真剣×勝負
毎年恒例となっている杏子との七夕祭りデート。
今年も祭りの会場は人混みでごった返していて、忙しなく蠢く人達のざわざわとした声と祭囃子の音が混ざり合い、祭り独特の雰囲気を醸し出している。
ちなみに言っておくが、二人で祭りに来ているこの状況をデートと呼称しているのは、あくまでも杏子だけだ。俺としては妹と祭りを楽しみに来ただけという状況なのだけど、杏子にとっては俺と二人で出かける時は全てがデート扱いになるらしく、今回も例外無くそういう事らしい。
昔ながらの木製の下駄を履き、まるで小さな子供の様にはしゃぎながら人混みの中へと分け入って行く杏子。歩を進める度にカランコロンと音を立てる下駄の音が、祭りに来たんだという雰囲気を更に高めてくれる。
「お兄ちゃーん! 早く早く!」
「下駄で走ると危ないぞ」
杏子は『大丈夫大丈夫』と言いながら、なおも人混みの間を器用にすり抜けて進んで行く。
異常にテンションが高い我が妹様を見失わないようにと、俺も少し早足でその後を追って人混みの中を進む。
そしてとりあえず前方に居る杏子を見失わないように進んでいると、その動きがピタッと止まったのが見えた。どうやら横にある屋台を見ているようだ。
俺は今の内に杏子との距離を詰めようと、人混みを縫うようにして進んで行く。
「ふうっ……」
追いついた先の屋台で大きく息を吐き、その場に居る杏子を見る。
杏子は屋台の前でしゃがみ込み、一畳くらいの大きさの水槽で悠々と泳ぐ群れを成した金魚を見つめていた。
「金魚すくいか」
「うん。お兄ちゃん、やってみない?」
「やるのはいいけど、ただやるだけじゃ面白くないよな」
「それじゃあ、金魚を沢山取れた方が、何か好きな物を奢ってもらうってどう?」
自信があるのかは分からないが、杏子はニヤリと不敵な笑みを浮かべてそう提案してきた。
――コイツ、自分が絶対に勝てるとでも思っていやがるのか?
「いいぜ。ただし、手加減はしないからな?」
「望むところだよ」
お祭り会場に着いて早々、兄妹金魚すくい対戦が勃発する。
それにしても、杏子のこういった勝負したがるところは誰に似たんだろうか。
「よっし、それじゃあやるか」
屋台のおじさんにお金を渡し、小さな椀とポイを受け取る。この金魚すくい、一見地味に見えるかもしれないが、実際は地味な中にも金魚をすくう為の様々な要素が存在している。
例えば金魚をすくう為のポイだが、これには四号から八号と種類があり、号数が上がるほど張られている紙が薄くなっていく。
つまりポイには、強・並・弱といったような紙の強度があるわけだ。店によっては金魚すくいをやるのが大人なら弱のポイを渡し、小さな子供なら強のポイを渡す――といったような使い分けをしている店も多いと聞く。
要するにある程度ポイの強度を見分けるというのは、金魚すくいにおいては重要な要素になるわけだ。
あとは意外に知られていないけど、ポイには裏と表があり、ポイの丸いふちに紙が貼ってある面が表で、反対側が裏面だ。ちなみに表面で金魚をすくうのがやり方としては正しい。
「お兄ちゃんには負けないんだからねっ」
俺はとりあえず、杏子の動向を観察してみる事にした。
勝つ気満々の杏子は、隣でポイを水に浸けて金魚を狙う。どうやらその動きを見ると、小さめの金魚を狙っているようだった。
狙いとしては悪くない。数を獲得しようとするなら、小物を狙うのは常套手段と言えるだろう。
だが、その様子を見て俺は自身の勝利を確信した。なぜかと言うと、杏子はすくい方がなっちゃいないからだ。
「やった! まずは一匹」
杏子は狙っていたであろう小さな金魚をすくって素早く椀の中へと入れる。
無事に一匹をすくった事に安堵し、喜ぶ杏子。こういうところは可愛いもんだなと、今でも思う。
そして一匹すくった事で気分を良くしたのか、ますますテンションを上げて水槽の中の金魚を見る。
それから10分くらい杏子は健闘し、俺の予想に反して四匹の金魚をすくい上げた。個人的には二匹すくえれば良い方だろうと踏んでいたけど、そこは何事も器用にこなす杏子のスキルが発動したらしく、予想は見事に外れてしまった。
「まあまあだったかな」
そう言いながら水の入った袋の中に居る金魚達を見つめる。これで俺が勝利するには、最低五匹の金魚をゲットしなければならない。
金魚すくいにおいて、素人が五匹をゲットするというのは相当に難しい。そういった意味では、杏子の四匹という数字は大健闘に値するだろう。
しかし、兄が妹に簡単に負けるわけにはいかない。それが例えゲームと言えどもだ。勉強方面では完全に負けてるし、せめて他の面では負けたくないと言うのが本音だ。俺にもプライドってもんがあるから。
「そんじゃ、いっちょやりますかね!」
気合を入れて水槽の中を覗き込む。
水中には大・中・小と様々な大きさと種類の金魚が縦横無尽に行き来していて、水底には小さなミドリガメがノロノロと泳いでいる。
俺はポイと椀をしっかりと握り、金魚をすくう体勢をとってからゆっくりとポイを水中へと沈めていく。杏子より多い五匹をゲットする為には、このファーストアプローチが非常に肝心だ。
金魚をより多くすくう為のポイント。それはいかにポイにかかる負担を少なく出来るかにかかっている。
よく金魚すくいでポイを半分だけ水面に浸けて狙う人を見かけるが、実はこれはNGなやり方なのだ。
見かけ的には濡らさない部分があるんだから良さそうに感じるけど、実はこのやり方だと、濡れている部分と濡れてない部分の境目に強度的な差が生じるので、逆にその境目から破れやすくなってしまう。
最初のポイントとしては、ポイを全部水中に浸け、水面下では平行に近い角度でゆっくりと移動させるのがコツだ。そして狙い目は、水面近くを泳ぐ金魚を狙うという事。
そこまでくれば後はすくうだけだが、もちろんすくい方にもコツがある。尾のある方からすくおうとすると破れやすくなるので、狙う時は頭の方から狙うのが良い。その時に尾が紙の部分に乗らないように出来ればなおOKだ。
などと、先日インターネットで仕入れた情報を元に、冷静に小さな金魚を追い詰めて行く。
「よしっ!」
上手い具合に水面へ上がって来た小さな金魚を、抜群のタイミングでゲットした。
両手を上げて喜びたい気持ちをグッと抑え、再びポイを静かに水中へと沈めていく。すると、小さな金魚の群れがスッと数匹水面へと上がって来た。
「うっ……」
狙いとしては絶好のチャンスなのだが、複数取りなどして大丈夫なのだろうかと、そんな不安が頭を過ぎる。しかし、目の前にあるチャンスをみすみす逃すのは勿体ない。
俺は意を決し、その群れの方へとポイを静かに移動させていく。無理そうな状況でも挑戦してみるってのは、男ならよくある事だ。
集まっていた金魚の群れが、ポイの接近に気付いたのか少しずつ散って行く。
それを見て少々焦りはしたが、ここで急いで失敗しては元も子もない。焦る気持ちを抑えつつ、更にゆっくりとポイを移動させる。
最終的に群れを成していた金魚達は四匹になっていたが、狙うには十分な数だ。
そして更にゆっくりと金魚達にポイを近付け、後はどのタイミングですくい上げるかを見極める。
――今だっ!
金魚達の頭が同一方向を向いた瞬間、俺は素早く金魚達の下に待機させていたポイを上げて金魚をすくい上げた。
「「「おお――――っ!」」」
周りで見ていた人達から大きな声が上がる。
片手に持っている椀の中には、最初にすくい上げた金魚を含めて四匹の金魚が入っていた。俺は三匹の金魚を同時にすくい上げる事に成功したのだ。
「お兄ちゃんすごーい!」
隣では対戦相手の杏子が両手を叩いて俺を賞賛してくれていた。
「ふ、ふふっ……まあ、俺にかかればこれくらいは朝飯前だな」
クールを気取ってそんな事を言ってはみるものの、金魚の三匹同時すくいが成功した事などはこれが初めて。内心では相当興奮状態なのを隠して格好をつけているわけだ。
「流石はお兄ちゃんだね! お兄ちゃんにかかったら、どんな獲物も一発だよね!」
「ま、まあな!」
「それじゃあお兄ちゃん、次はアレを取ってみて」
「んん!? あれってミドリガメだよな?」
「うん!」
「あれを取れと?」
「うんうん!」
にっこりと笑顔でそう言う杏子。
――嵌められた! コイツ、妙に俺を持ち上げてくると思ったら、こういう事だったのか……。
おそらく杏子の策略はこうだ。
俺が三匹同時すくいを成功させたこの時点で、勝負はドロー状態。杏子としては、ここから一匹でも俺に金魚をすくわれたらそこで負けが確定。もう一匹もすくわれる訳にはいかない。
そこで杏子は俺を持ち上げる事によって、無茶な獲物に挑戦させるようにしむけ、勝負を引き分けに持っていく手段を講じてきたのだろう。
「もちろん取れるよね? お兄ちゃん」
「ぐっ……」
さっきあんな調子に乗った発言をした手前、今更無理だとは言えないこの状態。
「わ、分かったよ。やってやるさ!」
「流石はお兄ちゃんだね」
もはや俺には挑戦する以外の選択肢は残っていなかった。
しかし見事に杏子の策略に嵌められたとは言え、俺がこのミドリガメをすくう事が出来れば勝利確定なわけだ。勝つ可能性はかなり薄くなるけど、ここでミドリガメをゲットして杏子を敗者にできればさぞ面白いだろう。
負けて悔しがる杏子を想像しつつ、水中深くへとポイを沈めていく。
ここからは俺にとってまったく未知の領域になる。インターネットではミドリガメのすくい方なんて見てなかったからな。
「お兄ちゃんはもちろん大物狙いだよね。あれだけ上手なんだもん」
とりあえず出来るだけ小さめなミドリガメを狙ってみようと思ったのだけど、それ察した杏子がすぐさま対策を打ってきた。
杏子の可愛らしい笑顔が、今の俺には小悪魔にしか見えない。
「も、もちろんじゃないか!」
俺は完全に追い詰められた状況だった。小さなミドリガメを追いかけていた手を止め、大物ミドリガメを追いかけて行く。
――こうなればもうヤケクソだ。ゴチャゴチャと考えていても仕方がないから、一気に目の前に居る大物をすくい上げてやろうじゃないか!
「いくぜっ!」
俺は勢い良くミドリガメの下にポイを滑り込ませ、勢い良く手を上げた――。
「まだ決まらないのか?」
「もうちょっと待ってよ。どっちがいいかなあ……」
金魚すくい対決の後、俺はなぜか杏子に綿飴を買わされていた。
白とピンクのうさうさイラストの袋を前に、本気で悩みまくる杏子。中身は同じなんだから、早く選んでくれないだろうか。もうかれこれ10分はこうやって悩んでいるわけだし。
先程の金魚すくい対決、俺は見事に大物ミドリガメをすくう事に成功した。正直奇跡だと思ったけど、すくい上げて椀へとミドリガメを入れた瞬間の喜びは格別だった。
ミドリガメをすくい上げて椀へと入れた時にはポイは破けたので、その時点で対決は終了、俺の大勝利と思って勝利宣言を出した瞬間、『金魚すくい対決なんだから、ミドリガメは数に入らないよ?』と、杏子はそんな事を言ってきた。
どうやらうちの妹様は、俺がミドリガメをすくえてもすくえなくてもドローになるように考えていたようだ。まったくもって天晴れな妹だと思う。
では、ドローなのになぜ俺が綿飴を奢らされているのかと言うと、杏子曰く、『私が不利な先攻でやったんだから、数が同じなら私が勝ちって事になるよね?』という、意味の分からん理論に持ち込まれ、そのまま済し崩し的に言いくるめられてしまったからだ。
「うーん……よしっ、こっちにする!」
ようやくどちらのうさうさイラストにするのかを決めたらしく、杏子はおじさんから綿飴の入った白いうさうさのイラストが描かれた袋を受け取る。
それを見た俺は、渋々ながらも財布から300円を取り出しておじさんへと手渡す。
「んー、甘くて美味しい」
杏子は既に袋から綿飴を取り出して食べ始めていた。本当に美味しそうに綿飴を食べているその姿を見ていると、まあこのくらいは良いかと思えてしまう。
「良かったな」
杏子の頭に手をやり、ぽんぽんとしながら笑顔を向ける。
「お兄ちゃんも一口いいよ」
「そっか、ありがとう」
差し出された綿飴をパクッと口に含むと、あっと言う間に口の中で溶けて口いっぱいにその甘さが広がっていく。
「甘いでしょ?」
「そうだな」
杏子は俺の言葉にウンウンと頷くと、綿飴を小さくを口に入れる。
そしてしばらくは色々な屋台を見て回りつつ、二人で楽しく祭りを過ごした。




