ハッピー×サプライズ
まだ陽が沈むには早い夏の17時頃。夕食の買出しに向かう最中で唐突に憂さんから連絡を受け、『最寄り駅の時計搭の所で待っててほしい』――と言われ、そのまま電話が切れてしまった。なにやら慌てていたようだったので電話をかけなおすことはしなかったけど、いったいどうしたんだろうか。
本当なら夕食の買出しに行きたいのだけど、憂さんにしては珍しく慌てていた様子が気になって仕方なかったので、とりあえず買い物は後回しにして言われていた時計搭へとやって来たわけだけど……その周辺に呼び出した憂さんの姿は見当たらない。
「まだ来てないのかな……」
きょろきょろと辺りを見回してみるが、やはりどこにも憂さんの姿はない。
言われた場所を聞き間違えたのだろうかと思いながらも、時計搭の周辺をぐるりと回りながら憂さんを捜す。
「りゅ・う・の・す・け・くーん!」
「のわっ!?」
時計塔を一周して戻り、更にもう一周回ってみようかと思ったその瞬間、唐突に背後から声がかけられて両肩がビクッと跳ねた。
「ゆ、憂さん!? もう……驚かさないで下さいよ」
「ごめんね。まさかそんなに驚くとは思わなかったよ」
悪戯が成功して嬉しそうにしている子供の様な笑顔で謝る憂さん。本当に反省しているのか疑わしいものだけど、その笑顔を見ると、なぜか仕方ないな――という気分になるから不思議だ。
それにしても、憂さんは左手に赤い薔薇が包まれた小さな花束を持ち、右手には小さな箱を持っている。花の鮮度を見る限りでは買い物をして間もないようだけど、その姿が今の俺にはとても奇異に映った。
なぜならあれだけ慌てた様子で呼び出したのに、俺に会う前に花などを購入しているというのが気にかかったからだ。
「まあいいですけど。ところで、なにかあったんですか? こんな所に呼び出すなんて」
「ああ、そうそう、わざわざ来てもらってごめんね。それでね、これからちょっと私につき合ってほしいんだけど、時間は大丈夫かな?」
「憂さんにですか? んー、どれくらいの時間かによりますけど」
「そうだなあ……まあ1時間くらいは居てほしいかな」
「居てほしい?」
「ああいや、こっちの話だよ。で、どう? 大丈夫かな?」
「まあそれくらいならいいですけど」
「やった! ありがとね! じゃあ早速行こう!」
「えっ? あっ、ちょ、ちょっとまっ――」
俺からの返答を聞いて、すぐさまどこかへと足を進め始める。いつもの憂さんらしいマイペースさには、時折困ってしまうことがある。
スタスタと早足で歩く憂さんに追いつき、歩調を合わせる。憂さんはのんびりと歩く人ではないけど、今のように急いで歩く人でもない。だから尚更憂さんの行動が怪しく思えてくるわけだ。
「――ねえ、憂さん。いったいどこに行く気なんです?」
「ああ、そういえばまだ言ってなかったね。じゃあ、はいっ」
「へっ?」
放った質問に対してその答えを返してくると思いきや、憂さんは唐突に持っていた箱と小さな花束を手渡してきた。
「あの……これは?」
「実はね、陽子が一昨日から風邪をひいちゃってて。それで龍之介くんには陽子のお見舞いをしてほしいんだよね」
「ええっ!? 陽子さん大丈夫なんですか?」
「一応お医者さんには行ったんだけど、今は安静にしろって言われてて。でも陽子ったら今度の舞台のことでかなり張り切ってたから、練習するって言って聞かないんだよね。そこで龍之介くんにお見舞いをしてもらって、しっかりと休養するように言ってほしいんだよ。それに君にお見舞いに来てもらえれば、陽子も早く元気になるかもしれないし」
「どうしてですか?」
「どうしてってそりゃあ――」
そこまで口にしながら、憂さんはわざとらしく咳払いをする。少し焦ったような表情を見せたということは、なにか言ってはいけないことを口にするところだった――というところだろうか。
「とにかく君は陽子のお見舞いをしてくれたらいいんだよ」
「まあ陽子さんにはいつもお世話になってるし、お見舞いをすることは吝かではないですけど、どうして俺にお花とかを持たせるんです?」
「ん? だってお見舞いに行くのに手ぶらってのもどうかと思うでしょ? だからと言って突然呼び出した君にお見舞いの品を買わせるのも悪いから、私がしっかりと用意をしてきたわけだよ。だけど間違っても陽子の前で私が買った物――だなんて言っちゃ駄目だよ? こういうのは渡す人と買った人が重要なんだから」
「は、はい……」
憂さんの言わんとしていることは分かる。確かに物ってのは貰う人やそれを手に入れるまでの過程で嬉しさが倍増したりするものだから。
しかしそれはあくまでも、相手が自分に対して好感度が高い場合の話。陽子さんと俺に関しては、特に当てはまるようなことではないと思う。
それでも憂さんが陽子さんのためにそうしてくれと言うなら、それに従うつもりではいるけど、やはりうしろめたい気持ちも感じる。
だけどまあ、とりあえず陽子さんの様子が気になるのも事実だし、ここは大人しく憂さんに従ってお見舞いをすることにしよう――。
「さあ、着いたよ」
「ここが憂さんたちが住んでる下宿先ですか……」
「うん。そうだよ」
陽子さんたちが住む下宿先に来たのはこれが初めてだけど、なんと言うか……真っ先に思ったのは“意外”――という感覚だった。なぜならその下宿先である二階建てアパートの外見は、お世辞にも綺麗とは言えないくらいに壁に蔦がはっているし、この辺りでは珍しい木造建築だけど、あちこちにガタがきているようなオンボロさを感じさせるからだ。
俺のイメージでは小奇麗でお洒落な感じのアパートに住んでいる――と思っていただけに、このギャップは相当なものだった。
「『ボッロいアパートだなー』――とか思ったでしょ?」
「えっ!? ああいや、そんなことはないですよ!?」
「あはは、隠さなくてもいいよ。ここに来た人は大体今の君みたいな表情になるから」
「えっ? いやその……すみません……」
「謝らなくていいって。ここに住んでる私たちだって、オンボロアパートだって思ってるんだから。さあ、時間が勿体ないから行くよ」
「は、はい!」
その言葉を聞いて俄かに心臓が跳ねる。なにせオンボロアパートとは言え、ここから先は女子だけの花園なわけだから、男子である俺がそこに分け入るのは相当に緊張するわけだ。
ドキドキと胸を高鳴らせつつ、ギギギッ――と、建てつけの悪さを感じさせる扉が憂さんの手によって開かれる。
「あっ……」
中へ足を踏み入れると、そこには想像を絶する光景が広がっていた。
玄関には大量の燃えるゴミ袋、狭い廊下に積み上げられた謎の荷物たち。そしてある部屋の前には、洋服が雑に脱ぎ捨てられている。
俺が抱いていた女の花園のイメージは、入って数秒も経たない内に打ち砕かれた。
よく女子高に居る女子を男子が見ると幻滅する――という類の話を耳にするけど、これもそれに近しいものがあるのかもしれない。
「酷いものでしょ? 別に掃除をしてないわけじゃないんだけど、公演が近づくとどうしてもこうなっちゃうんだよね」
苦笑いを浮かべながら靴を脱ぎ、玄関にある大量のゴミ袋を避けて廊下へと足を乗せる憂さん。俺もそれを真似して靴を脱ぎ、そっと足を廊下へと乗せる。
「私と陽子の部屋は二階にあるから、足下に気をつけてついて来てね」
「は、はい」
歩く度にギギッ――と軋む音を立てる木製の床。足を乗せると床が沈むような感覚があって、穴が開いてしまうのではないかと恐ろしくなる。
そんな感覚に襲われる中、憂さんは慣れた感じでヒョイヒョイ――っと先へ進んで行く。
「ちょっとここで静かに待っててね」
二階へ上がってから2つほど扉の前を過ぎたあと、憂さんは右手の人差し指を立てて口元に当て、そんなことを言いながら建物の真ん中辺りにある扉を開けてそっと中へと入って行った。
「あっ、憂先輩……どこに行ってたんですか?」
「ん? ちょっと野暮用でね~。それより陽子、すっごい人がお見舞いに来てくれてるよ~」
「えっ? お見舞いですか? 誰です?」
「ふふふ、今から陽子の驚く姿が目に浮かぶようだよ」
「えー、なんだか憂先輩がそう言うと怖いですね」
決して大きな声で喋っているわけではないのに、壁が薄いからか2人の話し声が割りとはっきり聞こえてくる。
それにしても、憂さんのあの含みのある言い方はいただけない。あんな言い方をしたら俺が姿を現した瞬間にガッカリされちゃうじゃないか。
「むふふ、それじゃあちょっと待っていたまえ」
その言葉のあとで部屋の扉がスッと開き、ちょこんと顔を覗かせた憂さんがニヤニヤしながら黙って左手でおいでおいでをしてくる。
まったく、なにがそんなに楽しいんだか……。
そう思いながら手招きに応じて部屋の前へと歩みを進める。そしてそれを見た憂さんは部屋へと引っ込み、俺は扉のノブへと手をかけて扉をそっと開いた。




