最終×準備
花嵐恋学園の文化祭が明日へと迫った早朝。俺は家の前にある道路を通って行った車のけたたましいエンジン音で目を覚ました。
「――眩しいな」
まだ開ききっていない虚ろな瞳のままでベッドを下り、俺は部屋のカーテンを開けた。
シャッと音を立てて開けたカーテンの向こう側からは、眩しい太陽の光。虚ろにしていた目を一瞬閉じてからゆっくりと見開いたあと、鍵を開けてから窓を開け、室内の空気を入れ替える。
開けた窓から入って来る空気は、やはり冬の早朝らしく冷たい。
そしてその冷たい風を押しながら入って来る風で更に空気は冷たさを増し、身体へと突き刺さる。俺は開け放った窓を10秒と経たない内に閉じた。
ほんの少しの間とはいえ、外の冷たい空気を受け入れた部屋は一気に冷えてしまい、俺はその冷たさから逃げるようにして再び温もりの残るベッドへと舞い戻って布団を被る。
「ああ~、暖かい」
冬場における布団とコタツは、一度入ると抜け出せなくなってしまう魔性の道具と言えるだろう。
そんな恐ろしくも心地良い魔性の道具の中で暖かな温もりを教授しつつ、俺は昨日のことを再び思い出していた。
「あれってやっぱり、キスをしようとしてたんだよな……」
俺が思い出していた昨日のこととは、言うまでもなく、お化け屋敷で起こったあの出来事について。
昨日まひるちゃんと別れたあとから、あのシチュエーションについては何度も多角的な分析を試みたけど、やっぱりどう考えても行き着く結論は同じになってしまう。
そして行き着く結論が変わらないとなると、次に問題になってくるのは、その行動を起こした理由はなんなのか――と言うことになる。
理由――まひるちゃんが俺にキスをしようとしてきたその理由を可能性の面で考えると、大きく分けて二つのパターンに振り分けることが可能だ。
一つは雰囲気に飲まれたと言う理由。
これはお化け屋敷に入った時に俺へ密着したまひるちゃんが言っていたことだが、『お化け屋敷に来たカップルって、みんなこんなことをするんですよね?』――というようなことを言っていた。
つまりあの出来事は、一般的なカップルが行っているであろうことを、まひるちゃんが擬似的に体験してみようとしたとは考えられないだろうか。そうなるとまひるちゃんは俺と本気でキスをするつもりはなく、その雰囲気だけを体験してみたかったということになる。
そう考えると帰り道でまひるちゃんが謝ってきたのは、“俺を誤解させるようなことをしたから謝った”――と考えられるわけだ。
考えられる理由としてはこれが一番しっくりくるような気がする。
なぜならまひるちゃんは俺と一緒でラブコメ作品が好きみたいだし、そういった世界観やシチュエーションに憧れていたりする一面もあるからだ。これなら相手役として俺を選んだ理由にも説明がつく。
まひるちゃんはああ見えて異性に対しては極端に人見知りをするようだし、本人も異性でまともに話せるのは俺と兄のまひろだけだと言っていた。
ならば必然的にあのシチュエーションの相手役として俺が選ばれるのにも納得がいく。
そして考えられる二つ目の理由……それはまひるちゃんが異性として俺を好きだからという理由だ。しかし可能性とは言ったものの、この理由は正直言ってありえないと思う。
もちろんそう思うのには理由がある。なぜならまひるちゃんは、俺のことを2人の時は“お兄ちゃん”――と呼んでいるからだ。
それはつまり、まひるちゃんが俺を異性としてではなく、兄的な存在として見ていると言う証拠になるだろう。
世間でもやはり兄的存在、妹的存在は恋愛対象にはならないと聞くし、俺の思っているこの考えはほぼ間違いないだろう思われる。
つまり俺が出した結論を言うと、あれは好奇心旺盛なまひるちゃんが、好奇心のままに動いた結果起きた事故――のようなものということだ。
「うん。そうだよな……そうに違いない」
俺は自分の中で出した結論を反芻するようにして何度も飲み込みながら布団を抜け出し、冷たい肌触りの制服へと着替えてから学園へ行く準備を進めた。
× × × ×
「お、おはよう。龍之介」
木枯らしが吹いて来る寒空の下、ちょうど花嵐恋学園へ通う生徒たちが利用している最寄り駅の前を通りかかった時、後ろから聞きなれた声音で名前を呼ばれた。
「よ、よう。まひろ」
相手はまひるちゃんではない筈なのに、聞こえてきた声に身体が一瞬強張ったのが分かった。振り返って精一杯の平静な姿を見せようとするが、その態度はやはりどこかぎこちなくなってしまう。
でも、それは仕方がないと思う。自分の中で昨日の出来事に結論を出したとは言え、すぐにそれを消化できるほど俺は大人ではないのだから。
「あ、あの……昨日はまひるがごめんね」
その言葉を聞いた俺は、少しだけ身体の緊張が解けた気がした。もしかして今目の前にいる人物は、昨日と同じくまひるちゃんではないかと思っていたからだ。
もちろんお試し入れ替わりは昨日だけの予定だから、今日まひろが来るのは間違いないことだけど、やはり瞳の色と性格以外は瓜二つなので、どうもそのあたりに疑いを持ってしまう。
「いや、別に気にしてないから大丈夫だよ。まひるちゃんにもあまり気にしないように言っておいてくれよ。随分気にしてたみたいだからさ」
「うん、そう言っておくよ。ありがとね、龍之介」
まひろは一瞬だけしょぼんとした表情を見せたかと思うと、そのあとですぐにいつもの柔和な微笑を浮かべた。
昨日まひるちゃんが家に帰ってからまひろに色々と話をしたんだろうけど、そのことでまひろも結構悩んでいたのかもしれない。
俺だって杏子という妹が居るんだから、妹のことが心配になる兄の気持ちは分かるつもりだ。
「おう、じゃあ行こうぜ」
だから俺は、いつもと変わらない態度でまひろに接した。それが心配性のまひろにとって一番いい接し方だからだ。
まひろはこちらが気にしている態度をとっていると、それに同調するかのようにいつまでもそれを気にしてしまうタイプだからな。
「うん」
いつもの愛らしい笑顔を見せたまひろは、大きく頷いてから小走りで俺の隣へと並んだ。
俺はそんなまひろと話をしながら、学園へと向かって歩いた――。
「おっす! 龍之介!」
ほどなくして花嵐恋学園の教室へ着くと、渡が朝からいつものハイテンションで俺に挨拶をしてきた。
元気なのは良いことだが、コイツの元気はどこから湧いてくるのだろうかと毎回思う。
「相変らずイベントの時だけは来るのが早いな」
「いやあ~、そんなに褒めるなよ~」
ちょっとした嫌味のつもりで言った筈なのに、渡はその言葉を聞いて右手で頭を掻きながら本気で照れている。ここまで物事を前向きに捉えることができるってのは、ある意味で才能なのかもしれない。
そんなことを思いながら渡の横を通り抜け、俺は自分の席へと鞄を置いてから椅子へと座る。
明日はいよいよ、二年目の文化祭本番初日。今日はA班B班に分かれての最終打ち合わせを行う。
俺はくじ引きでB班に振り分けられたが、A班には絶対に負けるわけにはいかない。
なにせ最終日後にある打ち上げで、2日間の売り上げが低かった班が相手の班の打ち上げ料金の半分を払うということになっているからだ。
今回の文化祭、我がクラスは喫茶店とお化け屋敷喫茶に分かれているのだけど、初日はA班が普通の喫茶店、B班がお化け屋敷喫茶を担当、そして最終日は店を交代して営業をし、2日間トータルの売り上げを競うことになっている。
こういうことになったのも、『普通に営業するのはなんかつまんないよな』――と、渡が言った一言が始まり。
途中経過は端折るが、最終的に渡が持ち出した提案は、二つの班にクラスを分けて売り上げを競う――というものだった。
負けた方の罰ゲームは、お互いの班が本気でやりあうようにと取り決めたもの。
本来ならこんな提案は通りそうもないものだけど、うちのクラスはみんな揃って負けん気が強いようで、あっさりとこの提案は通ってしまった。まあ負けた時の代償はかなり痛いが、面白そうなのは確かだし、俺もやるからには負けるつもりはない。
話が纏まるまでには紆余曲折あったけど、結果として渡の提案はクラス全体のモチベーションを上げたことになる。
ともあれ、明日からの本番のため、見事打ち上げの料金をA班に半分出させるために、今日のミーティングはしっかりやっておかないといけない。
ちなみにだが、A班には茜とるーちゃん、それに美月さんが居る。
俺の見る限りでは学園内でも屈指の可愛さを持つであろう3人娘が、よりにもよって相手側に居るというのは結構な痛手だ。おそらく明日のA班の喫茶店は、盛大に盛り上がることだろう。
最終日のお化け屋敷も、美月さんが居る以上は決して油断はできない。いったいどんな秘密兵器を登場させるか分からないからだ。そういった意味では、B班にとって一番怖い人物は美月さんと言えるのかもしれない。
しかしながら、そこはB班も決して負けているわけではない。いつもは大して役に立たないが、こういったイベントごとで“だけ”大いに力を発揮する渡が居るし、なによりも我がB班には奇跡の潜在能力を秘めたまひろ兄妹が居る。
明日からの2日間、いかに上手くまひろとまひるちゃんを有効活用できるかが、B班勝利への必須条件と言えるだろう。
まひろは明日のお化け屋敷を担当し、明後日はまひるちゃんがまひろと入れ替わって喫茶店を担当する。
この組み合わせに対し、不安要素はもちろんある。まひろは怖いのが苦手だし、まひるちゃんは異性と話すのが苦手だからだ。
つまりまひろとまひるちゃんにとって、受け持つ店の相性は最悪と言える。
だから俺は最初、まひろとまひるちゃんが入れ替わる日を逆にしようと渡に提案したのだが、それを聞いた渡は妙案を思いついたとかで当初の予定どおりにしてくれと言ってきた。
その時に渡の妙案とやらの内容を聞いてみたのだが、アイツが考えたにしてはえらく興味をそそられる内容ではあった。
しかもその内容は、絶対的にまひろとまひるちゃんありきの内容なので、他の誰にも真似は出来ない。渡の妙案が上手く型にはまれば、A班の売り上げを大きく突き放すことができる起爆剤になるだろう。
しかし渡の妙案は少々リスクが高いようにも思うし、俺としてはかなりの不安もあった。
だがこの相性最悪の組み合わせを、いかにして上手く使うのかという興味があったのは確かなので、俺は渡のイベントプロデュース能力に期待してそれを了承した。
「よっし、今日もいっちょ頑張るか! なあ、まひろ」
「うん、そうだね」
右隣の席に居るまひろに向かってそう声をかけると、涼やかな声音と共に可愛らしい笑顔を俺に向けてくる。
きっと明日の本番は、訪れたお客さんを中心にまひろの可愛さが学園中に轟くことだろう。




