練習×風景
今年の夏休みの俺は、小学生並に起きるのが早い。
それは花嵐恋学園女子バスケ部のマネージャーとなったからというのもあるけど、俺が早起きをしなければいけない決定的な原因は幼馴染の茜のせいだ。
「龍ちゃん! 次はバウンドパスをお願い!」
「はいよっ!」
早朝の体育館。俺はその中で茜の朝練を手伝っていた。
いつもはこの中に沢山の生徒が居るわけだが、今は俺と茜の二人しか居ない。
茜がバスケットボールをドリブルする度に、ダムダムと大きな音が体育館内に響き渡る。そのリズムはまるでメトロノームの様に一定していて、聞いている俺の耳には心地良く聞こえる。
しかし茜は突然そのリズムを変え、更に腰を低く落としてから素早いドリブルを行い始めた。
今の茜の前には、俺の目には見えない相手が居る。茜はその相手と対峙する事により、更なる高みへと上ろうとしているのだ。
右へ左へとボールを保持する手を変えながら、茜は俺には見えない相手を抜き去ろうとしている。そして保持しているボールのリズムが変わった瞬間、茜は低いドリブルで鋭いドライブを決めて仮想の相手を抜き去り、見事にレイアップシュートを決めた。
「ナイスだ茜!」
「うん! ありがとう!」
夏休みが始まってからも茜はこうして朝練に励んでいるわけだが、今日も気合は十分な様子だ。まあ、去年は惜しいところで逃したインターハイ出場を今年は見事に勝ち取ったわけだから、気合が乗るのも分かる。
「茜! 気合いが入ってるのは分かるけど、あんまり飛ばしすぎるなよ? まだ部活の練習があるんだからさ!」
「分かってるって。本当に龍ちゃんは心配性だなあ」
ダムダムとドリブルをしながら笑顔でそんな事を言う茜だが、茜は昔っから猪突猛進なところがあるから、見ているこちらとしては不安でしょうがない。
それに今はインターハイを間近に控えた大事な時期だから、あまり無茶をしてほしくはない。茜達が全国で優勝するのを俺も楽しみにしているんだから。
女子バスケ部の練習が始まるのは午前十時からで、今がちょうど八時だから、開始まではまだ二時間ほどの余裕がある。
だが、その二時間をまるまると茜の自主練にあてる訳にはいかない。どこかちょうど良いところで切り上げさせて、みんなとの練習に備えさせておかなければいけないのだ。
ちなみにこれは、女子バスケ部のキャプテンである新井さんから頼まれた事だ。新井さん曰く、『茜は一人で放っておくといつまでも練習し続けるから、鳴沢君が上手くコントロールしてあげて』と言われている。
まあ、さすがにインターハイを間近にしてオーバーペースでバテたら笑い話にもならないし、そうなれば部の全員に迷惑をかける事になる。だから、俺に課せられた使命はわりと重要なのだ。
「――よしっ! 茜、今日の朝練はこれくらいにしておこう」
「えっ? 私ならまだまだ大丈夫だけど?」
「前にも言っただろ? 練習は必要だけど、バスケはチームプレイだ。一人で躍起になって練習してるだけじゃ駄目なんだよ。だから、みんなとの練習までに体力を回復させとけ」
「何だか龍ちゃん、バスケ部のマネージャーじゃなくてコーチみたいだね」
「そんなつもりは毛頭ないが、お前の事に関してはコーチでもいいくらいだ。こうして練習にも付き合ってるわけだし」
「あははっ。それじゃあ、龍之介コーチの言葉には従わないとだね」
「そういう事だ」
「「はははっ」」
お互いに顔を見合わせて笑い合う。
よくよく考えてみれば、茜とこうして長い時間を一緒に過ごすのは久しぶりだ。こんな風に二人で一緒に何かをしているのは、とても幼い時だった気がする。
懐かしく感じる昔の事を少し思い出しながら、俺は部活が始まるまでの間を茜とお喋りをしながら過ごした。
「――おはよう、鳴沢君。今日の朝練もお疲れ様」
「あっ、新井さん。おはよう。まあ、朝練もこれで四日目だし、ぼちぼち慣れてきてる感じだよ」
「そっかそっか。まあ、インターハイまであと二週間くらいだから、その間は茜の事をお願いね?」
「そうピンポイントで頼まれると、俺って女子バスケ部のマネージャーと言うより、茜のマネージャーって感じじゃない?」
「あははっ。確かにそうかもだけど、鳴沢君はしっかりと女子バスケ部のマネージャーをしてくれてるよ? それに、茜は我がバスケ部の要とも言える得点源だから、できるだけインターハイまでに気持ちも調子も上げててほしいんだ。だから、鳴沢君が茜専属のマネージャーって事でも私は全然構わないんだよね」
「新井さんはそれでいいかもだけど、他のみんなはそうはいかないでしょ?」
「それがそうでもないんだなあ。みんな茜の気持ちは知ってるし」
「はっ? 茜の気持ち?」
「あっ、今のは無しね。それじゃあ、今日もよろしくね、マネージャー」
新井さんは意味深な言葉と謎だけを残し、体育館にある女子更衣室へと入って行った。
「――もっと腕を上げてっ!!」
午前十時を迎え、女子バスケ部の練習が始まった。
そして女子バスケ部のコーチがトレーニングを始めた部員に対し、早速檄を飛ばす。
基本的に部活が始まって最初の一時間は基礎体力トレーニングになるんだけど、これがかなりきつい。なにせ見ているだけの俺でも、思わず息切れをしている部員を見て汗が滲んでくるくらいだから。
しかし俺もマネージャーとして、のんびりとその光景を見ているわけにはいかない。なにせ女子バスケ部は一時間毎に十五分の休憩を挟むから、みんなの分の飲み物やタオル、ちょっとした栄養補給であるスライスレモンの蜂蜜漬けなどを、丁度いい感じで用意しなければいけないからだ。
「――そろそろ準備を始めるか」
基礎体力トレーニングが始まってから四十分。
俺は体育館にある大きなデジタル時計を見てから準備を開始した。
まず用意するのは、スポーツドリンクとお茶と水だ。これはそれぞれに好みの違いがあるからだが、こんなに早く保冷庫から出すのにはもちろん理由がある。それは、冷え過ぎた飲み物を飲ませない為だ。
練習をしている部員にとってはキンキンに冷えた飲み物を飲みたいところだろうけど、あまり冷えた飲み物は身体に良くないし、温まっている身体を急激に冷やすのもよくない。だから女子バスケ部では、それなりに冷たさがあるくらいの飲み物を提供しなければいけない。
しかもそれは外気温によってもかなり左右されるので、保冷庫から取り出すタイミングがなかなかに難しい。いくら冷たいのが駄目とは言え、適度な冷たさは保っておかなければいけないからだ。
「よーしっ! 十五分間休憩!」
コーチの声と共に部員が一斉にコート外へと向かう。
それを見た俺は、素早くみんなに飲み物とタオルを配って行く。
「はい。坂田さんはスポーツドリンクね」
「ありがとう」
「桑原さんはお茶ね」
「ありがとう」
俺はそれぞれの好みに合わせて用意したドリンクを素早く配り歩く。
「新井さんはスポーツドリンクね」
「ありがとう。それにしても、もうみんなの好みを覚えたの?」
「まあ、ここのマネージャーがご丁寧にマネージャーノートを渡してくれてたからね。人数が多いから名前と顔と好みを一致させるのは大変だったけど、テスト勉強に比べたら楽なもんだよ」
「なるほど。鳴沢君は優秀なマネージャーになりそうだね。どお? インターハイが終わってもマネージャーを続けない?」
「それは遠慮しておくよ。俺は怠惰な日常が好きなんだ」
「あははっ。それは残念。でも、ありがとね。マネージャーを引き受けてくれて」
「いや、引き受けたと言うか、単純に俺がマヌケだっただけと言うか……」
「ふふっ、理由は何でもいいよ。この調子なら万全の状態でインターハイを迎えられそうだから」
「そっか。それなら良かったよ」
「龍ちゃーん! 私だけまだ飲み物が届いてないんですけどー?」
「いけねっ!?」
俺は慌てて飲み物を用意し、茜の所まで持って行った。
「ちょっと龍ちゃん! 私のだけ忘れてるってどういう事?」
「わ、悪かったよ。はい、これ」
「龍ちゃん……私がいつも飲んでるのは、お茶じゃなくてスポーツドリンクなんですけど?」
「あれっ? 茜はお茶じゃなかったっけ?」
「私はいつもスポーツドリンクなんです! どうしてみんなのはちゃんと覚えてるのに、私のだけ間違うかなあ?」
「わ、わりいわりい。すぐに用意するからさ」
「あははっ。この様子じゃあ、鳴沢君のマネージャー業もまだまだって事なのかな?」
「「「「「あははははははっ」」」」」
キャプテンの新井さんの言葉に部員から大きな笑い声が上がる。
俺としてはとんだ晒し者になって恥ずかしいが、これが女子部員達の厳しい練習の中における一服の清涼剤となったならそれでいいだろう。
こうして少しの休憩を終えた後、部員達はまた厳しい練習へと戻った。
そしてこれからしばらくの間、女子部員達の練習は順調に進んだ。




