番外編:川島信道の夏休み②
「あっペンギン!」
「おっ! 自分これが見たかったんす!」
「え、そうなんだ!」
「ペンギン好きなんで!」
サメなどが居た巨大水槽のエリアを抜けた二人の目の前に、ペンギンが現れる。水槽で隔たれた向こう側で飼育員に餌をねだって鳴き声を上げている。
「なんか、獣の匂いがするっすね」
「ね、海獣の匂い」
室内は少し独特な匂いに満ちていた。しかしそれも、数分で鼻が慣れた。
「信道君はなんでペンギンが好きなの」
「え。なんつーか可愛くないすか? 二足歩行だし、歩き方とか」
「あ、そこ? あははっ 信道君面白い!」
「え……あ……面白かったすか?」
ハルが手を繋ぎながらケラケラと笑っている。ハルの笑いがその手を返し信道の体にも伝っていく。なんかよく分かんねぇけど笑い取れて良かったぜ……。なんて思いながら信道はフロアを進んでいく。
「でも、たしかに可愛いかもペンギン」
「シュールで可愛くないすか?」
「シュールかは分かんないけど」
「シュールっす。ヌケ感が」
「ふふ、そうなんだ」
そう言って、ハルは顔横の髪をかき分け、スカートが少し下がってきたのか黒いブラウスごとスカートの上を掴み上げる。
「休憩します?」
「ううん、いこ」
☆★☆★☆★☆★
「楽しかったすね! 水族館!」
「うん! 久しぶりで凄い楽しかった」
水族館を出た二人は、近場の喫茶店で休憩を取ることにした。冷たいコーヒーを飲みながら信道は、緊張をはぐらかすように対面に座るハルに話しかけた。ちなみにコーヒー代も信道が奢ろうとしたのだが、無理し過ぎとさすがにこれは断られてしまったようである。
「何が一番かわいかったっすか?」
「うーん……。クラゲかチンアナゴかなぁ」
「あぁ、チンアナゴ。あれは映えっすね」
「信道君は?」
「自分は、やっぱりペンギンとかアシカとかっすかね」
「ふふ……お魚系はあんまりなんだ」
ハルはそう言って微笑む。ハルの笑顔を見た信道も素直に笑みがこぼれてしまう。
「信道君は次、いつバイトなの?」
「自分は明後日っすね。ハルさんは?」
「私も明後日かな」
ハルの笑顔を見た信道は思った。あれ、これ結構キてる? なんか良い感じの雰囲気だよな……? 手も繋いだし、楽しそうだし……この流れなら夜飯も行けるか?
「どうしますハルさん。この後、飯行きます? ソラマチに戻っても良いですし」
「うーん……」
ハルは考え込む。それは見た信道は一気に顔がこわばり、胸が締め付けられる心地になった。えやっぱだめだった……? 俺の勘違いってやつか……? その瞬間、ハルは少し恥ずかしそうにして、
「ねぇ信道君……。私の家来ない?」
「へ?」
「私、一人暮らしだから」
「えっと……」
「私……もっと信道くんの事……知りたい……」
「……」
信道は鼓膜が張り詰めてしまったような、心臓が止まりそうな、そんな心地になっていた。一度コーヒーに口を付けて一気飲みしてみせるも全然、味がしない。ましてや冷たさすら感じないような心境であった。信道は改めて、目の前のハルさんを見つめる。大きく優しそうな瞳。白い陶器のような肌。綺麗にカラーの入った痛みのない茶髪のポニテ。黒のブラウスから透けて見える、華奢な細い四肢。それにチャームポイントである少しだけ膨れた唇。
「い……嫌かな?」
「っす……」
「え?」
「行きたいっす……ハルさんの家」
「ふふ……じゃあ移動しよっか」
信道は急いで、コーヒーを飲みきり、そして心の奥深くで強くガッツポーズをした。
☆★☆★☆★☆★
「ちょっと狭いけど……」
「全然っ大丈夫っす!」
都内のとある駅から、十五分ほど歩いたアパートの一室。1Kの間取りは確かに少し古めかしさを感じる作りではあったが、女性らしく整理整頓された部屋の様子に信道は上がるテンションを抑えられずにいた。
「凄いっすねやっぱり。一人暮らし羨ましいっす!」
「あはは、そんなの誰でもできるじゃん」
「やっぱ大人っす! ハルさん」
信道はハルの後ろについて、キッチンを抜け寝室へと通される。部屋の奥にはシングルベットが一つあり、入り口側には小さな床に自家置きされたテーブル、それとテレビ台に置かれたテレビとありふれたレイアウトだった。けれども信道にはその部屋に満ちた女の匂いのせいで、すでにクラクラとキてしまっている状況であった。
「なんか飲む? 信道君」
「あ……はいっ! なんでも」
「適当に座ってて」
ハルは、自分のハンドバックを床に置き、キッチンへと戻る。信道は立っているのも変かと座布団の上に腰を下ろした。そして、おもむろにベッドの方へと視線を向ける。
「え……」
ベッドには二本、スマホの充電ケーブルが用意されていた。えっどういう事? ハルさん彼氏とかいんの……? 前にそれとなく聞いた時、彼氏いないって言ってたのにな……。なんでベッドに充電ケーブルが二つもいるんだ……? そう、信道は悪いと思いながらも、その他にもヒントになる物がないか部屋の中を見渡す。しかし、それらしい物は見当たらない。
「はい、お待たせ。信道くん」
「あっ……ありがとうございます」




