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俺はラブコメがしたいッ!  作者: 珍王まじろ
二年生編・一学期前半~next☆stage~
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甘酸っぱい×思い出

 雪村さんと合流してから電車に揺られる事約三十分。

 俺達は海世界という水族館へ到着した。やって来た水族館は日曜日という事もあってか、沢山の人達がチケット売り場に長蛇の列をつくっている。

 そして俺達はその列の最後尾に並び、列が前へと進んで行くのを待っている状態だ。そんな列の横にひょこっと顔を出して並んでいる人達を見ると、家族連れや恋人と思われる組み合わせがやはり多い様に見える。


「楽しみだね」


 隣に居る今日一日限定の恋人である雪村さんが、まるで無邪気な子供の様にして微笑んでいる。よほど水族館に行くのが楽しみだったんだろう。

 人が嬉しそうしている様を見ているのは、何となく自分も嬉しくなる。ただし、リア充を見る時だけは話が別だ。

 そんな事を思いつつ、俺は雪村さんの言葉に『本当に楽しみだよね』と返す。

 実際に俺も今日の水族館は楽しみだった。意外に思うかもしれないけど、俺は水族館とか美術館とか、そういった場所が結構好きだ。中でも水族館は特に好きで、水槽の中の生き物達を見ているだけで心洗われる気分になる。


 ――そういえば、最後に水族館に行ったのは杏子が小学校六年生の時だったっけ。


 俺としては年間パスでも買って頻繁に行ってもいいくらいなんだけど、現実はそうもいかない。なぜかと言うと、それは俺が独り身だからだ。

 一人で来て周りでいちゃつくカップルなんかを見てたら、心洗われるどころじゃないから。癒されに来てストレスを溜めて帰る羽目になるとか、嫌過ぎるにも程がある。

 そんな事を思いつつ、雪村さんと好きな海の生き物の話をしながら順番を待つ。

 並んでいた列はかなりの長蛇に感じていたけど、思っていたよりも早く前へと進んで行った。そしてチケット売り場の先頭に来た俺は、入場チケットを購入してから予行演習どおりスマートにチケットの一枚を雪村さんに手渡した。


「ありがとう、龍之介君。これ、チケット代ね」

「いいよ。今日は俺が出しとくから」

「えっ!? そんなの駄目だよ」


 雪村さんは申し訳なさそうに俺を見てくる。

 まあ、雪村さんの性格上、こういった展開になるのは予想できていた。だが、今こそこの日の為にしてきた脳内デートシミュレーションが役に立つはずだ。


「今日は俺に任せておいてよ。せっかくのデートなんだから。ねっ? よ、陽子……」


 様々なシミュレーションをしてきたはいいが、やはり名前を呼ぶのは緊張してしまう。


「あっ……う、うん。ありがとう……」


 名前を呼ばれたのが恥ずかしかったのか、雪村さんの顔は一瞬にして朱色に染まり、そのまま顔を俯かせてしまった。


 ――やっぱり可愛いな。雪村さん。


 もともと雪村さんは可愛らしい人だけど、こうして恥じらう仕草は普段とのギャップを感じさせて余計に可愛く見える。可愛さ三割り増しと言ったところだろうか。是非とも世の中の恥じらいを忘れた老若男女の参考にしてほしい。

 それからチケットを持って中へと入り、入場口で貰ったパンフレットを二人で見ながらどこから見て回るかを話す。すると幸いにも二人が最初に見に行きたい場所が一致し、そこへ向かって並んで歩き始めた。


「わあー、深海ってこういう雰囲気なんだね。凄いなあ」

「結構不気味な感じだけど、実際の海の中もこんな感じなのかな?」


 俺達は手始めに深海魚コーナーへと訪れていた。

 道路の片側車線くらいの大きさの通路。その両側の壁には大小様々な水槽が埋め込まれていて、その中には普段の生活では絶対にお目にかかれない深海の生き物達が数多くうごめいている。

 そんな通路は仄暗く演出されていて、明るいと感じる様な光源は一切ない。あるのは天井で青紫色の暗い光を放つ複数の蛍光管ライトくらいだ。

 一つ不思議なのは、星型などの様々な模様が壁で緑色の蛍光色に光っていたり、模様が浮き上がって見えている事だ。


「昔から疑問だったけど、あの壁で光ってる模様とかってどういう原理で光ってるのかな?」

「あれはね、あの天井にあるブラックライトでそうなってるの」


 雪村さんはそう言って天井で青紫色の光を放つ蛍光管を指差す。


 ――なるほど。あれを使ってこの深海フロアを幻想的に表現してるって事か。


 そう思ってこのフロアを見てみると、まるで星の海にそのまま深海が浮かんで来た様な感じにも見える。そう考えると確かに幻想的だ。


「よく知ってるね」

「うん。実は前に演劇の演出で使った事があって、それで知ってただけなんだけどね」


 えへへっと照れ笑いをしながら再び水槽に目をやる雪村さん。

 まだ仮想デートは始まったばかりだけど、これが仮想デートだという事を忘れてしまいそうになるくらいに楽しい。

 そのままゆっくりと二人で歩を進めて深海魚コーナーを抜けると、一際大きい水槽が設置された場所へと出た。フロアの照明は最低限足元が見える程度の明るさを保持していて、フロア中央にある巨大水槽から放たれている光が眩しい程の明るさを放っている。

 俺達が抜けて来たのはちょうどその巨大水槽のあるフロアの二階部分で、その通路から一階部分を覗き見ると沢山の人達がその水槽の中央付近に集まっていた。どうやら何かのイベントをやっているらしい。


「何かやってるみたいだね。行ってみる?」

「そうだね。行ってみよっか」


 二人で一階へと続く通路を歩き、沢山の人達が集まっている方へと向かう。

 そして着いた先では巨大なパノラマ水槽を背景にし、水族館の若いお姉さんスタッフが家族連れを写真に撮っていた。

 そのお姉さんはデジカメで写真を撮っているのかと思いきや、今は珍しいポラロイドカメラで撮影をしていて、どうやら来館した記念にその写真をお客さんにプレゼントしている様だった。

 そんな次々に家族連れやカップルが写真を撮ってもらうのを見る内に、俺はふと思った事があった。俺も雪村さんと恋人みたいに手を繋いだ方がいいのだろうかと。

 周りを見渡せばカップルと思われる人達はみんな手を繋いでいる。仮にも恋人役としてここに来ている以上、俺達にもそういったリアリティが必要なのではないだろうか。

 そう思った俺は、左隣に居る雪村さんの右手に向けてそっと左手を伸ばしていく。雪村さんは写真を撮ってもらっている人達の方を見ていて、俺の行動には気付いていない。

 俺はチャンスとばかりに手の距離を詰めていったが、後もう数センチで雪村さんの手に触れるところまで来てその手をサッと引っ込めた。


 ――ダメだ。やっぱり俺にはできない。


 いくらリアリティが必要だとは思っても、これは仮想デート。どんなに都合良く解釈をしても、俺と雪村さんはただの友達。それは絶対に変わらない事実だ。それに突然手を繋いで引かれたりしたら目も当てられない。

 我ながら素晴らしい自制心を持っているなと自分を褒め称えつつ、俺は再び正面のお姉さんが居る方へと視線を向けた。


「さーて! 次はどのお客さんを撮っちゃおっかなー?」


 カメラを片手にマイクを握ったお姉さんの、凄まじく明るい元気な声が水槽前の小型スピーカーから聞こえてくる。

 そんなお姉さんはまるで周りに居るお客さんを品定めでもするかの様に見渡すと、突然こちらを見てニヤリと微笑んだ。


「よーしっ! 次はそこの君達だっ!」

「えっ!?」


 お姉さんが指差したのは俺達の居る方向。まさかと思いつつ自分を指差すと、お姉さんはにこやかにウンウンと力強く頷いた。

 それに対して前へ出るのを二人で躊躇していると、スタッフのお姉さんは『早く早く!』と言いながら俺達に前へ出て来るように急かす。そんな有無を言わせないテンションを前に、俺と雪村さんは観念してお姉さんのもとへと向かった。

 周りにはこちらを見ているギャラリーが沢山居て、その視線に見つめられているせいか俺はガチガチに緊張して直立不動の体勢になっていた。我ながら格好悪いと思いつつ隣に居る雪村さんの方をチラリと見ると、彼女も俺に負けないぐらいの直立不動の体勢をしていた。


「うーん、二人揃って表情も身体も固いよ? せっかくなんだから手でも繋いでくれないと!」


 困った子達だなー、みたいな表情でそう言うお姉さん。そのマイクパフォーマンスに周りの観客はドッと沸く。


 ――て、手を繋ぐって、こんな大勢の前でか?


 お姉さんは気軽に言ってくれるけど、これは結構ハードルが高い。だって俺達は今日だけの限定仮想カップルで、周りに居る本物のカップルとは違うんだから。

 俺が困って雪村さんの方を見ると、ちょうど雪村さんもこちらを向いたのでお互いの視線が合った。すると雪村さんは恥ずかしそうに視線を逸らして俯く。

 そんな俯く雪村さんの耳が、ほんのりと朱色に染まっている。そして俯いた雪村さんを横目で見ていると、小さくだが声が聞こえてきた。


「……いいよ」


 小さくそう聞こえたかと思うと、雪村さんがちょこんと右手をこちらへ差し出してきたのが見えた。よく見るとその右手が小さく震えている。おそらく緊張からそうなっているんだろう。

 それを見た俺はサッとその手を握った。雪村さんがここまでしてるんだから、ここで躊躇したら男が廃る。

 思い切って握ったその手からはほんのりとした温かみが伝わり始め、このまま緊張で強く握ってしまうと潰れてしまうのではないだろうかと思う程に柔らかい。そのえも言われぬ柔らかい感触だけで、俺の思考回路はショートしてしまいそうだった。


「あらら、二人して真っ赤になっちゃって。初々しいなー! お姉さん嫉妬しちゃいそう」


 そんな事を言いながらマイクを胸ポケットに入れてカメラを向けてくるお姉さん。


「よーし、それじゃあ撮るよー? 皆さんもご一緒にー!」

「「「「ハイ、チーズ!」」」」


 その掛け声と共に周りに居る沢山のギャラリー達が声を上げ、それと同時にカメラのフラッシュが眩しくこちらを照らす。


「はーい! いい写真が撮れたよー!」


 悪戯を終えた子供の様な笑顔で俺達に近寄って来るお姉さん。

 そのお姉さんは『この写真は可愛らしい彼女に進呈しよう!』と言いながら、ニヤニヤとした顔で雪村さんに写真を手渡す。

 それから満足げな表情のお姉さんが次の獲物――いや、次の被写体になるお客さんを選ぶ中、俺達は逃げる様にその場をそそくさと抜け出した。


「はあーっ、緊張した~」

「ホントだね。舞台の本番よりも緊張しちゃった」


 抜け出して行った先でお互いに顔を見合わせて笑いあう。その時に俺は未だに雪村さんと手を繋いだままだという事を思い出した。


「あっ、ごめん!」

「ダメっ!」


 慌てて離そうとしたした手を逆に強く握られてしまい、俺は少し動揺した。


「あの……もう少しだけ、このままでいてほしいの……」


 雪村さんは耳を朱色に染めながら上目遣いでそうお願いしてくる。


「う、うん。分かったよ」


 離しかけた手を優しく握り返す。その時に小さく『ありがとう』という言葉が聞こえたけど、俺は緊張のあまりその言葉に反応する事ができなかった。

 その後は色々なイベントを見て回り、俺達は水族館での仮想恋人デートを思う存分に楽しんでいた。途中で見ていたイルカショーで思いっきり水をかけられたりしたけど、それはそれで楽しい思い出だ。

 ちなみにそのイルカショーで水をかけられた雪村さんの服が少し透けていた姿は、俺の脳内ハードディスクに自動保存されている。ちなみにこれはあくまでも自動保存だから、俺の意思とは無関係なんだという事を強調しておきたい。

 こんな感じで何だかんだと仮想デートを楽しむ中で、俺達は自然と手を繋ぐ事もできる様になっていた。

 そしてそんな楽しい時間というのはあっと言う間に過ぎ去るもので、俺達が水族館を出る頃には夕焼けが街を赤く染め上げ、外には満足そうな表情で家へ帰ろうとする人達が沢山居た。


「今日は楽しかった。ありがとう、龍之介君」


 雪村さんは繋いでいた手を離して目の前に立ち、丁寧にお礼を言う。本当に礼儀正しい人だ。


「いやいや、俺も凄く楽しかったよ。ありがとう、雪村さん」

「あっ、ダメだよ? 龍之介君。帰るまでがデートなんだから、ちゃんとしてくれないと」


 ちょこんと口を尖らせてそんな事を言う雪村さんが非常に可愛い。

 しかし、言わんとしている事は分かるんだけど、やっぱりこれだけは未だに恥ずかしい。


「そ、そうだね。それじゃあ帰ろうか。よ、陽子……」

「う、うん……」


 雪村さんも名前を呼ばれる事にはついに慣れなかったらしく、やはり予想どおりに顔を紅くした。そんなに恥ずかしいなら名前呼びを要求しない方がいいんじゃないかと何度も思ったけど、照れている顔が可愛いのでこの際それは良しとしよう。

 俺は仮想恋人の役割をしっかりと果たす為、再び雪村さんと手を繋いで駅へと歩いて行く。


「今日は龍之介君のおかげで本当に良い思い出――ううん、いい勉強になった。ありがとね」

「そっか。お役に立てたなら良かったよ」


 雪村さんはウンウンと頷きながら持っている小さな可愛らしいポシェットに手を伸ばし、そこから今日撮ってもらった写真を取り出す。そして取り出した写真を見ながら、少し表情をニヤニヤさせ始めた。


「そういえばその写真、俺は見てないんだけど見せてくれない?」

「えっ!?」


 その言葉に慌てた雪村さんは、急いでその写真をポシェットの外ポケットに差し込む。


「な、何で仕舞い込むの? 見せてほしいんだけど?」

「こ、これは駄目。絶対に見せられない……」


 真っ赤な顔でそう言い放つ雪村さん。だが、そう言われると見たくなるのが人の性というものだろう。


「ちょっとでいいから見せてよ」

「だ、駄目! 絶対に駄目っ!」


 繋いでいた手をパッと離し、ポシェットを両手で大事そうに抱えて逃げる様に走って行く雪村さん。


「ちょ、待ってよ! 雪村さん!」


 そう言って追いかけようとすると、走っていた雪村さんがピタッと足を止めてこちらを振り向き叫んだ。


「雪村さんて呼んじゃ駄目っ!」


 一言そう言ったかと思うと、雪村さんは再び踵を返して駅の方へと走り始めた。しかも物凄いダッシュで。


「ま、待ってよっ!」


 その時に見た雪村さんの顔が赤かったのは、恥ずかしかったからなのか、それとも夕陽のせいだったのかは分からないけど、とりあえず無事に雪村さんの力になれたのは良かったと思う。

 こうして逃げる雪村さんを追いかけながら、俺の貴重な一日リア充体験は幕を閉じた。

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