38.私の初恋(ソフィアSide)
魔獣祭りでばったり会ったルートヴィヒとその奥様。これを機に仲良くなれればと思ったのだけど、急いで買い物を終え戻ったそこにはアロルドがいた。
『ソフィアは話があるからついて来い』
そう言った大好きなあの人の冷たい声色。口調からしていい話でないことはわかった。
人ごみを縫うように進む逞しい背中。その足取りは早く、後ろを歩く私を気にするそぶりもない。見失わないよう必死でついていくなか、周囲がアロルドに向ける秋波をはっきりと感じ、心がざわついた。
騎士団の制服を着たアロルドをうっとりと見つめる女性の多いこと。ワイルドな風貌ながらどこか上品さが残る端正な顔とウィットに富んだ口調に、多くのファンが黄色い歓声を上げる。
毎夜枕を共にするのは違う女性だとまことしやかに噂されたとしても、その派手な女性関係すらも好意的に受け止められているのだから、稀有な人だ。
だけど、声を大にして言いたい。
みんなは知らないでしょう?
彼が魔獣騎士という仕事に誇りを持ち、気難しいドラゴンを従えるまでにどれほど苦労したのか。
重鎮たちが集まる前で臆することなく、貴族籍を捨てひとりの女性を守るのだと公言した惚れ惚れする男ぶりを。
妊娠していた奥様が殺された後、やりきれない思いを抱えながら人知れず慟哭していた姿を。
魔獣騎士としての誇りと大切なものを奪った民とのジレンマで苦悩し続けていることを。
……私がアロルドに出会ったのは、私が七歳、彼が二十二歳の時。
末っ子で甘やかされた私は乳母や侍女の目を盗み、魔獣舎へ忍び込んだことがあった。
蝶よ花よと育てられた私は、周囲がひれ伏すことを当然と思う典型的なお姫様だった。無敵だったのだ。
だから、まさかドラゴンに敵意を向けられるなんて思ってもおらず。
殺されかけた私を助けてくれたのが、頭角を現し始めていたアロルドだった。
『お姫様。急に自分の部屋に知らない人が入ってきて騒いだらどう思いますか?』
『……怖いと思う』
『ドラゴンも同じです。魔獣舎に入りたい時は魔獣騎士におっしゃってくださいね』
見上げた彼は物語に出てくる王子様そのもの。綺麗に整えられた赤みがかった茶髪。優しく細められた柔らかな金色の瞳。顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。
それからだった。ひとめアロルドを見ようと王城を歩き回る日々が始まったのだ。
『アロルドー!』
『おや、かわいらしいレディ。ごきげんよう。今日はどんなお勉強をされたんですか?』
幼い私を女性扱いしてくれるアロルドがうれしくて。嫌な顔一つせず迎え入れてくれる彼にどっぷりハマったのは当然の流れだった。気がついた時にはすでに初恋に落ちていたのだ。
来る日も来る日もアロルドの姿を追い、私は陰ながらその苦悩と成長を見続けてきた自負がある。
転機が訪れたのは十歳になった頃だった。
周辺国で勃発した終わりが見えない戦争へ魔獣騎士団の介入が決まったその日。一目散でアロルドの元へ向かったことを今でも覚えている。
『アロルドっ! 行かないで!』
王族の一員たる私が言うことではない。だけど、戦争は何が起こるかわからないもの。アロルドが怪我をするようなことがあったら……!
『お姫様……。私は魔獣騎士団の一員です。国王の命には従わなくてはなりません。それに、我が魔獣騎士団は誰ひとりとして怪我をしませんよ?』
『そうですよ、ソフィア殿下。魔獣騎士団の強さを信じてください。アロルドも無傷で帰ってきますから!』
泣きべその私を代わる代わる慰める第一魔獣騎士団の面々。
どこからどう見てもアロルド大好きな私と彼のやりとりを微笑ましく見守ってくれた彼らは、“アロルドはお姫様の今一番お気に入りの騎士”“お姫様は顔がいい騎士がお好み”くらいに思っていたように思う。
泣く泣くアロルドを見送ってからは戦況についての報告に日々飛びついていた。
戦争は数か月ほどで終息したが、二つの国は酷い惨状だったらしい。
早々に帰ってくると思われた魔獣騎士団だったが、逃げた王族や高位貴族の処刑、武力解除とその後処理、市街戦により壊滅した街の復興の手伝いなど、残務は山積みでなかなか戻ってこなかった。
休暇がとれる余裕ができると魔獣騎士団の派遣は交代制になり、数か月置きに帰国する団員が増えたのだけど、アロルドが帰国することはなく……。
ようやく彼が帰国したのは、魔獣騎士団が完全撤退することになった二年後のことだった。
十二歳になった私は急激に背が伸び、『青百合姫』『国民の妹』と呼ばれるようになっていた。自分で言うのもなんだけど、天使のような容姿だともてはやされていたのだ。
ぐんと大人っぽくなった私を見て、アロルドはなんて言ってくれるだろう。
――お姫様、しばらくお会いしないうちに大人になられていて驚きました。
きっとそう言ってくれるはず。……あと四年もすれば結婚だってできるわ。
第一魔獣騎士団は飛行してグラウンドへ戻ってくると聞き、私は精一杯のおしゃれをしてグラウンドへ向かった。
みんなが褒めてくれたリボンやレースがたっぷりの淡いピンク色のドレス。編み込んだ髪に生花をあしらい、大きなサファイヤの首飾りと揺れるイヤリングを身につけた。今にして思えばさぞかし滑稽だったことだろう。
すでにグランドには彼らの家族たちがその到着を今か今かと待ち構え、ざわめき立つ。遠くの空からドラゴンの集団が見えると、どこからともなく拍手が巻き上がり、「おかえりー!」の声がこだました。
家族との再会に歓声が上がるなか、グラウンドに降り立ったドラゴンから次々と団員が降りてくる。せわしなく視線を動かし、私は待ち焦がれた赤茶色の髪をとうとう見つけたのだ。
「アロル――」
その名を大声で叫ぼうとした私の喉は言葉を失い、駆け出そうとした足は地面に縫い付けられたように動けなかった。
金色の瞳が愛おしそうに見つめるその先。
アロルドの腕には、淡紫色の髪をした美しい女性が抱かれていたのだ。




