疑問×質問
買い物から自宅へと戻って来た俺は、さっそく夕食の準備を始めていた。一緒に買物へ行った美月さんは、私物を自宅へと置きに戻っている。
そして夕飯は美月さんのご要望により、我が家で一緒に作る事になった。
俺は台所のテーブルの上に置いてある食材が入った袋から、じゃがいも、にんじん、玉ねぎと基本的な材料を取り出してからカレーを作る為の準備を始める。
昔は母さんが包丁でじゃがいもの皮むきをしているのをよく見たけど、最近はピーラーという便利道具もあり、子供でも簡単に皮むきをお手伝いできるようになった。人類が使う道具の便利さは、日進月歩で変わっていて感心してしまう。
しかしどれだけ月日が流れても、傘だけはいつまでも変わらないから不思議なもんだ。
「お待たせしました。鍵、お返ししますね」
「ありがとう、早かったね」
美月さんに渡していた自宅の鍵を受け取り、ズボンのポケットにしまう。
彼女は昼間も着ていた仔猫のイラスト付きエプロンを身に纏っていて、既に料理を作る準備は万全と言った感じだった。
「はい。お財布や荷物を置いて来るだけでしたから」
そう言ってじゃがいもの皮を剥く俺の隣に並び、玉ねぎを手に取って準備を始める。その処理の仕方は実にスムーズで、とても手馴れた感じだ。
美月さんは計三個の玉ねぎの外側を綺麗に一枚剥くと、それを一個ずつ手元の流し台に並べ、近くに置いてあるまな板を用意してから刻む準備を始める。
なぜ我が家にある道具の位置を美月さんが知っているのかと言うと、たまに杏子と一緒に我が家で料理を作っているからだ。二人は俺から見ても本当に仲が良い。理由はよく分からないけど、何かお互いに通じるものがあるんだろう。
美月さんは用意したまな板の上に玉ねぎを乗せ、ツンとなった頂点から包丁を入れて半分に切り分け、その半分にした玉ねぎの断面をまな板につけてからリズム良く包丁を動かして薄切りにしていく。
「どうかしましたか?」
その包丁捌きを見ていて手が止まっていたからか、美月さんも包丁を動かす手を止めた。
「あっ、ごめんごめん。美月さんの包丁捌きが綺麗なんでつい見惚れちゃったんだよ」
「そうなんですか? ありがとうございます。沢山練習をした甲斐がありました」
美月さんがそう言うように、きっと相当の練習をしたんだと思う。
彼女は誰よりも才女で、誰よりも努力家だ。それは普段のこういうところにも現れている。俺には決して真似できない。
嬉しそうに微笑んだ美月さんは、お礼を言ってから再びリズム良く玉ねぎのスライスを始める。心なしかそのリズムが楽しげに聞こえるのは俺の気のせいだろうか。
「そういえばさ、本当にスパイシーカレーで大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「美月さんていつも中辛でしょ? かなりキツイと思うよ?」
「何事も体験です。それに龍之介さんも杏子ちゃんも辛いカレーが好きなんですよね?」
「まあね」
「だから私も食べてみたいんですよ」
美月さんはとことん未知に対しての探究心があるようで、それが彼女の成長を促す原動力になっているように思えた。
「分かった。それじゃあ頑張って一緒に作ろう」
「はい」
美月さんの意思を尊重し、俺はいつものスパイシーカレーを作り始めた。
はっきり言って、俺と杏子が作るカレーは相当に辛い。我が家特製のガラムマサラが入るからだ。だから美月さんがちゃんと食べられるかが非常に不安で仕方ない。
しかし本人がそれを食べる事を所望している以上、その意思を最大限に尊重しようとは思う。だけど念の為に保険はかけておくべきだろう。
俺は切り分けられた材料の一部を少しだけ取って袋に詰め込み、冷蔵庫へとしまった。
そして美月さんはガスコンロのある所で玉ねぎを炒め始め、俺はその隣でカレー用の牛肉が入ったトレーを持ち、それを取り出してから鍋に入れて炒め始める。
カレーというのは家庭によって様々なバリエーションがあり、入れる具材やその調理方法も千差万別と言えるだろう。だからこそ、どんなものが出来上がるか楽しみでもあるんだ。
こうして材料の準備と下ごしらえを終えた俺達は、いよいよカレー鍋で材料を煮詰め始める。
「――美月さん、ちょっと鍋を見てもらってていいかな?」
「分かりました」
煮込まれる具材が入ったカレー鍋の様子見を美月さんに任せ、俺は買って来ていたマグロの赤身ブロックを冷蔵庫から取り出し、それを魚用のまな板の上に乗せてから刺身包丁で丁寧に切り分けて刺身を作っていく。
「…………龍之介さん。家族って何でしょうね?」
「えっ?」
グツグツと音を立てるカレー鍋を見ながらお玉で灰汁取りをしていた美月さんが、唐突にそんな事を聞いてきた。
俺は突然の質問ですぐに答えを返す事ができず、間抜けな声を上げて美月さんの方を向いただけだった。
「家族って何でしょうか?」
そんな動揺を見せる俺の方を向き、美月さんが再び問いかけてくる。
「……急にどうしたの?」
いきなりそんな質問をされれば、そう聞き返したくなるのが普通だろう。それにそんな哲学にも繋がりそうな質問に簡単に答えられる程、俺は頭も良くない。
「……変な事を聞いてごめんなさい。ただ最近、ちょっとそんな事を疑問に思ってて聞いてみただけなんです」
美月さんは申し訳なさそうにそう言うと、再びカレー鍋に視線を戻した。
「…………正直その質問に答えるのは難しいけど、あえて言うなら『居てくれると嬉しい存在』ってとこかな。俺にとっては」
「居てくれると嬉しい?」
美月さんは俺の言葉に再びこちらを向いてから小首を傾げた。
「俺と杏子は元々他人だったけど、それでも今は家族として、兄妹として普通に暮らしてる。俺は杏子が大切な妹だし、母さんも父さんも大事な家族だし。まあ親は仕事でほとんど家には居ないけどさ。だからこそ、杏子が側に居るのが嬉しいんだ」
我ながら解りにくい説明をしたようにも思うけど、今の俺にはこうとしか答えようがない。
「……つまりは他人であっても家族になれるって事ですよね?」
「そうだね。でもまあ、よくよく考えるとさ、どんな家族の両親だって元々は赤の他人だったわけだしね」
「そうですよね……確かに龍之介さんの言うとおりだと思います。私、家族が居ないから分からなかったんです。家族って何なのかなって、ずっと疑問だったんですよ」
――そっか……美月さんは物心ついた時には既に天涯孤独の身だったんだ。もしかしたら今までずっと、家族というものに対して憧れを抱いていたのかもしれない。
そう考えると、美月さんが四人家族用のテーブルセットを購入したのも何となく納得できる気がした。
「結局さ、『自分が一番落ち着ける場所に居る人が家族』――みたいなもんじゃないのかな?」
「自分が一番落ち着ける場所……」
美月さんはそう言うと、ゆっくり瞳を閉じる。そして何かを納得したように頷き微笑むと、ゆっくりと目を開けて俺を見つめてきた。
「それじゃあ、私にとっては龍之介さんも杏子ちゃんも、茜さんやまひろさんも家族って事になりますね。それに、遠く離れている私の親友も」
その笑顔はとても慈愛に満ちていて、まるで全てを包み込むような優しさに溢れている。
「うん。そうだね」
「それじゃあ私と龍之介さんが家族だとすると、私は龍之介さんの妹って事になりますよね?」
「えっ? どっちかって言うと美月さんの方がお姉さんになるんじゃないの?」
普段はぽ~っとしている事も多い美月さんだけど、どう考えても妹ってイメージには繋がらない。
「それは嫌です」
美月さんはきっぱりとお姉さんポジションを拒否してきた。
――もしかして俺、手の掛かかる弟になりそうとか思われてるのかな……。
「どうして?」
「だって、お姉さんになったら龍之介さんに甘えられないじゃないですか」
――あー、そういう理由でしたか。ネガティブな理由じゃなくて安心したけど、それはそれで俺が大変そうだ。
「いや、俺の妹になっても甘えたりはできないよ?」
「そうなんですか? 杏子ちゃんから聞いた話とは違いますね」
「杏子に何を吹き込まれたかは分からないけど、俺はシスコンじゃないから妹に甘くはないよ?」
「そうなんですね。でも例えそうだったとしても、もし私が妹なら龍之介さんに沢山甘えると思います」
そんな事を平然と言われると、何だか照れくさくなってくる。
そしてもし美月さんが俺の妹だったら、俺は美月さんを全力で甘やかすかもしれないと、半ば本気でそう思ってしまった。
「そりゃあ大変そうだ」
俺の言葉に小さく笑う美月さん。
まあそんな想像の世界はさて置き、現実でもわりと杏子と一緒になって甘えてくる事があるのを考えると、美月さんが妹ポジションてのもアリかもしれないと思えてくる。
「あっ、そろそろ煮えたみたいですよ。龍之介さん」
「おっ、どれどれ」
「……ありがとう、龍之介さん」
鍋の様子を見る為に近寄った俺の耳元でそっと囁く美月さん。
そしてその言葉を言い終えると、美月さんはサッとその場から離れて食器棚からお皿を取り出し、そのままリビングへと向かった。
「どういたしまして」
カレー鍋にスパイスとルーを加えながら、誰も居ない台所でそう呟く。
その後、出来上がったスパイシーカレーを二人で食べたのだけど、美月さんは意外にも辛い食べ物がいける口らしく、俺でも辛いと思うカレーを案外平気そうに食べていた。
どうやら保険として取っておいた材料は無駄になったようだが、それは杏子が帰って来た時にシチューでも作る材料にしよう。




