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俺はラブコメがしたいッ!  作者: 珍王まじろ
番外エピソード・朝陽瑠奈編
145/293

再会×決意

 高校二年生になって二度目の夏休みを迎えてから6日が経った。

 私は夏休みに入ってからすぐに今住んでいる土地を離れ、小学校四年生の最初の頃まで住んでいた土地へと戻って来ていた。


「ここも結構いい雰囲気だったなあ」


 見学に訪れていた高校の休憩所。

 そこにある簡素な背もたれのない椅子に座り、四角形の木目模様をしたテーブルの上に学校側から渡されていた資料を広げて見ながら、様々な項目に赤ペンで丸をつけていく。

 今回私はお母さんの仕事の都合で再びこの街へと戻って来ることになった。

 そんな家庭事情もあり、私は転入する高校を選ぶためにこうして色々な高校を見学して回っている。


「うーん」


 渡された資料に目をとおしながら赤丸をつけていく最中、私はある項目を目にして手の動きが止まってしまった。そこに書かれている内容は、全校生徒の男女の総人数というデータ。


「男子400人に女子は150人か……比率が悪いなあ」


 本当なら男女比率なんて転入するための選考材料として重視したりはしないと思う。でも私にとってはわりと重要な内容だ。


「とりあえずここは保留かな」


 私は資料をパタッと閉じてから席を立ち、職員室に立ち寄ってから見学のお礼を言ってこの学校をあとにした。


「えーっと、次の見学場所は――」


 持っていた手帳を小さな鞄から取り出し、予定表のページを開き見る。

 転入の候補として選んでいる高校はいくつかあるけど、今は夏休みということもあり、こちらの都合のいい時に見学をさせてくれる高校は案外少ない。だからなるべくスケジュールをしっかり組んで、効率よく許可をくれた高校を見学して回るしかなかった。

 私としては二学期の始業式には出られるようにしたいから、夏休み最初の1週間で候補の高校の見学を終え、中頃には通いたい高校の転入テストを受けたいと思っていた。だけど実際はスケジュールどおりにはいっていないので困っている。


「せめてあと2日以内には決めておきたいな……」


 私はふうっと溜息を吐いたあと、次の候補である高校へと向かって移動を始めた――。




「ああー、疲れたなあ~」


 今日予定していた高校の見学を終えた私は、こっちに滞在する間に宿泊しているホテルへと戻り、シャワーを浴びてからベッドへと身体を投げ出した。

 そして大きなベッドの上で少しゴロゴロしたあと、私は身体を起こして小さなテーブルの上に置いていた鞄から手帳を取り出してから再び寝そべり、予定表のページを見開く。


「あとは星香せいか女子学園と、花嵐恋からんこえ学園か。星香女子は明日見学に行くけど、花嵐恋学園はまだ許可を貰えてないんだよね……」


 手にした手帳の予定表を見ながら、私は小さな溜息を吐く。

 優柔不断な私もいけないとは思うけど、自分が通う高校はなるべく慎重に選びたい。“あの時”のような思いを再びしないためにも。

 私は反動をつけてまた上半身を起こし、再びベットの横にある小さなテーブルから鞄を取って携帯電話を取り出してメール画面を開き、お母さんへ戻る時間が何時になるのかと送った。


「うーん……どうしよっかなあ」


 メールを送ってから数分後。

 お母さんからの返信で戻りが遅くなることを知った私は、その日の夕食をどうしようかと考えていた。自宅なら迷わずなにか作るけど、ホテルに泊まっているとさすがに自炊はできない。

 私はこの際だからと、携帯をネットに繋いでからグルメサイトを開き、近場で美味しいと評判のお店を検索してからそのお店へと向かい、その日の夕食を済ませた。


× × × ×


 地元を離れてから8日目の朝を迎えた。

 今日は午後に駅でお母さんと合流し、地元へと帰る日だった。


「まだ時間もあるし、とりあえず行って見ようかな」


 手にした携帯の時計表示は午前10時前を示している。本当なら今日最後の見学場所である、花嵐恋学園へと行っている時間。

 だけど学園から見学許可の連絡が来ていないので、私はこの最後の日をどう過ごそうかと悩んでいた。

 そしてしばらく悩んだ末に、とりあえず学園の外観や雰囲気だけでも見に行こうと考え、持って来ていた荷物をまとめてからホテルをチェックアウトし、お母さんとの待ち合わせ場所にしている花嵐恋学園の最寄駅へと行ってからコインロッカーに荷物を預けて構内を出た。


「暑いなあ」


 ギラギラと照りつけてくる陽射しを、右手で遮るようにしてかかげる。

 手の隙間から覗き見た空には、熱く輝く太陽とどこまでも青い空、そして大きな厚い入道雲が見えた。

 夏の暑さにうんざりしながら掲げていた右手を下げ、ゆっくりと前に歩きだす。

 しかしものの5分と歩かない内に、私はその足をピタリと止めた。


「あっ……」


 お腹をさすりながら横を通り過ぎた人物を見て、私は思わずはっとしてしまった。


「あの、もしかして、鳴沢龍之介くんじゃないですか?」


 通り過ぎた人物の方へと振り向いた私は、すかさずそう声をかけた。


「あの……すみませんが、どちら様ですか?」


 私の声を聞いて後ろを振り向いたその男性は、少し困惑したような表情を浮かべながら恐る恐ると言った感じでそう聞き返してきた。

 わざわざそんな風に聞き返してきたということは、この男性が鳴沢龍之介くんということに間違いはないのだと思う。

 とりあえず人違いではないようで安心したけど、私は自分のことを忘れられていることが辛く、少し顔を俯かせた。


「そっか、分からないよね。こうして話すのは小学校三年生の時以来だもん」


 忘れられていたことは残念だけど、あれから長い月日も流れているし、なにより私がたっくんにしてしまったことを考えれば、私のことなんて忘れていて当然だとも思える。


「ごめんなさい、ちゃんと覚えてなくて。失礼ついでと言ったらなんですけど、お名前を聞いてもいいですか?」


 少し間が空いたあと、たっくんはすまなそうな表情をしながら私にそう聞いてきた。この相手を気遣う感じの聞き方、なんだか懐かしい。


「あ、あの……私、朝日瑠奈あさひるなです」


 たっくんの問いかけに戸惑いつつも、私は自分の名前を口にした。


「も、もしかして、るーちゃん?」

「うん」


 久しぶりに聞いたるーちゃんというあだ名。

 それを聞いた私は、嬉しく思いながらもすぐにあの時のことを思い出して申し訳なくなり、深く顔を俯かせてしまった――。




「あ、あの……元気にしてた? たっくん」


 少し閑散としたファミレス内。その一角のボックス席へと座った私は、向かい側に座っているたっくんに向かってそう話しかけた。本当ならあのままお別れするべきだったのかもしれないけど、私はたっくんとどうしても話をしたくなってしまい、少しだけお話をできないかと誘った。

 たっくんは少し戸惑っていた感じだったけど、それでも私の申し出を受け入れてくれたことが嬉しかった。そういった流れもあって、立ち話もなんだからとたっくんが行きつけにしているというこのファミレスへと私は案内されていた。


「えっ? あ、ああ、うん。それなりに元気にやってたよ。るーちゃんは? 転校したのを聞いた時にはビックリしたけど」

「ごめんなさい。家の事情で急に引っ越しが決まってお別れも言えなかったの」

「そうだったんだ」


 私の言葉を聞いてたっくんは少し寂しそうな感じの表情を浮かべた。それを見た私は、心がチクリと痛むのを感じた。なぜなら私の言った言葉は半分嘘だったから。

 確かに引っ越しが急に決まったのは事実だけど、たっくんにちゃんと話そうと思えばそれはできた。でも私はそれをしなかった。したくてもできなかった。たっくんに合わせる顔がなかったから。


「それにほら、あの時はその……色々あったから話もし辛かったし――」


 今になっても嘘をついてしまう自分が嫌になるけど、私は躊躇ちゅうちょしながらも残り半分の理由を話した。本当はあの時の私にとって、引っ越しのことを話さなかった理由なんてそれしかなかったんだけどね。


「――そっか。でもまあ、るーちゃんも元気みたいだし良かったよ」


 暗く沈む私の耳に、たっくんの柔和にゅうわで明るい声が入ってくる。

 その声に顔を上げると、あの事件が起こる前は何度も見せてくれていた優しく懐かしい笑顔がそこにあった。


「まだ私のこと、るーちゃんって呼んでくれるんだね」

「えっ? あ、ああ、ごめんね、つい昔の癖でさ。久々に会ったのに馴れ馴れしかったよね」

「ううん! そうじゃないのっ!」


 違う、そんなことない。

 私はとっても嬉しかった。長い年月が過ぎたというのに、あんな酷い目に遭わせてしまったというのに、こうやってまだあだ名で呼んでくれることが。だから私はつい必死にそう否定をした。


「あっ、ごめんね。私のことは昔みたいに呼んで。ううん、そう呼んでほしいの。お願い……」

「……うん、分かったよ。じゃあ昔みたいにるーちゃんて呼ばせてもらうね」


 私のお願いをたっくんは嫌そうな顔もせずに聞き入れてくれた。


「ありがとう、たっくん。あっ、私は鳴沢くんって呼んだ方がいいかな?」


 本当なら私がたっくんのことをあだ名で呼ぶことは許されないのかもしれない。だけどそう思いながらも、あの時のように親しくあだ名を呼び合いたいという思いも強かった。


「ううん、俺のことも昔みたいにあだ名で呼んでよ」

「じゃ、じゃあ、昔みたいにたっくんで……」


 私がそう言うと、たっくんはにこっと笑顔で頷いてくれた。その笑顔を見て安堵した私は、紅茶が入ったティーカップを手に持ってから口元へと運び、心を落ち着かせるようにしながらそれをゆっくりと飲む。

 それから少し緊張が解けてきたからか、私はたっくんと少しの間話し込んだ。

 そして何気ない会話を交わす最中、私はたっくんに今通っている高校がどこなのかを聞いた。単純に興味があったからだけど、その高校名を聞いた私は心が大きく弾むのを感じた――。




「さあ、着いたよ」

「わあー、たっくんはここに通ってるんだね!」


 ファミレスでたっくんが花嵐恋からんこえ学園に通っているという話を聞いた私は、我がままを言ってたっくんに学園まで連れて来てもらった。

 たっくんは校門前であちこちを指差しながら、丁寧に学園の説明をしてくれる。外観も結構綺麗だし、たっくんの説明によれば敷地も相当に広く、部活動なんかも活発とのことだ。

 そんな色々な説明をしてくれるたっくんを見ていると、どうしても校内を見て回りたくなってしまう。


「――ねえ、たっくん。校舎の中には入れないかな?」

「うーん、入れないってことはないと思うけど、学生服も着てないしなあ……」

「そっか……無理を言ってごめんね、たっくん」


 花嵐恋学園の生徒であるたっくんが居れば、もしかして2人で学園見学もできるかな――なんて一瞬思ってしまったけど、やっぱりそんなに甘くはないよね。


「いや、謝ることはないけどさ。――まあせっかく来たんだし、ちょっと覗いて行くくらいはいいかな」


 我がままを言い過ぎたなと反省していたその時、たっくんはなんとも軽い感じでそんなことを言ってきた。


「本当にいいの?」


 その言葉を聞いた私は、恐る恐る確かめるようにそう言った。


「うん。でも先生に見つかったら、一緒に怒られてもらうことになるけどね」

「分かった! 私、たっくんと一緒に怒られるっ!」


 たっくんの言葉を聞いた私は、すぐさまそれを了解した。少しでも長くたっくんと一緒に居られるなら、多少怒られるのも怖くはない。


「そこまで覚悟があるなら行こうか」

「うん!」


 躊躇ちゅうちょない私の返答にたっくんは驚きの表情を見せていたけど、すぐさまにこやかな笑顔を浮かべて校舎の方へと歩き始めた。私は一言元気に返事をし、たっくんのあとをついて行く。

 出勤している先生に見つからないようにと、細心の注意を払いながら私を色々な所へと案内してくれる。途中で何度か先生と遭遇しそうになったけど、急いで物陰に隠れたりしながらやり過ごした。それがいけないことだと思いながらも、たっくんとそんなことをしているのが楽しかった。

 そしてしばらく色々な場所を案内してくれたたっくんは、せっかくだからと自分が在籍しているクラスへと私を案内してくれた。


「――ここでたっくんが勉強してるんだね。席はどこかな?」


 私は興味津々にたっくんの席がどこだろうかと教室内を見回す。するとたっくんは自分の席を指差しながら、校庭側の一番後ろの席だと教えてくれる。

 そしてせっかくここまで来たのだからと、私は教室内に入れないかたっくんに尋ねてみた。

 たっくんは苦笑いを浮かべながら、『さすがに鍵がかかってると思うけどね』と言いつつ、教室前方の引き戸へと手をかけて開けようとする。だけど案の定、たっくんの言うとおりに鍵がかかっているようで、その引き戸は動かなかった。当然と言えば当然だけど、ちょっと残念。


「――こっちも開かないのかな?」


 私は諦め悪く教室後方の引き戸へと向かう。当然後方も鍵がかかってるはずだから、無駄なことだとは思ったけど、とりあえず後方の引き戸まで歩いて行き、戸に手をかけてからスッと引いてみた。

 すると予想外にもその引き戸はなんの抵抗も感じさせることなく開いてしまった。


「あ、あれっ?」


 冗談半分のつもりだったのにと私は焦っていたけど、たっくんは教室の中へ入ると私に教室へと入るようにうながしてきた。教室内に入ることを望んだくせに、いざそれができるようになった瞬間に躊躇してしまう。

 そんな戸惑う私に、たっくんは『見つかった時の秘策はあるから』と言って入室を更に促してくる。私はそんなたっくんの誘いを受け入れ、恐る恐る教室内へと足を踏み入れた。

 それを見たたっくんは教室内をゆっくりと進み、さっき教えてくれた自分の席へと座る。


「こうして見ると、結構この教室って広いんだな」

「ふふっ」

「どうしたの?」

「あっ、ごめんね。なんだか小学生の時のことを思い出しちゃって」

「小学生の時?」

「うん。あの時もたっくんは窓際の一番後ろの席だったなーって」


 そう、あの時もたっくんはこの位置の席でこうやって少し背中を丸くして座っていた。


「そんなことよく覚えてたね」

「うん、ずっと見てたから――あっ……」


 つい口にしてしまった言葉が恥ずかしくなり、思わずたっくんから視線をらして背中を向けてしまった。


「ところでるーちゃん、なんで学園が見たかったの?」


 私の口にした恥ずかしい言葉がまるで聞こえていなかったかのように、たっくんはそう聞いてきた。

 その何事もなかったかのような態度に安心しながらも、ちょっと残念に思う自分がいる。


「えっ? あ、えっとね、私、8日前からお母さんとこの街に来てたの」

「そうだったんだ」

「うん。それでね、こっちに来てからずっと色々な高校を見て回ってたの」

「へえ、どうしてそんなことを?」


 たっくんに理由を聞かれた時、私はその理由を話すかどうかを迷った。この街に戻って来るということは、少なからずたっくんと会う機会もあるということ。

 それは私にとってとても嬉しいことである反面、とても心苦しいことでもある。

 だけどせっかくこうして再会したんだから、少しでも接点を持っておきたいと、図々《ずうずう》しくもそう思ってしまった。


「――あ、あのね、たっくん! 私ね――」

「君たち、ここでなにをしてるのかね?」


 こっちに戻って来ることだけでも伝えようと決心して口を開いたその時、私の後ろにある教室の出入口から女性の声が聞こえてきた。

 その声に後ろを振り向くと、茶色の長髪を綺麗にポニーテールにしている白衣姿の女性の姿があった。


「み、宮下先生!? なんでこんな所に?」

「それは私が真っ先に聞いたことなんだがね?」


 私の後ろからたっくんの焦ったような声が聞こえる。先生って言ってるし、この状況はマズイのかもしれない。


「いやまあ、その、なんと言いますか……」


 たっくんは出入口に居る先生の方へと向かい、事情を説明し始める。


「――ふむ、君もよくよくこういったことに縁のある人間のようだな」


 たっくんが宮下先生と言っていたその女性は、そう言いながら私の方をチラッと見てくる。その目はまるで、私という人間を観察しているかのように見えた。


「まあ事情は分かったが、このままここに居るのは好ましいとは言えないな」

「ごめんなさい、たっくんは悪くないんです。私が無理にお願いしたからいけないんです」


 先生のそんな言葉を聞いた私は、たっくんに迷惑がかからないようにと頭を下げて謝った。


「彼女はこう言っているが、そうなのかね? 龍之介くん」

「確かにそうお願いはされましたけど、連れてきたのは俺の意志です。彼女の責任じゃありません」


 謝る私をかばうようにして、たっくんがそう言ってくれる。本当に昔から変わらず優しいんだから。


「まあいい、私はこれから会議に出ないといけないので、これで失礼するよ。君たちは他の先生に見つからない内にここを出たまえ」


 私が下げていた頭を上げると、その先生は少し微笑みながら私たちに背を向けた。


「ありがとうございます」


 そしてたっくんがお礼を言うと、その先生はこちらを振り向くことなく右手を軽く上げ、その手をプラプラと左右に振ってから教室を出て行った。


「……いこっか、るーちゃん」

「うん」


 私はそう言うたっくんの言葉に頷き、そのまま教室を出て静かに校門へと向かった。


「――ありがとうね、たっくん」

「ううん、大して案内できなくてごめんね」

「そんなことないよ、とっても嬉しかった。たっくんも昔と変わってなくて安心したし」


 私はそう言いながら、たっくんに向かって微笑んだ。

 本当にたっくんは昔と変わってなかった。優しいところも、気遣いを忘れないところも、あの頃と変わらない。


「あっ、いけない!?」


 そんな変わっていないたっくんを見て安心した私が、ふと自分の左腕にある腕時計を見た時、お母さんとの待ち合わせをしている時間を過ぎていることに気づいた。


「どうかしたの?」

「お母さんとの待ち合わせ時間を過ぎてるの」

「えっ!? そうなの!? じゃあ、急いで戻らないと!」

「う、うん」


 ビックリした表情を見せるたっくんと一緒に、私はお母さんと待ち合わせをしている駅へと走りだした――。




「はあはあ」

「大丈夫? るーちゃん」

「う、うん、大丈夫……」

「ほら、これで汗を拭きなよ」


 急いで駅前へ戻って来ると、たっくんはポケットから取り出したハンカチを手渡してくれた。

 ちゃんと自分のハンカチは持っているけど、せっかくだから使わせてもらっちゃおう。


「ありがとう、たっくん」

「うん。ほら、急いで待ち合わせ場所に行かないと」

「そうだった。でも、このハンカチ……」


 私はたっくんから渡されたハンカチを返すことに躊躇した。さすがに汚してしまったハンカチをそのまま返すわけにはいかないと思ったから。


「それはいいから、早く行って。お母さんが待ってるんでしょ?」


 どうしようかと迷っている私に、たっくんは背中を軽く押しながらそう言ってくれた。


「う、うん。ありがとう、たっくん。これ、必ず返しに来るから!」


 私は軽く後ろを振り返りながらそう言い、バイバイと手を振ってから待ち合わせの場所へと向かった。

 それからお母さんと無事に合流した私は、コインロッカーに預けていた荷物を持ってから地元への帰路についた。


× × × ×


 夏休みもあと5日で終わろうとしている夜、私は最後の引越し荷物をまとめていた。

 たっくんと偶然再会して地元へと帰ったあと、私はすぐに花嵐恋学園への転入手続きを取り、夏休み中頃には転入試験を受け、そして無事に合格することができた。

 花嵐恋学園への転入を決めたのは、たっくんから聞いた学園の生の情報が役立ったのが大きい。話に聞いていたカップル率も噂どおり高いみたいだし、これなら私も少しは気兼ねなく学園生活を送れると思ったからだ。

 でも、花嵐恋学園への転入を決めた大きな理由はたっくんが居たから。

 動機としては相当不純だと思うけど、あの時から私も少しは成長したと思うし、今回たっくんに会った時にもそれなりに話はできた。

 小学校三年生の時にたっくんを傷つけてしまったことを考えると、私が花嵐恋学園に転入して来るのは酷いことなのかもしれない。だからこの転入は、私の我がままということになる。

 だけどたっくんの近くに少しでも居られたら、私は勇気を出してあの時の本当の気持ちを話せる時がくるかもしれない。そうしたらあの頃に感じていた幸せを、失ってしまった関係を少しは取り戻せるかもしれない――と、淡いながらもそんな期待を抱いていた。

 もちろんその話をしたからと言って私が許されるわけではないと思うし、むしろ今更そんなことを話しても信じてもらえない可能性の方が高いと思う。

 だけど私はたっくんに許してほしかった。

 あの引越しをして以降、私はずっとたっくんのことを忘れたことはなかった。ううん、忘れようとしても忘れられなかった。今までずっと、心の中で後悔だけをいだいて過ごしてきたのだから。


「ハンカチ、ちゃんと返しに行かないとね」


 私は透明の袋の中に綺麗にしまったハンカチを鞄から取り出してそう呟いた。

 いよいよ明日にはたっくんが居るあの街へと引越しをする。そして新学期が始まるのと同時に、私はたっくんと同じ花嵐恋学園の生徒だ。

 できればたっくんと同じクラスになればいいな――なんて思ってしまうけど、さすがにそれは甘い考えだと思う。

 そういえば学園の転入試験の時に受けた面接で、例の白衣を着た茶髪のポニーテールの先生と再会した。話によると養護の先生らしいけど、今は養護の先生でも転入のための面接に参加したりするんだなと、ちょっと不思議に思った。

 確か名前は宮下先生だ。面接の時に色々と質問をされたから覚えている。ちょっと癖のある喋り方をする人だったけど、面白いし良い人なんだろうと思う。


「さてと、明日は早いし、そろそろ寝ておかないとね」


 取り出していたハンカチを再び鞄にしまい、私は用意していた寝袋に入った。


「たっくんとまた、仲良くできたらいいな……」


 不安がまったくないわけじゃない、むしろ不安が溢れ出てきそうなくらいだった。でもそれ以上に嬉しさがあったのも事実。

 私はそんな不安と嬉しさが入り混じる複雑な心境を抱えたまま、夢の中でたっくんと出会えるように――と、そう願いながら目を瞑った。

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