3. 一番高く、売れるモノ(3/5)
お礼を述べた直後、それまでオドオドとしていたナタリーが、真っ直ぐにルドルフを見つめる。
何かを決意したように、突然落ち着き払ったのが気になった。
「やっぱり払ってやればよかったか……」
あの後さらに調査を進め、金貨百二十枚にまで借金が膨らんだと報告が入っている。
「ザック、もしお前の婚約者が、両親の借金を背負うことになったらどうする?」
「理由にもよるけど、まずは相談に乗るかな」
「そうだよなぁ……」
聞けばまだ十六歳。
婚約者は彼女の状況を知るや否や、即座に婚約破棄を申し入れたらしい。
「どうしたの兄さん、面倒ごと?」
王都で衛兵として働いている次男のザックに資料を手渡すと、読み進めるにつれ、段々と表情が険しくなってきた。
「この金貸し、最近よく名前を聞くけど、検挙しようにも証拠がなくて困っていたんだ」
「どうみても、クロだよなぁ……」
悪質な金貸しに暴利をむさぼられ、いいようにカモにされながら幼い弟と家を守るのは、並大抵のことではない。
思い起こせば、執事以外の使用人を目にしなかった。
信じていた婚約者もいなくなり、助けてくれる親族がいるようにもみえない。
まともに相談できる大人もおらず、さぞ心細いことだろう。
「介入する立場じゃないが、このままだとどうにも寝覚めが悪いな……」
「兄さんが肩代わりする気なら、耳を揃えて、俺が穏便に話をつけてこようか?」
幼さの残る可愛らしい顔立ちに、クリクリとした丸い目。
待ち合わせをしたレストラン、『ハナニワ』で美味しいと舌鼓を打ちながら、嬉しそうに食べていたナタリーの姿を思い出す。
「いいように使われたみたいで癪だけど、恩を売れるかもしれないし」
「そうだなぁ。だが、いつも助けてくれる大人がいるとは限らない。もう少し様子を見るか」
自分で解決できるなら、それが最善。
迂闊に手を出すと、本人のためにならないこともある。
ルドルフは悩まし気に、うーんと唸りながら天井を仰いだ。
ちゃんとご飯は食べているのだろうか。
屋敷の警備があんなに手薄で、危険な目に遭ってはいないだろうか。
元々面倒見のよい、五人兄弟の長男ルドルフ。
考え出すと心配になって、居ても立ってもいられなくなり、料理人に作らせた軽食を馬車に積み、訪問の先触れもなくアーデル子爵邸へと向かった。
王都にあるアーデル子爵邸へ到着すると、陽が落ちかけた夕方過ぎにも関わらず、屋敷の灯りが消えている。
「なんだ……? 誰もいないのか?」
呼び鈴を鳴らし、しばらく待っていると、ゆっくりと扉が開き――、ナタリーがちょこんと顔を覗かせた。
「え? ルドルフ様!? 一体どうされたのですか?」
「あ、いや、仕事のついでに近くに来たので、立ち寄ったのですが……突然の訪問となり申し訳ありません」
訪問客に、令嬢自ら対応するだと?
……執事はどうしたんだ。
玄関から薄暗い部屋を覗くと、ガランとした室内に一人の男の子が座っている。
「ああ、弟のロイです。執事も含め、使用人にはすべて暇を出してしまいましたので、今日は二人きりなんです」
なんだその状況は……。
持参した軽食とお土産を手渡すと、嬉しそうに受け取り、何もないですが中で御一緒にいかがですかと誘ってくれる。
数回しか会っていないのに、誰も守ってくれる人のいない屋敷に男を招き入れてしまうこの警戒心の無さ。
俺が暴漢だったらどうするつもりなんだ。
一言注意をしようと口を開き、だが男の子の暗い表情が気になり、ルドルフは目を眇めた。
「……では、馬車から灯りを持って参ります」
応接室には先日同様、皮の擦り切れたソファーと古びたテーブルだけが、ぽつんと置いてある。
小さな子供は手慣れている、五人兄弟の長男ルドルフ。
持参した軽食を美味しそうに食べる弟のロイに話しかけると、少しずつ笑顔が見られるようになった。
「両親が亡くなってから、ほとんど笑わなくなってしまって……ルドルフ様はすごいですね」
感嘆の息を漏らし、柔らかに微笑むナタリーへと目を向け、ルドルフはふと気が付いた。
そういえば会ってからこれまで、貴族にありがちな平民を小馬鹿にする視線を、彼女から一度も受けていない。
それどころかまるで平等な者に接するように、驚き、微笑み、尊敬の眼差しを向けてくれる。
調査報告書にあった切羽詰まった状況にも関わらず、追加の金貨二十枚についてもワケを話すと、自分の都合を呑み込み、すぐに引き下がってくれた。
元々人を騙す類の人間ではないのだろう。
「紅茶のおかわりを用意しますね」
やはり先日の何かを決意した様子が気になり、聞こうかどうしようか迷っていると、ナタリーはそう言い残して応接室を出ていく。
部屋に残されたロイとルドルフ……。
ナタリーの姿が見えなくなったのを確認し、ロイはルドルフの膝によじ登ってきた。
甘えたいのか? 可愛いな……。
弟の小さい頃を思い出して頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細める。
「お兄ちゃんは、たぶん良い人」
「ん? 悪い人ではありませんが、どうかされましたか?」
「今日はお姉ちゃんと一緒に過ごす、最後の夜なんだよ」
「……なぜ?」
膝に抱っこされたのが嬉しかったのか、頭を撫でるルドルフの大きな手に重ねるようにして、ロイは小さな両手を乗せた。
「家を売ってもまだ足りないんだって。借金さえ返せば、おじさんが僕を引き取ってくれるって」
足をプラプラと上下に動かしながら、ロイは不満気に身体を揺らす。
「明日の昼にお迎えがくるの」
その言葉を聞いた瞬間、ルドルフの心臓が飛び跳ねるようにドクリと脈打った。
誰一人いない使用人、灯りもなくおよそ人が住む状態ではない屋敷、明日を最後に親族へ引き取られる幼い弟。
そして、今この屋敷にある、一番高く売れるモノ。
冷静になれと自分に言い聞かせるが、逸る気持ちを押さえられない。
「……ナタリー様は屋敷に残るのですか?」
大嫌いな貴族など放っておけばいいのに、なぜこんなにも気にかかるのか。
厚顔無恥で家族すら裏切るのが貴族……大丈夫、問題ないはずだ。
頼む、残ると言ってくれ――。
「足りない分は自分を売るんだって」
「……なんだと?」
「おじさんが言ってた。僕知ってるよ……お姉ちゃんとはもう会えないって」
ルドルフは、グッと唇を噛みしめる。
ベソをかき始めたロイを安心させるように、小さな頭を自分の胸に押し当て、優しく撫でた。
だが先程まで、小さく温かな手が触れていたはずのルドルフの指先が、次第に温度を失くしていく。
自分でもなぜこんなに動揺しているのか分からない。
耳元で響く拍動を押し込めるように眉間に力を籠めるが意味は無く、冷たくなった指先が、微かに震えた。
「お待たせしました。あの、どうかされましたか?」
戻ってきたナタリーはルドルフの険しい表情に驚き、気遣うように声をかける。
「いえ、何でもありません。急用を思い出しましたので、これにて失礼いたします」
「お忙しいのに、お引き留めしてしまい申し訳ありませんでした」
このまま二人を屋敷に置いて帰るのはあまりに心配なため、外の小屋を借り、随行した信頼のおける護衛を置いていってよいか聞くと、あっさりと承諾してくれる。
少しは疑ったらどうなんだ……。
苛立つ理由が自分でも分からず、必死で自分の感情を押さえ込む。
馬鹿なことをしようとしている目の前の少女を、今にも叱責してしまいそうな自分の言葉を吞み込んで、ルドルフは足早にアーデル子爵邸を後にした。







