恋愛×講座
真夜中の桜舞い散る木の下。トイレから戻って来た茜はそのまま黙り込んでしまい気まずい雰囲気が続いていた。戻って来てからいくつかご機嫌取りを試してみたけど、それもまったく効果が無い。
それにしてもこの気まずい雰囲気にはいつまでも耐えられい。気の進まない方法になるけど、ここは茜のご機嫌回復の為に頑張ってみるとしよう。さてここからは鳴沢龍之介による恋愛講座の始まりだ。
「なあ茜、何を怒ってるんだよ」
「別に怒ってないもん」
こういう時の女子が言う怒ってないって言葉は基本的に信用してはいけない。なぜなら高確率で怒っているか拗ねているからだ。
俺も若い時には何度この言葉に騙されたか……まあそれはいい、もう昔の事だから。今はこの状態の茜をいかに早く元に戻すかが重要なのだから。
まずご機嫌取りでタブーなのは、この状態に陥った子に『怒ってるじゃないか』などと言ってはいけないという事。これは頑なになっている相手に対して火に油を注ぐ行為だからだ。
そして次のタブーは沈黙してはいけないという事。まあこれは相手のタイプにもよるんだけど、茜みたいに構ってもらえないとヘソを曲げるタイプの女子には必須。
兎にも角にも自分は気にかけられているんだという事を示さなければならない。
「それにしてもまだかなり寒いよな。茜、何か温かい飲み物でも飲まないか? もちろん俺が奢るからさ」
「……温かいココアが飲みたい」
「ココアだな? 分かった。ちょっと買って来るから待ってろ」
「うん……早く戻って来てよね」
「おう!」
俺は急いで丘の下の公園にある自動販売機へと向かう。
相手がこちらの提案に対して何かしらの反応を示してきたらミッション達成は目前だ。後はいかに素早く要求に応えるかが勝負の分かれ目。
ちなみにこういった時に実現不可能な要求をかましてくる女子には要注意。俺の経験上そんな要求をしてくる女子にろくな子はいなかったからだ。
息切れする程の猛ダッシュで丘の下まで駆け下りた俺は、自動販売機の前まで行くと息切れを整える間も惜しんでズボンの後ろポケットに手を入れ、財布を取り出し中から500円玉を取って投入口へと入れる。
そして自動販売機のランプがまだ点灯していないにも関わらず、俺はココアのボタンを連打した。
「よしっ!」
ガコンと音を立てて出てきたココア缶を素早く取り出し、茜が待つ丘の上へと再び走り始める。
「買って来たぞっ!」
俺は買ってきたばかりの温かなココア缶を茜の前にサッと差し出した。
「お、遅かったね」
「そうか? ごめんな」
息切れを整えながら茜に謝る。
時間にしたら往復5分もかかってないと思うけど、女子はこういった事をポロッと言ったりもする。決して悪気があるわけではないんだろうけどな。
だから間違っても『急いで買って来たんだよ』みたいな事を言って怒ってはいけない。ここはひたすら冷静に対処だ。
「あっ、ううん……私こそごめんなさい。ココアありがとう、龍ちゃん」
「おう」
これで相手が自分から謝ってきたらもうほとんど大丈夫。ミッションコンプリートだ。おめでとう、俺。
以上、鳴沢龍之介による恋愛講座でした。
まあ恋愛講座とは言っても、ほとんどは俺が見てきたラブコメ作品の受け売りだけどな。
だけど実際にこうやって効果があるんだから馬鹿にはできない。流石は俺のバイブル達だ。
「そういえば茜、家に帰らなくて大丈夫なのか?」
「こんな夜中に女の子一人で帰らせるつもりなの?」
「まあ確かに女の子一人を歩かせるのは危ないよな」
「どうせ龍ちゃんの事だから、『茜なら大丈夫だろ』とか言うんでしょ」
「馬鹿な事言ってんじゃないよ。茜だって女の子なんだから危ないに決まってんだろうが」
「えっ!?」
茜がとてつもなく意外そうな表情で俺を見つめてくる。
――何だその表情は? コイツは俺が鬼畜外道とでも思っていたのか?
「茜、その意外って感じの顔は何だ?」
「えっ!? い、いや、龍ちゃんがそんな風に言ってくれるなんて思ってなかったから」
茜は何だか嬉しそうにそう言う。
そりゃあ普段はボクサー顔負けのパンチを放ってくる凶暴なところもあるけど、それでも茜が女子なのは間違い無いんだ。それを実際危険かもしれないのに、平然と大丈夫だろうなどと言える程俺は人として終わってはいない。
「茜には俺がどんな風に見えてんだよ」
「んー、いつまでもやんちゃな男の子かな?」
「どんだけ俺がガキに見えてんだ……」
俺はふうっと大きく溜息を吐く。
少なくともさっきまで子供の様にいじけていた茜に言われたくはない。
「むっ!? 今失礼な事を考えてたな!」
「か、考えてねえよ!」
――くそっ、いつもながら勘が鋭い奴だぜ。
「まったくもう……でも龍ちゃんは誰よりも優しいよね」
風がそよそよと流れ、茜の長い髪を柔らかに撫でていく。その様子を見た俺は、自分の胸がドキドキと高鳴っている事に気付いた。
――まあ茜って普通に見れば結構可愛い方だもんな……。
などと自分がドキドキしている事を納得させる為の理由を作るのに内心必死だった。
「か、からかうなよ」
「あっ、もしかして照れてる? かっわい~」
俺の鼻先を人差し指でツンツンしてくる茜。
コイツ、完全におちょくってやがるな。ちょっと隙を見せたらすぐにこれだ。
「あははっ――へくちっ」
普段の豪快なイメージとは違う可愛らしいくしゃみをする茜。
「寒いんじゃないのか?」
「大丈夫だよ。心配しないで」
大丈夫だとは言うものの、その身体は小刻みに震えている。
「こんな時にまで変な我慢をするんじゃないよ。とりあえずこれ着とけ」
俺は自分が着ていた厚手の上着を脱いで茜の背中にそっと被せた。
「い、いいよ。これじゃあ龍ちゃんが風邪ひいちゃうし」
「これでいいんだよ。茜に風邪をひかれるほうが嫌なんでな。それに俺は風邪をひかないから大丈夫だ。茜が思ってる程柔じゃないしな」
本当は少し寒かったけど、我慢できなくはない。それにせっかく俺達の為に来てくれたわけだし、風邪をひかせてしまったら申し訳ない。
「あっ、眠くなったらそこの寝袋使っていいからな?」
「ありがとうね、龍ちゃん。やっぱり龍ちゃんは優しいね」
「その話はもういいよ。お腹いっぱいだ」
「本当に照れ屋さんだなー、龍ちゃんは」
こちらを見ながら茜がくすくすと笑う。
そしてしばらく何気ない雑談をした後、茜は寝袋に入って寝てしまった。
「気持ち良さそうに寝てるな……」
傍らで小さな寝息を立てて眠る茜の顔をチラリと見る。ホント、こうやって大人しくしてる分には可愛いんだがな。
ふと携帯の時刻を見ると、既に午前3時を回っていた。
「さてと、俺も少し寝ておくか」
俺は念の為に持って来ていた厚手のタオルケットを茜にかけて寝袋に入る。
「う……ん……ありが……とう……りゅう……ちゃん」
その言葉に一瞬起きたのかと思って横を見たが、茜はさっきと変わらず小さな寝息を立てている。どうやら寝言だったらしいが、寝てまで律儀に礼を言うなんて実に茜らしいと思う。
俺はクスッと笑いながら仰向けになって空を見る。
「花見開始まであと7時間か」
仰向けで見つめる先には満開の桜。そしてその更に上にはキラキラと瞬く星々が木々の隙間から見える。
俺は自然のプラネタリウムと桜の光景を見ながら一時の眠りへと落ちて行った。




