30.これは体裁のため
別邸に戻った私はドキドキする胸を押さえながら悶えていた。
ルートヴィヒ様は私がお誘いを受けたことがそんなに嬉しかった……?
――訳がないじゃないっ!
あくまでも私は都合がいい存在ってだけ。なに期待してんのよ、クラリス。妄想するのは自由だけど、結局傷つくのは自分よ?
チーズケーキだって、本当においしいか確認したくて、どうせなら「そういえばいたはず」の妻に食べさせようとしただけなのだから。
……まったく、ルートヴィヒ様の言動は罪深すぎる。
急にスンとした気持ちになり、ため息が出た。
「はぁ。……あ、そういえば実家から手紙が届いたんだった」
本邸を出る時に執事から渡された実家からの手紙。今日届いたらしい。
社交があまり上手ではない実家の子爵家は、地方の領地でのんびりと暮らすのが水に合うらしく、忙しさを理由に滅多に王都へ来ることはない。
恋愛結婚をした両親に、幼馴染と結婚した五つ上の兄。兄嫁である義姉、それから二人の子どもである甥っ子姪っ子と、子爵家は賑やかに暮らしている。
王都にタウンハウスを持つつもりがないのは貴族としてどうなのかとも思うけど、高位貴族ではないのだし咎められることもなく。
そんなわけで、家からほとんど出ない引きこもり奥様の私と、王都苦手な我が実家とはなかなか顔を合わす機会がない。それでも、月に一往復くらい手紙のやり取りをするくらいには仲が良いのだけど……先週も手紙は届いたばかりだし、嫌な予感がする。
「……まさか、私が冷遇されているって噂、とうとう地方に届いちゃったのかしら」
ずっと不安に思っていること。それは、私を泣く泣くお嫁に出してくれた家族がレーンクヴィスト家や王都に流れる噂に気づいてしまうことだ。
もし、私が悪女呼ばわりされていることを知ったら、きっと家族は激怒することだろう。ううん、家族はまだしも……私の元専属メイドは何をしでかすかわからない。
とにかく、クラリスは実家の家族と仲良しだから離縁をした後のことを心配していないし、優しい兄に領地の隅っこでもふもふカフェを開かせてほしいといえば、大喜びで手伝ってくれるはずだ。
「で、一体、この手紙は……」
緊張しながら封を切った手紙。義姉の字だろうか。丸みのあるやさしい文字におそるおそる目を走らせた。
「…………は? ルートヴィヒ様から連絡があって私について質問された? いろいろと正直にお話ししたですって?」
……ルートヴィヒ様、私の家族なんて気にした事もなかったのにどういう風の吹き回しかしら。それに、正直に話したって一体何のことよ。
「お義姉さま……そういう肝心なことこそ、手紙に書くべきです」
義姉は昔からぽやぽやしていて、どこか抜けている。これじゃあ、やり取りの内容が全くわからない――――!
「はっ……もしかして、ルートヴィヒ様側から離縁の理由を探している? 私に汚点がないか探しているのかしら」
……ありえる。もはや夫婦として体を成していない私たちは、離縁の理由となるアラ捜しもできないほど接点がない。ルートヴィヒ様にいたっては、クララとクラリスの声が同じであることにすら気づいていないんですもの。私の天然家族に探りを入れたとしてもおかしくはない。
まさか魔獣祭りに誘ったのも、私に何かアラがないか探そうとしているの……?
「やだな……。何か理由を作ってでっちあげられでもしたら、もふもふカフェのオープンにも影響があるかも」
――悪女の店なんですって。もふもふも狂暴かもしれないわ!
――王都で国民的カップルの障壁として嫌われていたそうよ
うっ……。田舎でそんな噂を流されたら、爪弾きにされてしまう。
「家族みんなに口止めしとかなくちゃ。余計なこと言わないでって」
*
その頃、クラリスの実家、田舎にあるヴェルナール子爵家では――。
「ルートヴィヒくんもやるじゃないか。クラリスの好きなものをなんでもいいから教えてほしいだなんて」
「相変わらずクラリスは本ばかり読んでいるのかしら。まったく、いい方に嫁いであの子は幸せね~」
クラリスの両親は愛娘が愛されていることを信じて疑わずほくほく顔だ。ぽやぽやしたおっとり義姉もにこにことほほ笑む。
「長い間、婚約したいってしつこかったですものね。決まるや否やレーンクヴィスト家に最短で連れて行ってしまうだなんて。うふふ」
「そろそろ、孫の話も聞こえてきそうなものだけどなぁ」
クラリスにそっくりな美形兄、ハインリヒ・ヴェルナールは顔をこわばらせながら浮かれる家族たちの話を聞いていたが、深刻な表情で切り出した。
「父上、母上……ルートヴィヒくんが王女と恋仲だという噂があるのをご存じですか?」
家族たちはお互いに顔を見合わせると「ぷっ」と噴き出した。
「ないない、ないよ~。あの堅物ルートヴィヒくんがうちのクラリス以外に目を向けるなんて!」
「そうですよ。婿殿は長い間想い続けてようやく結婚までこぎつけたのに」
「あなたったら、つまらない冗談はやめてくださいな」
「……」
「……」
「……ほ、本当なのか? 本当にそんな噂が?」
「ええ。隣の領の同級生に久しぶりに会って、妹は大丈夫なのかとずいぶん心配されました」
「何かの間違いだろう? この二年、クラリスからの手紙には楽しく暮らしていると……」
そう言いつつ、前のめりになって議論を始めたヴェルナール家。
そんなことはありえないと思うものの、万が一に備えようと話し合い、ひとつの結論に達したのだ。
「……よし。それじゃあ、カヤを送るということでいいな?」
ヴェルナール家が揃う居間に呼ばれた使用人――カヤは、クラリスの元専属メイド。
ハニーブラウンの髪をゆるく三つ編みにした美女は、ペリドットの瞳を輝かせ、命じられた仕事に鼻息を荒くした。
「はぁ、はぁ、わ、私がクラリス様に会いに?」
「落ち着きなさい、カヤ。クラリスも君になら言いにくいことを言えるだろうと思ったんだが。……なんだかカヤを向かわせるのは心配な気がしてきた」
「心外でございますっ! 私の仕事ぶりはご存じではありませんか!」
「う、うん、まあ。とにかく、噂の真相とクラリスが困っていないか、あの子の側で様子を見てもらいたかったんだが……」
人選ミスだったかな?とヴェルナール家の面々が不安に思い始めた頃、カヤはダッシュで自室へ向かい、ベッドの上でひとり悶絶していた。
「クラリス様、もうすぐカヤがまいりますからお待ちくださいね……!」




