29.罪深い人
……えっ? な、なんで私に食べさせるの?
ちらっとその端正な顔を横目に入れるも、ルートヴィヒ様は飄々とした顔で私を見つめている。早く食えと言わんばかりの無言の圧。……気のせいだろうか。
夫に向けていた視線を再び目の前のケーキに向けてみる。
白銀色に輝く表面が特徴の真っ白なチーズケーキは淡雪のよう。さすが、行列ができるだけあっておいしそうね。
甘いものは好きだけど……本当に食べていいのかしら。
なんとなく穿ってしまってなかなかスプーンが持てないのだけれど、この状況がさっぱり理解できないのは仕方がないことだと思う。
だって、留守にしている間に私が勝手に別邸に住んでいることに関して何も言わず、妻がどこで何をしているのかも気にしないルートヴィヒ様が突然呼び出した挙句、ケーキを食べろって圧を掛けてくるんだよ? 味の感想が知りたいわけじゃないだろうし、「喜んでいただきます」とはいかなくない?
……だけど、突き刺さるような視線がそろそろつらい。圧強すぎだわ。
どうしようと悩んでいたら、はたと気づいてしまった。
あぁ、そうか。対外的には私が妻なんだもの。二時間も行列に並んで買ったケーキをあからさまにソフィア王女にプレゼントするのはさすがに体裁が悪いのか。一応、妻に買っていったということにして、品行方正な姿を世間に知らしめたいのね?
う~ん。でも巷ではすでにルートヴィヒ様とソフィア王女が相思相愛なことが周知されているのに、そんなことをする必要があるのかしら。
――クラリスやクラリス。あんたってばお茶会も夜会も参加しないし友達もいないから知らないだろうけど、貴族って言うのはいろいろ複雑なのよ。
頭の中の耳年増なクラリスが苦言を呈する。まあ、なんとなくわかるようなわからないような。妻を冷遇していても、世間にそう思われるのは体裁が悪いってこと?
――そうよ。ルートヴィヒ様は華の第二魔獣騎士団団長ですもの。すべてにおいて完璧でなくちゃ。
野次馬的なクラリスが言うこともなんとなくわかる。そっか。家庭をおざなりにしていると査定に響いたりするのかもしれないわよね。クラリスには友達がいないから本当のところよくわからないけど……まあ、いっか。
相変わらず向けられるルートヴィヒ様の圧にも疲れてきた。
スプーンを手に、ふわふわのチーズケーキの表面をすくって口に運ぶ。
「……おいしい」
ほう、さすが。口の中いっぱいに広がる濃厚なチーズの香り。ほろほろととろけるような食感もいいし、甘さ控えめ後味すっきりなところも好みだわ。これって、前世でいうレアチーズケーキってところかしら。
ふと顔を上げると私の「おいしい」発言がうれしかったのか、そこにはふにゃりと笑ったルートヴィヒ様。思わず胸がきゅんとしてしまう。
「喜んでもらえてよかった」
……えっ、何を? それより、何その顔。
目元を赤くして柔らかく眦を下げ、うれしそうに私を見つめるルートヴィヒ様。
まるで愛おしいと言わんばかりの表情だ。そんな顔をされたら勘違いしちゃうじゃない。……反則過ぎる。
むっとした私は急いで食べて帰ろうと決意し、せっせとチーズケーキを口に運ぶ。そんな私をじっと見つめるルートヴィヒ様。いやいやいや、なんかおかしいから!
気まずい視線を感じながら完食した私は「おいしかったです、ごちそうさまでした」とぼそぼそ口にし、席を立った。
早く別邸に戻らなくちゃってことで頭がいっぱいだった私。
それなのに、なぜかルートヴィヒ様まで席から立ち上がり、私の手首を掴んで引き留めた。
「待ってくれ、クラリス」
「ひぇっ!」
「あ、わ、悪い。痛くなかったか?」
「い、いえ……」
び、びっくりした……突然手首を掴まれて驚いたけど痛くはない、です……。変な声出ちゃったけど。
それより、急に何なの? まさかもっと詳しくケーキの感想を言ってから帰れって?
目を瞬かせる私を見下ろし、ルートヴィヒ様がふいっと目を逸らした。
「……来月、市民の魔獣祭りがある。今年は非番になったから、一緒に行かないか」
「え?」
魔獣崇拝の強いセーデルホルム王国では、ドラゴンやヒッポグリフ、グリフォンを象った神殿や祭りが各地に存在する。毎年魔獣を称える大祭が開かれ、国中が祝祭ムードに包まれるのだけど。
第二魔獣騎士団の団長であるルートヴィヒ様は、毎年警備に駆り出されていたはず。団長なのに休んでいいのかしら。
「……第二魔獣騎士団は遠征続きだったから、今年の警備は免除されたんだ。たまには祭りを見てみようかと」
ソフィア殿下を誘わなくていいの? あっ、王女様は儀式か何かの関係で忙しいとか……?
なぜ私を誘ったのかわからず首を傾げていたのだけど、ふとその理由に思い至った。
はっは~ん。一緒に行く相手がいないのね? いやいやいや、だからって、ほとんど口を聞いたこともない妻を誘わなくても。
……ううん、よくよく考えたら、下手に他の人と行くより体裁がいいのか。だって私、一応妻だし。
急なお誘いの理由がすとんと腑に落ちたら、行ってもいいような気がしてきた。
なんといってもお祭りを見てみたいし、それに……結婚している間の思い出がひとつくらいあってもいいかな、なんて。
ルートヴィヒ様の隣にいれば、さすがに直接的な言葉で罵られることはないだろうから、クラリスのままお祭りに行くチャンスのような気もする。
「……行きます」
「ほんと? ほんとに? わ、わかった。楽しみにしている」
ルートヴィヒ様がふわりと笑った。
……どうして?
どうして、あなたがそんな泣きそうな顔して笑うの?
感情が追いつかず、私は「失礼します」と逃げるように本邸を後にした。
だから自分の顔が真っ赤に染まっていただなんて、気づかなかったのだ。




