。私の最大の敵は……雨森悠人、貴方様を措いて他には居ない!」
その速度は先程までよりずっと早い。
恐らく、それは橘月姫の最高速。
3時間近く殴り合う覚悟だったからな。
僕も……そして橘も、力をセーブして戦っていたはず。
それを今、僕らは完全に解放した。
橘へと拳を叩き付ける。
それは彼女の拳と真正面から激突し、その余波だけで塔が全壊する。
ミシミシと腕から嫌な音がする。
骨が軋み、衝撃が痛みとなって全身を貫く。
僕は強く歯を食いしばり――
――けれど、被害は橘の方が甚大だった。
「ぐ……ッ」
彼女の片腕は弾け飛んでいた。
……それは単純な威力の格差。
橘の拳も強力だったけれど。
結果を見るに、どうやら僕の方が強かった。
そも、持久力は橘の方がずっと上なんだ。
体力が余りある橘は、セーブした状態でもある程度の全力を出せるかもしれない。
……されど、対する僕は、かなりセーブしないと3時間なんて戦い切れない。
「悪いな橘、こっから先は本気でやる」
何年ぶりだ。全力を出すなんて。
「……ッ!」
「【異黒点】」
彼女が傷を幻に変えるのと。
僕が異能を展開したのは、ほぼ同時。
僕の目の前に現れた黒球。
それを前に警戒し、距離を置こうと後退した橘は――次の瞬間、強烈な引力で引っ張られた。
「な――」
「寂しいな。逃げるなよ橘」
異黒点。
燦天の加護の3番目の能力。
それはあらゆる重力を操作する。
引っ張り、圧縮し、弾き飛ばし。
なんだってできる便利な力。
それを、思いっきり橘へと行使した。
彼女は僕の眼前まで引っ張られて。
その顔面へと、思い切り拳を叩き込んだ。
悲鳴はない。
頭蓋が碎ける感覚があった。
……真面目に殺しかねない威力だな。
そんなことを思ったが、頭を失ってまで僕の腕を掴んだ橘を見て背筋が凍る。
『その程度で死ぬとでも?』
そんな声が聞こえた気がして。
僕は『二つ目』を行使した。
「『黒雷』」
彼女の全身へと雷が落ちる。
細胞全て炭へと変えるような超熱量。
普通なら耐えきれない。
……だが、コイツは違う。
僕は彼女の手を振り払い、両手を構える。
右手が三本、左手も三本。
計【六本】の指を合わせる。
「【裏6番――ガルダ】」
黒い霧が巨大な姿を映し出す。
1番烏、2番鮭、3番猪、4番蛇、5番人。
それらを表とし。
6番から10番までを裏と定め、形を決めた。
本来なら使う予定もなかった裏番号。
……いきなり予定が崩れたな。
だけど後悔はない。
この女は、使うに値する敵だった。
霧から巨大な鳥が生まれる。
全身30mを優に超える。
黒一色に包まれたその姿は巨大な烏のようにも見えた。
ガルダは橘の体をくわえると、そのまま上空へと飛びがってゆく。
目立つだろうが……それはもういい。
僕は上空へと両手を向けると、その先へと黒雷がバチリと集う。
「……この力の全力は……たぶん、水平には使えない」
きっといつか。
朝比奈霞が努力を重ねてたどり着く技の極地。
それを今から、試し撃ちする。
家ほど大きな雷の塊を。
捏ねて、縮めて、固めて、指先へ。
ビー玉ほどに小さくなった固まりを。
『異黒点』を使って、さらに小さく押し固める。
上空でガルダが弾け飛ぶ。
その中からは無傷の橘が姿を現した。
彼女は地上にいる僕を見て目を見開いたが――
「『黒霧』」
背後から聞こえた僕の声に、完全に体が硬直した。
「まさか――」
きっと、その『まさか』。
地上のアレは分身だ。
本体の僕は霧になってガルダに混じり、破裂と同時に姿を戻した。
瞬間移動も、この距離じゃ難しいしな。
ふっと、地上の分身が姿を消して。
僕の両手には、痛いくらいの雷が溜まっている。
「ゼロ距離だ。躱すのは諦めろ」
彼女の背中に触れる。
と同時に、全ての力を放出した。
「【雷黒天】」
もう、それは雷ではなかった。
なんというか、ただの熱光線。
黒一色に染まったソレは、一瞬にして橘を飲み込み、塔のあった場所へと突き刺さる。
「……うっわ」
放った僕が言うのもなんだが、少し引く。
撃ち終えた跡地を見れば、塔のあった場所には巨大な穴が空いていた。
僕は霧に戻って地上へと着地する。
巨大な穴……半径10メートル以上あるか?
その中を覗き込むと、もう底が見えない。
……生きてるかな?
死んでたら少し困るんだけど。
「おーい、生きてるか橘ー?」
とりあえず呼んでみた。
けど、返事がない。
……困ったな、本当に死んだか?
軽い気持ちで放つ技じゃなかったな。
そんなことを思いながら。
僕は、続けざまに口を開いた。
「やーい、朝比奈以下ー!」
そう言った瞬間。
穴の底で、何かが光った気がした。
「――っ!?」
咄嗟に顔を逸らすと、鋭いなにかが頬を抉る。
なんだあれは……半透明な、槍?
まるでダイヤモンドで出来たような、鋭い光沢を持つ美しい槍だ。
「……自分のことを好く少女に対し、ほかの女の名前を挙げるだなんて……いい度胸してますね」
「あ、やっぱり生きてた」
上空に飛んで行った槍から、背後へと視線を戻す。
気がつけば塔が立っていた。
何もかもが元通り。
僕が開けた穴もなくなって、目の前には無傷の橘が立っている。
彼女は拗ねたように頬を膨らませていた。
「やめろよ気持ち悪い」
「女性に対する言葉ではありませんね。それと、真面目に死ぬかと思いました」
うん……それは謝るよ。
異能を全力で使ったのは今が初めてで、正直、どんな威力になるか想像もしていなかった。
僕は空を見上げる。
……試合開始からどれくらい経ったのか。
どれだけクラスメイトが残ってるのかも分からないけど……今の光は学校からでも見られたかもな。
「おっと」
ふと、襲ってきた橘の拳を受け止める。
衝撃に体が軋む中、彼女は僕へと顔を寄せる。
「負けるかと思って実に興奮しました。……今の技、もう一度撃てますか?」
「撃てるが嫌だ。同じ攻撃に二度も当たるほど馬鹿じゃないだろ?」
彼女の頬は赤く染まっている。
とんだ変態だ、気持ち悪くて仕方ない。
これで変に容姿が整ってるからタチが悪い。
「ふっ!」
彼女から拳が降り注ぐ。
余りの連打に防御を固めるが、それすらぶち抜いて彼女は僕をはじき飛ばした。
森の中へと体が吹き飛ぶ。
すぐさま近くの木の幹を蹴って勢いを殺すが、その時はもう橘は迫っている。
「お返しです」
目の前から橘が消える。
――と同時に、僕の背中へ衝撃が走った。
「……ッ」
振り返れば、彼女の蹴りが僕の背中に突き刺さっている。
あまりの威力、衝撃に背骨が軋む。
僕は歯を食いしばると――その足をがっしり掴んだ。
「へっ?」
「うるせぇ、お返しだ」
僕は、橘を掴んだまま吹き飛んでゆく。
彼女は嫌な予感に顔を引き攣らせたが、もう遅い。
目の前へと塔が迫る。
さぁ……橘、自分の威力を自分で喰らえ。
僕は腕に思いっきり力を入れて。
橘で、思いっきり塔をぶん殴った。




