last×stage
三年生になった初日。様々な驚きと衝撃が、花嵐恋学園内を駆け巡っていた。それは俺の親友である涼風まひろが、“実は本当に女の子だった”――ということが早々と知れ渡っていたからだ。
しかもまひろが女の子だったというのはかなりセンセーショナルなことだったらしく、休み時間の度に複数人の生徒が廊下の方からまひろの姿を見ていた。
よく漫画やアニメなんかで見るような、黒山の人だかりにならなかったのは良かったけど、それでもその好奇の視線が自分へと向けられていることにまひろが気づかないはずがない。
できればそっとしておいてやってほしいところなんだけど、まひろは『私が嘘をついていたことが原因なんだから仕方ないよ』――と、そう言ってそんな好奇の視線を甘んじて受けているようだった。
注目を浴びることが大の苦手なまひろにとって、それはとても嫌なことだったとは思うけど、『ずっと嘘をつき続けていたから』――と言っていたまひろにとっては、そんなことさえもみんなに対する贖罪の一種だったのかもしれない。
そしてそんな状態で初日を終えたあとの放課後。まひろは宮下先生の許可を得ていたとかで、俺と杏子、それと茜に放課後の談話室へ来てほしいと言い、そこで今までのことを色々と話したあとで『ごめんなさい』と謝った。
まひろの話した内容は水族館で聞いたものとほぼ変わらなかったし、俺としては二度目ということもあったせいか、最初ほどの驚きや衝撃はなかったけど、それでもやはり、現実にまひろが女の子だった――という事実は、今でも夢なんじゃないかと言う思いはあった。でもそれと同時に、こんなに可愛い子が男だって方がおかしな話だよな――なんていう風にも思っていた。
俺としては既に知っていた内容だったからこんな風なことを呑気に考えていたんだろうけど、杏子や茜はそうはいかなかったと思う。
なにせずっと男だと思っていた幼馴染が、実は自分たちと同じ女性だった――なんて告白をされたのだから、その胸中に渦巻く思いは俺には想像のつきようもない。
ただ一つ、俺にもはっきり分かることと言えば、杏子も茜も相当に驚いていたということだけ。
そして今までのことを素直に話し、嘘をついていたことや、自分のことを偽っていたことに対して許しを請うまひろに、杏子と茜は意外なほどあっさりとそれを許すと口にした。
ここで言う“意外”とは、許さないと思った――と言う意味じゃない。許すという答えを口に出すまでに、少しは時間がかかると思った――と言う意味だ。
もちろん杏子と茜がまひろを許さないなんて選択肢を選ぶとは最初から思ってはいなかった。だけどそれでも、許すという選択を口にするのに多少の戸惑いを見せたりはするんじゃないかとは思っていた。
そんな2人の許しの言葉に対し、大粒の涙を流し始めたまひろを見た時は、本当に良かったと大きく胸をなでおろしたもんだ。まひろが長年の間背負い続けていたであろう重荷が、ここでようやく下ろされたのを感じたからだ。
× × × ×
「――待たせてごめんなさい」
談話室でまひろの話を聞いたあと、俺は誰にも内緒でまひろを学園の屋上へと呼び出していた。ちょっと気になることがあって、それを聞いておこうと思ったからだ。
「いや、大して待ってないよ。まひろさん」
「もう……いつもどおりにしてってお願いしてたでしょ? 龍之介くん」
「あっ、そうだったな。わりいわりい」
しまったしまったと思いつつ、苦笑いを浮かべながら右手でポリポリと頭を掻く。
しかしまひろには“前と変わらないように接してほしい”――とは言われているものの、やはり男を相手にするのと女の子を相手にするのとでは勝手が違う。
そして長年男だと思っていた幼馴染の親友が、実は女の子だったんだと知った今、やはり前にように気軽に接するというのは難しい。
まひろがいくら前と変わらずに接してほしいとお願いをしても、やはり自然とその距離感は変わってくると思う。
だからその距離感がお互いにしっくりくるまでは、ぎこちなくなる部分や戸惑う部分も多々あるだろうけど、それも時間と共に自然と噛み合ってくるようになるだろう。それはまひろも分かっていることだとは思うからな。
「それで、話ってなにかな?」
どこか緊張した面持ちを見せるまひろ。
いったいまひろがどんなことを考えてこんなに表情を強張らせているのかは分からないけど、きっと見当違いなことを考えて不安になっているんじゃないかな――と、そういう想像はできる。
「実はまひるちゃんのことなんだけどさ」
「まひるの?」
「ああ。まひろがこうやって本当の自分を見せたってことは、まひるちゃんはいったいどうなるのかなって思ってさ」
まひるちゃんがまひろの中に生まれたもう1人の人格だというのは、水族館で真実を告白された時に聞いた。
つまりまひるちゃんはまひろの一部だったということになるのだから、俺はおかしな質問をしているということになるのかもしれない。
しかし今まで何度もまひるちゃんと接してきた俺からすれば、やはりどこか違和感は拭えないのだ。
涼風まひるという人物の存在は、俺の中に確かにある。一緒に遊んだり話したりもした。
確かに身体はまひろのものだろうけど、それでも俺の中にはまひるちゃんとの思いでもたくさんあったわけだから、もう会えなくなってしまうんじゃないかと思うと、やはり寂しい気持ちにはなる。
「あ、そっか……龍之介くんはまひるのことも凄く大事にしてくれてたもんね。心配になるよね」
「ま、まあな」
「そうだ、せっかくだからまひると話してみる?」
「えっ? そんなことができるのか?」
「うん。ほんの2日前からだけど、少しの時間なら交代できるようになったから」
「大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ。ちょっと待っててね、今まひるを呼んで来るから――」
まひろはそう言うと、静かに目を閉じた。
俺は多重人格になったことがないから分からないけど、自分の中に居る別の自分と交代するって、いったいどんな感覚なんだろうか。
「――お久しぶりです。お兄ちゃん」
時間にすれば10秒も経たずにまひろは目を開けたと思う。
そしてぱちっと目を開けたまひろが口を開いたかと思うと、そこからはいつものまひろとは違った口調のそんな言葉が飛び出した。
「まひるちゃん?」
「はい、そうですよ。私は涼風まひるです」
目の前に居るのは確かにまひろだが、感じる雰囲気やその笑顔は、確かに俺の知っているまひるちゃんそのものだった。
「まひろの話を疑ってたわけじゃないけど、実際に人格が交代するのを見るとやっぱり驚くね」
「そうなんですか? 私とお姉ちゃんにとってはもう、呼吸をするのと同じくらいに自然なことなんですけどね」
「へえー、そうなんだ」
「ところでお兄ちゃん、お姉ちゃんから聞きましたけど、私に聞きたいことがあるんですよね?」
「あ、ああ、そうだった。単刀直入に聞くけど、まひるちゃんはこれからどうなるの?」
俺がそう質問をすると、まひるちゃんは寂しげな表情を浮かべたあとで苦笑いを浮かべながらこう答えた。
「……いつになるかは分かりませんけど、そのうち私という存在は消えてしまうと思います」
まひるちゃんからの答えは、俺が予想していたとおりのものだった。
まひろの中にある欲求やストレスを、まひろに成り代わって解消していたというまひるちゃん。その本人であるまひろがこうしてストレスの大きな原因を解消した以上、まひるちゃんが果たしていた役割は、ほぼ果たされたということになるだろう。
ということは、まひるちゃんというまひろの中に生まれた存在はその役割を終え、まひろの中に統合されて居なくなってしまうのではないか――と考えてしまうのは、別におかしなことではないと思う。
「やっぱりそうなのか……」
「私のことを心配してくれてるんですか?」
「そりゃあ俺にとってはまひろはまひろで、まひるちゃんはまひるちゃんだからね。居なくなるのかと思うと寂しいさ」
「相変らず優しいですね、お兄ちゃんは。でも安心して下さい。私はまだ消えませんし、例え消えるとしても、お兄ちゃんにお別れも言わずに消えたりはしませんから」
「そうなの?」
「はい。それにお姉ちゃんのストレスは大きく改善されましたけど、まだまだ心配なところもありますし、それに私にも消える前に叶えたいことがありますから」
まひるちゃんはそういうと、にこやかな笑顔を浮かべながら俺を見据えてきた。
「そうなんだ。それってどんなこと? もしも俺に協力できることなら、いつでも協力するから言ってね」
「はい。その時はよろしくお願いしますね、お兄ちゃん」
「もちろん。できる限りの協力をさせてもらうよ」
「ありがとうございます。だからお兄ちゃんが大好きなんですよね」
「えっ!? それって――」
「あっ、そろそろお姉ちゃんを呼びに行かないと。それじゃあお兄ちゃん、また会いましょうね」
まひるちゃんはそう言うと、まひろがしていたように目を閉じた。
「――龍之介くん、まひるとはちゃんとお話できたかな?」
「あ、ああ、ちゃんとお話できたよ。ありがとう。ところでまひろ、人格が入れ代わっている時って、入れ代わっている相手のやってることや言っていることは把握できてるのか?」
「うーん……通常の入れ代わりなら私はある程度まひるのやっていることを記憶で把握できるけど、まひるはそうじゃないみたい。それに今みたいに急に代わると記憶には残らないみたいで、私もまひるのやっていることや言っていたことが把握できないの」
「そ、そうなのか、なんだか複雑なんだな」
「うん、ごめんね」
「いや、謝ることはないさ。それよりもまあ、改めてよろしくな、まひろ」
「うん、よろしくお願いします。龍之介くん」
真新しい制服が吹いてくる風になびき、まひろの可愛らしさをより演出する。
そんなまひろを見ながら、楽しい思い出がたくさんできる最後の1年になればいいなと、そんな風に思いながらもうしばらくまひろとの会話を楽しんだ。




