打ち上げ!③
「今日ね、実は圭ちゃんに会ったの」
「ああ……」
玉井の言葉に俺はなんて返せば良いのか分からず、空返事をしてしまった。すると、玉井は持っていたスクールバックを体の後ろへと持ち替えて、
「実行委員だから、南さんからパニックにならないようにって事前に聞いててね」
「……」
「悪いかなって思いながらも話しかけたの」
街灯の灯りに玉井の華奢な身体と三つ編みが優しく照らされている。玉井は変に飾ることもなく、自分の言葉で話を続ける。
「南さんも凄いよね。あの圭ちゃんと友達なんだもん」
玉井は噛み締めるかのようにそんな事を言う。玉井も圭の事は知っていたのか。あんまりSNSとかは疎いかと思っていたのだが。案外知ってくれていたようだ。歩いていく傍ら、じめじめとした夜風が俺たちの間を吹き抜けていく。
「それで、聞いてみたんだ。蒼井君って知ってますか? って」
「…………」
「ほら、夏休み前に教室で川島が蒼井君と圭ちゃんの話をしてたからさ」
ああ……。あの圭の姿で信道と渋谷で偶然出くわした次の日の時か。やっぱり玉井は、あの時の話を覚えていたんだな……。すると玉井は、少し悲しそうに笑いながら、
「そしたらね? 圭ちゃん凄い驚いてて……」
「あぁ……」
「でさ……。それで、なんかね……分かったんだ」
玉井は不意に真っ直ぐと俺の顔を見上げながら、
「川島の言ってた通り、圭ちゃんは蒼井君の事が好きなんだなって」
と、そう玉井は言った。俺に気を遣わせない為か話し終えた後、ぎこちなく笑いながら。そうか……言われたあの時は焦って何も返せなかった為、もしかしたらそんな風に受け取ってしまったのかも知れないとは思ったが、やはり玉井にはそう見えていたのか。ふと前を見ると、いつの間にか路地から線路沿いに差し掛かっており、その草むらから鈴虫の鳴き声が聞こえてくる。
「…………」
鈴虫のせいなのか、玉井も何かを話すわけでもなく、つかの間の静寂が辺りを支配する。玉井は俺の言葉を待っているのだろうか。俺が頭を整理して話し出そうとした、その瞬間。
「あーあ、もう圭ちゃんのせいで折角の私のプランが台無し」
玉井は健やかに笑いながら晴れた夜空を見上げ、そんな事を言う。ただ、その声はうっすらと震えていた。周囲に響く鈴虫の鳴き声に押されるかのように、不安定に。
「おい玉井ーー」
「ねぇ……蒼井君。ずるい言い方しても良いかな……」
玉井は微笑みを崩さず、ただ一心に前を見つめたまま、
「心がね……痛いんだ。蒼井君の事を考えるとさ。今日告白しよって思って、ずっと頑張ってきたんだけど、なんかそれも出来なくなっちゃった、あはは……」
「……」
軽く負担にならないような、玉井らしい気を遣ったその話し振りが返って痛々しく感じた。ただそれでも、玉井が何かを懸命に話そうとしている事が分かった俺は、大人しくそれを待った。すると玉井はまた、ゆっくりと笑顔を崩さないままに、
「だって、蒼井君を困らせるだけだもん。あの子も……圭ちゃんも、私と同じくらい蒼井君の事を思ってるって今日分かっちゃったから……」
「…………」
「私はただ、蒼井君に思いを伝えたいだけだったのに……それすらも、なんか出来なくなっちゃった」
ゆっくりと氷が溶けていくかのように玉井の顔から笑顔が消えていく。そして変わらずに前を向いたまま、玉井はその声を震わせて、
「ねぇ蒼井君……。私……ちゃんと告白したいよ……付き合って欲しいって言いたい……。けれど……だめなの」
「玉井……」
「ごめんね? 私……ずるいよねこの言い方。蒼井君が困るのも分かってるんだけど……」
「そんな事ねぇよ……」
自然と出た言葉と共に俺は、玉井の方を横目で覗く。その目にはうっすらと涙が溜まっていた。それでも玉井は俺に泣いている事を悟られないように明るい声を保ちながら、
「私は別に、圭ちゃんと蒼井君がもう付き合ってても良いんだ……。だけど今日ちゃんと、伝えたかったの……。自分の気持ちを……」
「…………」
「でも揺らいじゃった。気持ちなら負けないって思ってたのに、圭ちゃんも私と同じくらい蒼井君を思ってるのが、分かっちゃったから……」
並んで歩く俺達の前方を、真っ白な街灯が照らしている。こんな俺が何かを言う事自体、玉井を傷つけるかとも感じたが、俺は聞く。
「なぁ……玉井はそれで良いのか……」
「うん……」
「そうなのか」
「うん。あは……私めんどくさいでしょ? でも、それで良いんだもん。私は自分の行動で誰かを傷つけるのが嫌だから。私と関わった人はみんな楽しくなって欲しいから」
「…………」
そんな言葉を懸命に明るく話す玉井に、俺は何も言えなくなった。そうだった。そんな性格をしている事自体、この俺が一番分かっていた事なのだ。すると、黙った俺に玉井は、
「蒼井君は……やっぱり優しいね。さっきから私を傷つけないようにずっとさ……。ちゃんと私だって分かってるんだよ? そんなの綺麗事だって……。自分が矛盾してるって事もさ」
「そんな事は言ってねぇよ……」
俺の言葉に、玉井は充血した瞳をこちらに向け、そして優しく微笑む。
「だけど……私はそういう人間なんだもん。だからこれは、私のプランが台無しってだけ。ただそれだけっ……あはは」
そうやって、目の前で玉井は微笑んでみせる。俺は何と声をかければ良いのか、分からない。けれども俺は今この瞬間、何かを話さなければならない気がした。息を吸い込み俺は玉井を呼び掛ける。しかしそれは横を過ぎ去る電車の音に容易く掻き消されてしまった。
「…………」
電車が過ぎる間、俺はなす術もなく夜空を見上げる。すると頭上には真っ白な月が輝いていた。こんな俺が何と声を掛ければ良いのか。圭なんて幻想だ。圭なんてものは存在しないのに、玉井は圭に遠慮している。圭なんて本当は存在しないのに、玉井は圭を気遣っている。ましてや今日会ったばかりの圭を玉井は、尊重している。
「ねぇ、蒼井君」
電車が過ぎ去った。俺は再び、玉井の方へと顔を向けた。
「また……明日からもよろしくね」
「おい……」
「じゃあまた!」
そう言って、玉井は駅まで走って行ってしまう。不器用に、その三つ編みを振るって。去り際に見えたその目には確かに涙が溜まっていた。追いかけるべきか。いや止めよう。今ここで無理に追い掛けても玉井を傷つけるだけな気がする。
「…………」
情けない俺は、ただ去っていく玉井の背中を見つめる事しか出来なかった。




