選択×選んだ道
「龍ちゃん、早く行こうよ。みんなもう行っちゃったよ」
「分かってるよ。でもちょっとだけ時間をくれないか? 今日が最後だからさ」
「……分かった。それじゃあみんなと校門の所で待ってるから、早く来てね」
「ああ、わりいな」
高校生活最後のホームルームが終わってから約10分ほどが経った。まだ教室の中にクラスメイトが残る中、茜は俺の気持ちを察してか、先に出て行ったまひろたちを追って教室を出て行く。
教室内では別れを惜しむクラスメイトたちが高校生として最後の会話を友人たちと交わしている。中には涙を流している者さえちらほらと居るくらいだ。
しかしその気持ちもよく分かる。だって今日、俺たち三年生は卒業式を迎え、この花嵐恋学園から旅立って行くのだから。
教室の中に漂う寂しげな雰囲気に耐えられなくなった俺は、荷物を机の上に置いたままで廊下へと出て歩き始めた。こうしてこの学園の制服を着て校内を散策できるのも今日が最後かと思うと感慨深いものがある。
「本当に色々なことがあったよな……」
廊下の窓から青空が広がる外を見つつ、これまでの三年間を振り返る。
一生懸命に勉強をして入学したこの花嵐恋学園。入学した翌日にあった珍妙なレクリエーション、凄まじい権限を持った謎の取材部、イベントが大好きな先生たちが思いつきのままになにかをやる修学旅行、ウエディングドレスのモデルを決めるために行った花嫁選抜コンテスト。思い返せばきりがないくらいに沢山のイベントがあった。
三年生になってからは美月さんが発足した制作研究部で恋愛シュミレーションゲームを作ったりもした。夏コミでは試作品を配って反応を窺い、集められた意見から改良を重ねて冬コミで完成版を発売した。『初めての販売にしては上々なものだったと思うよ』――と、仲良くなったコミケの常連参加者は言っていたし、売り出したゲームの反応も結構良かったので満足だ。
他にも茜の居るバスケ部が全国で3位になったこととか、冬の選抜でも頑張っていたこととか、本当に思い出が盛りだくさんな高校生活だったと思う――。
しばらくして教室へ戻ると、室内には誰も居なくなっていた。机の上に置いていた俺の荷物が、なんだか酷く寂しげな気持ちを誘う。
「ここからの景色もこれで見納めか……」
窓の外に見える中庭を見ながら、三年間見続けて来た景色につい感極まって涙が出そうな思いになる。
「扉が開いていると思ったら、君だったのか」
「あっ、宮下先生。すみません」
「いや、別に謝ることはない。なんでも終わる瞬間というのは寂しく辛いものだからな」
そう言うと宮下先生は教室の中へと足を踏み入れてこちらへと近づいて来た。
「この学園での三年間はどうだった?」
「キツイことも色々ありましたけど、凄く楽しい三年間だったと思います……」
「そうか。楽しいばかりが人生ではないが、そんな中でも楽しいと思えることが多かったのは幸せなことなのだろう」
「はい、そうだと思います」
「人は数多くの選択を毎日の中で行っている。それはとても些細なものから大きなものまでを含めてだ。そして人はその選択によって見えざる道を進んでいる。その先にあるものは決して良いものだけではないだろう。あの時ああしていればと悔やむこともあるかもしれない。いや、悔やむことはきっとあるだろう。しかしどんな時でも自分がより良く在れるだろう選択肢を選び取れるような人間でいてほしいものだ」
「なんだか深い言葉ですね」
「そんなことはないさ。要は自分や大切な人たちが幸せで居られるような選択を考えていけ――ということなのだから」
「それができれば苦労はないと思いますけどね」
「確かにその通りだが、その道も考えることを止めたら絶対に辿り着けない道であることも忘れてはいけないぞ?」
「そうですね、肝に銘じておきます」
「そうしてくれ。ほんの些細で小さな選択が、良くも悪くもその後の自分を大きく変えることになるかもしれないのだからな」
些細で小さな選択が、良くも悪くもその後の自分を大きく変えるかもしれない――確かにそれはあると思う。
俺だってこの三年間に色々な選択をしてきた。もしかしたらどこかで別の選択をしていれば、違う未来があったのかもしれない。
でも、それを考えたところで仕方ないだろう。過ぎ去った過去に対してもしもを考えることほど虚しいものはないのだから。
「それじゃあ、俺は行きますね。三年間、ありがとうございました。宮下先生」
「うむ。これから進む君たちの道に、幸多きことを願っているよ」
「ありがとうございます」
感謝の意味を込めて大きく頭を下げる。すると宮下先生はその頭へと手を乗せてからそっと頭を撫でてきた。初めて宮下先生にそんなことをされたが、その感触はとても心地良かった。
「これからも選択の上に自分が傷つくこともあるだろうし、他人を傷つけてしまうこともあるだろう。だがそれは君だけではなく、世の中の誰しもが行っていることだ。そんな時に自分を責めることもあるだろう。しかしいつまでもそこで立ち止まっていてはいけないぞ? 人は誰しもいつかは前を向いて進まなければいけないのだからな」
そう言い終わると頭を撫でていた手がそっと離れていった。そのことに多少の名残惜しさを感じつつ、下げていた頭上げる。
「はい」
「うむ。それでは気をつけて帰りたまえ」
宮下先生はそう言うと、背中を向けて教室の外へと歩き始める。俺はその背中に向かってもう一度だけ頭を下げ、その姿を見送った――。
「あっ! 龍ちゃんおそーい!」
「わりいわりい。ちょっと宮下先生と話したりしてたからさ」
「ホントに~? 実は教室で泣いてたりしたんじゃなの~?」
「ば、ばかっ! そんなことあるわけないだろ!?」
「でも頬に涙が流れたような跡があるよ~?」
「えっ!?」
茜からの言葉に動揺し、つい目元から頬の間を袖で拭う動作をしてしまう。
「ほーら! やっぱり龍ちゃん泣いてたんだー!」
「ち、違うって言ってるだろっ!?」
「恥ずかしがることはないじゃない、龍之介くん。誰だってこういう時は寂しいものだもん」
「いや、だから泣いてないって、まひろ」
「たっくんは案外ロマンチストなところがあるもんね。1人で泣いててもおかしくないかな」
「案外ってところが引っかかるけど、俺は泣いてないからね? るーちゃん」
「そうやって否定するところは龍之介さんらしいですよね」
「否定もなにも、本当に泣いてないんだってば、美月さん」
「お兄ちゃんは素直じゃないからね」
「馬鹿言ってんじゃないよ。俺はいつでも素直100%、素直の塊だっつーの」
その言葉に各々が感想を述べながら笑顔を見せる。こんな場面もこれで最後なのかな。
「先輩、卒業おめでとうございます」
「おう、愛紗。わざわざ来てくれてありがとな」
「いえ、先輩の卒業式には絶対に来ようと思ってましたから……」
そう言うと愛紗は突然ぽろぽろと涙を零し始めた。
「お、おいおい!? なんで泣いてるんだよ?」
「ご、ごめんなさい……先輩たちが居なくなると思うとなんだか寂しくて……」
「別に謝らなくていいさ。俺だって寂しい気持ちはあるんだからさ。だからほら、そんなに泣くなよ」
ポケットからハンカチを取り出して愛紗に手渡すと、それを手に取った瞬間、愛紗は更に激しく泣き始めてしまった。
「ありゃりゃ」
「なんだか傍から見ると、お兄ちゃんがいたいけな後輩を泣かせてるいけない先輩――って感じがするね」
「おいおい、最後の最後で俺に妙なイメージを植えつけるような発言は控えようね? 杏子ちゃんよ。ほら、これからみんなで打ち上げなんだから、愛紗もそろそろ泣き止んでくれ」
「は、はい……ごめん……なさい」
「よしよし。ところで、渡と秋野さんは?」
「あっ、渡くんと鈴音ちゃんなら、龍ちゃんが来るのが遅いから一足先にファミレスに行って席を取っとくって言って先に行ったよ」
「そうだったんだ。それじゃあ急いで行かないとな」
「うん。じゃあ行こう、みんな!」
茜の言葉にそれぞれが頷くと、みんなは打ち上げ会場があるファミレスがある方へと向かって行く。ファミレスでの打ち上げでは真柴や他の友達もあとで合流するし、盛大で楽しい打ち上げになるだろう。
そのあとには我が家で泊り込みのパーティーも予定しているし、その時には陽子さんもやって来る。高校生として最後の日だ、思いっきり楽しい日にしようと思う。
楽しげに会話をしながら歩いて行くみんなを後ろから見ながら歩き、そんなことを考える。
これからはそれぞれ違う道を歩むから、今までのようにいかないこともあるだろう。でもきっと、俺たちは仲良くやっていけると思う。
しかしまあ、一つだけ心残りがあるとすれば、高校でもラブコメ生活を送れなかったことだろうか。まあそんな生活なんて非現実的であるのは重々承知だけど、やはり残念な気持ちは拭えない。せめて彼女ができれば、もっと実のある生活を送れてたのかもな……。
その時、宮下先生が言っていた選択の話が頭の中を過ぎる。
もしも俺がどこかで別の選択をしていたら、今目の前を歩いている誰かと恋人になっていた世界もあったのだろうか?
「ははっ、まさかな……」
一瞬そんなことを考えたが、すぐに頭を左右に振ってその考えを打ち払う。そんなことを考えたって虚しいだけだから。
それにこれから進む道でも、まだまだラブコメ展開は期待できるんだ。すべてはこれからさ。
「よーしっ! 次こそはラブコメをするぞー!」
新たなる気合を入れ、歩く速度を速めてみんなの輪の中へと進んで行く。
俺が選択しなかった世界の話は、その選択をした世界の俺に任せればいいさ。俺は俺でこの世界で十分幸せなんだから。
大切な仲間たちの輪に加わりながら、俺は今ある幸せをひしひしと噛み締めていた。
三年生編~fin~




