のろのろ×加速
楽しかった学園祭も終わると、あっと言う間に暦は12月へと移り変わる。
ここまで来ると年が明けたのがついこの間だったかのような錯覚さえ覚えるほどに時の流れが速いと感じ、暖かくなってきたなーとか、暑くなってきたなーとか、涼しくなってきたなーと言っていたのがつい先日のことのように懐かしく思えてしまう。
しかし年末にはそんなことを感じていながらも、年が明けた途端にまた長い1年が始まったなと感じるんだから、人間というのはなんとも我がままで複雑な感覚を持った生き物だ。
「本当にかったるいイベントだよな~」
「確かにちょっときついけど、僕はそんなに嫌いじゃないかな」
「なんでだ?」
「だって普段は授業で教室に居る時間帯だけど、その時間帯にこうして校外を見て回れるって新鮮な感じがしない?」
俺と一緒にのろのろと歩くように走っているまひろは、いつものにこやかな笑顔を浮かべながらそんなことを言ってくる。毎度のことだが言ってることも内容も可愛いやつだ。
12月も中旬に入った今日、我らが学園はマラソン大会という学生が最も嫌うであろうイベントを行っていた。
二年生が持つ上下緑色の冬用ジャージを着た俺は、まひろと共に学園が決めたコースを進みながら何度目かになる溜息を吐き出す。
最初こそ少しだけまともに走ってはいたが、それも5分と続かなかった。
そんなやる気の無い俺とにこやかな笑顔のまひろの横を、青色のジャージを着た一年生や赤色のジャージを着た三年生が颯爽と抜き去って行く。
マラソン大会が始まってから約15分。いったい何人にこうして抜かれて行っただろうか。
横を通り過ぎて前を走って行くみんなを見ていると、そんなに急いで走らなくてもいいのに――などと思ってしまう。
そしてそんな一生懸命な様子を見ていた俺は、師走という言葉を頭に思い浮かべていた。
12月は別名で師走とも言われるが、師走というのも実際は当て字だと言われている。
師走と呼ばれる諸説も色々とあり、どれが正解だとは言えないが、一般的に知られている理由はお坊さんが走り回るほど忙しいとか、先生が休む暇も無いほど忙しく走り回るだとか、そんなところだろうと思う。
それにしても、お坊さんや先生が仕事で忙しく走り回るのは仕方ないとして、なんで学生の俺らまでこの寒空の下を走り回らないといけないのかと思うと、実に解せない気分になってくる。
更にこのマラソンの設定距離が約20キロというのも、俺のやる気のなさに拍車をかけていた。
「まひろ、俺のことは気にしないで先に行ってもいいんだぞ?」
のろのろと歩くように走っている俺の歩調にまひろが合わせてくれているのはずいぶん前から気付いていた。
最初こそあまり気にしないようにはしていたが、こうやって沢山の人に抜かれて行くのを見ていると、流石にやる気の無い俺にいつまでも付き合わせるのは悪いと思いそう口にする。
「速く進めるならそうするかもだけど、距離が距離だからこのくらいの速度で進んだ方が僕も楽なんだ。だから気にしないで」
そう言いながら優しげな笑顔を見せるまひろ。
口では『速く進めるならそうするかもだけど』などと言っているが、例えそう出来たとしても、まひろはきっとそうしないだろう。長い付き合いだからよく分かる。
そんなことを思いながら、俺は少しだけ表情を綻ばせて順路を進む――。
「はあはあっ……あっ、龍之介さん」
マラソンがスタートしてから約30分が経った頃、マラソンの開始5分で抜かれて遥か先を行っていたはずの美月さんと遭遇した。
「あれっ、どうしたの美月さん。大丈夫?」
最初に俺を抜き去って行った時の勢いはすっかり失われており、美月さんは大きく肩を上下させながらふらつくように歩いていた。
「は、はい……大丈夫です」
息を整えながら流れ落ちる汗をジャージの袖で拭う美月さん。その姿はある意味での色香を感じさせる。
そしてそんな美月さんの姿は普段見られるものではなく、俺はついそんな姿をじっと見つめてしまう。
「龍之介、どうかしたの?」
「えっ!? あ、いや、何でもないぞ!?」
「そう?」
ぼーっと美月さんに見惚れていた俺にまひろから声がかかり、俺が慌ててそう返答をすると、まひろは小首を傾げながらもそれ以上の追及はしてこなかった。
これがもし茜なら更につっこみを入れられているところだろうが、美月さんやまひろはそういう無粋な真似はしないので安心だ。
それにしてもちょっと変に思うことがあるのだが、なんで美月さんはこんなにも息を切らせているのだろうか。
時に天然を大爆発させてしまう美月さんではあるが、彼女がこういったペース配分を大前提とするマラソンというものを前に何の考えも計算も無く挑むとは思えない。おそらく綿密に自分の体力などを考慮して、走るペースや時間などを事前に計算しているはず。
だが目の前に居る美月さんは見事に息切れをしている。その様子が俺には不思議でたまらない。
「ねえ、美月さん。なんでそんなに息が上がってるの?」
俺は少しも遠回りな言葉を使わず、ストレートに疑問をぶつけた。
「――ふうっ……実は茜さんや瑠奈さんに負けないように走ってたんですが、2人のペースに合わせて走っていたらこうなっちゃったんです」
「なるほど、そういうことだったんだ」
上がっていた息を整え終えた美月さんは、少し恥ずかしげに苦笑いを浮かべながら俺の質問に答えてくれた。
るーちゃんはどうか分からないが、茜のペースに合わせていたらそりゃあ息も上がるだろう。茜のやつ、体力だけは無駄にあるからな。
「美月さんがいいなら一緒に行く? 相当スローペースだからビリになるかもだけど」
「いいんですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます。是非ご一緒させて下さい」
にこやかに微笑みながらそう返答する美月さんとまひろと共に、俺は再び果てない20キロの道のりを進み出した。
相変らずのろのろと歩くように走る俺の横で2人の美少女が――もとい、1人の美少女と1人の美少年がまるで俺のお供のように併走している。
やる気の無い俺につき合わせている感じがして申し訳無い限りだが、今更やる気を出す気にもならないのでこれで良しとしておこう。
そんなことを思いながら、俺は普段見ることの無い時間帯の街並みをまるで見物でもするかのように進んで行く。
かったるいことこの上ないイベントではあるが、こうしてのんびりとしたペースで物見遊山的にしているのも悪くは無い気もしてくる。
そして3人で20キロのコースを進み出してからしばらくした頃、前方に見知った人物の姿が見えてきた。
「――秋野さん、こんな所でどうしたの?」
俺はコース内で立ち止まり、辺りをきょろきょろと見回しているクラスメイトの秋野鈴音に声をかけた。
「あっ、鳴沢くん。わっくん見かけなかったかな?」
「渡? いいや、見かけなかったけど」
「そっか……どこに行っちゃったんだろう」
「いったいどうしたの?」
俺が理由を尋ねると、秋野さんはここで佇んでいた理由を話してくれた。
スタートからしばらくして渡に追いついた秋野さんは、そのまま渡と共にコースを走っていたらしいのだが、ここへ来るまでの約2分の間に居なくなってしまったらしい。
それでコースの途中で立ち止まり、こうして渡を探していたとのことだった。
「――まったく、アイツは何やってんだか……」
何をやっているのか分からないが、あんまり秋野さんを困らせるなよな。
「大丈夫かな? 渡くん」
「そうですね、ちょっと心配です」
秋野さんの話を聞いたまひろと美月さんが、表情を曇らせながら心配そうな表情を浮かべる。
「心配ないよ、どうせその辺りのお店に入って買い食いでもしてるんだろうからさ」
「まさかそんな」
「そうだよ龍之介、いくら渡くんでもそんなことは――」
「ああ~、それはありえますね~」
その発言にそれぞれ答える2人だったが、まひろの発言に重ねるようにして秋野さんが俺の意見を肯定してきた。
「いや……秋野さん、今のはほんの冗談だから」
「でも途中でコンビニの横も通ったし、お腹が空いたとも言っていたので、今頃肉まんでも買っていると思います」
俺としては場を和ます為のちょっとした冗談に過ぎなかったのだが、渡の幼馴染である秋野さんはそれを本気にしてしまった。
「いや、さすがに俺もそんなアホなことはしてないとおも――」
「あれーっ? みんなこんな所でどうしたんだ?」
渡の擁護を始めた俺の言葉が言い終わる寸前、後ろからいつもの垢抜けた声が聞こえてきた。
その声に後ろを振り返ると、肉まんと書かれた包み紙の部分を右手に持ちながら、モグモグと肉まんを食べている渡の姿があった。
「お前……何してんの?」
「えっ? 何って、腹が減ったから肉まんを食べてるんだが? あっ! 言っとくがこれはやらないからなっ!」
いけしゃあしゃあとそんなことを言う渡から視線を秋野さんへ向けると、『ほらね』と言いながら秋野さんは微笑んだ。
よもや買った物まで的確に当ててしまうとは、流石は幼馴染とでも言うべきだろうか。
そして腹を膨らませた渡と、そんな渡につき合っていた秋野さんも仲間に加わり、5人でのんびりとゴールへの道を歩み出した。
俺としては渡と秋野さんは先に行ってもらって全然構わない――いや、むしろ行ってもらいたいのだが、腹を膨らませた渡が『走るのがかったるい』と言い出したことによりそれが不可能となってしまった。
なぜ2人に先に行ってもらいたいのかと言えば、それは勿体無くも秋野さんが渡に恋心を持っているからに他ならない。
せっかくのこういった機会なのだから、出来れば2人っきりにさせてあげたいと思うのが人情だろう。
まあ恋人持ちリア充が世の中から蒸発すればいいのにと思っている俺がこんな人情を出すのは変かもしれないが、幼馴染という間柄の相手に恋心を抱くと言うのは通常の恋愛とはちょっと違う気がする。
なにせ幼馴染という関係がある以上、あの2人は誰よりも近しい他人なのだ。
通常の恋愛なら振られてもそれで終わり。まあ友達関係が壊れるということもあるだろうけど、友達関係ならばOKというのは案外多いし、それほど深刻な事態には発展することは少ないだろう。
しかし幼馴染はそうはいかない。
仮に秋野さんが渡に告白をして振られたとしたら、その幼馴染という関係すらも同時に終わるかもしれない。それはとても怖いことだと思う。
友達はまたつくることも出来るが、幼馴染をつくることは不可能だからだ。俺にも大事な幼馴染が居るから、今の関係が壊れる怖さは分かる。
だからこそ、それを知っていながらも頑張っている秋野さんは応援してあげたいと思ってしまう。柄じゃないとは思うけどな。
そして5人での行進もようやく半分を過ぎた頃、俺たちの前方に居て同じようにのんびりと進んでいた集団が、突然人が変わったかのように速度を上げて走り出した。
「――ん? どうしたんだ?」
次々と前方に居る生徒たちが速度を上げて行く中、コース脇で監視をしている白衣姿の宮下先生が、前方に居る生徒たちに向かって何かを言っているのが見えた。
「宮下先生、みんなどうしたんですかー?」
宮下先生が居る場所へと近づきながら、渡がいつもの軽い感じでそう質問をした。
「おお、君たちか。なーに、私は先ほど決まったことを伝えに来ただけだよ」
「決まったこと? 何ですか?」
なにやら不穏なことを口にしながらニヤリとする宮下先生に嫌な予感を禁じえない。
「ああ、実は先ごろ運営本部に『真面目に走っていない生徒が沢山居る』との報告があってな、それで――」
「す、鈴音行くぞ!」
「えっ!? ちょ、ちょっと――」
宮下先生の話がまだ続いていたにも関わらず、渡は急に顔色を変えてから慌てて秋野さんの手を握り、その手を強引に引っ張りながら先へと進んで行ってしまった。
「なんだアイツ……それで宮下先生、結局何が決まったんですか?」
「ふむ、日比野はなにかしら察したようだが、君には分からなかったか」
「な、何なんですか……」
もったいぶった言い方をする宮下先生を前に、俺は少しだけイライラしていた。
「まあ簡単に説明するなら、真面目に走っていない生徒向けに学園側が罰ゲームを用意した――ということさ」
「ば、罰ゲーム!? 内容は何ですか?」
「ふむ、まだ詳しくは決まってないが、最下位から数えて適当な人数を対象に冬休みを1日返上してもらい、校内美化活動を行ってもらおうかという話にはなっているな」
「まひろ、美月さん、急ごう!」
「は、はいっ!」
「うん!」
宮下先生から話を聞いた俺は、すぐさまその場を離れてゴールへの道を走り出した。
まさかのろのろと走っていたツケがこんなところで回ってこようとは思ってもいなかった。
後ろを少し振り返ると、血相を変えた生徒たちが俺たちを追い抜こうと走り始めるのが見える。
宮下先生は最下位から数えて適当な人数を対象にすると言っていたが、実際はもう学園側が何名を美化活動に回すか決めている可能性は高い。
それでもあえてあんな言い方を宮下先生がしたのだとしたら、それはあえて不確定な情報を与えることでサボり組みを奮起させる為だろう。
でもまあ、この考えが俺の考え過ぎにしろ事実かもしれないにしろ、情報が不確定である以上、今からでもなるべく上位の方に入らないと危険だ。貴重な冬休みを1日返上して校内美化活動なんて冗談じゃないからな。
「まひろ、美月さん、もう少し速度を上げよう」
後方から来ている生徒の数は決して多くはない。
だから今後ろから来ている連中に抜かれたら、校内美化活動への従事は避けられないものと思っておいた方がいいだろう。
それが分かっていた俺は、まひろや美月さんと共に速度を上げて追い抜かれないように走る――。
速度を上げた俺たちは順調に先を走っていた連中を抜き、いよいよ20キロのマラソンも後少しで終ろうとしていた。
「はあはあ、あともう少しだな」
「う、うん」
「そ、そうですね」
長い距離を頑張って走っていた俺は体力の限界を迎えつつあった。
それはどうやらまひろも美月さんも同じようで、その辛そうな表情を見ただけで体力が残っていないんだということが伝わって来る。
そしていよいよ残り2キロの地点まで来た時、急に美月さんの走るペースがガクンと落ちた。
「どうしたの美月さん!?」
併走していた美月さんが視界から消えたことにより後ろを振り向くと、美月さんは息を切らせながら顔を下へと俯かせて止まってしまった。
それを見た俺は足を止めて美月さんへと近づく。
「美月さん、大丈夫?」
そんな美月さんの異変にまひろも気付いたらしく、俺と同じように足を止めてからこちらへと近づいて来る。
「す、すみません……」
美月さんは俯かせていた顔を上げると、切らしている息を整えながら辛そうに右足を気にしていた。
「もしかして、足を捻った?」
「は、はい……実は龍之介さんたちに最初に会った時には捻ってたんです」
「ええっ!? どうして言わなかったの!?」
ここに来て美月さんからそんな話を聞き、俺は思わずそんなことを言ってしまった。
「ご、ごめんなさい……心配させたくなかったのと、あのゆっくりとしたペースで進んでたら特に痛みも感じなかったもので……」
こちらが立ち止まっている間にも、後方に居た連中がどんどん俺たち3人を追い抜いて行く。
「まひろ、すまんが先に行っててくれ」
「えっ!? でも龍之介と美月さんはどうするの?」
「俺は美月さんを連れて走る。だからまひろは先に行ってくれ」
「で、でも――」
「頼む、先に行ってくれ。俺の我がままにまひろを巻き込みたくはない」
「…………分かったよ」
まひろは一言そう言うと、寂しそうな表情を浮かべて前へと進み出した。
すまん、まひろ。
「美月さん、俺の肩に手を回して。ゆっくりでいいから進もう」
「ごめんなさい、龍之介さん……」
「謝る必要は無いよ」
俺は右腕を肩へと回してきた美月さんの身体をしっかりと支え、そのままゆっくりと進み出す。
「無理しなくていいからね?」
「はい、ありがとうございます。本当に龍之介さんは優しいですね。昔からずっと……」
「ん? 昔から?」
「いいえ、なんでもありません」
美月さんは小さく微笑むと、少し嬉しそうにそう言う。
そしてゴールに着く頃にはもう後方に誰の姿も無く、校内美化活動は確定ではあったが、俺は少しの後悔もしていなかった。




