言えない×本心
るーちゃんこと朝陽瑠奈が、花嵐恋学園へと転入して来てから早くも2週間が経った。
この2週間は特に俺が危惧したような事態は起こらず、至って平穏。本当に怖くなるくらいに穏やかな日々で、美月さんが転入して来た時の方が波乱に満ちていたと感じるくらいだ。
しかしそんな穏やかな日々の中にもちょっとした違和感はあった。茜は直接的な干渉こそして来ないものの、俺とるーちゃんの様子を窺っているような素振りを多々見せているし、るーちゃんは学園内では必要以上に俺に話しかけてこない。
でも放課後になって学園を出てから俺が1人になると、まるでそのタイミングを見計らったようにして現れ、一緒に話しながら帰ることが多かった。
茜とるーちゃんの過去からの確執は、もはやどうしようもない事実。俺がいかに誤魔化し隠そうとしたところで、無駄に終わることは明白。
できれば2人には過去の出来事を思い出すことなく、仲良くしてほしかった。でもそれが既に無理な話である以上、今のお互いに干渉し合わないようにしている状況が、2人にとっては最善の状況なのかもしれない。
どんな聖人君子だって、出会うすべての人と仲良くはなれないだろう。人生は創作物のように都合よくは進まないのだから。
「――どお? 少しは学園に慣れた?」
「うん。みんな親切にしてくれるし、この学園に来て良かった」
にこやかな笑顔を浮かべ、嬉しそうにそう言うるーちゃん。
我が家からほど近い場所にある公園。俺とるーちゃんは学園からの帰り道、そこに寄り道をして缶に入ったアイスコーヒーを飲みながら雑談をしていた。
「そっか、それなら良かったよ」
夏も終わりを迎えようとしているとはいえ、まだその暑さは名残を失ってはいない。るーちゃんの返答に対して“良かった”と頷きながら、じわりと額に浮かんだ汗をハンカチで拭う。
「そういえばるーちゃん。どうして花嵐恋学園に転入しようと思ったの?」
「えっ!? ど、どうしてって?」
その何気ない質問に、るーちゃんは明らかな動揺を見せた。俺としてはちょっとした疑問を投げかけただけのつもりだった。
だってるーちゃんは小学校の時から成績は優秀な方だった。だからもっとレベルの高い学校にも行けたと思うんだ。
まあ引っ越してから先のことは分からないけど、それでもるーちゃんはしっかりと勉強をしていたんだと思う。それを裏づけるように、先日行われた小テストでもいい点数をとっていたしな。
「いやほら、るーちゃんて昔から勉強が出来る方だったから、もっとレベルの高い学校にも行けたんじゃないかと思ってさ」
「うーん、そんなことはないと思うけどね」
るーちゃんは自嘲気味にそう言いながら浅い笑顔を浮かべる。この自信なさげな困った表情、幼い頃に何度か見た表情だ。
それにしても昔から思っていたことだけど、るーちゃんはもう少し自分に自信を持っていいと思う。変なところで弱気と言うか、自分を卑下するところがあったからな。
「あのね、夏休みに一度たっくんと偶然街中で会ったでしょ? 実はあの時ね、転入先の高校をどこにしようかと思って色々見学に来てたの」
「あ、そうだったんだ」
「うん。それでね、色々な学校を見学に回ってたんだけど、なかなか希望に合うところがなかったの」
「希望? なにか行きたい学校の条件があったってこと?」
「うーん……条件と言えばそうなのかもしれないけど、最初はね、女子高に行こうかと思っていたの」
「そうなの? じゃあなんで共学の花嵐恋学園に?」
「――それは……花嵐恋学園には恋人が居る人が多いから……」
るーちゃんは顔を伏せ、少し沈黙したあとでそう答えた。
「ん? どういうこと?」
るーちゃんのした返答は、俺にはちょっと不可解だった。
それはつまり、リア充がたくさん居るからわざわざ花嵐恋学園を選んだ――ということになる。
「んー、なんて説明したらいいのかな……。簡単に言うと気楽でいいから――ってことなのかな」
困ったような感じで苦笑いを浮かべてそう答える。そういえばるーちゃんて、昔っからこういった感じの説明をするのは苦手みたいだったからな。
「気楽か~。俺にはよく分からないけど、るーちゃんが気楽ならそれがいいんだろうね」
「ごめんね、説明が下手で」
そう言って少し落ち込んだような表情を見せる。
まあ1から10まで詳しく説明してほしかったわけじゃないし、どんな理由があるにせよ、本人が納得した上でのことならなんの問題もない。
「いや、気にしないでよ。あっ、そういえばもうすぐうちの学園は修学旅行なんだよね」
「そうなの?」
「うん。今年の修学旅行は沖縄だから、しっかりと準備しておいた方がいいよ?」
「そうなんだね、なにを用意しておけばいいかな?」
さきほどまでの落ち込んだような表情から、一気に明るい笑顔になる。
「んー、とりあえず水着は必須だし、日焼け止めなんかもいるんじゃないかな?」
「そうだね。ところで、修学旅行の組み合わせみたいなのはどうするのかな?」
「それは来週決めるんじゃないかな。去年の例で考えるなら、多分好きな人同士5人から6人で班を作るんじゃないかと思うけどね」
「そっか……じゃあ今度の修学旅行は、私をたっくんの居る班に入れてもらってもいいかな?」
遠慮がちに小さく声を出しながら、るーちゃんはそう言ってきた。その顔は少し紅くなっているようにも見える。
「うん、大丈夫だよ。どうせ俺たちは組むメンバーが大体決まっているようなもんだし」
「……ねえ、もしかして一緒に組む人の中に水沢さんも居るのかな?」
るーちゃんは少しばつが悪そうにしてそう聞いてきた。
茜とるーちゃんの間には、ちょっとした因縁のようなものがある。それを考えると、一緒の班になるというのはお互いのために良くないのかもしれない。
「まあ、ほぼ間違いなく一緒になると思うけど」
「そうなんだね……」
更に顔を深く俯かせてしまうるーちゃん。
転入して来て初めての学園行事なのに、わざわざ危険を犯して俺たちと組むというのも可哀想なことかもしれない。
「あのさ、もしなんだったら――」
「修学旅行、楽しみにしておくね!」
俺が『もしなんだったら、他の人と班を組んでも大丈夫だからね?』――と言おうとしたその言葉に、るーちゃんが被せるようにそう言ってきた。
「えっ!? あ、うん……」
「じゃあ、私は帰るね」
るーちゃんはそう言うとベンチからサッと立ち上がり、飲んでいたアイスコーヒーの缶を持ってから公園を走り出て行く。
そして公園を出たところでスッと立ち止まったかと思うと、突然こちらを振り返った。
「たっくん! 私が花嵐恋学園に来たもう一つの理由は、たっくんが居たからなんだよっ!」
「えっ!?」
「じゃあ、また明日ねっ!」
そう言ったあとで公園の出入口付近にある自動販売機横のゴミ箱に空き缶を入れると、軽く手を振りながら自宅がある方へと走り去って行った。
「ふうっ……」
るーちゃんが走り去ったあと、俺はその言葉の意味を考えながら残り一口分ほどのコーヒーを口に含んだ。
しかし深く考えるまでもなく、あの言葉の意味は“知り合いである俺が居るから安心”――みたいな意味なのだろう。
昔恋した相手にあんなことを言われれば、別の意味を期待したくなるかも知れないけど、俺はもう、そんなアホな勘違いは断じてしない。
「俺も帰るか」
ちょっとした虚しさを感じながら、空になったアイスコーヒーの缶を持って公園を出て行く。そしてそれをゴミ箱に入れ込み、少しゆっくりと歩きながら自宅へと帰った。




