1. 目指せ!借金返済(1/5)
※5話完結です。
「お姉様、僕たち屋敷を追い出されちゃうの?」
五歳を迎えたばかりの子爵令息、ロイは不安気にナタリーの顔を覗きこんだ。
馬車の事故により、両親のアーデル子爵夫妻が亡くなったのは一週間前。
遺された二人きりの姉弟……だが女性は爵位を継ぐことができないため、幼い弟が継ぐことになった。
「大丈夫よ。心配しなくていいから、もう寝なさい」
安心させるようにロイの頭を一撫でして自室に戻るよう促すと、部屋にはナタリーと執事のセバスチャンの二人きりになる。
ナタリーは棚の奥に隠していた帳簿を取り出し、徐にテーブル上に広げた。
「ど……どうしよう……ッ!!」
「お嬢様、もう無理です!これ以上は破産します!!」
ロイはまだ未成年のため、爵位を継いだとしても成人まで後見人が必要になる。
実務を担当する後見人は、一族の有力者にお願いをすると相場が決まっているが――。
「どうやって借金を返済をすれば……!!」
屋敷にある美術品には、差押えの赤札。
ご丁寧に、金貸しからの督促状まで添えてある。
下手をすれば飛び火する……こんな状態で後見を引き受けてくれる者など、いるはずもなく、借金返済どころか後見人探しの段階で難航していた。
「お嬢様、申し上げにくいのですが、使用人達への給与も二ヶ月間、未払いです」
「ひぇぇぇッ!?」
なにゆえ、これほど悪化するまで放っておいたのか。
悲しんでいる暇もない……ナタリーはどうしたものかと頭を抱え、ふと、赤札が付いていない皿に気が付いた。
「セバスチャン、あの高そうなお皿はなぜ赤札が付いていないのかしら?」
「デザインが珍しいのでオーダーの一点モノに見えますが、手先が器用なアーデル子爵が生前、趣味で作られたお皿です」
「そうだったのね。お父様ったら……もっと他にやるべきことがあったでしょうに」
セバスチャンの言葉に、もはや溜息しか出ないナタリー。
「多少の値が付くかと期待しましたが、残念ながら美術的価値はなかったようです」
「見た目だけのハリボテで、赤札すら貼られず売れ残るなんて……まるで私のようだわ」
婚約者はいたのだが、葬儀後の子爵家の惨状を見て、早々に婚約解消を願い出てきた。
払われる慰謝料は借金額には到底足りず、焼け石に水……途方に暮れるばかりである。
「もうすぐ定年を迎えるというのに、こんなに尽くしてくれた貴方に報いることすらできないなんて、情けない限りね」
「お嬢様のお言葉だけで充分報われますよ」
祖父の代から仕えてくれる執事のセバスチャン……彼がいなければ、煩雑な相続の手続きどころか、葬儀すらまともに出せなかっただろう。
「不要品にも、なにか使い道があれば良いのだけれど」
なにか……現状を打開できるような、なにか。
うーんと思考を巡らし、ナタリーはふと妙案が頭を過ぎった。
あまり誉められたことではないが、こうなったら腹をくくるほか、ないだろう。
「そういえば、伯爵家で開催される仮面舞踏会は、財を成した平民も参加が許可されていたわね」
「確かそのように記憶しておりますが……」
「本来なら喪に服さなければならない期間だけど、背に腹は代えられないわ」
今の自分に使える武器は、『貴族であること』、『若い未婚女性であること』、そして――亡き父が趣味で作った一見『高価に見える皿』。
「出席します。セバスチャン、年齢問わずお金がある順に、平民の独身男性リストを作ってちょうだい」
「お嬢様、何をされるおつもりですか?」
「……不要品を使って、一儲けするのよ!!」
決意を新たに宣言するナタリーへ、セバスチャンは不安気に視線を送り……ゴクリと唾を呑んだのである――。
***
たまに送られる、侮蔑の視線。
参加が許されているとはいえ、平民は緑をベースにした仮面をするよう指定されており、一見して貴族ではないと分かる。
身分問わず拓かれた場を提供するといえば聞こえはいいが、その実、成功を収めた平民に立場を知らしめるための場なのではないか。
そう勘繰ってしまうほど、見下した態度で接せられる。
「だから来たくなかったんだ……」
早々に交流を諦め、ルドルフはダンスホールを後にした。
いくら金があっても、平民は平民。
身分の差は如何ともしがたく、こうやってあからさまに突き付けられると、さすがに気分が落ち込んでしまう。
貴族との交流を願う両親には申し訳ないが、外の風にあたりながら、終わるまで時間をやり過ごそう。
そう思い、ふと少し先の茂みを見やると、何やら影のようなものが小さく動いていた。
なんだ? ――人か?
怪しい者かもしれない……足音を立てずに近付くと、少女だろうか。
手のひらほどのリストを月明りに照らし、ブツブツと何事かを呟いている。
熱心に何を見ているのだろうと、そうっと後ろから覗き込むと、一番上に書かれたルドルフの名前が目に入った。
「ん、俺?」
「……きゃあッ!?」
思わず大きな声が出て、振り向いた少女が驚きのあまり、飛び跳ねるようにして立ち上がる。
華やかに着飾る仮面舞踏会で、喪服のような黒一色のドレスと手袋。
極めつけは、闇夜に溶け消えてしまいそうな漆黒の髪と瞳である。
「なッ、なんですか貴方は!? いつからそこに!?」
仮面まで黒……ということは、おそらく貴族令嬢なのだろう。
まんまるに開かれた目が、警戒するように左右へ動く。
「申し訳ありません、たまたま目に入ったお手持ちのリストに、自分の名前が書かれていたもので……」
不審者扱いをされて、衛兵を呼ばれてはたまらない。
無害をアピールすべく両手を上げて言い訳をすると、令嬢は「自分の名前が?」と首を傾げて恐々と近付いてきた。
「どの辺りに書かれていたか、差支えなければお教えください」
「いや、どの辺といいますか……一番上ですが」
「一番上ですって!? と、いうことは貴方はルドルフ様ですか!?」
先程まで適度に距離をあけていたくせに、名前を聞くや否や、令嬢は急に前のめりで距離を詰めてくる。
「そうですが、それがなにか……?」
ルドルフがつけている緑の仮面は見えているはず。
だが平民と分かっているのに目をきらめかせ、探るような……それでいて期待に満ちた目を向けられる。
よく見ると何かを抱えており、気になって視線を向けた次の瞬間、令嬢はハッと気が付いたように身体を固くし……そして、抱えていたものを地に落とした。
パリーンッ!!
小気味よい音を立てて、何かが割れる。
「ん、皿……?」
散らばった破片から皿であることを確認し、ルドルフは訝しげに眉をひそめた。
「きゃあッ!! 大変、割れてしまったわ! 父の形見の高価なお皿が、見るも無残に割れてしまったわ!!」
「ええと……な、なぜ皿が?」
つまめる程度の軽食しかない仮面舞踏会。
もりもりと食べるつもりだったのだろうか、よりによって形見の皿を持参したあげく、茂みに潜んで謎のお名前リストを読みふける黒ずくめのご令嬢。
「大好きだった父といつも一緒にいたいと、世に二つとない高価なお皿を肌身離さず持ち歩いていたのに、こんなことになるとは!!」
直系三十センチを超えようかという大皿。
もう少し、持ち歩きに適した形見はなかったのだろうか。
謎に満ちたこの貴族令嬢に、ルドルフの疑問符が止まらない。
「もはや家宝と言っても差し支えないこのお皿……べっ、弁償よ!!」
「弁償!? 何もしていないのに!?」
「貴方が話しかけたから、ビックリして落としてしまったんだもの。貴方のせいよ!!」
言いがかりにもほどがある。
ルドルフは足元に散らばった破片をいくつか拾い上げ、仄かな月明りで確認をした。
美術品に詳しいわけではないが、正直言って、それほど高価にも見えない。
金に困っている貴族も多いと最近はよく耳にする。
物の価値すら分からない平民と侮り、最初から金をせびるつもりだったのかもしれない。
「それは大変申し訳ございませんでした。後日改めて謝罪に伺いますので、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「ナタリー・アーデルと申します。あの、できれば屋敷ではなく、王都のお店でお願いしたいのですが……」
公衆の面前で跪いて謝罪としろということか!?
前回参加した他の夜会で、貴族令嬢達に馬鹿にされ、陰口を言われたトラウマが蘇る。
「……承知しました。ところで当方モノを知らぬ平民のため、弁償しようにもこの皿の価値が分かりません。参考までにお聞かせ願えますか?」
わざとらしくルドルフがへりくだって尋ねると、急にモジモジと迷うようにナタリーの視線が泳ぎ始めた。
「その、あの、金貨百枚です」
「はぁッ!? こんな皿が!? いや、大事な形見の皿を『こんな皿』呼ばわりするのは恐縮ですが、いくらなんでも……」
著名な芸術家の作品であっても、せいぜい金貨五枚。
足元を見るにも程がある。
「でも、金貨百枚なんです」
そこは譲る気がないらしい。
貴族同士であれば文句の言いようもあるが、そこは身分の差があり、平民の立場は極めて弱い。
手痛い出費だが、金持ち平民リストのトップに君臨する大富豪ルドルフ……金貨百枚程度であれば許容範囲である。
下手に逆らって、これ以上時間を無駄にするのも、馬鹿にされるのも御免こうむりたい。
「……それでは、王都の噴水広場から見て北側にある『ハナニワ』というお店は如何でしょうか」
個室であれば誰かに見られる心配もない。
こうなったら貴族様が満足するまで、土下座でもなんでもしてやる……!!
ルドルフは申し訳なさそうに金貨をせびるナタリーへ視線を送ると、先ほどの皿の欠片をそっと手の内に隠し、提示された条件を呑むことにしたのである――。







