将来×ビジョン
「では各人、割り当てられた場所に向かい作業を開始してくれたまえ」
二学期の終業式も無事に済み、ホームルームも滞りなく終わった午後１２時頃。グラウンドの一角に集められた俺を含む３０人は、いつもの白衣姿をした宮下先生にそう言われて担当の場所へと散って行く。
もはや言うまでもないと思うが、先日行われたマラソン大会の罰ゲームが今日行われる。
本当は冬休みを使っての校内美化活動になるはずだったが、そこは先生たちの温情により回避された。
集められた俺を含む３０人はみんなそれぞれにジャージを着用しているが、その中に青色のジャージを着た者は居ない。つまり一年生は居ないということだ。
きっと一年生たちが真面目にマラソン大会に挑んでいた証拠なのだろう。
あとは赤色のジャージを着た三年生が３人、残りはすべて緑色のジャージを着た二年生ばかり。
こうして見ると、二年生がいかに弛んでいたのかが分かってしまうから情けなくなってしまう。まあこの場に居る俺がそんなことを思うのは、お門違いだとは思うけどな。
「さて、じゃあ俺たちも行きますか」
「はい」
「うん。それじゃあ僕は残りの必要な道具を取って来るね」
「サンキュー。じゃあ俺と美月さんは、所定の場所に行って先に始めてるから」
残りの道具を取りに行ってくれたまひろにお礼を言いつつ、俺は美月さんと一緒に割り当てられた場所へと向かって行く。
「うう～っ、今日も寒いねえ」
「ごめんなさい、龍之介さん。私のせいでこんなことになってしまって。まひろさんも巻き込んでしまいましたし……」
「美月さん、前にも言ったけど、俺もまひろも今回の件が美月さんの責任だなんて思ってないから、だから謝らないでよ。俺もまひろも自分の考えでやったことなんだからさ」
「はい……ありがとうございます」
俺の言葉にお礼を言いつつも、美月さんの曇った表情は晴れなかった。やはり今回の件を相当気にしているのだと思う。
その気持ちは分からないでもない。俺も美月さんに対してああは言ったものの、まひろには申し訳ないと思う気持ちがあったからだ。
なぜならあのマラソン大会があった日、足を挫いていた美月さんに肩を貸してゴールへと向かった俺は案の定、美月さんと一緒にビリになった。
ビリになったことはこの際どうでもいいのだが、途中で俺と美月さんのことを心配したまひろが戻って来たのは、俺の誤算だったとしか言いようがない。
戻って来たまひろは先に行ってくれと言う俺の言葉に対し、『２人が心配で先に進めないんだよね』――と、にこやかにそう言いながら俺と同じように美月さんに肩を貸してくれた。そして言うまでもなくまひろもビリとなってしまい、今に至ると言うわけだ。
俺としてはまひろに心配をさせた挙句、こうした事態になったことに申し訳なさを感じていたから、美月さんの気持ちもよく分かるつもりではいる。
でもこうなった以上、いつまでもそれを気にしていても仕方ない。思い悩むよりもやることをちゃっちゃと終わらせて、一刻も早くこの寒空の下から解放されるようにするのが健全だろう。
幸いにも今回の美化活動は３人一組での作業。俺たちが担当する場所は一番敷地が広くて大変な場所になるけど、３人で集中してやればそれほど時間はかからないと思っている。
「――ただいま」
俺と美月さんが本校舎の中庭に来てから５分ほどが経った頃、まひろが残りの必要な道具を台車に乗せてやって来た。
「ありがとう、まひろ。そんじゃまあ、頑張りますか！」
まひろにお礼を言いながら気合を入れ、俺は早いところこのかったるい美化活動を終わらせるために作業を再開した。
「うーん、結構難しいな……」
中庭には高さ約１５０センチ程度の木が約２０本ほど植えられているのだが、俺はその植木の剪定作業を行うことになっていた。
小さな頃は造園屋さんがご近所の庭にある木などを剪定しているのを見かけたことは多々あったけど、今ではそんな姿を見ることもめっきり減ってしまった。
あの頃は子供ながらに木を切るだけの仕事って気楽なもんだなと、造園屋さんが聞いたら激怒しそうなことを思っていたこともあったが、それは子供ゆえの単純な考えから来るものだと思って許してもらいたい。
まあそれはさて置き、植木などの剪定には専用のはさみを使うのだけど、これを使って形を整えるというのが思っていたよりも難しい。元々こういった道具を一般的な男子高校生が使うことなど日常でそうあるものではないから、使い方が合っているのかすらも不明だ。
「――ふうっ、こんなんでいいのかな？」
俺が一つの植木を剪定するのに約２０分ほどかかったわけだが、その仕上がりが良いのか悪いのかさえも分からず、思わず小首を傾げてしまう。良いと言えば良いようにも見えるし、悪いと言えば悪くも見える。
「まあいっか」
どちらにしろ良し悪しが分からないなら、このまま迷っていても時間の無駄になるだけ。
俺は初めて剪定した植木の仕上がりを大して気にすることなく、次の植木へと移動を始める。
そして次の植木へと移動をする際、まひろと美月さんが作業している場所へと視線を向けた。
まひろは中庭の一角にしゃがみ込み、軍手をつけた手で一生懸命に地面から出ている草を抜き取っている。夏とは違って冬場の草丈はそれほど長くない。手で掴んで引き抜くには苦労するだろう。
実際こうして見ている間も、まひろは引き抜こうとしている草が途中で切れて地面に尻餅を着いたりしている。
そんな短い草を一生懸命に手で引き抜こうと奮闘しているまひろの様子を見ていると、そのあまりの可愛らしさについ手伝ってやりたい気持ちになるけど、しかしそんな気持ちになりつつも、草を相手に奮闘しているまひろを見たいので、そのままにしておこうという自分も居たりする。実に複雑な心境だ。
尻餅を着いたまひろがお尻についた土埃を払うのを見つつ、今度は美月さんへと視線をシフトさせていく。
「ふんふんふ～ん」
美月さんは俺から約２メートルほど離れた場所で、先ほど剪定した植木の下に落ちている葉っぱなどを竹製の熊手を使って集めている。
掃除を始める前はとても申し訳なさそうな浮かない表情を見せていた美月さんだが、今はとてもにこやかな笑顔で楽しそうにハミングしているのが聞こえてきていた。
彼女は料理や掃除と言った家事に関わることをするのが好きらしく、本当に明るくにこやかな表情を見せていた。そんな楽しげで明るい表情を見せている美月さんを見ていると、なんとなくこっちまで楽しい気分になってくるから不思議だ。
まあなんにしても、掃除を始める前のような浮かない表情をしているよりはずっといい。
それぞれに可愛らしい２人の行動にちょっとした癒しを感じつつ、俺は二つ目の植木の剪定を開始する――。
俺たちが美化活動を開始してから約２時間ほどが経った頃。植木の剪定作業にもだいぶ慣れてきていた俺は、中庭にある植木の約半分の剪定作業を終わらせていた。
美月さんは剪定で落とした葉っぱや、まひろが取った草を一生懸命に熊手で集めつつ、まひろが持って来てくれていたゴミ袋にせっせとそれを詰め込む作業をしている。
「だいぶ詰め込んだ袋が増えたな」
集められたゴミが詰め込まれたゴミ袋は２袋を突破し、現在進行形で美月さんが詰め込んでいる分を合わせると３袋になる。
俺は持っていた剪定ばさみを地面に置き、ゴミを袋に詰め込んでいる美月さんのもとへと向かった。
「美月さん、一度ゴミを所定の場所に持って行かない？」
「そうですね。台車もありますし、乗せて運んじゃいますね」
美月さんはそう言うと持っていた箒と塵取りを地面に置き、少し離れた場所にある台車を取りに向かって行った。
俺は美月さんが置いて行った箒と塵取りを持ってから残っていたゴミを集め、それをいそいそとゴミ袋に詰め込んでから袋の口をギュッときつく結んでいく。
「あっ、すみません龍之介さん、ありがとうございます。うんしょっと」
台車を押して戻って来た美月さんはゴミ袋の口を結んでいた俺にお礼を言いながら、大きく膨らんだゴミ袋を抱えて台車へと乗せ始める。
「あっ、俺も手伝うよ」
「大丈夫ですよ、これくらい平気です。よいしょっと」
手伝おうとした俺にそう言いながら、美月さんは二つ目のゴミ袋を抱えて台車へと乗せる。
俺としては二つのゴミ袋を台車に乗せた時点で所定の場所へと運んで行くのだろうと思っていたのだが、そんな俺の予想に反し、美月さんは三つ目のゴミ袋も台車に乗せ始めてしまった。
「ちょ、ちょっと美月さん、大丈夫？」
「だ、大丈夫です。なんとかなりますよ」
美月さんは最初に台車へと乗せられたゴミ袋二つの上に三つ目のゴミ袋を乗せたのだが、どこをどう見てもバランスが悪い。
「ねえ美月さん、バランスも悪いし上の一つは俺が持って行こうか？」
「大丈夫です。私頑張ります！」
両手をグッと握り締めて肘を曲げ、握られた両手を胸の位置まで持って来てそうアピールする美月さん。
「……分かったよ。でも、気をつけて運んでね？」
「はい。では行って来ますね」
いつものにこやかな笑顔でそう返事をした美月さんは、上に積んでいる三つ目のゴミ袋を左手で押さえながらゆっくりと台車を前へと進み始めた。
見ているだけでも不安定な進み方をしているので、はっきり言って心配でしょうがない。だけど本人が張り切ってああ言っている以上、任せるしかないだろう。
「あっ！」
そんな不安な気持ちで美月さんが台車をゆっくりと押して行く様を見ていたその時、台車の車輪がなにかに引っかかったらしく、体勢を崩した美月さんがよろけた瞬間に積んでいた三つ目のゴミ袋が地面へと落ちてしまった。
美月さんは慌てて落ちたゴミ袋を抱えると、急いで台車の上へと乗せ直してから再び進み始める。そのよろよろと蛇行するように進む様は、見ていてとても頼りない。
そしてこうして見ている間にも、美月さんは前へと進みながら何度かゴミ袋を地面へと落としていた。
「――美月さん、やっぱり手伝うよ」
そんな美月さんの姿を見かねた俺は、よろよろと進んで行く美月さんに近寄ってから一番上に積んでいるゴミ袋を手に取って抱え込んだ。
「で、でも……」
「手伝った方が早く終わるでしょ？ それに美月さんに怪我をされたりしたら嫌だしね」
「あ、ありがとうございます」
「いいんだよ。じゃあ行こうか」
「はい」
膨れ上がったゴミ袋を両手でしっかりと抱えながら、美月さんと一緒にゴミを集める場所へと向かう。
「――龍之介さん、ちょっといいですか？」
「ん？ なに？」
「龍之介さんは将来なにをしたいとか、なにになりたいとかありますか？」
２人でゆっくりと進む中、美月さんは唐突にそんなことを質問してきた。
美月さんが言っている将来とは、平たく言うと進路のことだろう。俺たちも来年には高校三年生。そろそろしっかりと進路を決めておかないといけない頃合になってくる。
しかし改めてこう聞かれると、自分はいったいなにをやりたいのだろうかと悩んでしまう。これと言った特技や目標があるわけでもなく、特にこれをやりたいというものがあるわけでもない。
「うーん……正直よく分からないんだよね」
とりあえず俺は、美月さんの質問に対して正直にそう答えた。
これが小さな頃の俺なら、迷いなくお菓子屋さんと答えていただろう。理由は簡単、お菓子屋さんになれば毎日お菓子が食べ放題だと思っていたからだ。
「そうなんですね」
「美月さんはどうなの？ もう進路とか決めてたりする？」
「私ですか？ そうですね……色々とやりたいことは多いんですけど、一番はたくさんの人が楽しめるようなゲームを作りたい――ってことですかね」
「あー、なるほどね。うん、美月さんらしい気がする」
「そうですか？」
「うん。ゲームをしている時も作っている時も、美月さんはとっても楽しそうだからね。きっとたくさんの人が楽しめるゲームを作れると思うよ」
「ありがとうございます」
俺の言葉にお礼を言う美月さんの表情は綻んでいて、そんな彼女の微笑を見ていると、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
それにしても、こうして将来にやりたいことがあってそれを目標にできる彼女が羨ましく思えると同時に、なんの目標もやりたい事も思いつかない自分が虚しくなってしまう。
「龍之介さん。もしもこの先やりたいことが思いつかないなら、私と一緒にゲーム作りをしてみませんか？」
「えっ！？ 美月さんとゲーム作りを？」
「はい、どうでしょうか？」
「うーん……面白いとは思うけど、俺ってゲーム制作に関する知識とかなにもないし、多分美月さんの足を引っ張っちゃうだけだと思うよ？」
俺は美月さんの話に苦笑いを浮かべながら素直にそう答えた。
申し出はとても嬉しいし面白いと思う。たくさんの人が楽しめるゲーム作りと言うのにも興味は惹かれる。
しかし現実はそう甘くはない。美月さんのように色々なことができる才女ならまだしも、俺のように凡庸な高校生が見るには少々大き過ぎる夢だ。
「そんなことないですよ。龍之介さんはゲームを一生懸命に楽しむことができるんですから」
壮大な夢を前に最初っから諦めモードの俺に、美月さんは意外な言葉をかけてきた。
「ゲーム作りにはもちろん専門的な知識とか技術は必要でしょうけど、それだけじゃないんです。遊んでくれる人が楽しめるものを作れるかどうかは、また別の話なんですから」
「どういうこと？」
「そうですね……例えば龍之介さんがとある恋愛シュミレーションゲームを買ったとします。そして一通りゲームをやり終えた龍之介さんの感想が、『システムとかは凄く良かったのに、シナリオがいまいちだったな』――だったとします。龍之介さんはこのゲームに対してどんな風に思いますか？」
「うーん……多分勿体ない――って思うかな。せっかくゲーム性の出来が良かったんだから、シナリオも良ければもっと満足できるだろうしね」
「では逆にゲーム性は良くなかったけど、シナリオが素晴らしかった場合はどうでしょうか？」
「それも同じように勿体ないと思うかな」
「ですよね。つまりゲームはプログラミングとかの技術だけでは面白くできないんです。色々な要素が詰め合わさって、それが上手に融合した時に面白いゲームは生まれるんですよ」
にこやかにそう語る美月さんの話を聞いていると、確かにそのとおりかもしれないと頷かされる。
「つまり俺がコンピューターとかの技術を持ってなくても、他でやれることがあるってことかな？」
「簡単に言うとそう言うことです。だからどうですか？ 一緒に色々とやってみませんか？」
美月さんからそんな話を聞いた俺は、なんだかそういうこともできそうな気がした。単純だと言われればそうかもしれないけど、話を聞く前のように自分から可能性を否定するのも変な話だとは思う。
“やったことがない”と言うのは、“やれない”と言う意味ではないのだから。
「……そうだね。正直すぐに返答はできないけど、もしもその気になった時はよろしくお願いするよ」
美月さんの話に頷かされたとは言え、すぐにＹＥＳと言えるほど簡単な内容ではない。
「はい。その時は私、張り切って色々と教えますね」
俺の返答に明るくそう答える美月さん。彼女と一緒に仕事をするなら、きっときつくても楽しく仕事ができるだろう。
「はははっ、お手柔らかに頼むよ、美月さん」
まだはっきりとは見えてこない自分の将来のビジョン。
そんな見えない将来へ繋がる一つの可能性を垣間見れたようで、俺は少し嬉しかった。
