大切×用事
特に上げるような話題もなく過ぎて行く日常。
バレンタインデーから修了式を迎えるまでの間は、本当にこれと言ったイベント事すらない。
強いて挙げるとするならホワイトデーくらいだとは思うけど、毎年のことながらホワイトデーは盛り上がりに欠ける。まあ、それは仕方のないことだとは思う。
なにせバレンタインデーにおける男性側の惨状を考えれば、ホワイトデーが盛り上がらなくなるのは必然とも言えるからだ。
まあバレンタインデーにしろホワイトデーしろ、両方を楽しめているのは極々わずかな者たちだけだろう。
しかしバレンタインデーにチョコをくれた面々には、もちろんちゃんとお返しはした。
返す物には結構頭を痛めたが、受け取ったみんなはとりあえず喜んでいたように見えたので良かったと思う。
そして今日、そろそろ太陽が真上へと昇ろうかという頃にようやく花嵐恋学園の修了式も終わり、あとはホームルームを済ませれば春休みに突入という状態になっていた。
「龍ちゃん、ホームルームが終わったあとにみんなでいつものファミレスに行こうと思うんだけど、もちろん行けるよね?」
そろそろホームルームが始まろうかという頃、茜がいつもの明るく弾む声音でそんなことを聞いてきた。
最後の方に聞こえた言葉が、“どうせ龍ちゃんは暇でしょ?”――みたいなニュアンスに聞こえて癪に障るところだが、明日から春休みで非常に気分がいいので、今回はあえて聞こえなかったことにしておいてやろう。
「わりい、今日はちょっと大事な用事があるから先に帰らせてもらうわ」
「ええーっ!? 万年暇人の龍ちゃんに用事? ホントに?」
コイツ……今までの長いつき合いでどんだけ俺へのイメージをこじらせてんだ?
「相変らず失礼なやっちゃな。俺にだってたまには外せない用事の一つや二つはあるんだよ」
茜の失礼な物言いに対し、俺はムスッとしながらそう言った。もはや茜の毒吐きは毎回の恒例行事のようなものだが、日を重ねるごとに言葉の刃は着実に鋭さを増してきている。
だから俺は、いつか茜の言葉で心臓を止められてしまうのではないだろうか――と危惧しているくらいだ。
「もう、しょうがないなあ……美月ちゃんは行けるかな?」
「はい、是非ご一緒させて下さい」
「やった! まひろくんはどう? 行けるかな?」
「あっ、うん。それじゃあ参加させてもらおうかな」
「よしっ! それじゃあ帰りに杏子ちゃんと愛紗ちゃんも誘おう」
「うん、そうだね」
茜の誘いに対し、いつもの涼やかで優しい笑顔を浮かべながら答えるまひろ。やはりいつ見てもその笑顔は可愛らしい。
それにしてもバレンタインデーから今までの間、まひるちゃんからのメッセージカードの件もあったからか、まひろの様子はちょっと気にかけていた。もしかしたら、今日のことをまひるちゃんから聞いているかもしれないと思っていたからだ。
しかしそんな俺の考えに対し、まひろの様子は至って普通だった。
もしまひるちゃんから今日のことを聞いていたとしたら、少なからずまひろはなにかしらの反応を示すはずだと思っていたからだ。
でも結局、まひろにそんな様子は見られなかった。
絶妙な肩透かしをくらったような感覚の中でホームルームが始まり、担任の鷲崎先生から春休み中の注意事項が言い渡される。
そしていつもどおりスピーディにホームルームが終わったあと、俺は茜たちに挨拶をしてから自宅へと帰り始めた。
今日は部活動も全面休止なせいか、いつもは生徒の姿が疎らな帰り道にもたくさんの花嵐恋学園の生徒の姿があった。
目につく生徒の表情はどことなく明るく見え、やはり短いとはいえ春休みがくることが嬉しいのだと思う。そんな中を少し急ぎ足で歩き、自宅へと向かって行く。
まひるちゃんからのメッセージカードには、“15時に海世界のパノラマ第水槽前で待っています”――と書かれていた。
今はお昼の12時を過ぎたあたり。急がなくても自宅へ帰ってからのんびりとお昼ご飯を食べ、着替えをするくらいの余裕はある。それは分かっているのだけど、なぜか俺の足は弾むように軽やかに進んで行く。
どういった用件で俺を呼び出したのかはちょっと予想がつかないけど、どことなく楽しみに思っていたのは事実。自然と歩みが速くなるのも仕方ない。
そしていつもよりも早く自宅へと着いた俺は部屋にポイッと鞄を放り出し、一階へと下りてから冷蔵庫の中にある物を適当に取り出して食事を済ませたあと、歯磨きと着替えをちゃっちゃと終わらせてから自宅を出て海世界へと向かった。
× × × ×
「やっぱり早く来過ぎたかな」
しっかりと準備を済ませて待ち合わせの場所へと向かった俺は、メッセージカードに書かれていた15時よりも30分ほど早く海世界の前へと着いてしまった。
我ながら落ち着きなく自宅を出てしまったことを少し後悔しながらも、とりあえず約束のパノラマ大水槽の前へと行くためにチケットを買ってから入口を抜けて中へ入ると、人の姿も疎らな館内に、一際目立つ美しいサラサラの金髪の、白のワンピースを着た女の子の後ろ姿があった。
パノラマ大水槽の中で泳ぐ生き物たちを見上げているその後ろ姿は、どことなく儚げに見えた。
そして俺がその女の子に向けて歩みを進めて行くと、人が疎らな館内に俺の歩く足音がわずかに響く。
すると大水槽の中に居る生き物たちを見つめていたであろう女の子は、自分へと近づいて来るその足音に気づいたのか、ゆっくりとこちらの方へ振り返ると、優しげな笑みと共に俺へと言葉をかけてきた。
「ありがとう、ちゃんと来てくれて――」
その優しげな微笑と穏やかな声音を見聞きした俺は、まるでそのまま時が止まってしまったかのように自身の身体が固まったのが分かった。




