第66話 川辺の休息
その後、黄金の剣は思いの外高値で落札した。
「おおよそですが、相場の三割増しと言ったところでしょうなぁ。
あ、相場と言うのは普通にオークションで売った時の大体の相場ですよ。個人で取り引きした場合は、もう少し安くなりますから。やはり、『地ならし』が効いたのでしょう」
ほくほく顔で説明してくれるコパン。この調子で他の物も任せようと思ったのだが、ここで一つ予想外な出来事が起きてしまった。
「トウヤ様、小オークションに出品予定の三十二品なのですが、これだけの数があるならば大オークションを開いてはいかがでしょうか? レンタル代はいただきません」
オークションハウスの支配人が俺達の所にやってきて、大オークションを開催しないかと言ってきたのだ。
大オークションは、オークションハウスが主催する物と個人が劇場を借りて行う物の二種類があり、前者は参加費が、後者は場所を借りるためのレンタル代が必要となる。
それが必要無いと言う事は、彼は手数料だけで十分元が取れると判断したのだろう。
「……その場合、コパンさんへの依頼ってどうなります?」
「個人開催の場合、主催者が必要になりますので、それを引き続き私が。いえいえ、遠慮なさらずに、大オークションとなれば更に高く売れますから!」
目を輝かせるコパンさん。儲けられると思っているんだろうな、あれは。
「コパンさんが言ってるのは本当よ。注目度が段違いだし、小オークションには見向きもしない大物って言うのも珍しくないから」
「なるほど……それじゃ、それ以外の所で問題になりそうなのは?」
「……時間が掛かる事? いつ開催できるかは会場の空き次第だし」
「その、開催は一週間後になるかと……」
支配人がハンカチで汗を拭きながら、クレナとの話に割り込んで来た。
一週間か。休養と考えるとしてもちょっと長いな。
さて、どうするべきか。俺はクレナ達と今後の予定について話し合う事にする。
「……で、これで良いんですよね?」
「ええ、ええ、十分ですとも!」
そして皆で考えた結果俺達が出した結論は、完全武装の姿を皆に見せ、その後はオークションが終わるまでどこか別の場所に行くと言うものだった。
オークションハウスから離れるのは、ここにいる限り「威厳ある姿」と言うものを見せ続けるためにずっと『魔力喰い』を装備していなければならないと言われたからだ。
どうも俺が勇者でなく、どこかのお坊ちゃんのように見えるのが問題だったらしい。
支配人も同意見らしく、クレナ達の方に視線を向けると、リウムちゃんとラクティ以外は揃って視線を逸らした。ドレスコードを考えて身なりを整えたのは失敗だったようだ。
しかし、そんな堅苦しいと言うか、暑苦しいのは御免だ。
と言う訳で、手続きを終えた俺達は、オークションの予定が更新されたのを見計らって玄関ロビーに入り、周囲の視線を集めながらコパンさんと握手を交わしたのである。
「それにしても凄い鎧ですなぁ」
「魔王城の宝物庫で手に入れた、伝説級の鎧ですから」
鎧姿を見せた時の周囲のざわめきは相当なものだった。怯えも混じっている気がする。角を生やした漆黒のフルプレートアーマー姿は、やはり怖いのだろうか。
「それでは、後はお願いします」
「お任せください!」
この後俺達は、海辺エリアの造船所を見に行く事になっていた。
現在春乃さん達は、大陸西方を風の女神の神殿目指して旅をしている。俺自身も祝福を授かるためにそこに行く必要があるので、俺達が船でそこまで行くのが一番早いのだ。
もちろん水の女神の神殿の事も忘れていない。水の女神信仰と言うのは特に漁師達に縁深いものらしいので、漁師達が住む海辺エリアの方が情報が集まりやすいのだ。
それとシャコバとパルドーの二人は、大オークションを見届ける代理人と言う事でここに残ってもらう事になっている。シャコバは上流階級との会話もこなせるので適役だ。
それぞれ装飾品と、時折出品されると言う鉱石が気になっているそうなので、黄金の剣を売った代金は、小オークションの予算として二人に預けている。
シャコバはこれを機にマークにも勉強させるつもりだったらしいが、彼は迷う事なく俺達への同行を決めていたりする。クリッサが俺達に同行する事が決まっていたからだ。
彼女に理由を聞いてみると、至れり尽くせりの高級ホテルではする事がなくて退屈しそうだからだとか。この辺の性格は、父親であるパルドー譲りなのかも知れない。
オークションハウスを出た俺達は、周囲から好奇の目を向けられながら海辺エリアへと向かった。馬車は預けたままなので徒歩での移動だ。
海辺エリアへは、岸壁を削って造られたジグザグの階段を降りて行く。幅はそれなりにあるので、高いが怖いと言う程ではない。
「ト、トウヤさぁん、離しちゃダメですよぉ」
ただし、ラクティを除いて。俺にしがみ付き、足がぷるぷると震えている。
他の皆は平気そうだったが、ルリトラだけは海から吹き付けてくる風が鬱陶しいのか、顔を守るように手をかざしながら目を細めていた。
海辺エリアでも高台エリアに近い側は商家などが並んでおり、その街並みは高級住宅街にも負けていないぐらい立派な物だ。
しかし、そこから更に海の方へと進んでいくと、細い道が増えてきて、建物の外観もシンプルな物に変わっていく。この辺りに住んでいるのは漁師や職人達らしい。
青い壁に挟まれた細い道を進んでいると、まるで水中にいるような気分になってくる。
それにしても、行き交う人達や窓から外を覗いている人達が皆何事かと俺の方を注視している。やっぱり『魔力喰い』は目立つな。
「え~っと、この先ですね」
ロニが地図とにらめっこしながら先導してくれる先は、俺達の今日の目的地。コパンさんに紹介してもらった「面白くて、お得な宿」だ。
「面白い」だけでなく「お得」が付いてくる辺りが商人らしさなのだろうか。
それからしばらく川沿いに進んで行くと、川幅がどんどん広くなっていき、やがて河口が見えて来た。ハイドラン石の青よりも更に深い蒼が俺達を出迎えてくれる。
「網を立て掛けてる小屋……あれじゃないか、コパンのおっさんが言ってたの」
マークの指差す先には、川辺に等間隔で並ぶ十の小屋。平屋の木造小屋だが、その全てが川側に屋根より高いネットを立てている。
そう、あれがコパンさんの紹介してくれた宿だ。部屋を借りるのではなく、簡易宿泊施設である小屋一軒を丸ごと借りるのである。
食事などのサービスが一切無い分、意外とお安くなっているらしい。
安い分風呂も無かったりするのだが、それは『無限バスルーム』を使えば良いだろう。
手前にあった管理人小屋で宿泊の手続きを済ませた俺達は、一番海に近い小屋に入る。
管理人、俺の姿を見て怯えの表情を見せていたな。小屋に入った俺は、まずロニとラクティに手伝ってもらいながら『魔力喰い』を脱いだ。
「あ~、すっきりした。やっぱり暑いな、これ」
「ヘパイストスのレムノス火山より暑いですねぇ」
「いや、あれは『水のヴェール』があったからあの程度で済んだのよ?」
「こっちは潮風があるだけまだマシですよね。ちょっと肌がべたべたしますけど」
ラクティの勘違いにクレナとロニがツっこみを入れた。確かに全身鎧を着ていなければ潮風の分涼しかっただろうな。
リウムちゃんの方を見ると、無言でマントを脱いでいた。彼女も暑かったようだ。
「フム、このロープで網を動かすようですな」
そしてルリトラは、窓際にある滑車付きロープを手に取って何やら確認していた。
窓から外を覗いてみると、彼がロープを動かすのに合わせて川側に立っているネットが川に向かって倒れていき、川の中へと沈んで行く。
川面に目を凝らしタイミングを見計らって網を上げると、網の中にたくさんの小魚が掛かっていた。網を立てようと角度を付けると、それらは窓に向かって滑り落ちてくる。
そう、この小屋は、中にいながら簡単な漁ができる、漁師網付きの小屋なのである。
宿泊費は意外と安い上に、食材も自分で調達できる。なるほど、確かに「お得」だ。
街の人達にとっては、休日に家族で利用するようなレジャー施設でもあるとか。
網を倒しても船の邪魔にはならないぐらいの川幅があるからこそできる楽しみである。
やってみると思いの外楽しい。窓辺ではリウムちゃんとラクティが並び、ピチピチと元気良く跳ねる魚に目を輝かせている。確かにこれは家族サービスに良さそうだ。
「これとこの大きなのは、煮込んでスープにしましょうか」
「小魚は開いて焼くにゃ」
「もっと小さいのは、素揚げして塩ですね」
ロニとクリッサも早速魚をどう料理するかで盛り上がっている。こちらも楽しそうだ。
マークはそんな二人の様子をチラチラと窺っているが、クリッサが気になるのか、魚が気になるのかは微妙なところである。
「これ、手づかみで取るの?」
「そこの網ですくうみたいだな。『無限バスルーム』開けるから、桶取ってきてくれ」
「オッケー♪」
壁際に『無限バスルーム』の扉を開き、備え付けのたも網を使って魚をすくっていく。
これが家族サービスなら父親の役目――いや、それはネットを動かすロープを持ったルリトラが相応しいか。俺のやっている事は、せいぜい兄の役目と言ったところか。
「はい、持ってきたわよー」
「おう、そこに置いてくれ」
クレナが抱えて持ってきた桶に魚を移していく。
一番大きい桶を持ってきたな。これはもう一回ぐらい漁をした方が良さそうだ。
ルリトラの方に視線を向けてみると彼も同じ事を考えていたようで、力強く頷くとロープを操ってネットを川へと倒して行った。
「マークもやってみるか?」
いつの間にかマークが物珍しげにこちらを見ていたので、たも網を差し出してみる。
するとマークは戸惑いつつも網を受け取り、子供用の台に乗って魚が揚がってくるのを待ち始めた。その表情は真剣そのもので、今か今かと待ち構えている。
再びネットが上がってたくさんの魚が姿を現すと、リウムちゃんとラクティも交えて大盛り上がり。そんな後ろ姿を、俺はクレナと並んで見守っていた。
今日の夕食は近所の店で買って来たパン、クリッサの作った魚介のスープ、そしてロニの作った小魚のムニエルだ。素揚げの方は夕食の前に皆でつまんでしまった。
シャコバとパルドーは今頃オークションハウスで高級料理に舌鼓を打っているだろう。
しかし、こちらも決して負けてはいない。魚介のスープのちょっとピリ辛の味付けが、白身魚に実に合っている。ムニエルのバターの風味も香ばしい。
パンも保存の関係で旅の間は食べられないふわふわのパンを買って来た。夕食時に合わせて焼いた物らしく、手に持ってみるとまだ暖かい。
俺達は次々にテーブルの上の料理を平らげていく。おいしくて箸が進むと言う言葉通りだ。この世界に箸は無いけど。
「明日もまたやるにゃ!」
「賛成です!」
漁がよほど楽しかったのか、食事を終えても大盛り上がりのマークとラクティ。その隣でリウムちゃんも微かに頬を紅潮させながらコクコクと頷いている。
ちなみに彼等の一番のお気に入りは素揚げらしい。スナック感覚なのだろうか。
ルリトラも今日はお酒解禁だ。隣の小屋に泊まっていた一家のお父さんと意気投合し、今は軒先で酒盛りをしている。小屋の中まで賑やかな声が聞こえてきていた。
良い宿だな、ここは。しばらくここに滞在するのも良いかも知れない。
「ねぇ、今の内に長期滞在に切り替えない? 今夜の内ならできるはずよ」
クレナも同じ事を考えていたのか、丁度良いタイミングでそう提案してきた。一週間分まとめて先払いしておけば、その分宿泊費が少し安くなるのだ。
クリッサとロニの洗い物が終わると一旦『無限バスルーム』の扉を閉め、財布を持ってクレナと二人で管理人の小屋へと向かう事にする。
今のリビングは玄関から丸見えの位置なので、次に扉を開く時は隣の寝室にしよう。
念のため腰に剣を佩いて小屋を出ると、ルリトラ達の声が耳に飛び込んできた。彼等の声に耳を傾けてみると、どうやら隣のお父さん、今日は漁に失敗してしまったらしい。
ルリトラが肩を叩きながらネットを引き上げるコツを教えていたようなので、明日はお父さんの面目躍如になる事を祈ろう。
川沿いに並ぶ他の小屋の窓から明かりと楽しそうな笑い声が漏れている。一応クレナがランタンを持っているが、これだと必要なかったかも知れない。
耳を澄ませてみると、夜暗に紛れて遠くから軽快な歌声が聞こえてきた。こちらは町の方からだろうか。
「んー……気持ち良い~」
両腕を広げ、ひんやりした夜の空気を胸一杯吸い込まんとするクレナ。俺も真似してみると、海が間近なだけあってか濃厚な潮の香りが感じられた。
「しばらくのんびりしたいわねぇ」
「……ああ、そうだな」
一日でも早く春乃さん達に会いたい気持ちもあるが、クレナ達とのこう言う時間を大切にしたい気持ちもある。
船を手に入れると言っても、造ってもらったりすればそれなりに時間は掛かるはずだ。トラブルでも起きない限りは、ゆっくりする時間も作れるだろう。俺はそう考えていた。
しかし、穏やかな日々というのは、唐突に崩れ去るものである。
善意に溢れまくってはいるが、騒がしいことにかけては人後に落ちないヤツがすぐそこに近づいていたのだ。
突然リーンゴーンと辺りに鳴り響く鐘。
「えっ? 何? 何?」
驚いたクレナが俺に飛び付いて、その身体を押し付けてきた。
ロニ達はもちろんのこと、他の小屋の宿泊客達も何事かと顔を出す。
管理人もそれに気付いたのか、小屋から飛び出して来て「落ち着いてください! 落ち着いて下さい!」と声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いてください! これは夜間の入港を報せる合図です!」
何故鐘が鳴っているかを説明してくれる管理人。その直後に目の前の河口を大きな船が横切って行く。百人ぐらいは乗れそうな大型船だ。
「……ねぇ、トウヤ。あれ見て」
そう言ってクレナがランタンを掲げると、船の帆の模様が少しだけ見えた。
それが何であるかを認識した瞬間、俺の目は真ん丸になっていただろう。
「あれ……聖王家の紋章じゃないか!」
俺の記憶が正しければ、帆に描かれているのはユピテル王家、初代勇者の子孫である聖王家の紋章だ。つまりあの船には聖王家の人間が乗っているのか。
「ハーッハッハッハッ!」
どこからともなく聞こえてくる笑い声。すぐさまルリトラが位置を特定してくれたので彼が指差す先を見てみると、船首に誰かが立っているのが見えた。
「ありがとう! みんな、出迎えありがとう!」
顔は分からないが、声からして男――と言うか、俺はその声に聞き覚えがあった。
「この声……コスモスか……」
間違い無い。やけに爽やかなこの声は、俺と一緒に召喚された五人の勇者の内の一人。聖王家の王女と共に旅立った西沢秋桜こと、自称・勇者コスモスのものだった。




