修学旅行!⑥
俺は柱に隠れつつ、改めて浴衣に羽織りの格好をした二人の背中を見つめる。
「…………」
なんか、明らかにお取り込み中っぽいよな……。幸いにしてこちらには気付いていないようだ。今ここでバレて変な面倒事に巻き込まれるのも嫌だし、こうやって隠れておくのが無難か。
「学校で南と話してるとさ、盛り上がるしやっぱ楽しくて」
「うん……」
こんなに静かな空間じゃ二人の会話が聞こえちまうよな……。なんか悪い気がするけど……。
「素直に好きだなって思えるんだ俺」
「うん……」
やっぱり男の方から南つばさへの告白か……。圭の姿の時に何度か、男子に告白されたとの話を聞いてはいたが、本当だったんだな……。今年に入って何回目なんだ一体……。
「だからさ南、俺と付き合ってくれないか?」
男の落ち着いた誠実な声が室内に響く。俺は柱にもたれ掛かり、なんとなく天井を見上げた。本気なんだな、男の方も。
「…………」
別に緊張してる訳でも何でもないのに、なぜか俺は息を止めてしまっていた。すると、しばらくして、
「気持ち……伝えてくれてありがと……。でも私、そんなに向井君といっぱいお喋りしてたかな……。私には全然そんな印象なくて……」
男の声は聞こえない。
「向井君……かっこいいし女子に人気だし……私なんかよりももっと良い人がいるよ……」
「俺は南と付き合いたいと思ってる」
「多分……向井君は私の事をよく知ってくれてると思うんだけど、私はまだ……向井君の事をあんまり知れてないから……」
「付き合いつつ知っていくのじゃだめかい? 俺は南を絶対にがっかりさせないから」
向井……。確かテニス部のエースだったっけか……。あのすげぇイケメンでスマートそうな奴だよな確か……。全校集会で何度も表彰されてたから何となく覚えていた。しかし、青春してんなぁ……マジで。
「なんでそんなに……私が良いの?」
「沢山あるけど一番は、話してると明るくなれる南の、その性格だよ」
「そっか……」
「南、もう一度言うよ。俺と付き合って欲しい」
向井のまっすぐな言葉が室内に響く。南つばさが今どんな顔をしているのか俺には分からない。はたから聞いてる俺でも、向井の本気度は痛いほど伝わった。そして、また少し間が空いた後、
「向井君……」
「……」
「ごめんなさい……」
「……そっか」
向井は、南つばさの答えを受け入れたようだった。返した言葉から、少しだけ落ち込んでいるようにも思えた。
「最後……理由だけ聞いても良いかな」
「向井君の事、嫌いじゃないんだけど私には……向井君と付き合ってる自分が想像出来なかったの……」
「そっか、ありがとう答えてくれて」
そして、互いに何も発しない気まずい時間が少し流れた後、
「時間作ってもらって悪かったね。じゃあ俺、行くよ」
「うん、おやすみ。向井君」
足音が聞こえる。すると程なくして、エレベーターの到着を告げる音が鳴った。おそらく南つばさはまだソファにいるのだろう。俺はもう少しだけ、隠れているか。壁掛けの時計で時刻を確認したところ思ったよりも時間は経っていないようだ。まだ消灯時間まで余裕がある。
「出てきなさいよ」
…………。
は、俺の事? 誰に向けて喋ってるか分かんねぇ。いや……でもあいつがこんな口調で話す相手なんて俺しかいねぇよな……。
「盗み聞きしておいて、バレないとでも思ってるの蒼井」
「…………」
気付いてたのかよ最初から……。俺は諦めて、柱の影から身を出し、南つばさの方へと近づいていく。いつもの勝気な表情とは異なって、その顔は少しだけ強張っているように見えた。つかこいつ、すっぴんだな。
「何してたのよ。こんな時間に」
「ただのトイレ」
俺の返事に呆れた顔を見せつつ、南つばさは懐から財布を取り出して、
「ねぇあんた丁度良いわ、疲れたからそこの自販機でお茶買ってきて」
と、南つばさは小銭を出して俺をパシリに使おうとする。いつもなら断るのだが、本当に疲れてそうだった為に、俺は大人しく小銭を受け取った。その際に一瞬ではあるが、こいつの浴衣の隙間から細く真っ白な足が垣間見えた。
「甘いのじゃなくて良いのか?」
「寝る前に甘いものは取らないようにしてるの」
「へぇ」
「あんたの分も良いわよ」
「じゃあ、遠慮なく」
俺はフロントの端にある、自販機で2人分のお茶を買い、ソファに座っている南つばさに渡した。南つばさは受け取ったお茶を一気にゴクゴクと飲んだ後、
「あー疲れた」
「だろうな」
「あんた、全部聞いてたんでしょどうせ」
「まぁ、ほとんど。聞きたかった訳じゃない」
「別にどっちでも良いわよ」
南つばさは壁の屏風を見つめながら、手櫛で自分の髪を整える。しかし、浴衣に羽織という格好でもその胸の豊かさは相変わらず一目で分かった。
「隣、座る?」
「いやいい」
「ふーん」
「……」
俺は立ったまま、奢ってもらったお茶に口を付ける。
「あんた何も聞いてこないのね」
「何を聞くんだよ」
「色々気になるかなって」
「気にならねぇよ別に。まぁ大変だろうなとは思ったけどさ……」
「ふーん」
と、そう言って南つばさはソファに座ったまま両手で頬杖をついた。その姿を見て俺はなんとなく、圭の姿の時にこいつが男子に告白されたと辛そうに打ち明けた事を思い出した。
「まぁ……しんどくなったら、圭に相談しろよ。あいつならちゃんと寄り添ってくれるだろうから」
「へぇ……。優しいじゃない」
「別に……。圭はお前を大切にしてるし一応な」
南つばさは先程よりも少し和んだ表情をして俺の方を見る。
「私は全然、愚痴だけならあんたでも良いって思ってるけど?」
「勘弁してくれ、そういうのは女同士でやってろ」
「ふふ……」
「なんだよ」
「いやあんたが、話聞こうかみたいなウザい事言ってこない男子で良かったって思っただけ」
「意味分かんねぇよ……」
まぁ、なんとなく和んでくれたみたいだから良かったか。
「それにしても今日は悪かったわね蒼井、ゆうかの事」
「ゆうか?」
誰の事だろうか。南つばさは頬杖をついたまま俺と目を合わせずに、
「あの、私と一緒にいた2組の女の子よ。ほら、あんたに話しかけてた」
「ああ、あいつか」
「最近彼氏と別れたらしくて、あの子根っからの恋愛体質だからちょっとでも良いなって思う男子がいたら、ああやってそこら中に唾付けるの」
南つばさは呆れた様子でそう呟いた。
「まぁ確かに、いきなりでびっくりはした」
「お姉さんもいたし、なんか戸惑ってそうだったから、あんた」
南つばさは更に続けて、
「でもあの子、見た目は良いからどうせすぐに次の彼氏も出来るんでしょうけど」
「いるんだな、そんな露骨なタイプ」
すると南つばさはうんざりした顔のまま、俺を横目で見て、
「まぁけど、私には言い寄られてちょっと嬉しそうにも見えたけどね」
「な訳あるか……」
「本当、ああいう女……反吐が出る……」
「つるまなきゃ良いじゃねぇか」
南つばさは吐き捨てるように、
「色々あるのよ、私が平穏な学生生活を送る上で妥協する事が」
「女の世界は大変だな」
「女だからじゃなくて、この私だから大変なの」
「あぁ、そうかい」
「大丈夫よ。この気持ちは圭ちゃんとしか分かり合えないって最初から理解してるから」
そう言って、南つばさは意地悪そうに微笑んだ。毎回思うが、信道にもこの冷笑を見てもらいたい。お前の大好きな南つばさは、こんな笑みを浮かべる女なんだと。
「さて、あんたと話して何となく気も紛れたし部屋に戻ろうかーー」
瞬間。話の途中でいきなり南つばさが立ち上がり、慌てた様子で、
「エレベーター、誰か降りて来るわ」
「いや、どうしたよ」
「この状況であんたと二人きりはまずいでしょ、変に噂になったら面倒だし」
「は?」
「あんたは良いから」
そう言って南つばさは俺が隠れていた、柱の方へと急いで行った。
「なんだよ……」
そして、すぐにエレベーターが到着すると、
「あ、恭二」
「真夏……」
中から浴衣姿の真夏が降りてきた。




