影の理解者③
「あ、お兄ちゃんおかえりー」
「おう菜月、ただいま。帰ってきてたのか」
…………。
あれ?
玄関の灯がつく。
「えっ? お兄ちゃん……だよね?」
「…………」
玄関で菜月と鉢合わせる。
「……」
ちょっと待て……。
「え、お兄ちゃん?」
いやいや本当に菜月か? 嘘じゃないよな……。背中まで伸びた艶やかな黒髪。ややつり気味だが大きな瞳と白く健康的な肌、俺と同じやや低めな鼻筋、女の中では高い身長。自然な前髪を手櫛で整えつつ、Tシャツ短パンのラフな格好で目を丸くして俺を見ている。うん間違いない……。菜月だ……。俺の妹だ……。
「バレた……終わった……」
現実を理解できたその瞬間。いつのまにか身体全体が脱力し、俺はそのまま玄関で腰が抜けてしまう。終わった……俺の人生。さよなら男の娘ライフ。
「ちょちょ……。お兄ちゃん! 大丈夫?」
「終わった……」
菜月が慌てて駆け寄ってきて、俺の腕を支える。
「ちょっと足……! 汚れちゃうってば! とりあえず靴脱ぎなって!」
「あぁ……」
菜月は俺が持ってた紙袋を受け取って、腕を掴み立てようとする。俺は朦朧とした意識と共に菜月の手を借りて立ち上がる。そして靴を脱ぎ、家に上がると菜月は楽しそうに、
「うっはぁ! 可愛いお兄ちゃん! マジ可愛いよ! てかもう完全に女の子じゃんこれ!」
「…………」
「メイクもしてアイプチも入れてカラコンまで……。髪はウィッグかな、くっー! 可愛い!」
「…………」
俺の気持ちをよそに、菜月は存外楽しそうに俺の姿を観察している。俺はこの場から逃げたい心地だったが、懸命に口を開いた。
「幻滅したか……菜月……」
「てか、そのツインテとかめっちゃ似合ってるんだけど、あと涙袋強調し過ぎで地雷感出てるのウケるー」
「なぁ菜月……。幻滅したか……」
「でもやっぱりお兄ちゃんは輪郭がゴツゴツしてないから、女装映えするねー! あとお兄ちゃんは鼻が男っぽくないのが良いよねぇ、ほらテレビで見る女装ってさ大体鼻が男っぽくていまいちじゃん? マジで私も頑張らないとなー!」
「おい、聞いてるのか」
「え? なに?」
「幻滅したか、この姿に」
俺の血気迫る問い掛けに菜月は、ヘラヘラした様子で言葉を返す。
「えー? なんで? 幻滅なんてしないよ。てかぶっちゃけ知ってたし」
菜月はさっきからやたらと楽しそうに俺を見ている。嫌味なやつだ、こっちの気も知らずにって……え? 今なんてーー
「んー……こう言えば話が早いかな、ねぇ"圭ちゃん?"」
「…………」
「おしゃれと化粧と自撮りが好きな地雷女子、圭ちゃん。生息地おうちの中」
「な……なんで知ってるんだ……それ」
それは圭ちゃんアカウントの自己紹介文だった。菜月は心底楽しそうな笑顔を浮かべて、
「うわ! 驚いてる顔もめっちゃ可愛いんだけど! すごいよお兄ちゃん! 本当に!」
「菜月……お前もしかしてフォロワーだったのか……?」
「そうそう、黙っててごめんね。"なっちゃん化粧練習中"って言えば分かるかな」
「なっちゃん……っておいマジかよ! あれ初期の頃から繋がってる奴じゃねぇか!」
なっちゃん……。ゆちゃんの次の次くらいに仲良くなったアカウントだ。ゆちゃんはあまりつぶやきには反応しなかったタイプだが、なっちゃんは事あるごとに反応してくれて、やり取りだけならゆちゃんよりも多いかも知れない。まさかそれが菜月だったなんて……。通りで好きなゲームやアニメやバラエティ番組の趣向が似てるはずだ。だって妹なのだから。
「あはは! だから黙ってて悪かったってお兄ちゃん! てかさ本当に欺きたいんだったらもう少し上手くやらないとさ。だってお兄ちゃんの上げる写真とか動画、背景がお兄ちゃんの部屋そのまんまなんだもん。机の上のモンキルのキャラとか」
「…………」
「そりゃあ私だってJKだし、JKに人気のインフルエンサーはチェックしてますとも!」
「…………」
ぐうの音も出ない。まぁインフルエンサーっちゃインフルエンサーなのかも知れないがそんな大層なものでもないのだが。フォロワーも10万人程だし。ただこれは僥倖なのかもしれない。
「じゃあ……菜月は前から俺のこの趣味に気付いていたって事か」
「だからそう言ってんじゃん。あぁそうだ、前もって言っておくけど安心して、お父さんとかお姉ちゃんとか真夏にはこの事言ってないから」
「良かったぁ……」
「あはは! 超焦ってんじゃん! お兄ちゃん面白っ!」
俺の心底安心した顔を見て、菜月は腹を抱えて笑っている。まぁ確かに面白いのは分かるけど、そんなに笑う事はないだろ……。さすがに少し傷付く。
「ほら! とりあえずリビング行こうよ! お兄……じゃなくて圭ちゃん!」
「馬鹿にしてんだろ……」
菜月は普段ならそんな事しないのに俺の手を取って、リビングまで連れて行く。そして強引にソファに座らせられると、菜月も俺の買ってきたものが入った紙袋を端に置き、隣に座ってきた。
「改めて見ても可愛い……。凄いねお兄ちゃん」
「そんなに見るなよ……」
「今日はどうしてたの?」
「フォロワーの女の子と遊んでた」
「えっ! それって羊の皮を被った狼的な感じでガォーってしてきたって事!?」
「しねぇよそんな事! そんなことしたら一瞬で変な噂拡散するだろ」
「でもリアルで会ってたんだよね、声でバレない?」
「声は女声を出してる」
菜月はまたも吹き出した様子で笑う。
「あっははは! えっやってやって!」
「なっちゃん……さっきからいじり過ぎだよ〜……」
「あははははっ! 上手い上手い! 上手すぎて余計に面白いんだけど!」
「お前な……」
まぁ確かに、実の兄がいきなりこんな変わりようだったら、さすがに笑うか。それにしてもさっきから笑い過ぎだけどなこいつは。あと絶対馬鹿にしてるし……。菜月は涙を指で拭きながら、
「でもそんだけ仕上げてたら、確かにバレないね」
「まぁ今んところ多分バレてない」
「てかむしろナンパとかされない?」
「それもないなとりあえずは」
「フォロワーの子に声掛けられるとかも?」
「気付いたのか、じっと見てくるJKはいる」
「ふーん」
菜月がずっと俺の顔を見てくる。菜月の長いまつ毛が揺れ動く。俺は耐え切れず、
「な……なんだよ。もう良いだろ」
「でもそっか、お兄ちゃんはやっぱり圭ちゃんなんだね……」
「まぁ……そうだけど……」
「そのさ……お兄ちゃんが良ければで良いんだけど、今度……女の子の格好でさ……一緒に遊びに行こうよ……」
菜月はやや恥ずかしそうに伏し目がちになりながら言った。こいつ……いきなり態度変えてきやがってなんだよ……。そんな感じで来られたら俺も断れない。
「あぁ……。だけど父さんがいない時だけだぞ」
俺の言葉に菜月はにっこりと笑う。




