女心と秋の空①
週明け。色んな事が起きすぎた修学旅行も終えて、秋の優しい朝日に照らされる中、俺は学校へと向かう。衣替えしたばかりの頃は暑かったこの紺のブレザーの上着も、肌寒くなってきた今は丁度良い。
「おーっす恭二」
「おう信道」
正門を抜けると背後から信道に声を掛けられた。暑いのか、その着崩した紺の上着を信道は片手で仰ぎながら、
「終わっちまったな、修学旅行も」
「だな」
「あとはもう、3年になって受験だけか……」
「いや、極端すぎるだろ……」
「普通に考えて、3年なんて常に受験がちらつくだろうがよー」
何をいまさら普通の高校生みたいな事を言ってんだこいつは……。どうせ受験勉強なんて1ミリもしねぇくせに……。俺は呆れつつ、校舎に入り下駄箱で上履きに履き替える。
「あ、蒼井君おはよー」
「おう、玉井」
珍しく玉井と下駄箱で鉢合わせた。正義感の滲み出た大きな瞳に、太く柔らかく結われたその三つ編み。糊の効いたシワ一つないそのブレザーの上着は夏服と変わってまさに学級委員としての真面目な性格を体現している。
「おーい、俺は無視か玉井ちゃん」
「あ、川島いたんだ。おはよう」
「いや恭二と扱い違いすぎんだろ! 学級委員が差別して良いのかって前も言ったはずだぞ」
「だから学級委員も人間だもんって前に言ったじゃん」
なんつーか、この2人も結構仲良いよな。玉井がイジれる男子なんて信道くらいだし、そういう意味では信道もこう見えて独自の信頼を築いているのかも知れない。そんな事を考えつつ俺たち3人は靴を履き替え、教室まで向かう。
「修学旅行楽しかったね蒼井君」
「まぁそこそこ」
「何が一番印象的だった?」
「いや……」
印象的な事だらけで決められねぇよそんなもん……。
「俺はやっぱり、旅館かなー」
信道がスカしたような素振りでそんな事を言って割り込む。すると玉井が呆れつつ、
「川島の事だからどうせ、アレでしょ。あの露天風呂でのーー」
「まぁ、玉井ちゃんには悪いがこれ以上は言えねぇなあ?」
うわうぜぇ……こいつ。せっかく話を拾った玉井も目を細めその三つ編みを振るいつつ面倒くさそうな顔をして、
「あっそ。別に気になんないし」
「こちとら機密保持契約を結んでるからよー」
「だから聞いてないってば」
「あれ以降、中々手も洗えなくて俺も大変なんだぜ?」
「うわきも……。ねぇ蒼井君、川島置いて先行こ? なんかウザいし」
浮ついてんなぁ……信道。そんなにあの日、圭と会えた事が嬉しかったのか……。いっちゃ悪ぃが、ただの野郎の手だぞ……。お前の隣に誰よりも一緒にいる俺のな……。つか一応彼女もいんだからほどほどに……ってまぁこいつの事だから彼女の事も勿論大事にしてるんだろうけどさ……。
「そういや珍しいな。玉井がこんな時間に登校とか」
「あはは……蒼井君も厳しいね……。実は昨日、お姉ちゃんと一緒に夜更かししちゃって……」
「へぇ。何してたんだよ」
「映画見てたの」
「映画?」
「うん。うち、お姉ちゃんが圭ちゃんの事大好きでさ」
まじかよ……。なんか恥ずいな……。
「圭ちゃんがSNSでホラー映画を紹介してたみたいでね? 一人じゃ観れないから、ゆい一緒に観よって」
「ふーん」
あぁ俺がこの前なんとなく観て、つぶやき君で紹介したやつか……。大半のフォロワーである同年代女子には刺さらないかと思ったら、意外と見てくれた人もいたんだな。
「ったくお前ら本当、圭ちゃんの事が好きだなぁ?」
薄ら笑いを浮かべつつ、信道はそんな事を言う。それに玉井は呆れつつ、
「女の子なら圭ちゃんなんてみんな好きでしょ。てか、うざい川島さっきから。圭ちゃんにちゃんと会った事もないくせに」
「たっはぁーっ! 厳しいね玉井ちゃん! 確かに俺、圭ちゃんに会った事ないわ!」
教室に向かう中、信道が心底楽しそうにしている。何が圭と会った事ねぇだよ……信道の野郎。
「確かになー? 俺如きが圭ちゃんにちゃんと会えるわけねぇよなーへへっ。でも、そんなの玉井ちゃんも一緒だろ?」
「私は……」
と、言い淀んだ玉井は目を閉じて少しだけ嬉しそうな顔をしつつ、
「まぁ勿論、会った事ないけど……。だって圭ちゃんインフルエンサーだし」
「そうだよなーへへっ、あんなインフルエンサー圭ちゃんと二人でなんて会えるわけねぇじゃん! はははっ」
「なに川島……そんな当たり前な事言ってんの本当にもお……」
なんだこれ……。信道だけじゃなく、なんか玉井まで嬉しそうにしてよ……。いやまぁ大体こいつらの考えてる事は何となく分かるけど、なんつーかこの状況、俺が一番きついな……。
「まぁなんていうか玉井ちゃんもいつか、圭ちゃんと二人で遊べると良いな!」
「そう言う川島こそ、いつかそうなったら良いね」
なんて、本音を隠してニヤつきっぱなしの二人を他所に、俺は朝から疲れつつ早々と教室の中へと入って行った。
★☆★☆★☆★☆★
「やべ……」
昼休み。朝にしっかりと確認したはずだったのだが、現文の教科書をどうやら家に忘れてしまったようだ。現文の先生、忘れ物に厳しいんだよな……。
「真夏に借りっか……」
俺は昼食後のウトウトとするクラスメイト達の横を抜けて、廊下へと出た。
「4組……」
真夏のいる隣のクラスへと顔を覗かす。つか、他クラスに行くのってマジで恥ずいよな。
「……」
なんだろう見当たらない。うろ覚えではあるが、真夏の席を確認してもその姿はなかった。くそ……4組に他の知り合いなんていねぇし、どうすんだよ……。奥の5組にはそもそも知り合いもいねぇし……。
「たくっ仕方ねぇ……1組まで行くか……」
俺は踵を返して、廊下の反対にある1組の方へと向かう。自然と出るあくびをそのままに、俺は自クラスの前を抜けていき、
「あいつには言えねぇもんな……さすがに」
通り掛かる2組の中にへと俺は視線を向ける。そう、南つばさ。正直言ってしまえば、個人的には教科書を借りるお願いなど、いくらでも出来る関係だとは思っているし、あいつも他意なく貸してくれるのだろうが、周囲が驚いてしまうのが目に見えている。だから、わざわざ1組まで歩いて行くのだ。まぁ正直な所、俺がもう少し他クラスにも友達が居ればいいだけの話なんだがそこはもうどうしようもない。
「おっす、タケ」
2組を抜けていき、1組の入り口横の机でスマホをいじってる男子に俺は話しかける。
「おぉ恭二」
珍しい訪問者だとの顔をして、そいつは微笑む。そう、タケ。男子としては唯一同じ中学出身の男だ。一年の時は同じクラスだったが、別れてしまい、俺元来の他クラスと絡まない消極的な性格も相まってか、だいぶ久しぶりにあった気がする。
「どうした急に」
やや重たい前髪を掻き分けつつ、タケが予想通りのセリフを言った。すると珍しい訪問者だと感じたのだろうか、何人か1組の奴らが俺を見ている。
「教科書忘れてさ……現文の」
「えー? うちのクラス今日、現文ねぇよ」
「まじ?」
うわ……運悪りぃな……。
「悪りぃ、じゃあ大丈夫ーー」
「いやいや、だからって無いとは言ってねぇよ」
と、そう言ってタケは誇らしげに机の中に手を入れ、
「しゃきーん!」
「……」
「召喚! 現文の教科書!」
「お前も全科目置き勉スタイルか」
「だって面倒くせぇじゃん。毎日確認すんの」
「去年、そんなんじゃなかっただろ」
「去年は玉井ちゃんが怒ってくるから仕方なくだったんだよ、こえーし」
と、タケは嬉しそうに微笑む。まぁ置き勉に関して玉井はやけに厳しいからな……。唯一の例外である信道を除いて。
「まぁけど、助かった。また帰りにーー」
「悪い、通らせてくれ」
急な背後からの呼び掛けに俺は咄嗟に振り返る。
「あぁ……悪い」
なんだ。こいつ1組だったのかよ。視線の先にはイケメンがいた。この俺ですら顔を知ってる有名人。そう、修学旅行のあの日、南つばさに告白をしていた、あの向井が。




