気になる×相手
花嵐恋学園の文化祭も後半へと突入した午後14時頃。
休憩兼A班の偵察を終えた俺とまひろは、お化け屋敷喫茶へと戻ってから次の仕事へと取り掛かっていた。
「いらっしゃいませえ~。ご注文はお決まりでしょうかあ~?」
お化け屋敷の中でつけていたゾンビマスクと血がついたように見せかけた衣装を再び身に纏った俺は、お化け屋敷の通路を抜けた先にある喫茶店でおどろおどろしい感じの声を出しながらゾンビウエイターとして働いていた。
店の中に居るお客さんはすべて、我がクラスのお化け屋敷を抜けて来た人たち。つまりはこの一風変わった趣旨の喫茶店を楽しみにわざわざ来たと言えるだろう。
周りを見渡せば、小学校高学年くらいから大学生ほどまでの男女で喫茶店は大いに賑わっている。
薄暗い店内に流れるおどろおどろしいホラーな音楽。そんな中で蠢くお化けやモンスターに扮したクラスメイトたち。
テーブルの上にあるメニュー表の商品名も、もちろんホラーな喫茶店に相応しい仕様だ。
例えばコーヒーは“2晩寝かせたゾンビの血”とか、ラズベリーケーキは“滴る鮮血のケーキ”とか、そんな感じで表記している。
もちろんそんな表記だけではお客さんは品物がなにか分からないので、ホラーな商品名の横にはしっかりと括弧書きで通常の商品名を記載しているから抜かりはない。
「「「可愛いー!」」」
仕事を始めてから約10分。さっそくお客さんが居るテーブルの一角から女性の黄色い声が聞こえてきた。
テンション高く声を上げる女性3人が、まくし立てるようにして紅色の和服を着たまひろに話しかけている。
「あ、あの、ご注文を……」
黄色い声を上げる女性客3人に戸惑いつつも、必死に注文を聞こうとしているまひろ。
そんな様子を見ていると助けてやらねばと思いはするけど、それとは裏腹にその困った表情を愛でていたいと思う気持ちも出てくる。
「すいませーん! 注文いいですかー?」
「は~い、今参りますよ~」
聞こえてきた声に不気味な感じで返答をしつつ、賑わう店内を移動する。
午後の集客率を上げるために行った、A班への偵察任務兼宣伝。その効果は上々のようで、まひろ目当てに訪れるお客さんは徐々に増えつつあった。
俺がまひろと一緒に休憩へ行っている間、渡も独自の宣伝を行っている筈だが、それをまひろは知らない。まひろがそれを知ってしまうと、余計な緊張をして持ち味が潰されてしまう可能性があるからだ。
かなり綿密な計画の元に今回の作戦は遂行されているのだけど、本人の知らない所で集客材料にしているというのはやはり心が痛む。まひろ本人が気づかない内に負担を増やしているわけだしな。
文化祭が終わったら、まひろの労を労ってなにか美味しいものでも奢ってやるとしよう。それがせめてもの償いだ――。
午後の仕事を開始してから2時間後。
俺は店内に作ってある店員専用の小さな簡易休憩所でゾンビマスクを脱ぎ、お茶で喉を潤しながら近くに居た渡に話しかけた。
「売り上げはどんな感じだ?」
「上々だな、やっぱり涼風さんの宣伝効果が高い。リピーターのお客さんも結構来てるしな」
既にリピーターを出すまでにお客さんを虜にしているとは……流石はまひろと言うべきだろうか。
とりあえず渡が計画していた作戦は上手く行っているようで良かった。ここまで利用しておいてあっさりとA班に負けたりしたら、まひろに申し訳なさ過ぎるからな。
「そっか。A班の方も繁盛していたみたいだけど、今日はどっちに軍配が下るんだろうな」
こちらにはまひろという最高の手札があるとは言え、A班の人員構成は侮れない。ゆえに最悪でも五分五分の結果に持ち込みたいと俺は考えていた。
「30分くらい前に偵察を頼んだから、そろそろあっちの動向も分かると思うぜ」
「このクソ忙しいのに、わざわざ偵察を出したのか?」
「違う違う、偵察は俺の姉ちゃんに頼んだんだよ」
持っていたタオルで顔の汗を拭きながらそう言うと、渡は右手を出してそれを左右に振りながらそんなことを言った。
「えっ? お前のお姉さんが来てるのか?」
「ああ、珍しく休みが取れたとかで冷やかしに来てたんだよ」
「冷やかしって……それでお姉さんに偵察を頼んだのか? せっかくのお休みになにをやらせてんだよ」
「ん? でも姉ちゃんは『任せなさいっ!』ってノリノリだったぜ?」
流石は渡の姉と言うべきなのだろうか。姉弟らしく面白そうなことに乗っかるノリが凄まじく似ている感じがする。
「まあとりあえず、あんまり他の人の手を煩わせるなよ?」
「分かってるって」
白い歯を見せながらニカッと笑ってみせる渡。その表情を見ているだけで、おそらくコイツは分かってないなと思える。
まあ身内同士でのことだから、そこまで気にする必要はないとは思うけどな。
「そういえば渡、お前のお姉さんてなんの仕事をしてるんだ?」
「あっ? 水族館で働いてるよ。言ってなかったっけ?」
「お前のお姉さんの仕事について話すこと自体が初めてだよ」
「そうだっけ? まあいいや。でもよー、姉ちゃんも暇人だよなー。せっかくの休日にわざわざこんな所に来るんだから」
「わざわざ休日を使って弟の文化祭に来てくれるなんて、いいお姉さんじゃないか」
「ははっ、違う違う。恋人も居ないから暇でしょうがないだけだよ」
「へーえ、言ってくれるわね。渡……」
突如として聞こえてきた威圧感のある声。
その声に横を振り向くと、休憩所の出入口がある場所につけられた暖簾から、ブラウン色のショートボブのヘアスタイルをした大人の女性が顔を覗かせていた。
「し、知り合いか?」
俺がそう言いながら渡の方を向くと、青い顔をしながら身体を小刻みに震わせていた。
「ど、どうした?」
「ね、姉ちゃん…………」
渡はブルブルと震えながら口を開き、小さくそう口にした。
「えっ!? 渡のお姉さん!?」
俺が驚いて再び出入口の方を見ると、渡のお姉さんはにこっと微笑みながら暖簾をくぐって中へと入って来た。
長身でスラッとした細身の体型。デニム生地のジーパンを穿き、白の少しふわふわしたニットワンピースを身につけている渡のお姉さんは、可愛らしさと大人の色気を存分に放っている。
「初めまして、私は日比野茉莉です。いつも愚弟の渡がお世話になってます」
「あっ、初めまして。僕は鳴沢龍之介と言います」
「君が龍之介くんか~。うん、よろしくね。それと渡、帰ったら覚悟しておきなさいね?」
「ひ、ひいっ!?」
お姉さんがジロッと横目で渡を見た瞬間、渡は短い悲鳴のような声を上げて休憩所から逃げ出して行った。あの渡があそこまで怯えるとは……いったい自宅でどんなことをされているんだろうか。
そんなことを思いながら渡のお姉さんの方を振り向くと、なにやら険しい顔つきで俺のことをじっと見ていた。
「君の顔、どこかで見たことがあるような……」
右手を口元まで運んでからそう言う渡のお姉さん。
実を言うと俺も、渡のお姉さんとはどこかで会ったことがあるよな気がしていたのだが、それがどこだったのかを思い出せないでいた。
「――あっ、思い出した! 確か君、今年の夏に可愛い彼女を連れて水族館に来てたでしょ! 覚えてないかな? 写真を撮ってあげたんだけど」
「えっ? それじゃあもしかして、あの時に写真を撮ってくれた水族館のスタッフさんがお姉さんだったんですか!?」
「そうだよー! いやー、世間て狭いものだね。まさかあの時の少年が愚弟のお友達だったなんて」
俺の両手を握ってブンブンと上下に大きく手を動かしながら、明るい声を上げるお姉さん。
このフレンドリーな感じといい、テンションといい、流石は渡のお姉さんと言ったところだろうか。
「それであの時の彼女とはちゃんと仲良くしてる?」
「あ、いや、それはその――」
俺はあの時のことを素直に話すべきかを迷った。
まあ別に隠すようなことではないとは思うんだけど、なんとなく躊躇してしまう。
「もしかして、もう別れちゃったの? なんでよー!? すっごく良さそうな娘だったのに」
「あっ、いえ、違うんですよ。あの子は彼女じゃないんです」
「えっ? そうなの?」
「はい、実は――」
誤解されたままだというのも居心地が悪いので、俺は要点だけを掻い摘まんで話した。
「――なるほど、そういうことだったわけね」
「はい、紛らわしくてすみませんでした」
「いいよいいよ、別に悪いことをしてたわけじゃないんだから」
にこやかな笑顔を浮かべて明るくそう言ってくれるお姉さん。あの渡のお姉さんとは思えないほど理解力のある人だ。
「龍之介ー、お客さんが増えてきたからそろそろ戻ってき――」
まひろの声が休憩所の外から聞こえ、言葉を発しながら中へと入って来たのだが、中に居る渡のお姉さんを見て身体と言葉が止まってしまった。
「あっ、まひろか」
「何この娘!? 超可愛いー!」
歓喜にも似た声を上げてまひろへと近づくお姉さん。
その様は可愛い女の子を見つけた時の渡とよく似ている。流石は姉弟と言ったところだろうか。
「あ、あの……」
近寄って来た渡のお姉さんにまじまじと見つめられ、まひろは戸惑いの態度を見せる。
「まひろ、この人は渡のお姉さんだよ」
「えっ? 渡くんの?」
「そう、姉の日比野茉莉でーす。よろしくね」
「は、はい。よろしくお願いします」
慌てながらもペコリと頭を下げて挨拶をするまひろ。うん、いつもどおり礼儀正しいな。
「あっ、そっか! この娘が龍之介くんの本当の彼女なんだね!」
「えっ? 本当の彼女?」
お姉さんの言葉を聞いたまひろが、きょとんとした表情を浮かべて小首を傾げる。
「ち、違いますよ! まひろは俺の親友です」
「またまたー! そんなに恥ずかしがることないのに~」
俺の方へと戻って来て右肘をグイグイと身体に押し当てるお姉さん。
「ほ、本当ですよ。それにまひろは女の子じゃなくて男の子なんです」
「えっ!? ウソッ!?」
まひろの方を向いて足先から頭の天辺までを食い入るように何度も見るお姉さん。よっぽど信じられないのだろう。
まあ女性物の着物を着てるし、どう見ても女顔だから気持ちは分かるけどな。
「本当ですよ」
「うわ~、世の中っていうのは本当に残酷だなあ。男の子なのにこの可愛さって、女の私の立場がないじゃない」
口を尖らせながら文句を言うお姉さん。
お姉さんはそう言うけど、お姉さんも質の違いがあるだけで十分に魅力的だと思う。
「涼風くーん! 鳴沢くーん! 早く戻って来てー!」
苦笑いを浮かべてお姉さんを見ていると、休憩所の外側からクラスメイトが忙しない感じの声を上げて俺たちの名を呼んできた。
「あっいけね。お姉さん、仕事があるんでこれで失礼しますね」
「あっ、ごめんね引き止めちゃって」
「いえ、それじゃあ失礼します」
「失礼します」
俺が軽く頭を下げて出入口へと歩き出すと、まひろはそれに続くようにして頭を下げてスッと休憩所の外へと出た。
「さてと、もうひと頑張りするか」
「う、うん……そうだね」
俺の言葉にそう返答するまひろ。
それから文化祭初日終了の17時まで満員御礼の店内でせっせと働いていたのだが、時折見るまひろがなんとなく浮かない表情をしているのが少し気になった。
× × × ×
「初日はなかなかの接戦だったな」
「そうだね」
お化け屋敷喫茶の片づけと明日のミーティングを終えた19時頃。俺はまひろと一緒に帰路を歩いていた。
文化祭初日のB班の総売り上げは、10万8450円。
結果だけを見れば相当に繁盛していたと言えるだろう。実際に学園内の初日売り上げトップ10にも入っているしな。
そして問題の相手であるA班の総売り上げだが、11万5850円と、惜しいところでリードを許してしまった。
しかしお化け屋敷が苦手というお客さんも多い中、ここまでの接戦に持ち込めたのは凄いと言えるだろう。それも一重にみんなの頑張りと、まひろという天然の宣伝素材が居たからに他ならない。
結果として初日は負けたが、それでも満足な気持ちを抱きながら見上げた空はすっかり暗闇に染まっていて、空を包む暗幕にキラキラと瞬く星たちが見える。
普段はこんな時間に帰宅をすることがないので、なんとなく新鮮な気分だ。
「うう~、さすがに陽が落ちると寒さが半端ないな」
「うん、本当に寒いよね」
陽が落ちて更に冷えた空気が、身を切り裂くように吹いて来る風と共に身体を刺激する。
早いところお風呂にでも浸かって、布団でぬくぬくとしたいもんだ。
「そう言えばまひろ。仕事の途中で少し元気がないように見えた時があったこけど、なにかあったのか?」
「えっ? そ、そう?」
俺のした質問に、まひろは明らかな動揺を見せた。相変らず分かりやすいやつだ。
「もしかして、働き過ぎで疲れてたのか?」
「う、ううん。そんなことないよ」
「じゃあ、なにかあったのか?」
「それは…………」
まひろは俺から視線を逸らしてなにやら悩み始めた。なにかよっぽど言い辛いことなのだろうか。
「話したくないなら無理には聞かないけどさ、俺でいいなら話しは聞くぞ?」
「うん……じゃあ一ついいかな?」
まひろは少し熟考したあと、そう言って俺に視線を向けてきた。
「おう、なんだ?」
「渡くんのお姉さんが、『この娘が龍之介くんの本当の彼女なんだね』――って言ってたけど……龍之介、彼女居たの?」
「へっ!?」
考えてもみなかった問いかけに、俺は思わず間の抜けた声を出してしまった。
「やっぱり……彼女が居るの?」
物悲しげに同じことを聞いてくるまひろ。この状況を第三者的に見たとしたら、女の子が好きな人に探りを入れているように見えるのではないだろうか。
そんな物悲しくも可愛らしく感じる視線を受け、思わずまひろをまじまじと見つめてしまう。
「龍之介?」
「あ、ああ、悪い悪い。彼女なんて居ないよ」
「本当に?」
「本当だよ」
「じゃあ、渡くんのお姉さんが言ってたことってなんだったの?」
「あれか……ほら、杏子が花嵐恋学園に合格した時、俺の家でお祝いをしただろ? あの時にお祝いに来てくれた雪村さんって人が居たのを覚えてないか?」
「うん、覚えてるよ。ショートカットで黒髪の、とっても可愛い女の子だよね」
そこまで覚えてるとかすげーな。やっぱり可愛い子って印象に残りやすいのかな。
「そうそう。渡のお姉さんはその雪村さんのことを言ってたんだよ」
「そうなんだ。でもどうしてその雪村さんが彼女ってことになってたの?」
「あ~、それはだな――」
俺は渡のお姉さんの時と同様に、ある程度要点を掻い摘んでその時の話をした。
「――へえ、演劇のお勉強のために彼氏役をやってたんだ」
「そういうこと。だから俺に彼女なんて居ないんだよ」
言ってて虚しくなるけど、事実だから仕方ない。てか、こんな事実を俺の口から言わせないでほしい。
「そっか、良かった」
先ほどとは違って満面の笑みを浮かべるまひろ。なんとも可愛らしいのだが、一つ引っかかることがある。
「なあまひろ、なんで良かったと思うんだ?」
「えっ!? そ、それは……」
俺の質問に言いよどむまひろ。
なんとなく不思議に思って聞いただけなのに、こんな反応をされると逆に困ってしまう。
「それは?」
まひろの反応は予想外だったが、聞いてしまった以上は仕方がないと開き直って答えの続きを促してみた。
「それはその……もし龍之介に彼女が居たら話しかけ辛くなっちゃうから……」
恥ずかしげに顔を俯かせてそんなことを言うまひろ。
本当に可愛いなコイツは! ギュッと抱き締めてやりたい!
そんな危ない考えが心の中に渦巻くのを必死で抑え込みながら、俺は話を続ける。
「どうして俺に彼女ができるとまひろが話しかけ辛くなるんだ?」
前に茜が今のまひろと似たようなことを言ったことがあった。
茜は女性だから、幼馴染とは言え彼女が居る俺に話しかけるのは躊躇する――みたいな感じのことを言っていた。その気持ちは確かに分かる。
俺ももし茜に彼氏ができたら、今の距離感は考えないといけなくなるだろう。今現在のような馴れ馴れしい態度も取れなくなると思う。
でもまひろは男で俺の親友なんだから、そんな心配をする必要はどこにもないはず。
「だって……彼女が居たら僕なんかと話す時間が惜しいでしょ?」
まひろのその言葉を聞いて俺は納得した。
つまりまひろは俺に彼女が居たとしたら、あらゆる時間を彼女とのコミュニケーションを取るために使いたいと思うだろうと考えていたんだろう。
そしてまひろのことだから、自分にそんな貴重な時間を割いてもらったら申し訳ない――みたいなことを考えていたんだと思う。まったく……どこまでもお人好しなやつだ。
「そんなことはないから大丈夫だよ。別に俺に彼女ができても、今までどおりにしてくれていいさ。なんの遠慮もすることはない」
「そっか、そうなんだ……」
「ああ、俺たちは親友だからな!」
「うん……そうだよね」
俺の言葉に一瞬だけ寂しそうな顔を見せたあと、まひろはいつものにこやかな笑顔を浮かべた。
「龍之介。明日の文化祭、まひるのことよろしくね」
「おう、この俺にドーンと任せとけ」
「うん、ありがとう」
まひろのお願いに自信を持ってそう答えると、本当に嬉しそうな満面の笑顔でお礼を言う。
そんな笑顔のまひろと冷たい風が吹き抜ける帰路を歩きつつ、俺たちの文化祭初日は終わりを告げた。




