第68話 銀の
ロンダランの研究所は港にあるらしい。元々住んでいた場所は、実験と称して度々騒ぎを起こすため追い出されてしまい、今は港の倉庫を研究所兼自宅としているそうだ。
港に到着すると、潮の香りと海鳥の声、そして賑やかな喧騒が俺達を出迎えた。
漁師達の船が戻って来ているようで、山と積まれた魚の前に漁師達がしゃがみ込み、商品にならない物をより分けているのか、漁師は時折魚を後ろに投げ捨てている。
道端に魚を捨てて良いのかと思ったが、その直後急降下してきた海鳥が投げ捨てられた魚をさっと取って行ってしまった。
なるほど、商品価値はなくても海鳥達にとっては価値があるのか。
どちらも慣れているようで、漁師達は後ろも見ずに投げ続け、海鳥達は捨てられた魚だけを取り、飛び去って行く。
おっ、地面に落ちる前に取って行ったぞ。ナイスキャッチだ。
ラクティは間近まで降りて来る海鳥の姿にはしゃぎ回り、今度はリウムちゃんの方が正面から俺に引っ付いてきた。抱き着くのではなく、俺の身体に背中を預ける形だ。
「奴等は、後ろから狙ってくる……」
もしかして、あの手の鳥にイヤな思い出でもあるのだろうか。
ふと向こうに視線を向けてみると、魚の入った木箱を抱えて走っている人が、背後から急降下してきた海鳥に魚を一匹かっさらわれていた。なるほど、あれか。
更に周囲を見回してみると、並べられた魚を直接売り買いしている。客は商人だけでなく、主婦らしき姿もちらほらと見られた。
新鮮な魚を求めて来たのだろう。もしかしたら町の魚屋より安いのかも知れない。
ロンダランの研究所は、この喧騒を抜けた先にある。特にルリトラはその大きな身体が周囲の邪魔にならないように気を付けなければならないだろう。
せっかくなので、周りの光景を楽しみながら進んでいく。
値切り合戦を繰り広げる漁師と主婦、獲物を探しているのか、頭上を旋回する海鳥達、担架に乗せられ少女達によって運ばれていく勇者コスモス。
「って、何があった!?」
思わず振り向いて大声を上げてしまった俺は、悪くないと思う。
その声に気付き振り向いたのは品の良い出で立ちの線が細い小柄な少女、聖王家の王女だ。亜麻色の縦ロールは忘れようにも忘れられない。
次に槍を持った長身の女性が俺達の間に割って入った。おそらく親衛隊の人だろう。
「あら? あなたは……光の女神の神殿の――」
「長いんで、『女神の勇者』で」
幸い王女が俺の顔を覚えていたため、親衛隊の女性は警戒を緩めてくれた。
「あの、早くコスモス様を……」
肩まで伸ばしたハチミツのような色をした髪から長い耳を覗かせた少女が言う。コスモスが助けたと言うエルフだろう。
確かに彼女の言う通りだ。あまり関わり合いにはなりたくない類ではあるが、倒れているのを見て放っておく程、俺は薄情ではない。
「それで、どうしてこんな事に?」
「こ……困ってる人がいたら、放っとけないよネ☆」
俺の問い掛けに答えたのは、担架に乗せられたまま白い歯がきらめく笑みで答えるコスモスだった。青白い顔をしていると言うのに、サムズアップまでして意外と根性あるな。
「実は、神殿の協力を得られずに困っている方がいると言う話を聞いて――」
「……もしかして、向こうに住んでるロンダラン?」
親衛隊の女性がコクリと頷き、エルフの少女が説明を引き継ぐ。
「ロンダランさんの実験に協力したところ、MPを吸い取られてしまったようで。早く神殿に運ばないと……!」
「MPか」
「トウヤさん、あの魔法なら……」
隣のラクティが声を掛けて来た。確かに、最近覚えたあの魔法なら何とかなる。
「よし、任せろ。『光あれ』!」
コスモスの頭に手を乗せ、神官魔法を唱えると、力が抜けるような感覚を覚える。これは自分のMPを対象に供給する光の神官魔法だ。
ヘパイストスで毒ガス地帯に挑んだ時はクレナに苦労を掛けたので、次に同じような事があった時には少しでも助けになれるようにと覚えた魔法である。
「……よし、もう大丈夫だ」
思っていたより少ないMPで回復する事ができた。コスモス、意外とMPは低めなのかも知れない。いや、延々と使い続けている俺の方が普通じゃないのか。
「サ……サンキュー! ……ガクッ」
「コスモスさまぁーっ!!」
御丁寧にもう一度笑顔でサムズアップしてから、コスモスは再び意識を失った。それに泣きすがる王女。なんだろう、このコントか何かを見ているような感覚は。
「大丈夫……なんだよな?」
「は、はい、MPも、血の気も戻っているので大丈夫だと思います」
念のためにラクティにも尋ねてみたが、彼女もどこか不安気だ。
「MPがなくなると、肉体の方にもダメージがくる……多分、そっちで気絶してる」
「それなら『癒しの光』……いや、これケガしてる訳じゃないんだよな」
残念ながら『癒しの光』では怪我を治せても、疲労までは回復できない。
そんな話をしていると、親衛隊とエルフの二人が声を掛けてきた。
「申し訳ありません。お礼をせねばならないところですが、今は……」
「ああ、早く休める所に連れて行ってやってくれ」
「あの、私達は、向こうに見える『潮騒の乙女』亭と言う宿に泊まっていますから!」
親衛隊の方は、真面目に己の職務を遂行している様子だ。クールなタイプらしい。
その一方でエルフの少女は、コスモスの事が気になっているようだ。しかし、こちらへの対応もしっかりしなければいけないと思っているのだろう。
そして少女が指差す先はロンダランの研究所とは正反対の方向。海辺に建つ大きな建物が見える。あれが『潮騒の乙女』亭だろう。
遠目に見ても四、五階はありそうな、高層で高級そうな宿だ。
淡いブルーの海や空と調和するその佇まいは、オークションハウスとはまた異なるベクトルの上品な雰囲気を醸し出している。
流石は勇者一行と言うか王女一行、それ相応の所に泊まっているんだな。
「分かった。後で様子見がてら寄らせてもらう」
「お待ちしております。……申し遅れました。私、フランチェリス殿下の親衛隊長を務めております、リコットと申します。宿では私の名を出していただければ」
「あっ、私も申し遅れました! フォーリィといいます!」
そう言えば彼女達の名前を知らなかったな。王女の名前も召喚された時に聞いたような気がするが、すっかり忘れていた。
当然こちらも礼を失さぬよう挨拶し、俺だけでなくルリトラ達も紹介しておいた。もちろん長々と引き止める訳にはいかないので簡単にだ。
そして俺達は親衛隊の少女達によって運ばれていくコスモス一行を見送る。
周りの注目を集めてしまったな。早々にこの場を立ち去るとしよう。
「……そのデカい魚、鯛っぽいな。そっちのイカとエビっぽいのももらえるか?」
ふと目に止まった美味しそうな魚を買ってから。
買い物を終えて港の青空市場を抜けるとロンダランの研究所が見えて来た。
買った魚は、人目に付かない所で『無限バスルーム』に仕舞っておこう。氷は用意できないが、摂氏一度の冷水ならば出せるので、冷やしておく事もできるはずだ。
「あの、大丈夫でしょうか? 他の勇者の人も倒れるなんて……」
『無限バスルーム』から出たところで、ラクティが心配そうに声を掛けて来た。あのコスモスを見て心配になったのだろう。
「どうもコスモスや神官達が倒れたのはMPを吸い取られたせいみたいだが、その減った分を回復してみても、俺には大した負担じゃなかったんだ」
「そうなんですか?」
「トウヤ様のMPは、ステータスカードからはみ出してますからな……」
ルリトラが顎に手を当てながら言った。その声色に呆れが混じっているように聞こえるのは、多分気のせいではない。それだけ規格外なのだ。自分で言うのも何だが。
絶対大丈夫だと油断するつもりはないが、少し気が楽になったのは確かだった。
と言うか、俺でもダメなら、ロンダランの研究は止めた方が良いと思う。
そんな事を考えながら研究所の前までたどり着いた。元々倉庫なだけあって大きな扉があるが、コスモス一行が飛び出して行ったためか、その扉は開け放たれたままだ。
おかげで中が見えるが、コスモスが失敗した実験のせいか散らかっている。
船――なのだろうか。昨夜見たコスモスのガレオンはおろか、港で見た漁師達の漁船とも似ても似つかない物が中央に鎮座してるのが見えた。
倉庫にあるそれは漁船程度の小型キャラベルサイズで、帆すら無い本当に船なのかどうかも疑問に思えてくるような独特なフォルムをしていた。
たとえるならば巨大なオーム貝だろうか。下からそれを見上げていると、まるで自分が小さな魚になってしまったかのような、得も言われぬ気持ちが湧き上がってくる。
「なんじゃ、おぬしらは」
呆けた顔でそれを見上げていると、爆発したような髪型の枯木のような老人が声を掛けて来た。この研究所の主、ロンダランだ。
「俺達は――」
「見ての通り、わしは片付けに忙しい。用が無いなら帰ってくれ」
声を掛けようとしたが、取り付く島もなかった。その表情は明らかに不機嫌そうだ。実験が失敗したばかりなのだがら無理もない。
「こら! 何をしとる!」
ふと気付くとリウムちゃんが船に近付いており、それを見たロンダランが声を荒げた。
「す、すいません! リウムちゃん!」
同じ水晶術師として気になるのだろうが、タイミングが悪い。慌てて駆け寄り、彼女の両脇に手を入れてひょいと抱え上げる。
しかし彼女はまったく動じる事なく、俺に両脇を抱えられて足をぷらぷらさせたままロンダランの方に視線を向け、静かな声で話し掛けた。
「陣の描き方に特徴がある……あなた、エランディス派?」
「……なに?」
エランディス、初めて聞く名前だ。その一言でロンダランはピタリと動きを止めた。
「小童、まさかエランディス師の……いや、それは無い。貴様が生まれた頃には、とうに亡くなられていたはずだ」
どうやらエランディスと言うのは、ロンダランの師匠の名らしい。「派」と言うからには、水晶術師の中でも名の知れた人なのだろう。
そしてリウムちゃんは、ロンダランが驚くほどに詳しいが、年齢的に弟子ではない。となると、話に聞いていた師匠のナーサさんの方が関係者なのかも知れない。
もしかしてこの男、ナーサさんと兄弟弟子なのだろうか。
「小童のくせに、それなりに目が利くようだな。師匠は誰だ?」
「……ん」
リウムちゃんはその問いには答えず、懐から例の銀の串を三本取り出して見せた。
一見焼き鳥か何かの串のように見えるが、MPを込める事で巨大な槍と化す彼女の武器だ。以前、巨大なサンドウォームを串刺しにしたのをその目にした事がある。
その串を見せるだけで良いのかとロンダランの方を見ると、彼はそれを見た途端に大きな音を立てて壁まで飛びすさっていた。その顔は青ざめ、だらだらと汗が流れている。
何だ。あの銀の串が何だと言うんだ。
「ま……ま……まさか……! 貴様、ナーサの弟子か!?」
焦りの表情を見せるロンダラン。対するリウムちゃんは、ただコクリと頷くだけだ。
このリアクション、明らかにナーサさんの事を知っている。やはり兄弟弟子か。
しかし、どうしてこんなに怯えているのか。俺も直接会った事はないが、春乃さんの手紙によると品の良い優しそうなお婆さんだったらしいが。
ルリトラとラクティも同じ疑問を抱いたようで、二人で顔を見合わせている。
そんな俺達の疑問は、次のロンダランの絶叫で掻き消された。
「おのれ『銀の処刑人』! こんな所にまで弟子を送り込んできおったかッ!!」
「はいぃ?」
しかし、同時に別の疑問が発生した。『銀の処刑人』とは、ナーサさんの事だろうか。
俺、ルリトラ、ラクティの三人が驚愕の表情でリウムちゃんを見るが、彼女は足をぷらぷらさせたまま、手に持った銀の串を弄ぶだけだった。




