第90話 とんぼ返りの海の町
島のギルマン達に別れを告げ、俺達一行はネプトゥヌス・ポリスへと帰還した。
グラン・ノーチラス号建造中はずっと通っていたため、もはや馴染み深く感じるロンダランのドックに入る。
「なぁ、頼むよ。俺の船もアレみたいに……」
「ええい、うるさい! 今はヤツから話を聞くのが先じゃ!」
するとロンダランと漁師が言い合いをしながらこちらに駆け寄ってきた。どうやら漁師がグラン・ノーチラス号みたいな船を欲しがっているらしい。
以前は周囲から腫れもの扱いされていたロンダランだが、良いものを造った事で彼の評価が上がったのかも知れない。
今でも神殿に行けば追い返されるかも知れないが、近所の人とうまくやっていけそうなのは良い事だろう。
ロンダランは矢継ぎ早にグラン・ノーチラス号の運用結果について聞いてきた。
結果には大満足なのだが、下手に答えていると時間を取られそうだな。
「はいはい、その辺はわたしが答えるにゃ」
そう思っていると、シャコバが割って入ってきてくれた。ロンダランの相手は彼に任せておけば問題ないだろう。
「船体のチェックをしておきたいから、ワシらも残るにゃ」
「パルドー、頼む。次は深海に行く事になると思うから念入りにな。『無限バスルーム』の扉は一旦消すから、必要な道具があれば出しておいてくれ」
水の都があるのは内海の中央、当然この辺りの近海とは比べものにならないぐらいに深いだろう。それに距離もある。
無事に航海を終えたばかりのグラン・ノーチラス号、こちらもしっかりメンテナンスしてもらって万全の態勢を整えたい。
マークを手伝いに残し、クリッサに彼等のお世話をお願いして行こう。
そして俺達は食料の調達である。遠出となるので改めて買い揃えなければならない。
「魚か? また用意してやるぜ!」
「出航する日にお願いしますね」
漁師が気さくに話し掛けてきてくれた。ここに通っている内にすっかり顔馴染みになったものだ。水の祭壇――新しく『無限バスルーム』内にできた生け簀――を使えば新鮮な魚が手に入るが、せっかくの厚意を無駄にする事もないだろう。
うん、見た目は池だが祭壇なんだよな、あれ。炎の女神の祭壇も『火の石』の石柱だったし、水の女神信仰では水が大事という事なのだろう。
という訳で、グラン・ノーチラス号はパルドー達に任せて買い物である。
雪菜を水着のような格好のままで町を歩かせていいのかとも思ったが、考えてみれば周りにも似たような露出度の女性が結構いる。流石は海の町と言ったところか。
この街は高台エリアと海辺エリアに分かれているが、海辺エリアならばこのままでも問題無さそうだ。
食料に関しては今日のところは注文だけで、それが終われば『フィークス・ブランド』に行こう。雪菜の服を買うのだ。中学校の制服のような服も注文して作ってもらおう。
「ああ、ルリトラ。宝箱ひとつ背負ってきてくれ」
「金貨が入ったものですか?」
彼を首を傾げながら確認してきたので、俺は頷いてみせた。
雪菜の服も大切だが、それで春乃さん救出も遅らせる訳にはいかない。場合によっては特急料金を支払うつもりでいた方が良いだろう。
背負子を使って宝箱を背負ったルリトラ、その肩にリウムちゃんが腰掛ける。
俺は当然雪菜と手をつないでいる。それを羨ましそうに見ていたラクティは、雪菜に気を遣ってくれたのかクレナが引き受けてくれた。そんな二人の姿をロニが微笑ましそうに見ている。
こうして見るとメイド服姿のラクティより、護衛を兼ねているためレザーアーマー姿のロニの方が従者として様になっているな。
それはともかく、この五人でまずは以前ノーチラス貝を持ち込んだ燻製屋に行き、店主に知り合いのお店も紹介してもらって保存食を大量注文した。
紹介には手数料が掛かったりするが、プロ目線で信用できる店を紹介してもらえるならば時間の節約になるのだ。
その際に長期の航海に出るならとライムとキャベツの漬物を勧められたが、柑橘類の方は他に当てがあると、ザワークラウトの方を少し注文するだけに留めた。
当てというのは、新しく目覚めたギフト『水の女神蛇口』である。
勧められたものはビタミンCの欠乏によって起きる壊血病を予防するためのものだが、実は蛇口から出るオレンジジュースでも防げたりする。あれは俺のMPでできているが、栄養価は本物のそれと変わらないのだ。
もしかしたら水の女神のギフトにあれが出てきたのは、俺達を水の都に呼ぶためだったのかも知れない。
顔を真っ赤にしてフリップを投げてきた女神の姿を思い浮かべると、そんな不器用な親切さが似合う気がするのだ。
どちらにせよありがたいので、利用させてもらうとしよう。
それから店主との話の中で、意外な事がひとつ判明した。なんとそろそろ老年に差し掛かりそうな年頃の店主は、あのギルマンの島を知っていたのだ。
今から三十年ほど前までは、まだ海辺エリアの漁師達を中心に水の女神が信仰されていたらしく、彼も友人の漁船に乗ってあの島にお祈りに行っていたそうだ。
特に漁師達は海の恵みを求めて、豊漁を祈願するため熱心に神殿に通っていたらしい。
ところが島周辺にモンスターが増え始め、神殿に近付けなくなってしまった。それが三十年ほど前の事だそうだ。
おそらく『不死鳥』は、その頃からあの島のアジトに住み始めたのだろう。
当時は高台エリアを中心に光の女神信仰が大勢を占めており、水の女神は細々と信仰されている状態だったが、この件がネプトゥヌスにおける水の女神信仰に完全にトドメを刺してしまったらしい。
『不死鳥』め、自分は百戦百敗の常敗将軍のくせに他人を勝利させてるんじゃない。
しかも魔王軍の元・魔将が敵である光の神殿を勝利させたとか、空気が読めてないにも程があるぞ。
色々と『不死鳥』に言いたい事ができたが、本人には会いたくないな。
今も信仰心は失っていないという店主に、俺と勇者コスモスが協力して魔王軍に支配されていた島とギルマン達を解放した事を伝えて店を後にした。
俺は『不死鳥』を撃退し、コスモスはアジトを制圧した。うん、協力したというのは嘘ではない。役割分担していただけだ。
コスモスはこの辺の細かい事は気にしないだろうが、王女の事は気にかけておかないといけないのだ。この件は、コスモスの宣伝になるので問題ないだろう。
問題になるとすれば水の女神信仰だが、ルリトラ達やギルマン達に対しても気にする事なく接する人だったので、おそらく大丈夫だろう。
そして食料の買い出しが終わると、次はいよいよ『フィークスブランド』である。
この店はクレナ達は水着を買うために一度訪れているそうだが、俺は初めてだ。
入り口を潜ると、まずビキニの水着を着た彫像に出迎えられた。古代彫刻みたいな女性像が、フィークスデザインの現代的な水着を身に着けている姿はやはりシュールだった。
店内は広く、商品棚は壁際に集まっていて解放的な作りだ。中央は様々な水着を着た女性像が並んでいる。
男性用は店内の隅に少し並んでいるだけ、この辺のバランスはユピテル・ポリスの店と変わらないようだ。
もっとも、水着売り場が女性用メインになるのは、俺達の世界も似たようなものなのかも知れないが。
「お兄ちゃん、私も水着買った方がいいかな?」
「それはあった方がいいと思うが……俺達もダイバースーツとか必要か?」
「それ何ですか?」
俺の疑問に、ラクティが疑問で返してきた。流石に通じないか「ダイバースーツ」は。
そこで俺は、簡単に水中で活動するための保護スーツだと説明した。
「聞いた事ないですねぇ……」
ロニもまったく心当たりが無いらしい。どうやらこの世界にはダイバースーツは存在しないようだ。
「『水のヴェール』じゃダメなの?」
するとクレナは、こんな事を聞いてきた。
「深海だと水圧とか凄そうだけど、その辺は防げるのか?」
「スイアツ?」
「水の重さに押し潰される……で、いいのか?」
細かい理屈はよく分からないが、そういうものがあるという事は知っている。
「ふ~ん……よく分かんないけど、『水のヴェール』で海に潜ってどうにかなったって話は聞いた事ないし、スイアツっていうのも防いでくれるんじゃない?」
「アバウトだな、精霊魔法」
魔法自体がそういうものなのかも知れない。
呆れていると、リウムちゃんがルリトラの肩の上から声を掛けてきた。
「昔……その魔法を使って海を渡った魔将がいたはず」
「……マジで?」
その魔将は対岸から数人の部下だけを率いて徒歩で海を渡り、海沿いにある砦に奇襲を仕掛けたそうだ。
俺達みたいに途中で休む事はできなかっただろうに、流石は魔将である。
これはしっかり記録が残っている話らしいので、『水のヴェール』が海中でも大丈夫なのは確かなようだ。それならダイバースーツについては考えなくていいだろう。
「よし、それなら気を取り直して雪菜の服を買うとするか!」
「はーい♪」
「あ、クレナ達は何か買い足すのあるか?」
「前に水着と一緒に買っちゃったから、特に無いわ」
「じゃあ、まずは下着とかから頼めるか? 俺は制服を注文できないか聞いてくるから」
流石に下着を試着しているところを見ている訳にはいかない。なので、俺とルリトラはここの職人に制服を作れないか聞きに行く事にしよう。
「いいわよ。でも、服を選ぶ時はあなたも見てあげなさいよ?」
「分かってるって」
クレナがきっちり釘を差してきたが、その辺りは俺も心得ている。
というか見逃してたまるか。可愛い服を選んでやりたいのは俺の方なのだから。
「雪菜、俺は店の人に注文してくるから、お前はクレナと一緒に買い物しててくれ」
「う、うん……」
雪菜は戸惑いつつも頷いてくれた。
その寂しそうな顔を見ていると、やっぱり一緒に買い物しようと前言を翻したくなってしまうが、ぐっと堪えてその衝動に耐える。
これから皆一緒に旅をする以上、ずっと俺だけとべったりという訳にはいかないのだ。クレナ達にも慣れてもらわなければ。
それにこれから注文しに行くのは、雪菜の生前の夢だった中学校の制服。兄としてこれは何としてでも着せてあげたい。
デザインはよく覚えているので、この日のために絵を描いて紙を用意していた。
レイバー市場の職員も、雪菜のものとは異なる意匠だがセーラー服を着ていた。だから作れないという事はないはずだ。
どこまで近いものを作ってもらえるか、俺は奮起して店員に声を掛けた。
買い物については、また次回に。




